あとがき

 また数年が過ぎた。

 男には、どうしても確かめたいことがあった。

 早苗はどうして男を選んだのか。

 男にとっては人生最大の謎と言ってもいい。

 世の中には男よりも好条件の者が山といる。


 何度も聞こうと思ったが、その度に思いとどまった。

 それを聞くのは、もっと悪いとき。最悪のときと決めたのだ。

 自力でなんとかなると思えるときは聞かない。

 もう、ダメ! というときになってはじめて聞く。


 その方が、励ましてもらえるような気がしていた。

 早苗に選んでもらえるような何かが自分にはある。

 それが何だか分からなくても今はいい。

 どん底にあるときに聞いて、励まされたい。

 それまではとっておきの秘密兵器。




 あっさりとそのときがきた。

 男の事業は失敗した。

 電子化の波は男が思う以上に速くて大きかった。

 今直ぐに辞めれば借金は抱えずにすむ。

 これ以上粘れば、私財の全てをも失うかもしれない。


 幸せを育んできた狭い家も、何もかも。

 そんなぎりぎりになって男ははじめて聞いた。


「ねぇ、早苗?」

「何?」

「早苗はどうして俺と結婚したんだ?」

「んーっ。プロポーズされたから、かな」

 お茶をいれながら、何の気負いもない。


「そうじゃなくって。OKした理由!」

「うれしかったから、かな」

「どうして? どうしてうれしかったの?」

「れお、どうしたの。そんなの、好きだからに決まってるでしょう!」

「どうして好き? 俺のどこが好き?」

 がっつく男。質問攻めだ。

 早苗はひらりとかわすような仕草をみせる。


「There is no accounting for tastes.」

「えっ……」

「だから、蓼食う虫も好き好き、でしょう!」

「そんな理由で……」

 男はがっくりと肩を落とす。

 頼もしいとか、親しみやすいとか、情熱にあてられたとか、

そういう答えを期待していた。

 ところが、早苗の答えは期待外れだった。


「そうよ。そんな理由よ」

「俺って、そんなに苦い植物みたいな存在なのかなぁ……」

「そうは思わないわ。そこそこモテてたでしょう」

 私ほどではないけれど、と、早苗は目で語った。


「まぁ。そこそこだったという自負はあるかな」

「私が言いたいのは『蓼食う虫も好き好き』を選んでくれたこと!」

「え?」

 意味が分からない。


「私が高3のときのお正月。問題出してくれたでしょう。忘れたの?」

「いや、忘れるもんか!」

「どうして、忘れるもんかなの? どうしてムキになる?」

 今度は早苗が質問攻めをする番となった。

 少し意地が悪い。顔も自然と険しくなる。

 男は防戦一方となる。


「それは、あの参考書が光ったんだもの……」

「嘘よ。光ったのが本当だとしても、その前からあの問題を出そうとしてた」

「そっ、それは……あの参考書の中で頻出の問題だからだよ」

「どうして頻出問題を出したの? 何のために?」

「それは、早苗に合格してもらうためだよ」

「そう、それ!」

 にっこりと笑う。


「えっ?」

「祈♡合格! その想いをあのときの私はれおから感じたの!」

「祈♡合格……」

「私の合格を祈ってくれる人がいる。それだけで勇気が湧いてきたわ」

「早苗はA判定だったんじゃないの? そんな勇気、無くっても……」

「とんでもない! 独りじゃ戦えなかった。逃げ出していたかもしれない」

 早苗は大袈裟に身震いしてみせた。

 男は思わず早苗を抱き寄せる。


「れお、ありがとう。こうしてもらうと、何だか落ち着くわ」

「俺もだよ、早苗」

「れお。仕事、大変なら辞めてもいいわよ。私が養ってあげるわ」

「ありがとう。でも、大丈夫。やっぱり俺のやりたいことをやるよ!」

「れおのやりたいことって、何?」

「俺が世に送り出した参考書で、1人でも多くの受験生を合格させる!」

「うん。がんばって、れお!」

「もちろんさ」

 男は、今日という日に早苗に結婚した理由を聞いたことを、満足した。




 また数年が過ぎた。

 男の狭い家には変わらない幸せがあった。


______


【あとがき】

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 オチがなくって、安心のストーリーでした。


 がんばれ! 全ての受験生!




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参考書への感謝の書き込みが、奇跡を呼び込んだおはなし! 世界三大〇〇 @yuutakunn0031

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