第5話 衝撃

 僕は家に帰ってから、今日あった事、織田さんとの会話を妻に話した。そして謝った。

「そういや紗英に婚約指輪以来、何もプレゼントしてなかったよなーと思って。ゴメン。今度の結婚記念日か誕生日かクリスマスにはプレゼントするよ」


 紗英はケラケラと笑った。

「それぜーんぶ、あと十一ヶ月も先」


 僕は、妻の誕生日が十二月で、その直前に入籍したのを思い出した。そして頭をいた。

「ホントだ。まるで落ちそうな選挙でするマニフェストみたいだな。でもいやがらせじゃないから!」


「分かってる! 別に宝石なんて要らないから。だって贈られたものだったら気に入らなくてもネットオークションにも気軽に出せないしさー。それなら欲しい時に自分で気に入ったヤツ買うよ。その方が経済的だし、絶対いいよ。誰かさんのセンスに任せるよりか……。あ、言ってしまった! いやホント、気にせんわー」


 エアコンが効いてるのか、室内は絶妙な暖かさだ。


「どしたの?」


「いや、織田さんも紗英みたいに感じられたらいいのになと思って」


「いやさ、これは愛されてるって自信があって言えるというのもある」と言い、照れ隠しのようにまたケラケラ笑った。


 僕は、妻に対して一目惚れしたわけではなかった。最初は実は冷ややかな目で見ていた。僕の勤める総合病院で処方せんFAXコーナーにいるバカでかい美人を。病院全体の忘年会の後に数人で屋台に行った時、ラーメンや焼き飯をバクバク食べ、「あー美味かった」という程の女子力の無さを。外見からがさつなキツい女だと思って色メガネで見ていた。

 それが、職場で気の弱い女の後輩がキツい事言われてるのを「私の言い方で勘違いさせたんだ! 悪かった!」とさり気無く助け舟出しているのを聞いて見直した。さらにエステティシャンになるつもりと聞かされ、その理由を知った時、何だかすごい「カッケー!」と思えた。それは自分の顔に生まれつき微かだけど赤アザがあって、だからコンプレックスに悩んでる人をキレイにしたいという理由だった。

 どちらかと言うと、少年がカンフースターに対して抱く憧れに近いかな。でも相性の良さを感じた。

 それまでには、好きなアイドルに似た女の子に告白してデートした事もあった。でも会話も盛り上がらず、砂を噛むような食事の後、別れてそれっきりみたいなデート。正直、自分には恋愛なんて向いてないと思ってた。少なくとも十代の頃読んでた昔の少女漫画みたいなあんな恋愛は。

 妻に会って、僕にとっては愛情を注げるってこういうもんなんだなと思った。これが相性なんだと。 


 相性という言葉で、僕はまた漢方薬の事を思い出した。同僚の斎藤は、以前勤めていた病院の内科医から、漢方薬には相性が大切だと教わっていた。

 人の体質には陰と陽があり、また火、水、土等の体質の区別もあるらしい。陰と陽と言っても、陰気だ陽気だといった事ではない。それらを見極め、処方しないと逆効果になるとか。下手すると致死となるケースもある。


 人と人もきっと同じなんだと思った。


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 僕は織田さんのために、高卒認定試験の事を調べてみようと思った。妻に相談すると、もしかしたらそんな大きな学校なら、夜学とか通信制とかの手段もあるかもしれないと言われた。

 それもそうだ。何せ、二年前にこの土地に戻ってみれば、ハスジョはもはや男女共学の蓮花学院になっていたし、母体となる学校法人は、今では自動車学校まで経営する程になっていた。夜学はあやしいけど、通信制とかありそうだ。高二の途中まで通学していたのなら、何らかの手段で卒業資格だって取れるかもしれない。

 そう言えば小中学校一緒だった、実家の近所の同級生が蓮花学院の職員で、学校事務をやっていると母から聞いていた。母にメールすると、その同級生、亜由ちゃんはちょうど里帰り出産後で、実家にいるよと電話番号を教えてくれた。近所なので、亜由ちゃん家族によく顔を合わすので、あらかじめ、話しておいてあげるとまで言ってくれた。これで久しぶりに幼なじみに電話する気恥ずかしさが解消されたのは、ラッキーだった。それに亜由ちゃんは子どもの頃から気持ちの優しい子だったので、そういう意味では、連絡するのに気の重さはなかった。


 亜由ちゃんは中二の時に別のクラスにいたので、織田さんの事を知らないと思っていた。だから電話した時に、「ああ、織田雅絵ちゃんね」と言った時、割と驚いた。


「だって私もハスジョだったもん。同級生にオダは何人かいたから名前で呼んでたの」と亜由ちゃんは言った。


「そうだったんだ。何か父親が亡くなったり、大変だったらしいね」


「それもそうなんだけどね……」と少し言葉尻を濁した。


「何か?」


「今も昔も蓮花では、保護者が亡くなった生徒に対しては、特別な措置が認められて、授業料も支払いの延期が認められるの。ほら、母体が地方の財閥関連だし、その辺は小さな私立とは違うのよ」


「そうなんだ。じゃあ当時、いろいろ調べれば良かったんだよな。ってか担任は何してたんだ?」


「実は……不幸はお父さんの事だけでなかったの。当時、雅絵ちゃんは事故にもあってて」


「え? 事故って交通事故って事? 重症だったの?」


「いいえ、交通事故でなくて、ソリの事故だし、かすり傷程度よ……」


「じゃあ、なぜ?」


 亜由ちゃんは口籠くちごもり、それ以上を話そうとしなかった。でも僕が同じ中学でハスジョに行った同級生にくと言うと、ようやく決心して話し始めた。


「一緒にいた男の子が半身不随になったとか……」


「え? 何それ? 付き合ってた人がいたの?」


「いや、付き合ってたわけじゃないの。ユウ君、憶えてないかな。岸野君って、中学の途中で転校してきた子がいたのを」


「嘘だろ? それ、岸野の事なのか?」

 僕はわけが分からなくて、一瞬頭のなかから真っ白になった。織田さんは中学を卒業して会っていないって言ってたんじゃ。「それで岸野はどうしてる?」


「何とか助かったけど、もうずっと誰も見てないって。もっとも今は専門の病院のある九州の方で入退院を繰り返してるらしいけど。あの、だいじょうぶ? ユウ君」


「ダイジョウブ。なんつーか、ビックリしてる。でもそれ、高校を中退した理由に繋がるかな」


「心無い人が中傷したの。事故は雅絵ちゃんが故意に起こしたんじゃないかって。三角関係だったらしいとか尾ひれがついて。というか雅絵ちゃんは岸野君からちょっとだけ利用されてたみたいなの」


「何? 利用って」


「岸野君は、雅絵ちゃんの従姉妹が好きで、間を取り持ってもらおうとしてたの」


 そう言えば彼女の親戚のやってるレンタルビデオ店にかわいい店主のコがいるって噂が一時、クラスで流れたのを微かに憶えていた。


「でも、だからってソリの事故なんて故意に起こせるモンじゃないだろうに。自分だって大怪我するとこだろ」


「それがね、地元では結構有名な危険なスロープだったのよ。学校の裏に小さな丘があるでしょ? 雪が積もると、プラスチックのソリで子ども達が遊ぶ……。一箇所だけ、途中、凹みを飛び越えなくてはいけない場所があって、みんな知ってるから普通はそこは滑らない。スリルを味わいたい子は、滑るけど、その凹みの直前で助走をつけると同時にギュッと力を入れる。すると空を飛んでるみたいな爽快感を味わえるんだって。でも岸野君はそれを知らなかったみたいなの」


「一緒に滑ってたんだろ?」


「ソリは一人用よ。彼女が先に、その後を岸野君が滑ってたんだって」


「彼女はその凹みを飛び越えた?……」


「なんとかって感じ。でもやっぱり反動でソリから落ちてケガしてたみたい。でも後ろを追っていた岸野はそのまま凹みに落ち込んだんで、そこにそういう凹みがあるのを知らなかったんだろうって」


「後ろから見てて気が付かなかったのかな?」


「それがビミョウなの。後ろから追っていれば気が付きそうという声もあれば、そういう地形って事を知らなきゃムリだって声もある」


「そもそも彼女が故意にやったかどうかなんて……」


「誰にも分からないわ。本人以外。でもね、同じ中学の出身者を中心にそんな理由で彼女を中傷したり、変に恐がったりって異様なムードになったの。彼女を怒らせると怖いって……。それでいたたまれなくなったんじゃないかな、雅絵ちゃんは」


 僕は根拠のない中傷に怒りを感じた。でもその実、脳裏の片隅に、織田さんの意外にも卓越した運転技術を思い出していた。そして最後に彼女の繰り返していた「利用?」という言葉を。





 

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