5-4 凱旋

 正彦は叫びたい衝動を抑えながら、両国の方面、我が家たるボロ倉に向かって歩いていた。

 少しでも気を緩めれば、口から大声が飛び出しそうだった。

 やがて、倉にたどり着き、戸口をくぐると、宗舟が腕を組んで立っていた。


「師匠、おれっ──!」


 溜め込んでいた声が溢れる。


「言わんでいい──」


 宗舟の仏頂面がフッと緩み、ほんの少し口角が上がった。


「いい顔をするようになった。男の顔だ」


「師匠のおかげです!」


 正彦は満面の笑顔で応えた。


「来い」


 宗舟は正彦を倉の中央へ来るよう、促した。


「座れ」


 正彦は、宗舟と対面して座った。

 宗舟のかたわらには、一升瓶が置かれていた。二級酒、安い日本酒だ。

 宗舟が栓を抜くと、ポンッ、と小気味のいい音が倉にこだまする。


「お前の稼ぎから酒を買うのは忍びなかったんでな、俺の待ち合わせじゃあこの安酒しか買えんかったが──まあ飲め」


 宗舟は瓶ごと正彦に突き出す。


「そんな! 師匠より先には頂けません」


「バカやろう。勝者ってのは我儘わがままでいいんだ。さあ」


 宗舟に促され、正彦はグッと酒を喉に流し込んだ。

 酒を飲むのは初めてだった。

 味は、ハッキリ言ってそんなに好きじゃない。なのに、なぜか旨く感じた。

 勝利に酔っているのか、あるいは宗舟と分け合う酒だからなのかは、分からない。

 多分、両方が理由だろう。

 かなりの量を流し込んで、ようやく正彦は瓶から口を離した。


「旨いです」


 言いながら、宗舟へ瓶を差し出す。


「そうか」


 それだけ言って、宗舟も酒を流し込んだ。

 見事な飲みっぷりであった。


 正彦が帰るより前に、この酒を用意していたということは、宗舟は彼の勝利を信じていたということだ。

 正彦は、それが嬉しかった。

 酒を煽る宗舟の顔を、敬愛の情をもって、見つめていた。

 正彦の倍近い量の酒を、一息に飲み込んだ宗舟が、瓶から口を離すと同時に、正彦の視線に気がついた。


「なんだ。なにを見ている」


「いえ──」


 正彦は真剣そうな顔で、


「師匠、一生ついていきます」


 そう言った。


「バカ。お前もう酔ったのか」


 確かに正彦の顔は既に赤らんでいる。


「酔ってませんよ〜あの程度の酒なんか!」


 正彦はそう言って宗舟から一升瓶をひったくって、酒を煽った。

 酔っているようだ。

 宗舟は、呆れたように微笑した。


(初勝利の祝いだ。今日くらいは許してやろう)


 師匠と弟子、二人きりの酒盛りは、この後すぐに正彦が寝入ったせいで長くは続かなかった。

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異端の拳術 狒狒 @umeda06

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