がんばれ、受験生! 絶対に合格するんだ!
また数年のときを経てのこと。
早苗は出版社を退社していた。
お腹が大きくなったのでは、はたらき辛いのだ。
そのお腹を摩りながら、早苗はひとり、つぶやいた。
「ねぇ聞いて。あなたのパパはね、一言でいうと『えろ』よ!」
「っひどいなぁ。もっといい紹介はないものなの?」
「たとえば?」
「イケメンとか」
「嘘はつきたくないわ」
「情熱家、とか?」
「迷惑なはなしよ。その情熱のために、貧乏暮らしを強いるんだから」
男も退社していた。
そして出版社から紙の参考書の事業を引き継ぎ、小さな出版社を起こした。
今まで以上に忙しい毎日を送ってはいるが、収入は半分になっていた。
「貧乏だなんて。君の稼ぎは、毎月、俺の最高年収を軽く上回っているだろう」
「サイテー。私の稼ぎをあてにして独立したっていうの?」
早苗は怒った顔をしているが、本気ではない。
むしろいい笑顔だった。
それが男にとっては救いだった。
「違うって。でも、早苗はもう少し楽をしてもいいんじゃないかなぁ」
「大丈夫よ。買い物とかは田中課長が個人的に引き受けてくれるもの」
田中は出版社に残り、電子版の参考書を編集している。
「田中ねぇ。あいつが課長だなんて、信じられないよ」
「そんなことないわ。いい課長さんだって評判らしいわ」
「それが信じられない!」
男は笑顔だった。
早苗のお腹を優しく摩りながら、言葉を続けた。
「電子版の書き込みができる参考書なんて、反則だよな」
「おかげで私の旦那は商売上がったりね」
「何百人もの感想とか覚え方が、1度に見れるんだもの。敵わないよ」
「便利な世の中、よねっ」
「でも、俺はどうしても紙に拘りたいんだ!」
「どうして?」
「だってさ。もし紙の参考書がなかったら……」
「……なかったら?」
早苗は、男の次の言葉を期待する。
男にもそれは分かった。
あえて期待を裏切る必要はない。
「俺は、最愛の人とこうして一緒にいられなかっただろうから」
期待通りのひとことに、安堵の早苗だった。
もっと聞きたいと、欲張りにもなった。
「どうして? どうして一緒になれなかったと思うの?」
「だってさ。君がK大に不合格になっていたかもしれないだろう」
「はぁ? そんなこと、あるはずないわよ! 現役でA判定だったんだから」
「いやいや。受験ってのは、最後は気合いとか、気持ちの問題になるだろう」
「まぁ、それを否定するつもりはないわ」
「その気持ちを強くするのに、参考書が大きく貢献した。そう思わない?」
「思わない」
「えーっ。そこは、思うところだろう……」
「だって、そのときには私にはもっと大きな心の支えがあったもの」
「そりゃ、嫉妬するなぁ……一体、どんなものなんだい、それ」
困った顔の男に向かい合い、早苗はにやりと笑う。
「SDGsに対応した、人力の……」
「自転車。そんなものに、俺の参考書は負けたのか……」
「完敗よ!」
「まじかっ!」
「まじ。けど、紙の参考書も大好きよ」
早苗がどやる。
「収入が減っても?」
「少しなら我慢するかな! けど、今がギリギリだからね」
「だよなぁ……」
「でも、参考書のために真剣な表情をするあなたは好き! 大好き!」
「早苗。もう1回言ってくれ!」
「うん。大好き。好き好き!」
「15冊目。早く出しなよ、写真集」
「いやよ。また『す』って書くんでしょう。すいかのす」
「あれは、本当はすいかじゃないよ」
「じゃあ、何?」
「好き! の『す』だから」
「まじかっ!」
「まじ」
今度は男がどやる。
「じゃあ、足りないね」
「えっ?」
「次からは『大』にしてちょうだい!」
「分かった。そうする」
「本当? ちょうど15冊目の企画が来ているのよ。直ぐに受けるわ」
「今度はページを増やしてくれ!」
「検討します」
男は貧乏だが、幸せだった。
そして、紙の参考書に拘り、日夜、仕事に励んでいた。
自分が世に送り出した参考書を手にした全ての受験生に、
「がんばれ、受験生! 絶対に合格するんだ!」
と、心の中で何度も叫ぶのだった。
______
【ごあいさつ】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この物語や登場人物が好き、気になる、受験がんばる!
という方は、☆や♡、コメントやレビューをお願いいたします。
泣いてよろこびます、本当に!
AIが発達して、受験というものがなくなる日は来るのでしょうか。
もし来るのなら、どんな生活ぶりなんでしょうね。
それまでしぶとく生きていたいものです。
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