54止

 広島の原爆忌が過ぎて暑さがピークに達したころ、竜一の家に一通の手紙が届いた。

 仕事から帰った竜一は封を切り、中身を取り出した。消印は盛岡となっている。真理が帰国したことを知った。手紙には、8月になって帰国したこと、改めてニュージーランドではお世話になり、心から感謝しているということなどが綴られていた。そして最後に、もしよければ一度だけお会いして直接伝えたいことがあると書かれていた。時間があまりないため、8月25日に広島に行くのでそこで会えないかとある。ずいぶんと強引だと思った竜一は一瞬断ろうかと思った。もう飛行機のなかで飲み干したワインと共に真理との思い出は忘れたはずだった。しかし、改めて真理から手紙が来ると、一目会いたくなったのが正直なところだった。翌日、竜一は「帰国おめでとう。25日午後1時、それでは広島駅前の喫茶店で」と簡単な手紙を盛岡の住所宛てに返した。待ち合わせまでの2週間が永遠のように長く感じた。

 25日は休日で、竜一は朝から時間を持て余した。自宅から駅までは歩くと平和公園を抜けて30分以上かかる。いつもは路面電車を使うが、この日は途中にコンビニなどに寄り道しながら汗を乾かし、たっぷりと時間をかけて約束の30分前に駅前の喫茶店にたどり着いた。ほぼ間違いなく結婚したという報告だろうと踏んでいたが、結婚を迷っているとか、別の相談の可能性も考えた。手紙を受け取ってからの2週間あれこれ考えたが、結局答えはわからず、今もよくわかっていない。むしろ、結婚した以外の淡い言葉もほんの少しだけ期待していた。

 約束の1時より5分ほど早く、真理が店に入ってきた。竜一は30席ほどある店の奥のテーブル席で、入り口の方を向いて座っていた。真理はすぐに気付いて微笑みを浮かべて手を振りながらこちらへ近づいてきた。

 「遠いところわざわざありがとう」

 「いいえ、こっちこそ急なお願いでごめんなさい」

 店員にアイスコーヒーを注文し、運ばれてきた水を一口飲んだ。

 「広島は大学生の時に来て以来2回目」と真理は言った。お好み焼きを食べたかったらしく、「どこか食べに行く?」と竜一が尋ねたが、「あまり時間がなくてすぐに帰らないといけない」というので、用件は何だろうと思い直した。店員がアイスコーヒーを運んできて、真理はガムシロップだけ入れてくるくるとストローでかき回した。

 「今日お時間をもらったのは、直接お伝えしたいことがあって」と真理は切り出した。半分にまで減ったアイスコーヒーをもう一口吸い上げた竜一は、「なんでしょう。カイさんとのことじゃなくて?」と聞いた。真理は「そう。カイのこと。フィアンセじゃなくなりました」と言った。

 「フィアンセじゃなくなった?」

 竜一は困惑した。それってつまり、婚約破棄?と竜一が尋ねようとすると、真理は「結婚しました」と付け加えた。

 数秒置いて、たくさんの感情がこもった吐息をもらし、竜一は「おめでとう」という言葉を口にした。

 同時に、フィアンセじゃなくなったという言葉を聞いて、若干でも淡い期待を持った自分の気持ちがたまらなく恥ずかしくなった。

 「いつ?」と竜一が聞くと、3日前に入籍したという。

 「うん、それはめでたい。おめでとう!」と自分でも驚くほどの大きな声が店内に響いた。「わざわざ直接言いに来てくれたんだね」と竜一が言うと、「自分の気持ちに区切りをつけようと思って」と言った。1年ほど盛岡で仕事をする予定で甘い新婚生活というわけにはいかないが、晴れて夫婦になった。竜一に涙はなかったが、真理は泣きそうになっていた。

 「ニュージーランドの思い出は、僕たちのかけがえのない青春だね」と竜一は言った。「青春なんて高校生とか大学生のものかと思ってた」と真理は笑い顔に変わった。

 「大人になっても青春は続く。これからも青春は続くよ」と竜一は言った。

 「無理を言って今日にしてもらったのは、クライストチャーチで私が言った、聖スウィジンズデイから40日目だからなんですよ」と真理は言った。「7月15日、クライストチャーチの天気はあまり良くなかったけど、今日は真夏の青い空が広がってる。2人の将来がこの空のように、晴れ渡っていくことを祈っています」。

 真理は喫茶店の窓から外を見上げて言った。竜一もオークランドを思い出させる濃い青空を眺め、気持ちが晴れた思いがした。

 真理が国際交流協会の一員としてニュージーランドを訪れ、あのパーティーで竜一と会ったのがちょうど1年前だった。

 そして、2人の濃密な1年間の愛は、互いの心を少しだけ成長させ、この日幕を閉じた。



                   完

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聖スウィジンズデイ 二階堂仁 @nikaidoujin

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