5-3 逆襲
正彦は、待っていた。
太一、将太、二郎の三人を、である。
奴らは、道場からの帰路を、連れ立って歩く。そうして必ず、今正彦が立つこの角を通るのである。
九月も半ばを過ぎ、少し涼やかなもになった風が正彦の髪を撫でて通り過ぎていった。
その風が、素っ頓狂な声も運んできた。
「正彦!」
太一の声だ。
両隣に将太と二郎も立っている。
「よう」
正彦は返事をした。
「おめぇ、あの日泣いて道場を逃げ出してったそうじゃねえか。そんな根性なしが、よく人様に
太一が煽る。
正彦に悪いことをしたとは、微塵も思っていないようだった。
正彦にとって、それはありがたいことだった。万が一、こいつらに詫びられでもしたら、復讐心が鈍ってしまう。
ありがたいことだった。
「なに、俺が居なくなって出来損ないの三人は、自分より強い人間にやられっぱなしで欲求不満だろうと思ってね。遊び相手になってやろうと思っただけだよ」
正彦も啖呵をきった。
「正彦ぉ。てめぇ誰に向かって口聞いてんだ?」
将太が凄む。
「てめぇら三バカにだよ!」
決定打である。
もう殴り合いは避けられない。
「乞食になって気も狂ったか正彦? もう退けねえぜ?」
太一は続ける。
「こんなとこで始めて、誰かに途中で止められちゃあやりきれねえ。来いよ。この先の空き地で勝負だ」
「ああ。最後までやろう」
一行は空き地まで歩いた。
まだ暴力が表に噴き出していないものの、今までで一番殺伐とした雰囲気だった。
みな葬式の帰りであるかのように、俯き、押し黙って歩いた。
空き地には十分ほどで着く。
相撲の土俵より二回りほど大きい、正方形の空き地で、地面は土が剥き出しである。
その空き地の周囲を背の高い草が覆い隠している。
邪魔は入らないだろう。
太一ら三人が、横並びに立っている。
それぞれの間には、人一人分の間隔がある。
対面に正彦が立っている。
「正彦、いつものようにはやらねえぞ。俺たちを舐めた罰だ。天道流を使う」
太一がまるで死刑を言い渡すかのように告げた。
「好きにしろよ。使えるならの話だけどな」
三人に脅されても、正彦に恐怖はなかった。修行とはいえ、宗舟と対峙する一月を送ってきたのだ。
我が師に比べ、こいつらはあまりに小さかった。身体の大きさだけでない。
威圧感、オーラとでも言うべきものが、全く感じられないのだ。
「野郎っ・・・・・・!」
太一達が先に構えを見せた。
ベタ足で、開手の指先を相手に向ける天道流の構えだ。
ジリジリと、間合いを詰めてくる。
応じて、正彦も構える。
宗舟に叩き込まれた、拳を顎の側に置き、踵を浮かす構えだ。
すると、不思議なことに、三人の脚が止まった。戸惑っている。
宗舟の言った通りであった。
太一達は、天道流を使うと宣言したが、それは正確ではない。
正しくは、天道流の型を使うという意味に過ぎない。
奴らは、型稽古を技の見本市かなにかと勘違いしているのだ。
型はそのまま実戦に転用するものではない。型を通じて、技の理屈を解明し、呼吸を身につけることで、型を脱して己の技とせねばならないことを、理解していない。
だから相手が型にはない動きをしてきた時、対応出来ない。
宗舟が言った『空の鉄砲に縋る』とは、型のままの動きで実戦を闘おうとする三人の心理を指していたのだ。
三人の動揺をついて、正彦が動き出す。
正面の太一に突っかかる、と見せかけて、正彦から見て、右手側に立つ二郎の方へ飛び込んだ。
大胆にも、右の足刀で二郎の顔面を打ちにいく。
油断していた二郎はこれをもろに受け、鼻が潰れた。歯も欠けたかもしれない。
後方へよろけた二郎に背を向けて、正彦は太一に相対した。
太一は後方へ下がりながら、叫んだ。
「将太! 回り込め! 挟み撃ちにするぞ!」
早くも天道流の構えを捨てた将太が、走って正彦の後方へ大きく回り込む。
正彦にとっては相当に不利な形になった。
幸いなのは、二郎は地面に転がりながらうめいているので、これ以上の加勢はないことである。
正彦は、背後の将太を無視して、太一に突進する。
左で牽制の突きを打ちながら、右拳を叩き込む機会を
だが、意外にも太一は顔面を小突かれながらも、すばしっこい動きで決定打は決めさせない。
それどころか時々、応戦して拳を繰り出してくる。しかしそれは正彦に擦りもしないどころか、隙を作るだけで、却って正彦の拳を被弾しやすくなる。
正彦の四発目の左拳が、太一の顔面を叩くと、ツーと、鼻血が垂れてきた。
太一の頭に血が昇る。
もう防御もなにもかなぐり捨てて、大振りの突きで応戦してくる。
今なら、容易く右の拳を打ち込めるだろう。
(喰らいやがれ!)
正彦が逆突きを打ち出そうとした瞬間、腰にと鈍い衝撃を感じた。
将太に組みつかれたのだ。
「絶対離すんじゃねえぞ!」
太一が絶叫する。
「おうとも!」
将太は必死でしがみつき、なんとか正彦を羽交い締めにした。
「死ねっ!」
無防備になった正彦の顔面に、太一が思い切り振りかぶって右の拳を叩き込みにくる──。
(ここだ!)
正彦は、眼を見開き、太一の拳の軌道を追う。そして、ある程度自由のきく首を操作して、太一の拳を迎えにいった。
受け止めるのは、額で、である。
ゴッ──。
鈍い音がした。
太一が苦悶の表情を浮かべる。
鍛えてもいない拳で、分厚い額の骨を叩けばああなる。
拳にヒビが入ったかもしれない。
宗舟が昨晩授けた、最後の技がこの額による受けであった。
この隙を逃さず、正彦は右の前蹴りを太一の腹にぶち当て、その反動を利用して将太ごと後ろに倒れ込んだ。
拘束が解ける。
立ち上がるのは、二人同時だった。
将太はなおも組みついていくる。
両手で正彦のベルトを掴み、正彦もまた両手で将太の帯を握っていた。
お互いに右手が差し手、左手が上手の、相四つの状態だ。
「うらぁっ!」
将太は叫びながら、正彦を左右に揺さぶって崩そうとしてくる。
それを正彦は、踏ん張って耐えていた。
正彦も負けじと叫び返す。
「てめぇいつから相撲取りになったんだぁ!」
雄叫びと共に、正彦は将太を持ち上げた。
荷役の仕事で散々担ぎ上げる動作はやって来た。暴れる人間とはいえ、自分とそう変わらない重さのものを持ち上げることは、一回きりならそれほど難しくなかった。
全身の筋肉を総動員して、将太の両脚を完全に地上から隔離する。
そのまま、自分の身体を浴びせるように、将太を背中から地面に叩きつけた。
将太は頭を強く打ち、悶絶している。
正彦は素早く立ち上がる。
残りは手負いの太一だけだ。
太一は、怯えていた。
正彦の変貌振りにだ。
何年も武道を習っている自分を、この短期間で軽々追い越していった正彦が、恐ろしかった。
しかし、それは別段驚くことでもないのだ。正彦の修行は、太一らが、遊びで天道流を習っているのとは、訳が違うのだから。
家を捨て、友人を捨て、己の誇りを賭けて、本気で武術を習得しようとしているのである。
太一らは、天道流を習って自分が強くなった気分に浸れれば、それでいい。
正彦は違う。
強くなりたいのだ。
この意識の差が、修行の結果に雲泥の差を生むのである。
「ぅあぁーっ!」
太一が恐怖を吐き出しながら、右の拳を振りかぶってきた。
正彦は、冷静に、その拳とすれ違うように頭を振って躱す。
同時に、右の拳を太一の顎に叩き込んだ。
芯を捉えた感触があった。
太一は、糸の切れた操り人形のように、顔面から地に伏せた。
──宗舟が河原で、力士を叩きのめした時と同じ動きだ。正彦は、あの光景を自身の手で再現したのである。
正彦は震えていた。
初めて、人の意識を己の手で刈り取った感覚に。
そして──初めての勝利に。
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