第6話 寒波

 僕は木曜日の前夜、夢を見ていた。その夢の中で、以前、織田さんにちょっと似ていると思っていた、あの元アイドルの女の子の扮するスケバンが出て来た。鋭い眼光でにらみ、誰かに制裁を加えようとしている。もしかしたら、恋路を邪魔している僕に対してかもと夢で思ったけど、そうではなさそう。ただ何かにらみつけているだけ。

 夢から覚めて思った。中学生の時、何でもっと、彼女に対する意地悪にハッキリ抗議してやれなかったんだろう、と。もし転校生が来る前に僕がそうしていれば、彼女の人生って変わってたんじゃないかって。



 夢見が悪いと思いながら窓の外を見ると、一面の雪景色だった。そうだ、昨日の夕方から寒波が押し寄せ、雪がはらはらと降り続いていたっけ。


 今更ながら気が付いた僕に妻が言った。

「何、今頃驚いてるの? 昨日の夕方のうちに、危なそうだったんでチェーンを巻いたわよ。だって今日は私の車、使うでしょ? 元同級生の職場に昼休みに行くって言ってたじゃない」


「じゃ紗英は?」


「何よ、今頃。エステに来るお客さまを危険な目にあわせられないから、今日の予約は全部延期にしてるの」とあきれていた。


「そうだったんだ。ところで……」


「ところで?」


「あのさ、車の運転が上手いって人は、どんな人だと思う? どんな特徴の人ってかさ」


 紗英は吹き出した。

「何、いきなりそれ? 私への当てつけ? そう言えば、最初にドライブした時、言ってたよね。『意外と運転、下手なんだぁ』って」


「え、そんな事言った? ゴメン。見るからに運動神経良さそうなんで、意外やったんかも」


「フフフ。いいわよ。つまりそうゆう事。運転が下手な人は私みたいな人。突発的に、こっちの道がイイと思ったり、いつもと違うルートの方が早いかなと思ったり、そんなイレギュラーな事する人間」


「そう? じゃ上手い人は?」


「その逆。基本のセオリー通りに運転して、気紛れに揺るがない人。臨機応変っ言葉あるけど、あれもつまりはセオリー通りなのよね。突発的に何か起こった時には、その際に取るべき決まった行動があるんだもの。高校で行ったスキー教室の指導員もそう言ってた」


「そう言えば、紗英、修学旅行でスキー教室に行ったって言ってたね」


「そう、その時に指導員から言われたのが心に残ってて。『君はちょっと滑れるようになったからって、僕の滑ったコースを外れて滑ろうとするだろ? それは危険だし、上達しないんだよ』って。優等生の子は指導員の後に続けと言われたら、本当にその通り、後に続いて滑るの。そういう子は滑り方が安全だし、上達していくんだよ。私そういうのダメなんだ。つい自己流に走っちゃう。あ、朝からこんな長話してる場合じゃないわね」


 でも実はこの時の会話が、その日、僕に大いなるヒントを与えてくれる事になるとは、その時は知らなかった。



 その日の午前中は雪のせいで当然、客足が少ない。病院から処方せんを持って来る患者も悪天候のため診療の予約を断ったのか、いつもに比べ激減していた。そのうえ、織田さんや健康食品の販売や岸野の事が頭の中を渦巻いているせいか、午前中がひどく長く感じられた。そして午前の勤務が終わると、すぐに織田さんの勤める梅ヶ丘団地前の七吉製菓へと向かった。午後は半日の有給休暇をとっている。

 ところが雪で凍結した道路をチェーンを巻いたタイヤでノロノロと進むので、なかなか辿たどり着かない。十二時半を少し超えて着いた時には、彼女は職場の休憩場所にすでにいなかった。


 途中、イヤホンを使ったハンズフリー通話で、信号待ちの時に、教えてもらった織田さんの携帯の番号にかけてみるも、留守番電話に切り替わるだけだった。

 実は、この間見せてもらったパンフレットに手書きで書かれてあった高原の携帯の番号もこっそり登録してある。何かの時にはここに電話しようと思っていた。彼氏のフリでもして強く出て、きっぱり今回の契約を断ろうと。

  

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 彼女の工場の同僚は気になる事を言った。

「織田さんなら迎えに来た男の人と何処かに行ったわ」


「一緒の車に乗って?」


「いいえ。彼女が先に出て、その後を男の人の車がついていってたわ。道を教えるとかで。こんな日にね」


「こんな日?」


「雪がこんなに積もってるのに」


「あ、ああ」

 確かに梅ヶ丘団地の辺りは、地名の通り丘で、山にも近いせいか、平地より雪が深く積もっていた。


「織田さんの車、軽だけどちゃんとチェーンを巻いてたけど、相手の車なんてチェーンも巻いてなかったわよ。街中から来たんでしょ」と小柄なその同僚の女性は言った。「しかもポルシェよ。一体どんな仕事をしてるのやら」


 主任らしい人物が来て何事かとく。少し大袈裟になってきたので、僕は「後で説明します」とだけ言って出発しようとした。

 髪の薄い主任らしき人物は、そんな僕に慌てるなとでも言うように、さっき三階にある事務所の窓から見た光景を話した。

「ポルシェの方は雅ちゃんのけいの後を追うかと思ってたら、すぐに違うコースを走ってったよ。雅ちゃんはすぐ左折したのに、真っ直ぐ」


「は? どういう事ですかね?」


「ポルシェのやつ、馬鹿だよ。漁港の方に行く近道をカーナビかGマップででも調べたんじゃない? 雪の降る日の坂道の下りだから、危ないだろうから雅ちゃんは別の道を通るようにしたんだろうに。大体、こんな大雪の日にどこに行こうって言うんだよ」


 僕はそんな重要な証言もぼんやりとしか耳に入っていなかった。こんな大雪の日に、二十年ぶりに再会した同級生のために車を走らせる僕も馬鹿なんだろうと考えながら。

 その時は、お節介の気持ちもあったけど、自分の抱えるモヤモヤしたものを払いのけてしまいたい気持ちがただただ大きかった。僕は外を覆う、さらに白さが増した世界に戸惑いながらも、織田さんから教えてもらっていた信用金庫のある漁港の街を目指すため、車に乗った。

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