天青石を菊花は羨む

藤和

天青石を菊花は羨む

 今目の前に、作家歴四十年という人気作家がいる。今度私が勤めている出版社からこの作家の本を出すということで、その打ち合わせをしているのだ。

 目の前にいる作家は、どう見ても作家を四十年も続けているようには見えなかった。なぜなら、その作家はどこからどう見ても、二十代の若者だからだ。

 目の前の作家は年齢のことで驚かれるのは慣れているようで、とりあえず年齢の話は横に置いておいて、まずは打ち合わせをしようと言って、どの様な内容の小説にするのかとか、締め切りはいつ頃か、次の打ち合わせはいつ頃か。といった話を詰めていく。人気作家を目の前にして緊張している私を、上手く言葉でリードしてくれている。

「キッカ先生は、締め切りは守れる方ですか?」

「いやぁ、そこを訊かれると難しいですね。

その時のコンディションにもよるので」

 作家のキッカさんは、私をリードしてくれていることからわかるように、随分と打ち合わせに慣れているようだった。内容により多少はぐらかされることはあっても、きちんと情報のやりとりができるし、話もちゃんと要点を押さえている。

 キッカさんは、元々はここではない他の星の出身で、そちらの方で作家としてデビューして、時間をかけて人気作家になったそうだ。私が住んでいる所も含めて、他の星の出版社からも本を出すようになったのは、ここ十年と少しのことだと、方々でよく言われている前情報で聞いていた。

 若々しくて、うつくしいとも言える姿を見ると、四十年という作家歴が疑わしくなるけれども、打ち合わせでしているやりとりを見る限り、長く作家をやっているというのはなんとなく直感でわかる。だから、私は少し混乱していた。

 打ち合わせの途中で、キッカさんがきれいな緑色の目で私をじっと見てこう言った。

「僕のこの見た目で、作家歴が何十年もあるのは、不思議でしょう」

 思わずどきりとした。

「えっと、はい、正直言うと」

 私は正直にそう答える。

 きっとキッカさんは、私のように見た目の年齢と経歴のギャップに驚く人に何人も会ってきたのだろう。もしかしたら、そのことにもう慣れているのかも知れない。私の内心を見透かしているようで、図星を指されて思わず戸惑う。

 キッカさんが、生まれた星でよく着られている服、着物と言うらしい。それの広い袖で口元を隠してくすくすと笑う。

「これを言うとこの星の人はみんな驚くんですけれどね、僕は人形なんですよ」

「えっ? 人形なんですか?」

 人形といえば、私の住んでいる星では鉱物を食べて育つクレイドールという人形が一般的だ。寿命はおおよそ十年ほどで、子供の情操教育用に購入され、大体の場合は子供にたくさんの愛情を与え、喪うということを教えて一生を終える。私が子供の頃に一緒に育ったクレイドールも、その例に漏れなかった。

 そういった人形が一般的なので、人形がキッカさんのように動いたり喋ったりすることには違和感がない。ただわからないのは、なぜキッカさんは人形なのに、小説家として大成するほどに何十年も生きることができて、自分の思うままに生きられるのか。そのことだ。なにか特別な処理をされた人形なのだろうか。

「人形なのにキッカ先生みたいに長生きできるなんて、どういうことなんですか?」

 私がそう訊ねると、キッカさんは自分の目を指さして、私に顔を近づけるように少しかがんだ。

「僕の目をよく見て下さい。目の中に紙の模様が入っているでしょう。

僕はこの花柄の入った紙を元に作られたパルプドールなんです」

 言われるままにキッカさんの目をじっと覗き込むと、確かに、紙の質感の花の模様が見えた。

 私は、クレイドール以外の人形は初めて見た。クレイドールが時折奇跡を起こして鉱物の自我を持ち、寿命を数年延ばした、ミネオールという人形になることはあると聞いているけれども、私はそれも見たことがない。自分の星の人形でさえ全てを知らないのに、今私の目の前には、他の星の人形がいる。それはなんとも言えない不思議な気持ちだ。

 ふと、キッカさんにこう訊ねる。

「キッカ先生の持ち主は、先生が小説を書くことに反対したりしないんですか?」

 これは私の素朴な疑問だ。この星のクレイドールの持ち主は、人形がひとりでどこかへ行くということを好まない。人形が出かけるときは、いつだって持ち主と一緒なのだ。それなのに、キッカさんは今ひとりでここに来ている。それが疑問だった。

 この質問に、キッカさんは少し困ったような顔をしてこう答えた。

「最近、ひとつ前のオーナーが亡くなりましてね。新しいオーナーに引き渡されたのですけど、新しいオーナーはなんというかこう、人気作家を抱えてるんだっていうので、ちょっと気が大きくなってるんですよね。

だから、作家業に反対はしないのですけど、周りからどんな目で見られるのかは……」

「ああ、そういう感じ……」

 人気作家と知り合いとなると調子に乗ってしまう気持ちはわかる。たとえそれが人形であってもそうなのだろう。それでも、人形をひとりで出歩かせるなんていうのは、私には少し理解しづらいけれども。

 でも、それはそれとして、キッカさんの言った、【ひとつ前のオーナー】という言葉が引っかかった。そんなに持ち主を渡り歩くほど、パルプドールというのは長生きなのだろうか。

 キッカさんは、また私の心中を察したように、にこりと笑って言う。

「僕達パルプドールは、火と水に気をつければかなり長生きするんですよ。

だから、オーナーを何人も渡り歩くことも珍しくないんです」

 オーナーを何人も渡り歩くというのはピンと来ないけれども、火と水に弱いというのは、素材を聞く限り納得できる。

「火と水。なるほど、紙はその辺り弱いですからね」

「そうなんです。だから、事故とかで命を落とすパルプドールも結構いるんですよ」

 この星で一般的なクレイドールは頑丈な作りなので、多少焼けたり濡れたりしたくらいでは壊れない。衝撃にも強いので、クレイドールの寿命が来る前に壊れたという話は滅多に聞かないくらいだ。もしかしたら、クレイドールは人間よりも丈夫なくらいかもしれない。

 それから。とキッカさんは言葉を付け足す。

「パルプドールは本を食べて、その内容を知識として蓄えることができます。

だから、僕は小説家としてやっていけている感じはしますね」

「本を食べる」

 なるほど、クレイドールが鉱物を食べるように、キッカさん達パルプドールの主食は、その名の通りパルプや紙なのだろう。本が好きな身としては、本を食べられてしまうのはなんとも複雑な気持ちだけれども。そう思う一方で、本を食べるだけで知識を蓄えられるのは便利だ。その機能は人間にも欲しい。

 でも、それでも、知識を蓄えられたからといっても、人形が小説を書いて名声を上げるというのは不思議な話だった。それはきっと、自分と一緒に育ったクレイドールが、愛情と喪う悲しみ、そして抜け殻以外のなにも残さずに亡くなったからそう感じるのだろうけれども。

 今までに聞いたことがない人形のあり方に、思わずまじまじとキッカさんのことを見ていると、キッカさんがまた私をじっと見てこう訊ねてきた。

「あなたは、どんな人形と一緒に育ったのですか?」

「私の人形ですか?」

 キッカさんも、この星の人形、クレイドールに興味があるのだろうか。確かに、他の星の住人はクレイドールを購入して育てることはできないと法律で決まっているし、人形だというキッカさんは、たとえこの星に移住したとしても、クレイドールを購入する権利はないだろう。人形が人形を購入するなんて言うことは法律の想定外だろうけれども。

 そんな事を考えてから、私は私の人形のことを話す。

「私の人形は、春の空色をした天青石が好きで、よくそれを買って食べさせてました。

ちょっと引っ込み思案なところはあったけど、優しくて、私が落ち込んでるときはいつだって側にいてくれました。

それから、お花を生けるのがとても上手で、神様の祝祭の時なんかは、他の子のクレイドールにお花の切り方や、飾り方を教えてたりしてました」

 そこまで話して、私はまじまじと自分のクレイドールのことを思い出す。神様を祀る菜の花の祭りの時に、少しぶきっちょに歌ったり踊ったりしていた姿や、日常の何気ないこと、私が学校で嫌なことがあって泣いていたときに側にいてくれたとか、誕生日の時に一緒に喜んでくれたとか、寂しいときに一緒に寝てくれたこととか、そんな思い出が次々と溢れてきて、涙が零れた。

 キッカさんはまだ私をじっと見ている。私は私の人形の話の最後に、こう言った。

「最期、胸の核がはじけたときのあの輝きは、今でも忘れられないんです。

あの輝きのあとに、神様が迎えに来てくれて、それが嬉しかったような、悲しかったような、でも、あの子はちゃんと、神様の所に行けたんだって」

 自分の人形の最期をどう迎えるか、それは人それぞれだけれども、クレイドールの最期の時には、必ず神様が迎えに来てくれる。それは人間だけでなくクレイドール達も知っているし、そのことを信じて疑っていない。神様はほんとうに、大事な人形の最期に立ち会ってくれるのだから。

 でも、神様が迎えに来てくれたとしても。と、目の前のキッカさんを見ると思ってしまう。あの子がキッカさんのように長い命を持っていたとしたら、どうなっていただろう。もしかしたら、人形であったとしてもなにかを成せたかもしれないし、そうでなくても、少なくとも私の側にはいてくれるのだと思う。その可能性を考えると、胸が締め付けられるような感覚がした。

 私は、手の甲で涙を拭ってキッカさんに訊ねる。

「どうやったら、人形は長く生きられるのですか?」

 その問いに、キッカさんは目を閉じて首を振る。

「それは、わかりません」

 私はまた訊ねる。

「あなたがたパルプドールは、どれくらい長く生きるんですか?」

 その問いに、キッカさんは目を開けて少し悲しそうな顔をする。

「条件さえ良ければ、人間よりずっと長生きです。

生きる骨董品と呼ばれる個体もいます。

僕達の命は、長いのではなく永いのです」

 永い命を持った人形は、幸せなのだろうか。人間よりも長く生きるというのは、どういう気持ちなのだろう。私がそう思うと、キッカさんがぽつりとこう言った。

「僕は、この星のクレイドールが羨ましい」

「えっ? なんでですか?」

 クレイドールは、キッカさん達パルプドールに比べてずっと寿命が短い。寿命を迎えるまでの時間は、パルプドールに比べてほんのわずかで、キッカさんのようになにかを成したり、好きなように生きることはできないのに、なぜ羨ましいのだろう。

 キッカさんは手で顔を覆って言葉を続ける。

「クレイドールは、喪うことを知らない。僕達パルプドールのように、愛情を注いでくれたオーナーを喪うということを知らないまま、愛されてしあわせなまま、最期を迎えられる。

こんなに羨ましいことはないですよ」

 吐き出すようにそう言って顔から手を外し、泣きそうな顔で、きっと泣きたいのだろうけれども涙は出ないのだろう。そんな表情をする。

「それに、僕達パルプドールの最期には、神様は迎えに来てくれない。

僕達と違って、クレイドールは神様に祝福された存在なんだ」

 その言葉は衝撃的だった。全ての人形、クレイドールやミネオールと同じようにパルプドールも、最期を迎えるときは神様が迎えに来てくれるものだと、私は無意識の内に思い込んでいた。

 なぜパルプドールは神様の祝福を受けられないのだろう。もしかして、その存在に罪があるのだろうか。いや、クレイドールもパルプドールも、私たち人間が作っているという点では同じはずだ。どちらか片方が生まれつき罪を抱えているなんていうことは無いはずなのだ。

 喪うことを知らず、人間達に愛された記憶をたくさん抱えて、最期の時に神様に祝福されるクレイドールを羨むキッカさんは、まるで人形には見えなかった。私の知っている人形は、なにも思い悩むことはなくいつもしあわせで、ただただ愛し愛される存在なのだ。だから、今のキッカさんが人形だと言われても、現実感がなかった。

 キッカさんは、ほんとうは人形ではないのではないか。そんな思いが頭を過ぎる。けれども、それだとこの若すぎる容姿に説明が付かない。

 人形であってもそうでなくても、今目の前で人形を羨んでいるキッカさんは、謎に満ちた存在に見えた。

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