第43話 わたしを殺して、わたしを助けて



「わたしがこうなったのは、寒い雪の日だった。クジラの化物から町のみんなで逃げているときに、とても頭が痛くなった」

「…………」

「それで、手がなくなって、脚もなくなって……気づいたら蛇になってた。そのときのおとうさんとおかあさんの顔、忘れられないなあ。娘を化物呼ばわりして怯えてたんだよ? 笑っちゃうよね」


 そうは言いつつも、『嫉妬エンヴィー』の声はどこか寂しげだ。

 なんでだとか、どうしてとか訊ける雰囲気でもない。


 ただ、ありのままを語っているだけなのだろうから。


『魔王化現象』は突発的に起こる。

 何の前触れもなく、誰の事情も斟酌しんしゃくしない。

 無慈悲に命を弄ぶ死神だ。


「それでね、違うよ? って言おうとしたのに、気づいたら食べちゃったんだ。助けて、助けてって泣きながら叫んでたのを覚えてる」

「……そうか」

「それからは、ずっと独り。化物を食べて、人間を食べてたらこうなってた。同情した? 可哀想だと思った?」


 せせら笑う『嫉妬エンヴィー』。


 来歴を聞いても、正直なところ『嫉妬エンヴィー』の感情は汲み取りきれない。

 自分が実際に体験したことではないのだから当然だ。


 それでも、そんな生き方を強要されたのは、ひとえに『魔王化現象』に選ばれてしまったが故の

 運がなかったとしか言いようがない。


『魔王』が化物としか認知されていなかった頃は、宇宙からやってきた生命体という説が有力だったらしい。

 しかし、今となっては誰にでも起こりうる現象だと広まっている。


 それを踏まえても、俺の答えは変わらない。


「同情して欲しいのか? 可哀想だと思って欲しいのか? 俺がやるべきことは何一つ変わらない。二度と失わないために『魔王』と戦う……それだけだ」

「……そっか。冷たいね。あの日を思い出すくらい、冷たいや」


 沈黙。

 なんて言葉をかけていいのかわからないまま時間が過ぎて。


 口火を切ったのは『嫉妬エンヴィー』。


「わかってた。わたしはもう、戻れないって。人間じゃなく化物として、一人寂しく死ぬしかないって。誰にも理解されないまま、誰にも認められないまま」

「……そんなこと」

「ある。あるの。だからわたしがいる。だからこんな力がある。あはっ、ほんと……バカみたい」


 あまりに穏やかな『嫉妬エンヴィー』の笑顔に、思わず息を呑む。


 何百年と生きた『嫉妬エンヴィー』の口から語られる本心は、『魔王』を殺すと決めていた決心を僅かでも揺らすような熱を持っていた。

『魔王』は俺から全てを奪った。

『魔王』は敵だ、生かしてはおけない。


 不幸になる人間がどれだけいるかを考えれば当然の帰結だと思う。


 だけど、それはそれとして。

 目の前の少女が救いを求めているのも事実だった。


『魔王』になった。

 たったそれだけのことで世界を大きく歪められてしまった少女の全てを推し量ることは出来ない。


「――だからさ。せめて、おねえさんだけでもわたしを覚えていてほしい。忘れないでほしい。認めてほしい。シェーラ・レイザードという一人の少女がいたことを、心の隅にでも置いておいてほしい。それで、わたしは十分」

「シェーラ・レイザード……それが名前だったのか」

「今となっては意味のないことだけどね。うん、忘れられなかった。忘れたら、本物の化物になる気がした。わたしが人間だった証。残ってるものなんてそれくらいだから。最後に一ついい? わたしは今、化物? それとも人間?」


 小首を傾げて『嫉妬エンヴィー』……シェーラは問う。

『魔王』に自分が化物か人間かを聞かれるのなんて後にも先にも今回くらいなものだろう。

 若干迷いながらも出した結論。


「さあ。それを決めるのは俺じゃない」

「……やっぱり、冷たい。凍え死にそうなくらい、冷たいよ」

「自分が人間だって思いたいならそうなんだろうし、化物だって思ってるならそうなんだろ。どっちがいいか、それだけの話だ」

「意地悪。でも……うん、そうだね。わたしは人間でありたい。人間のまま、死にたい」


 そういうと、シェーラはぴょんと跳ねて、空を歩いて俺の前に佇む。


「だから――ここで、今ここでわたしを終わらせて。痛いくらいに抱きしめて、殺してほしい。自分の意思じゃ死ねないから。誰かを羨み、拒み続けたわたしに触れられる人は誰もいなかった。でも、ここなら別。内側に入ってきたおねえさんなら、わたしを殺せる」


 両手を横へ広げて、シェーラは告げた。


 絶望の使徒――『魔王』。

 中でも最強の一角に数えられる『七本角セプテム』が、死を願っていた。


 都市を壊し、人を殺し、レンカを取り込もう連れ去った張本人。


 その生殺与奪の権利を、俺は握っている。


「……俺からも一つ、いいか」

「なあに」

「シェーラが都市を襲ったのは自分の意思か?」

「うーん……そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかな。なんとなくね、人間を見ると美味しそうだなーって思っちゃうの。わたしたちはそうできてる。だから襲った。あと、もう一人のおねえちゃんには話したけど、戦争のために力を蓄える目的もあったかな」

「戦争? 誰とだ」

「口女。名前なんて知らないから、わたしたちはそう呼んでる。アイツだけは止めないと、世界が喰い荒らされる。そういう終わりは望んでない」


 口女。

 まず、間違いなくアイツのことだ。


『魔王』が恐れる『魔王』。

 口ぶりからしてシェーラには共闘相手がいるらしい。


 因縁が巡る。

 いつか殺すと決めた『魔王』をシェーラたちも狙っているのか。


 敵の敵は味方という言葉はある。

 正直なところ、一人でアイツと戦って勝てる自信はない。


 一つ確かなことがあるとすれば、その場にシェーラがいることで勝率が上がるだろうことだけ。


『魔王』を殺すために、俺はいる。

嫉妬エンヴィー』討伐任務は果たさなければならない。

 とはいえ、復讐に繋がる手がかりを逃すほど余裕もない。


 見出した折衷案とも呼べないものは、荒唐無稽な夢物語。


「――俺もシェーラが言っていた口女とやらを殺すつもりだ。ただの復讐だけどな。だからこそ、その話を聞いて事情が変わった。――シェーラが人間を襲わないと約束できるなら、人間として都市で生きられるようにする」

「……え?」

「説得は難しいだろうし、叶ったとしても行動は制限されるかもしれないが……全力は尽くすと約束する」


 それは、シェーラをこっち側に引き込むこと。


『魔王』が人間と共生していたデータはどこにもない。

 言語と意思が通じる個体が少ないのだから当たり前だ。


 しかし、シェーラならば可能だとも考える。

 元人間の『魔王』、それも都市を一人で攻め落とせるほどの戦力を有するシェーラならば交渉の余地はあると考えた。


 元より『魔王』と戦う特務兵は不足しがちだ。

 ましてや、『七本角セプテム』と真っ向から戦える人間なんて数百年に一人とすら呼ばれている。


 そんな中で、シェーラが人間としての扱いを要求する代わりに、都市を襲う『魔王』への防壁となるのなら?


「……わたしに人間として生きろって言いたいの」

「そうだ。シェーラが人間なら簡単だろ?」

「……やっぱり意地悪。死にたいって言ってる人に生きろというほど残酷なことはないよ」

「わかってる。でも、『魔王』を殺すのが俺の任務だ。『嫉妬エンヴィー』をここで殺して、シェーラというを救う。何も問題ないだろ?」


 問題大有りだ。

 そんなわかりきった声を呑み込んで、俺はシェーラへ手を伸ばした。


 殺し、救うための手を。


 それを見て、シェーラは苦笑しつつ口を開いて。


「……わたしが言うのもなんだけど、狂ってるね。もう一人のお姉さんは納得してくれるのかな」

「レンカは誰にでも優しいよ。自分を遠ざけようとしてる人すら助けるようなお人よしだ。誠意をもって謝れば許してくれると思う。もちろん、俺も一緒に謝るし」

「……そっか。どうせおねえさんが内側にいるのなら、わたしは死ぬしかないし。――いいよ、乗ってあげる。を殺して、を助けて」


 目を瞑ったシェーラを抱きしめると、耳元で鼻をすすったような音が聞こえて。


 それが、『魔王』としての断末魔だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る