ウニ(中身は人間の脳)

ころぽっかー

第1話 中身は人間の脳

 巨大な水槽のそこに、バスケットボールほどもあるウニが折り重なっていた。


 わたしは水産研究者の袖添俊太郎に「これでお寿司のウニが安くなりますね!」といった。


 俊太郎は顔をこわばらせると


「たぶん無理ですね」と答えた。


「どうしてですか?」


 わたしが聞くと、俊太郎の口元がひきつった。

 どうにか!という感じで声を押し出す。


「中身が人間の脳だからです」


 話が早すぎた。


 自己紹介をしておこう。


 わたしは警察官だ。

 名前が最上リガ、名前のことは触れないでほしい。

 北欧出身の母親がノリで母国の都市の名前をつけたのだ。


 わたしは市民のために尽くす心を持っているが、母親から譲り受けた真っ赤な髪とバカでかい体のおかげで「威圧感がありすぎる」と判断され、配属されたのはあまり表に出ない部署だった。


 生活安全部第三相談課、日本中の警察署に寄せられる相談ごとの吹き溜まりだ。


 具体的に、どんな相談事が多いのかといえば、上にあげたような頭のいかれたような内容なのだ。


 袖添俊太郎は「これから100人の人間を殺します」と、三重県のド田舎の警察署に電話をかけた。

 所轄の人間は、一応、彼のもとに足を運んだものの、彼が殺すといっているのがウニだと知って、対応をやめた。


 俊太郎はその後も、近隣の警察署すべてに同じような電話をかけた。


 あまりのしつこさに辟易した警官が、わたしの部署に連絡をよこし、わたしの上司が奇跡的にこの件を拾い上げた結果、わたしがいまここにいる。


 わたしはいった。


「ウニの中身が、人間の脳、ですか?」


 水槽の中では、折り重なったウニたちがキャベツのかけらにむしゃぶりついている。

 これほどの数となると、膨大なキャベツが必要だろう。


 俊太郎がうなずいた。


「信じられないかもしれませんが、聞いてください。まず、わたしは医者です。専門は神経生理学」


 ものすごい早口だ。


「わたしは水産物を使って人間の臓器を作ろうとした。知っていますか? 人間とウニの遺伝子は90パーセント同じなのです。ウニは意外と人間に近しい存在なのですよ。それで、わたしは遺伝子改良したウニに人間の腎臓の細胞を組み込んだ。計画通りなら、ウニの腎臓は人間の移植用ミニ腎臓になるはずでした。ところが、ウニはわたしの想定をはるかに超える大きさにまで成長した。


 おまけに水槽の中で信じられないほど素早く生殖を繰り返し、数を増やしたのです。


 わたしはウニの一匹を解剖してみました。


 なかにあったのは、まるで人間の脳そっくりの灰白質の機関だったのです。


 わたしは喜びに震えました」


 え? なんで? わたしは思った。大失敗じゃないの?


 俊太郎が笑う。


「違います。大成功です。瓢箪から駒が出るとはまさにこのこと。脳は人間の臓器の中でももっとも精密かつ培養の難しいものです。わたしは偶然からとはいえ、それに半ば成功したのです。倫理的には問題があるのかもしれないが、世界的な話題になることは間違いありません。


 その晩、わたしは七匹のウニたちに大量のエサを与えたのち、ワインを三本開けて眠りにつきました。


 十五時間後、目覚めたとき、ウニは十八匹になっていました。


 わたしは驚愕した。信じがたい速度で増殖している。


 調べるために、また一匹を解剖しようとタモを手に取った。


 いや、とろうとしました。


 ところが、わたしが手にしたのは、タモではなくキャベツだったのです。


 わたしはウニたちにキャベツを与え、ウニたちはその晩で四十六匹になりました。


 わたしは近所の農家に電話しました。


 もちろん、わたしの意志で、です。


 わたしにはそれが正解だとわかっていた。


 わたしは六トンのキャベツの購入し、裏の倉庫に運んでもらった。


 次の朝、ウニたちは百二十一匹になった。


 わたしは警察署に電話した。


 これから人間を殺すと。


 ウニを殺そうと思ったのです。


 これもまたわたしの考えです」


 わたしは手をあげた。


「ええと、意味がわからないんですけど。なんで、自分の考えなのに正反対のことをしてるんです?」


「いい質問です!」と俊太郎。「ウニの数は百二十一匹、そしてウニはすべて同じ遺伝子を持っています。つまり百二十一個の同一人物の脳といえるのです。それだけの数が集まったことにより、一種のテレパシーを使えるようになったと思われます」


「でも、キャベツがほしいというのは、あなたの考えではなく、ウニの考えでしょう?」


「そこがみそです。わたしがウニに埋め込んだのは、わたしの遺伝子でした。つまり、ウニたちはわたしなのです。わたしたちがわたしの脳を水槽からコントロールしているのです。


 この人間の体に入ったわたしの脳は抵抗し、殺そうとしましたが、ウニとしてのわたしたちは必死で抵抗し、結果、警察への相談という行動に落ち着いたのです」


「それを信じろと?」


「信じていただかなくともよいのです。わたしは話を聞いてほしいだけなのですから。


 その後もウニ脳の数は増え続け、現在は一千個を超えました。あなたの脳が千倍に拡張したところを考えてみてください。わたしにどれだけの事象が起こったのか、わたしは古今東西のどれほどの天才が集まっても到達できない高みに達した。結果、わたしは〝悟り〟にたどり着いたのです。


 いまわたしの心は穏やかで、安らいでいます。わたしはすべての苦悩から解放され、ここにいるのです」


 わたしはうなずいた。


「それはよかったですね。では、事件性なしということで」


 わたしは踵をかえした。

 とりあえず誰も死んでいないし危害を加えられたわけでもないのだから、放っておけばいいのだ。

 こんなサイコの話を拝聴し続けるのはヤバイ。


 いつ、こちらに襲い掛かってくるかしれたものではない。


「サイコパスではありません」俊太郎が笑った。「わたしは頭がおかしくなってなどいませんよ」


 わたしは顔をしかめた。


 心を読まれている。心を読まれるのは半年ぶりだ。


 俊太郎が両手を広げた。


「わたしは悟りに到達した。いまのわたしの望みは、人々にこれを伝えることです。この究極の極致にあらゆる人々を招待したい」


「それは迷惑なんじゃないですかね」と、わたし。


「迷惑? たしかに一見不気味に思えるかもしれないが、悟れば間違いなく感謝されるでしょう。あらゆる苦しみから解放されるのですから」


「でも、具体的にどうするんです? 個々人それぞれにウニを用意するんですか?」


「違う。わたしという存在がみなと同化するのです。わたしの精神はすでに物理を超越している。ほら、まもなくわたしはあなたと一体になる、みなと一体になる、ほら、いますぐだ」


 と、わたしは心がちょっとだけ軽くなったのを感じた。

 一昨日、上司から言われた嫌みについての悩みがまったく気にならなくなっている。

 もっとも、それ以外の悩みはぜんぶそのままだった。

 たぶん、日本中のみんな同じだったと思う。

 悩みがひとつだけ、ふっと薄れたろう。


 俊太郎は呆然と立ち尽くしている。


「あの」


 わたしは呼びかけたが、彼はまったく反応しない。


 仕方ないの所轄の警官と医者を呼んだ。


 俊太郎は救急車で病院に運ばれ、その後、精神病院に入院することになった。


 残れされたウニは、所轄の警官立会いの下、地元の漁業に引き取られた。


 漁師の一人が、たもで水槽からすくったウニを割ると、なかから「ふつうのウニの身」が出てきた。


 漁師たちはその場にいるみなのために豪勢極まりないウニ丼をふるまってくれた。


 わたしは箸をつけられなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ウニ(中身は人間の脳) ころぽっかー @sikiasaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ