第7話 真実(終章)
彼女から、この間教えてもらっていた、漁港に繋がる直線距離の道。それはアプリのマップでも推奨の一番の近道だ。でも雪が積もる坂の下りはキツい。しかも本当の一本道で、真っ直ぐ向こうに寒々とした海がパノラマ写真のごとく大きく見えている。あまりに一本道なので、海がすぐ近くに見える。海に向かう道、それは晴れた日にはドライブするのに最高のロケーションの道なのだろう。
でも雪で凍結しかかっているような下り道は、まるで海に向かってそのままダイブしに行くような感がある。スキーのジャンプ台に立つと、こんな気持ちなのだろうかと胸の動悸を感じる。チェーンを巻いてくれていた紗英に感謝。
それでも結局、身の危険を感じて、わき道に入り、小さな道路で回り道しながら漁港の商店街を目指す事にした。
その時、一つ前の交差点で左折しておけば良かった、と。なぜなら次第に道幅が狭くなっていっているため、左折に困難をきたしたからだ。
そしてふっと思った。高原のポルシェは雪の中、小さなわき道に曲がる事も出来ないでいるのではないかと。さらに思った。チェーンを巻いても怖かったあの道を走らせるのに、大変な恐怖を味わっているのではないかと。
僕の脳裏には、事故にあって半身不随になったという岸野の昔の姿が浮かんだ。あの紳士的な仕草を。そして夢の中の一コマのように、運転席にいて、先導している織田さんの姿が浮かんだ。窓の外に吹き
僕は何とか体力を消耗しながら商店街の入口あたりまで着いて、そこの小さなスーパーの駐車場に車を停めた。早速、織田さんに電話をすると、あっけない位に普通に彼女が電話に出た。
「今、どこにいる?」
「信用金庫の向かいの公園の前よ」と一言。
「高原って一緒なの? 先導したんだろ?」
「いないわ。気が付いたら、後ろにいなかったの」
僕は頭の中が外の雪景色くらい真っ白になって思考能力がなくなっていたのだと思う。
「大丈夫なのか、やつは……。何でなんだ」
「何が? 高原さんがそうするって言ったのよ」
「いや、何がって。もう嘘はつかんでほしい。お願いだから。こないだ岸野と中学以来会っていないって言ったろ? ああいう嘘、胸にくる」
僕はなぜその時いきなり岸野の事を話題にしたのだろう。その名前が引き金になって電話の向こうで彼女は泣きじゃくり始めた。まるで小さな紙の人形をひねり潰したように自分が残酷な事をしたのを感じた。
「みんな、岸野君の事であたしを責めるから言えなかった。でも他に嘘はついてない。絶対に」
「何があってそんな事に……」
「知らない。何も……ただ」
電話の向こうの彼女は泣きじゃくっていた。僕は、岸野の名前を出した事を後悔しながらも、混乱していて、自分の中で何故か岸野と高原がごちゃ混ぜになっていた。
「ただ……?」
「最後にあの映画を真似してみたかったの。南君も言ってたでしょ? 何でも雪で覆われたらキレイに見えるって」
「何の事だっけ? あ、『二人のホワイトキャッスル』の事か」
「岸野君、ソリであの山の斜面を滑ってみたいって自分から言い出したのよ。従姉に会わせてほしいって言って約束した日に。だからあたしも最後に映画を真似してみたかった。あれは今日みたいな大雪の日だった」
「今日みたいな……。最後に?」
「従姉を紹介したら、もう会う事がない気がしたから会うの最後だと思った。あたしが前を滑ってて、岸野君が同じコースをついて来てて。凍えるような寒さの中でも、一瞬空を舞う瞬間に二人きりって感じがうれしくて。その瞬間だけ自分のものみたいな……。変よね、やっぱり。凹んだ所であたしが跳び超えようとする前、いつの間にか横に岸野君がいて、びっくりして私もコントロールがきかなくなった」
「後をついてきてた岸野が? なんで?」
「あたしよりこんなに滑れるよって見せたかったんだと思う。初めての人には危ない場所って言ったのに」
「つまり後をついてくるよう言ったのに、その通りにしてなかったんだ、あいつは」
その時、ちゃんと後をつけていれば安全で……というような朝の妻との会話を思い出した。つまりはそういう事か。
あ、今日の高原と同じ。そうだ。彼女の努めている工場の主任さんは言っていたじゃないか。彼女は曲がり、男のポルシェは直進してたって。あいつは言う通りについていってなかったんだ。あの日の岸野みたいに。
「あたしが『危ないから付いてきて』って言っても信じてもらえんようなダメなやつだからかも。あたしは岸野君の事件で
「なんでわけを言わなかったん? いや、ごめん、思い出させて……。高原の事を聞こうとしただけだったのに」
「さっきも言ったけど、高原さんの車は気が付けばもう後ろに見えなかった。もう十数メートルで後ろにいなかったと思う。雪ではっきりと後ろも見えなかったけど。結局来ない事にしたのかと思ってたの」
彼女はまだ泣いていた。
「分かった。とりあえずそこにいろ。連絡してみるから」
「あの、南君。この公園にジャノヒゲが植わっているから。雪の中で青い種が宝石みたいに見えてる。高原さんと落ちあえたらこれ、見せなきゃって……」
正直、織田さんは混乱してて頭がどうかなってるんだと思った。でも次の言葉で少し合点がいった。
「こないだ、南君、言ってたでしょ? 高原さんはパンフレットに載ってる本物の東洋植物なんて見た事もないって」
ジャノヒゲは根が漢方薬の
――そうか。高原が見た事ないから、薬草ってものを見せたかったんだ。いつも純粋に誰かを好きなんだ――
僕は登録していた高原の携帯の番号を押して「接続中」の表示を待ちきれない思いで待った。どうか普通に電話に出てほしいと。
繋がった時、向こうもハンズフリーの設定にしていたのだろうか? 分からないが、とにかく繋がって、外のざわめきや救急車やパトカーのサイレンが聞こえてきた。サイレンは携帯からだけでなく、僕のいる場所でも遠くから聞こえ、微妙なハーモニーとなっていた。肝心の高原の声がやっと聞こえてきたと思ったら、それは
「ばあちゃん、怖かったよー」
それで僕はとりあえず、彼にお祖母さんがいる事は真実だったので、彼女に話したことが全て嘘でなかった事にホッとした。
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僕の予想通り、高原は最初、カーナビ通り直進して、早く着くようにしようとした。でも凍結した道にハンドルをとられ、困難を極めた。恐怖心からわき道に入ろうとするも、交わる道が狭く、凍結した道で上手くハンドルを切れない。第一、車体が大き過ぎた。次の曲がり角で、と思ってもだんだん交わる道自体が小さくなっていって、ますます曲がれなくなる。その上、ブレーキをかけても凍結した斜面で車は滑り出す。
そんな感じで無理に曲がろうとし、結局、角の商店とその脇の電柱にぶつかり、ポルシェは停まった。高原はかすり傷を負うだけで済んだ。商店の果物は雪の上に散乱して、遠くから見ると、そこだけ花が咲いているようにカラフルになっていた。
もちろん織田さんは健康食品を買わなかった。高原のぐったりとした姿は悲惨だった。選択できないもの、制御できないものの中で悩む人間の心理がこれで分かっただろうと言いたいところだが、ちょっと気の毒で笑えない。今日、本当は来たくもなかったらしい。わざわざ購入者のせっせと貯めた預金の解約にまで立ち会いたくないが、上からの命令だったとか。彼はその曰く付きの業界から去っていった。
彼も軽症とは言え、事故が絡んでいるため救急車で搬送されなければならず、公園のジャノヒゲを見る事はなかったはずだ。できれば見てほしかったけど。
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その後、織田さんに何度か電話してみたけど、高卒認定の事は考えてみると言い、妻の誘ったエステには割と興味を持ったみたいだった。僕は岸野の事について、その後調べて分かった事も彼女に話した。実は今彼は、後遺症はあるものの元気になって九州で会社勤めもしていると。それを聞いた彼女は本当に喜んでいた。しかしやがて僕達の連絡も自然消滅みたいに途絶えた。でも完全に消滅はしないだろう。ずっと同級生の事は心のどこかで憶えているものだ。
たまに街中を車で走らせていると、彼女を見かける事もあるし。僕のサインに気が付いてはいないみたいだけど。いつか彼女の胸にネックレスが架かっているのを見る日が来るのだろう。贈られた物であれ、自分の稼ぎで買った物であれ。その時、彼女はいろんな事から立ち直っているだろうな。そんな日が来る予感だけはある。
なぜかと言うと、彼女を最後に見かけたのは、あの漁港の街の公園。ジャノヒゲの植えられた公園だ。そこに足を運ぶという事は、雪の中でも凛と次の生命を宿す青い種子を見ているという事だから。冬の門と書く漢方薬につながる植物。気管支炎に効き、咳で胸、喉が苦しい時に効く薬。もう一つの胸の痛みにも効けばいいのに。
凍えるほどにあなたをください/滑走 秋色 @autumn-hue
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