(with you,) Sky

コトリノことり(旧こやま ことり)

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 はっはっ、と乱れる呼吸。一度落ち着いて呼吸を整えたかった。しかし後ろから迫る足音に、逆にロシティは自分の口を慌ててふさぐ。口の中で心臓がバクバクと暴れているようだ。


「おい、アイツどこ行った。こっちに来てるはずだろ?」

「あんまりでけぇ声出すな。気づかれて逃げられちまうだろうが」

「子どもの有翼人は珍しいからな、高く売れる。いい稼ぎのタネなんだ、逃がすわけにはいかねえよ」


 ハネナシの人間たちの話し声や草を踏み分ける音が近づいてくる。このあたりの森は村から離れているからロシティもよく知らない。それがさらに不安をあおる。

 星も月も見えない暗闇の森で、彼らが持っているランタンのあかりだけが不気味にひかっていた。


(なんで、こんなことになったんだろう)


 ロシティは疲れがたまって、走ることも飛ぶこともままならなかった。せめて見つからないようにと近くの木の洞にもぐって息をひそめた。

 背中にある三枚の翼で、身を包むように丸まる。その上に、気休め程度にしかならないだろうけど、逃げているうちに引っ掛けて破けてしまった朱色のケープを纏った。

 数少ない、空の民としての誇りである純白の翼は、追われているうちにボロボロになってしまった。せめて美しさだけは保とうと、毎日丁寧に手入れをしている毛羽はぼさぼさに荒れて、土や砂で茶色く汚れてしまっている。



『いいですか、ロシティ様。私たちの村を守るセコイアの森の中、イチイの実の先を超えてはいけませんよ。イチイの実の外は、空の民のものではありません。そこには、強欲な人間たちがうろついているかもしれません』



 いつもいつも口うるさいフレイの言葉を思い出す。今日の昼間も聞いたばかりだ。

 空の民の翼を奪ったって、ハネナシの人間たちが飛べるようになるわけでもないのに、なんでそんなことをするのだろうと不思議だったし、自分には関係のないことだと思っていた。



『……だけど、ボクみたいな中途半端な三枚羽の翼なんて、ほしがるなんて思えないよ』



 大空を自由に駆け、飛ぶことのできる空の民。

 ハネナシの人間たちから有翼人と呼ばれる空の民は、背中に四枚の翼をもっている。

 大空を自由に飛ぶことのできる、純白で大きな翼は空の民の誇りそのものだ。

 ロシティのように、まだ子どもの空の民は高く飛ぶことも早く駆けることも、ロシティが10人集まったって届かないほど高いセコイアの木を飛び越えることもできない。

 子どもたちにとって、四枚の翼で天空を駆け巡る大人は憧れだ。

 ロシティもそうなりたいと、憧れ願っている。けれど、それは叶わないことかもしれなかった。

 なぜなら、生まれたときから、ロシティは翼が一枚足りないカケハネだからだ。

 四枚の翼をもたないカケハネは不完全だと思われて、憐れみと、蔑みの対象だ。

 特に族長の息子であるロシティがカケハネだというのは、両親をたいそう悲しませた。本当なら、族長の息子であるロシティは誰よりも大きく立派な翼を持って、将来みんなの前を飛ぶべきだった。

 しかし、三枚羽の時点で、その未来はなくなった。

 もう何年も、まともに両親と会話したことはない。きちんと翼が四枚そろった弟にばかり両親の関心も、愛も注がれている。新品のケープも、高く飛ぶ方法も、家族そろった温かい食事もなにもかも。

 与えられたのは、家の中で孤立したような離れの部屋と、年上の従者、フレイだった。

 フレイは細いけれど、ロシティより背が高い。いつも穏やかな微笑みを浮かべて、ロシティの傍に常に控えている。

 そんなフレイは、ロシティよりも少ない、二枚羽のカケハネだった。



『翼をもたない人間たちにとっては、私たちの翼の枚数など関係ないのです。彼らには私たちの翼の羽根の一枚ですら金貨に見えるのですから』



 四枚の翼のうち、二枚もないなんて、よほどの事情がないかぎり空の民にとって恥のような存在だ。

 三枚羽のボクに、二枚羽のフレイを従者につけるというのは、両親はもう本当に自分に期待してなどいないのだいうのを理解するには十分だった。

 家の外に出ても子どもたちからは翼が足りないことをバカにされるだけ。そういうとき、ロシティの弟はたまにかばってくれる。『生まれつきなんだから仕方ない』そういって、兄の自分より大きい背丈で、四枚の翼を広げながら。

 それでも二人きりになった瞬間、『次期族長として、兄を蔑ろにするというのは外聞が悪いので助けましたが、面倒なのであまり外にでないでください』と冷たい言葉をつきつけられる。

 それでも弟のいうことはもっともだから、と。家から出ることも人と関わることもやめた。

 みっともない。

 恥さらし。

 ごくつぶし。

 外に出ても、そんな言葉しか言われない。

 結果、話し相手はもっぱらフレイだけになった。



『さあロシティ様、新しいケープをつくりましたよ。ナナカマドの色がきれいにでました。お好きでしょう?』

『ケープなんていらないよ、どうせボクは外からでないんだから』

『よくない心をもつものから翼を隠すためにもありますが、ケープには魔除けの意味もあるのです。さあ、どうぞ』



 そういって渡されたケープは、綺麗な朱色に、深緑の刺繍がしてあった。空の民はローブやこうしたケープを着て、自分の翼を保護したり隠すのが常だ。フレイもいつも銀杏の葉の色のケープを纏っている。

 わざわざフレイが作ってくれたケープも、逃げているうちにいろんなところでひっかかってボロボロになってしまった。

 ケープの端を握りしめる。これからどうするか、どうやったら助かるかを必死に考えるけれど、人間に捕まることとは別の不安がひたひたと近寄ってくる。

 勝手に家から抜け出して、イチイの実を超えて、人間に見つかった自分のことを家族はどう思うだろう。そもそも、ロシティがいなくなったことに気づいているだろうか。気づいて、その先、ほんとうに助けにきてくれるのだろうか。ちょうどいいと、捨て置かれるのではないか。

 森の先になんて、出るつもりはなかった。

 ただ、明日は、誕生日だったから。特別な日だったから。

 それなのに、今日、思わず、あんなことを言ってしまったから。



『お似合いですよ』

『……みっともない三枚羽を隠すには、確かに丁度いいかもしれないよね』

『ロシティ様、そのような』

『そういえば、フレイはいつもケープを着て、脱ぐことないよね。それって、つまり――』



 深いセコイアの森でもめったに見ることのない、ドルケンハイトが咲いたと風が教えてくれた。

 雲のかからない満月の日の時にだけ花開くドルケンハイトは、白い花弁から月のような淡い光をはなつ、うつくしい花だ。月光を浴びた花弁をこわさぬよう丁寧に採取すると、昼間でも淡い光をたもったままだという。

 そのドルケルハイトが、セコイアの森と外をわける境界、イチイの実のすぐさきに咲いたと知って。

 だから、もしそのドルケルハイトがあれば、いいきっかけになるかもしれないと思って。

 でもまさか、そこで、ドルケンハイトを採ろうとするハネナシと遭うなんて思いもしなかった。

 夜に外に出るのはよくないから、急いでいたから、森の中だからと。翼を出して飛んでいたのもよくなかった。

 他の子ほど高く飛べなくても、カケハネでもロシティだって空の民の一員だ。まっすぐ飛ぶことは苦手だけれど、森の小枝をわけて飛んでいくことは地面で踊ることよりも簡単だ。

 ドルケンハイトは美しさだけではなく、薬草としても価値の高い希少な花だというのは知っていた。だからといって、わざわざ空の民の怒りを買うかもしれないセコイアの森にはいってまで採ろうとする人間なんて、ろくなものであるはずもなかった。

 彼らは、淡い月色の光を放つドルケンハイトの花々のところにいるロシティを見て、狙いをドルケルハイトではなくてロシティに、一人でうろついている子供の有翼人を狩ることに切り替えた。

物騒な剣と槍を取り出したのを見た瞬間に、イチイの実の中へと向かえばよかったかもしれない。招かれざる客を空の民は拒む。大人の空の民にしらせれば、なんとかなったかもしれない。


 でも。勝手に家を抜け出したことも、外の近くまできたことも、知られたら怒られるかもしれない、と思ってしまって。

 なにより、カケハネの自分を、本当に助けてくれるのか、自信がもてなくて。

 村とは逆方向の森の深部へとロシティは逃げてしまった。


 もう少し。もう少ししたら明るくなる。明るくなれば、ロシティの翼でも彼らを振り切って村に戻れる。

 暗い暗いセコイアの森の深部は、空の民であっても暗闇の中飛ぶのは難しい。セコイアの木々は高く、大きく、枝と葉を伸ばしている。その枝の中には、凶暴な魔獣たちの棲み処になっている。もしも飛んでいる時にその魔獣に襲われても命を落とすかもしれない。

 それでも、明るくなれば、きっと。

 ガサリ、と草の揺れる音が近くでした。


「もっと先か?」

「あんまり奥へ行きすぎて、ほかの有翼人どもに見つかると面倒だ」

「へいきさ、ここらへんはあいつらの住んでるところから離れてる。あの赤い実の先に行かなければ大丈夫さ」


 ガサリガサリ。足音が近づいてくる。

 バクバクと心臓が音を立てる。ブルブルと体が震える。

 人間に捕まったら。生きたまま翼をもがれたり、奴隷としてどこかに売られる、と聞いた。

 翼をもがれることは、空の民にとっては死よりも恐ろしい苦痛だ。奴隷として売られたら、もう二度とこのセコイアの森には帰ってこれないだろう。

 恐怖と焦燥でうまく呼吸ができなくなる。どうしよう。どうしたら。いちかばちかで飛んで逃げたほうがいいか? それとも見つからないことを祈って、このまま隠れるべきか?

 ガサガサという音が、隠れた木の洞に近づいてくる。

 ドクンドクンと、心臓が外に聞こえそうなほど鳴っている。

 誰か助けて、と叫びたくなる。


 ――カケハネの自分を、助けてくれる誰かなんて、いるだろうか?

 ――新品のケープも、あたたかい食事も、もらったことのない自分を。


 自分がいなくなったって、誰も、気にしないかもしれない。

 もしかしたら、人間に捕まるよりも、自分がいなくなっても誰にも、家族にも気に留められなかった事実を知るほうが怖いのかもしれない。


 ガサっとひときわ大きな音が鳴る。


 それでも。

 それでも、せめて、最後に。


「――おいッ! こっちだ!」


 とても近いところから、人間の声がする。

 反射的に身をすくめる。

 せめて、最後に。

 一言謝りたかった。


「――――ッ、フレっ」


 ただ一人。

 両親よりも弟よりも、最後に会いたい人の名前を紡ごうとしたけれど、それは最後まで言葉にならなかった。


「……ですから、言いましたでしょう? イチイの木を超えてはいけませんよ、と」


 ふわりと体ごと包まれる感覚。

 うたたねのときにかけてもらう毛布のような優しさで、抱きしめられていることに気づいた。


「フレ、イ……?」

「そうですよ。まったく、お部屋にいないから驚きました。ケープを着てくださっていて助かりました。魔除けの加護をたどってここまでこれました」


 恐る恐る見上げれば、そこには柔和な笑顔をしたフレイの顔があって。

 

「ああ、怖かったでしょう。私がきたから、もう大丈夫ですよ、ロシティ様」


 あたたかい、その声を聞いて。

 身体の緊張が一瞬でとけて、その反動でポロリと涙がこぼれる。


「――大人の有翼人だぞ!」

「いいさ、二人まとめて捕まえればいい」


 人間たちの慌てる声がするけれど、なぜか不思議ともう恐怖心はわかなかった。

 フレイはロシティの体を抱え上げて、人間たちを一瞥する。


「……イチイの実を超えてないから、お前たちは空の民の森を侵してはいない。だから空の民はお前らを粛清はしない。しかし、そのかわりに森の歓迎を受けるといい」


 そういってフレイは器用に胸元から赤いなにかを取り出した。


「あ」


 それはイチイの実をつけた枝だと、ロシティにはわかった。

 イチイの枝をフレイは人間たちに投げつけた。


「――イチイの木は魔を祓う。それはつまり、魔と近いということだ」


 ぐしゃり、と潰れる赤い実。

 途端に広がる甘い匂い。


「っ……なんだ、この匂い、すげえ甘い」

「あ、やべえ! よけろッ」


 充満した甘い匂いを断ち切るように、暗闇の中で鋭いツメを持つナニカが、潰れたイチイの近くにいた人間を襲った。


「なっ……魔獣?」

「おい、こっちからもきているぞ!」


 セコイアの森には空の民ですら危険な目にあうような魔獣が住んでいる。

 イチイの実はそれらを退ける役目を担っている。

 けれど、そのイチイを乱雑に扱えば。

 途端、魔を祓う効果は裏返しになって、魔獣たちがつられるように集まってくる。そしてイチイの匂いに錯乱し、どんな獲物かもわからず暴れ襲い掛かる。

 そうして魔獣に襲われている人間たちを見ながら、ロシティのほうが慌てふためく。


「ど、どうするのフレイっ」

「どうするとは、どういうことですか?」

「だって、このままじゃ。ボクらだって。どうしよう、ボクじゃあんなの避けて飛べないよ」

「大丈夫です、大丈夫ですからロシティ様」

「だって、フレイは二枚羽のカケハネじゃっ……」


 思わず口にしそうになった言葉を飲み込む。

 三枚羽のロシティですら難しいのだから、フレイならなおさらじゃないか、と。

 けれどフレイはにっこりと笑って、ロシティを抱えなおした。


「ええ、たしかに私はカケハネです。ですが――それでも私は、あなたの従者で、空の民なのですよ」


 ふいに、ふっと浮かび上がる感覚。

 この感覚は知っている。これは空気の、風の流れと調和するときの動きだ。

 ばさり、と大きな音がする。

 ケープで隠れていた、普段は隠れているフレイの翼が広がる。

 たった二枚。たった二枚の翼なのに。

 四枚羽に負けないほどの、フレイの身長を超えるほどの、巨大な翼だった。


「少し速く飛びます、お気をつけて」

「え。あ、ちょっ……」


 グンッと急上昇する。

 風がフレイの翼を押し上げる。

 人間たちの声の音すらも、魔獣の遠吠えも、何もかもを置き去りにする。

 高く、高く上昇する。

 あんなに暗くて、独りで怖かった、セコイアの暗闇を抜けていく。

 ぐんぐんと風が強くなる。まるで、フレイの味方をするように。

 捕まえようと長い尾を伸ばす魔獣すらフレイは鮮やかによける。まるで魔法のようだった。目の前に大きな枝が迫ったと思ったら少し体を傾けるだけで簡単に飛び越える。

 速度を上げ、くるりと回って、そしてさらに高みへと目指していく。

 風とともに、上に広がる空と一緒になろうとするように。

 大きな葉がザワっと揺れて。

 直後、一気に視界が開けた。

 高くて、決して届かないだろうと思っていたセコイアの木の天辺の。

 さらに上へと、フレイは高く飛んでいた。

 きっと届かないだろうと、思ってあきらめるような高さの至り。

 それはまさに、空の民の飛び方だった。

 セコイアの森の上に広がる空は、東の空に、明星が光りはじめている。

 きっと、もうすぐ朝なのだろう。

 けど、それよりも。


「……フレイ!? なんで、こんなに高く飛べるの!? カ、カケハネなのに!?」

「馴れです」


 勢いよく迫ればあっさりと返されて思わず肩の力が抜けそうになる。

 フレイは苦笑して、ロシティを落とさぬように抱えなおした。


「まあ、馴れなのは本当なんですが……そうですね、私は元々四枚羽でした。それがある日、ハネナシに見つかりまして、二枚ほどもがれたのです」

「そ、れは……」

「そのことについては解決してますので、お気になさらず。さすがに四枚から二枚になりますと、なかなか平衡感覚もつかみにくかったのですが、翼を大きくして、風との調和をはかるように特訓したら、今のように十分飛べるようになったんですよ」


 カケハネのフレイは、ロシティとおなじように上手く飛べないと思っていた。

 それが、まさか。

 こんなに、自由に、鮮やかに、力強く飛べるだなんて。

 たった今、フレイに抱えられることで、まるで自分が飛翔しているようなあの感覚は。

 ロシティがずっとずっと求めていたもので。


「ロシティ様がお悩みになられているのは、族長もご理解しております。そのためにわたしがあなたの従者になったのです。……四枚羽のものには、カケハネの飛び方を教えられません。感覚がわからないですから。だから、私からあなたにカケハネとしての飛び方を教えてほしいと、そう頼まれております」


 まあ今は、身体を作るのが先なので、練習はもう少し後ですが。フレイのその声を聞いて、ロシティはすぐに簡単に言葉を受け止められなかった。

 もらえなかった、新品のケープ。あたたかい家族との食事。


「……父上と、母上は」

「あのおかたがたは、きちんとあなたのことを見ています。今はどうしても、まわりは貴方に対して冷たくあたってしまいます。せめてもう少し高く飛べるようになれれば。カケハネであろうと、あなたが空を自由に飛べるようになれたら。その時にはきっと、あなたは堂々と、外にも空にも出られるのだと信じておられます。まあ、家族そろって不器用なのは事実なんですけどね」


 用意された離れの部屋も、カケハネであることに心が病んでロシティには療養が必要な状態だと、勝手に医者と相談して判断したからこうなっているのだと聞いて、驚きと呆れが交互にやってくる。

 だけど、それでも。


「……ぼくは、父上と、母上に……」

「愛されておりますとも。弟君も、ほんとうはもっとあなたと空を飛ぶ練習をしたいのに、周りがうるさいからできないと、この間も愚痴を言っておりました」


 ひとつひとつ、優しさと温かさのある言葉でさとされる。

 すぐに、納得いくわけじゃない。そうなんだ、と理解できるわけではない。

 けれど、ずっと心の中にあった焦燥感は、無くなったような気がした。


「そういえばロシティ様、どうしてあんなところに?」

「……あっ、そうだった!」


 問いかけられて慌ててケープの内側、布でくるんで、それだけはつぶさないように大事に大事にしまっていたもの。


「もう日付、変わったよね。……フレイ、お誕生日、おめでとう」


 さしだしたのは、すこし花弁が崩れたドルケルハイト。

 夜の残り香が漂う空の下でも、その花は月色の光をはなっていた。

 フレイは目をぱちくりさせる。


「これを……とりにいっていたのです、か。それを、私に?」

「フレイの誕生日だから、なにか、贈りたかったんだ。僕はケープとか作れないし、お前が何がほしいかわからなかったし、それに」


 思わず言った言葉を思いだす。


『フレイはいつもケープを着て、脱ぐことないよね。それって、つまり自分でも二枚羽をみっともないと思ってるからじゃないの?』


 苛立ちと不安と焦燥から、口にしてしまった言葉。

 本心ではないのに。あの時、顔をゆがめたフレイの顔が忘れられなくて。


「ひどいことをいったから……お詫びに」


 差し出したドルケルハイトをフレイはじっくりと眺めてから、片腕でロシティを抱きしめながらうやうやしく受け取った。


「ありがとう、ございます。……空が近いせいか、輝きがいつもより増してますね」

「あ、ほんとだ」

「嬉しいです。ドルケルハイトのお礼に、もう少しいいものを見せてあげましょう」


 そういってフレイの翼はばさりと大きく羽ばたく。

 純白の空が、藍色から橙色に変わる空の中でひかっているようだ。

 ロシティを抱えたまま、ばさりばさりと羽ばたいて、フレイは高く飛んでいく。

 高く、高く。見下ろせば、セコイアの森ですら、片手でおさめられそうなほど高く。半日かけてようやくつく人里が見えるほど高く。


「どこまで行くの、フレイ」

「ロシティ様となら、どこまで行ってもいいんですがね」


 二人はどんどん藍色が暁色に染まっていく空の中へとはいっていく。

 もう、下を見下ろしても、何があるかなんてわからない。

 こんな高さまで飛んだことなんてもちろんロシティにはない。一人で飛ぼうとしたらすぐに力尽きて地面に落ちるだろう。

 それでも、自分を抱きとめてくれるフレイの腕を信じた。


「そろそろですかね。ほら、あちらをごらんになってください」


 そういってフレイがさしたのは。

 山も崖も森も集落すらも、全てが小さくなって。自分達よりはるか下にある、なだらかでまっすぐになった、地平線。

 そこから現れる、太陽。


「……すごい」

「綺麗でしょう。空から見下ろす地平線は」

「……フレイ、ちょっとだけでいい。自分で飛びたい」

「……わかりました」


 フレイがほんの少し体を離す。それに合わせてボロボロになった、不格好な三枚羽を広げた。

 この世界すべてを光が包む光景を、自分の羽だけで、空の上から見下ろしている。


「……ボクも、いつか、ひとりでここまでこれるかな」

「きっと飛べますよ」


 フレイはロシティにむけて、ドルケルハイトの花を掲げた。

 太陽の光と、青空と、ドルケルハイトの淡い光が、優しく混ざる。


「もしも足りない羽があるならば、私の羽をお使いください」

「はは。それじゃあ、フレイの羽が一枚になっちゃうよ」

「お好きなだけどうぞ」

「いらないよ。自分の羽だけで、いつかここまでくる。だから」


 ばさっと、小さく翼をはばたかせて、ロシティは笑った。


「ボクに飛び方を教えてよ、フレイ」


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