最終話 剣士はそれを尊く思う



 アルドは思わず感心していた。

 人間って、ここまで口を大きく開けても顎は外れないものなんだなと。


「おい、大丈夫か?」


 ザオルに軽くつつかれ、マティアスはようやく我に返った様子で、しかしまだまだ驚愕の抜けない表情でガバッとアルドを振り仰いだ。


「あっあっあっアッアッアッアッアルッアルッ、アルドさっ」

「うんうん、俺が実際に見てたし、一緒に戦ったよ」

「こっこっこっこっこれはっほっほっほっほんっほんんっっ」

「うんうん、これは本当にマティアスだよ」

「なっなっなっなっなっなぁんっなんっなんっなんっ、なっ」

「なんでこうなるのかって? それは俺にも分からないな……」


 イシャール堂に戻ったあと

 さっそく『むぅびぃ』をマティアスに見せる運びとなったのだが。


 だいたいこんな反応をするんだろうなぁ、と思っていた通りになった。


 アルドは一仕事終えた気持ちで、出してもらったお茶をゆったり啜った。

 ザオルはなにやら大きな箱の包み紙をガサガサと破いている。


「という訳だから、ハンター辞めちゃうのもったいないと思うよ」

「そうだぞ。他のハンターだって、強いハンターが増えたって話を耳にするだけでも心強いってもんだ」

「えっ、いやっでも僕は、えっ? あれっ?」

「マティアス、自信持てよ。俺はお前のこと本当にすごいと思ったよ」


 アルドはそう言って、マティアスの前にも出されていたお茶をとって手渡した。

 彼は相変わらず呆然としたまま受け取り、呆然としたままお茶を口に運んだ。


「なぁ二人とも、甘いもんは好きか? 貰い物が余っちまっててよ。良かったら食ってくれ」

「おお、ありがとう!」


 ザオルが開けていた大きな箱は、菓子の詰め合わせだったらしい。

 ちょうど小腹が空いていたところなのでありがたく頂くことにした。

 焼き菓子のしっとりしたバターの塩気が、戦闘後の体にたまらない。まだオロオロしているマティアスの口にもひとつ放り込んでおいた。


「そういえば。マティアス」

「むぐ、ふぁい」

「あのー、シフォンケーキって、もしかして嫌い?」

「し、シフォンケーキ? いえそんなことはないですよ! というか甘いもの全般好きですよ」

「あ、そうなんだ」

「えっ? なんで今シフォンケーキの話になったんでしょうか?」

「なんでもないよ。気にしないでくれ」

「はぁ……?」



 二人の前にザオルが改めて座り直し、空気を切り替えるようにパンっと手を叩いた。


「ま、どういう理屈かは分かんねぇから、心配なら一回病院行ってもいいんだろうけどよ。どのみち、こういうのは急になくなったりするもんじゃねぇと思うぜ。うまく付き合っていくもんだ」

「……僕はずっとこうなのかもしれないし、いつか『あっちの僕』はいなくなるのかもしれない……ってことですね」


 マティアスが小さく頷く。


「誰にも、というか僕にだってそれは分からない……」

「おう、聡明じゃねぇか。そういうこった」

「もちろん合成人間を怖いって思うのもマティアスの一面だから、どっちが本当って話ではないと思うよ」


 アルドはそう言って、先ほどとは別の菓子を手に取った。

 白と茶色の二色の模様で彩られるチョコレートで、甘い部分とほろ苦い部分が混ざり合って美味しい。


「つまり俺と一緒に戦ったマティアスだって、偽物って訳じゃない」

「アルドさんと一緒に戦った、僕」

「だから今日からは、今まで知らなかった一面ととどう付き合って行くかを考えられるようになったってだけじゃないかな。職業をどうするかとかは関係なしにさ」


 マティアスはゆっくりと頷いた。

 ザオルがふっと笑って、夕飯も食っていけと二人の頭をがしがし撫でた。









=====







「あ! アルドさん!」

「んっ?」


 前方から呼ばれてアルドは一瞬足をとめそうになったが、その必要もないかと思い直した。


 ここはエルジオン・シータ区画。

 集めた素材を持ってイシャール堂に入ったところで、先にカウンターいたマティアスに声をかけられたのだ。


「よお、元気だったか? 今日はマティアスにもぜひ見せてやりたい素材が」

「アルドさん、聞いてください! 僕とうとう『カトラスII』を扱えるようになったんです!」

「ええっ?」


 ずん! と一歩乗り出すようにされたので、一見か弱そうな体躯とほっそりした顔面も ずん!と近付いて来る。

 反射的に一歩下がってしまったものの、マティアスのキラキラ輝く目と満面の笑顔を見てアルドも嬉しくなった。


「すごいじゃないか! じゃあ防具も?」

「ええ、ちょうど一式新調しに来ていたところです! 嬉しいです、まさか僕なんかがイシャール堂の『カトラスII』を持てるなんて…!」

「むしろ、初級者向け装備であんだけガンガン倒せてたのがすごいんだけどなぁ……」


 男性店員も、うんうんと力強く頷いている。マティアスは恥ずかしそうに笑いながら、「自分じゃ分からないものですから」と頭をかいた。



 その時、店の奥の扉がプシュっと音を立てて開いた。歩いてきたのはアルドの上半身くらいはありそうな大きな箱、もとい、大きな箱を軽々と抱えたザオルだった。


「おお、賑やかだと思ったらお前らか」

「あっザオルさん! こんにちは!」

「こんにちは親父さん」


 陳列棚のあたりに箱を置きながら、ザオルが目尻を下げて笑う。マティアスがぱっと嬉しそうに姿勢を正す様子がまた微笑ましくて、アルドは笑い出しそうになるのを懸命に堪えた。

 男性店員もちょっと口元がニヤけていて、同じような心境なのがよく分かった。


「アルドも素材だろ? 見せてみろ」

「あっ、そうだった。マティアスにもぜひ見せたいのがあって…」


 促され、自分も装備を新調しにきたのだったと思い出した。

 カウンターにどっさり取り出した素材を前にして、マティアスも交えた装備談義にひとしきり花がさく。


「で、そうなるとそっちのパーツがこう接続されるだろ? 俺としては防御の観点からいってこの素材の成分は外せねぇから、つまり——」

「俺は重さが欲しいから従来のパーツでいいんだけど、マティアスの場合はやっぱり軽さ優先した方が向いてるから——」

「ということは、僕はこっちのパーツから成分を多めにとることになりますかねぇ。確かにこの部分に関しては値段が上がってもいいので——」



 アルドはふと、マティアスの喋り方が以前とはずいぶん変わっていることに気付いた。


 焦ってつっかえたり、おどおどと小さな声になったりすることがほぼなくなっている。

 逆に言えば、出会った頃の彼はあんな怯えたような喋り方しかできなくなってしまうほど、自信を失っていたのだ。


「……良かったな、マティアス」


 自然と声に出ていた。

 マティアスは装備の話の続きだと思ったらしく、「確かにこの素材は僕向きです!」と嬉しそうに何度も頷いた。

 うんうん、とアルドも頷き返した。



 あの時マティアスの姿を記録するために貸してもらった小さな機械は、今日もイシャール堂の飾り棚にちょこんと鎮座していた。

 さながら球体の猫である。フィーネや猫好きのみんなに見せたら喜びそうだ。


 君には君の知らない一面があるんだよ。

 なんて、ややこしい話を簡単に証明することができたのはあの小さな機械のおかげだ。

 アルドはあれから時折、あの小さな機械に詰まった技術のすごさに思いを馳せることがあった。

 過去の姿を正確に記録し再現できる技術。アルドでも教えられればすぐに使える簡単な仕組み。


 無論、この時代にはこの時代ゆえの辛い事実がある。

 アルドにとって当たり前のものでしかなかった「地面」も「木」も「花」もここにはない。四大精霊の大いなる力も存在しない。

 ひとつひとつを知る度に、目を覆いたくなった。


 それらの酷な現実を知った上で、ひとつの確信があった。

 人が人の助けになりたいという気持ちや熱意も、いつの時代でも変わっていないということ。


 心身の不自由に泣く人を減らしたい。

 誰かに楽しんでもらいたい。

 誰かの不便がわずかでも和らいでほしい。

できるだけ多くの人に使いやすいものであってほしい、自分の憧れは叶わないと思ってもなお、人の力になりたい——


 表に現れる手段やかたちが異なるだけだ。

 ミグレイナ大陸の津々浦々を巡り、古代へも旅して、未来にも翔んだ身だからこそ得た確信だった。


 あの医術やあの機械のように、人を救けられる技術がこれだけ発展できるのなら。

 人間はいつか必ず、それらの優しさを手札として選ぶべきものを選べるはずだと、アルドは信じることができていた。





「こんな細かい成分調整まで可能だなんて……やっぱりザオルさんの腕はすごいです! 僕は生涯、イシャール堂一筋です!」


 マティアスはカウンターを乗り越えそうな勢いで、ずんと身を乗り出した。

 ザオルはやっぱり目尻を下げて笑っていた。





               【完】




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

廃道のマーブルチョコレート 六腑 @108

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ