第4話 忠告

「織田さんは今、仕事は?」

「南君はここに戻って就職を……?」


 二人は同時に同じ内容の質問をしようとして、思わず笑ってしまった。


「私は、梅ヶ丘団地の前の七吉製菓の工場で働いてる」


「ああ、あの七吉製菓な。すごいやん」

 七吉製菓は、地元の中堅、もしくは大手製菓業者だ。県内のあらゆるスーパーマーケットに商品を卸してるし、僕の勤めるドラッグストアの製菓コーナーにも置いてある。


「ん。大きいとこよね。でも本社とかじゃないし。工場で単純作業をずっとやってる。まぁ、違う商品の方に持ち場変わったりもするけどね」


「そう。でもお菓子とか、織田さんのイメージに合ってそう」そう言いながら僕は、単純作業が彼女に似合ってるのもいなめなかった。例のロッカーの鍵事件を思い出しながら。


「本当は製菓学校に行ってケーキを作ったり、保母さんにも憧れたの」ふっと織田さんは学生時代の夢を話した。


「それはそれで大変と思うけど。でも遅すぎるなんて事、人生には割とないね。今からでもやりようによっては何かできるよ。ただ下調べはいるけど」


「んー。かなぁ。でもね、あたし、高校、わけあって卒業できなかったんだ。ちょうど高二の途中で父親が病気で亡くなって。だから最終学歴が高校中退という。きびしいよね」


「え? そうなん。それは……」平凡な彼女の身にそんな事が起こって、学歴に傷が付いていたなんてショックだった。僕達の前の紅茶はもう冷めていた。「でもレンタルビデオ店してる親戚とかいたんじゃ?」


「それがね、あんまり商売がうまくいってなかったの。だって父さんがそっちにお金貸してた位だもん。店を改装して何とか立て直すから貸してって言われて」


「そんな。そっか……。商売って厳しいよな」


「そう。チェーン店には叶わなかったって。ハスジョってお金掛かるし……」


 ハスジョというのは、地元のマンモス私立の蓮花女学院の事だ。割と誰でも行けるレベルから優秀な子の行く特進まで様々なコースがある。


「ごめんな。ヤな事、思い出させて。でも高卒の検定みたいなの今あるし、受けてみたら? 調べとってやろうか?」


「いいよ、あたしの事は。それより南君は?今日、職場の研修って言ってたけど?」


「ドラッグストアで薬剤師やってる。デイジーってドラッグストアのグループのさ」


「それこそすごいね。頭良かったもんね」


「いやー、大きな病院から転職して以来、最先端医療の現場からは離れてるからさ。ラクな方、選んだね。自分や家族のために」


「そう。でもあたしからしたらすごい。お薬の事、詳しいんでしょ?」


「お薬か。まあ…そりゃね。何かあったら相談に乗るよ」


「ありがとう。南君てすごいよね」


「医者じゃないし。ところでさ、さっきの健康食品の説明会だけど、何で参加するようになったんだよ?」


「ああ、工場の同僚の紹介よ。もう辞めた人なんだけどね」


「なるほど。いい話があるからとか電話あったんだ?」


「ていうか、まだその人が辞める前に、グロリアストゥモロー、あ、それが企業名なんだけどね、そのグロリアストゥモローの人がちょっと説明に来たんだ。それで興味がわいたの」


「もしかしてあの受付で織田さんが話してた男の人?」


「ええ、そうよ」


 僕は、あのソフトな感じのいかにもフェミニストぶった色男を思い出していた。あいつ、岸野にイメージが似てるなーと。


「ね、そこにあるの、パンフレットだろ? 見せなよ。もらおうとしたんだけど、説明会の参加者以外には渡せませんってかたくなに断られたんだ」


 織田さんは、あまり気が進まない感じでゆっくりと古びたショルダーバッグから、パンフレットを出した。「お問い合わせ先」にグロリアストゥモロー健康開発研究所と書かれてあった。いかにもなネーミングだ。


 僕はパンフレットをめくった。想像していたのとほぼ変わらない誇大過ぎる宣伝文句の数々。そしてパンフレットの中の立派な東洋植物の写真は、おそらくどこからか拝借してきただけなのだろう。現物を見た斎藤の感想が全てを物語る。ショボい薬草は、海外からの怪しげなルートで購入された粗悪品に違いない。


「ここの会社、あまりいい薬草扱ってないと思うよ、夢壊すようで悪いけど。大体、あの説明会にいた連中は決められた通りに話すだけで、ここに載ってる本物の東洋植物なんて見た事もなきゃ知りもしないんだよ、きっと。漢方薬に興味あるんなら、ちゃんと信頼できる専門医に保険診療でかかって出してもらったら? それか、自分で買いたいんなら入浴剤も販売してる、あの大手の会社のとかにしなよ」


「でも普通じゃこんなの手に入らないって、高原さんが……」


 あの受付で彼女を案内していたのが高原というやつだな、とすぐピンときた。なぜなら彼女の言い方がまるで昔、映画の話をした時、岸野を支持した時と同じ話しぶりだったからだ。


「彼には亡くなったお祖母さんがいて、それで漢方薬で長生きしてもらいたかったって思いから、この販売を始めたそうよ」


「たぶん彼にはそんな祖母さん、いなかったと思うよ」


 パンフレットにはパソコンから印刷したような紙が一枚はさんであって、それには安っぽいルビーだか何だか分からない赤い宝石のネックレスの写真がついている。「今10セット購入で、この高級ネックレスをプレゼント!」という宣伝文句からしてもう何ともあやしい。

 10セットでいくらになるのか、パンフレットの最後のページの小さな文字の料金表を見ると、53万円程になる。ジュエリーの相場は分からないが、それだけあればこんな安っぽい物でなく、もっと良いものが買えそうな気がする。


 確かに彼女は学生時代からいつも自信なさそうで、そのため冴えない感じだったのはいなめない。でも、こんな安物の宝石なんか身に付けた日には、残された最後の彼女の輝きまで奪われてしまいそうな気がした。


「こんなんでもらったネックレスなんてだせーよ」


「でもね、ネックレスって自分で買うもんじゃないと思うから。あたしは、こんなんでも、もらった物の方がうれしい」


「そんなもんか……」僕は声を失った。

 そんな心理を考えてみた事もみなかった。まぁこんな時、オレが買ってやるよと言えればいいのだが、妻帯者の自分には、そんな言葉は言えない。元より恋愛対象でこうやって向かい合っているわけじゃない。

 っつーより、大体、妻の紗英に婚約指輪以来、アクセサリーというものを贈った事がなかった事に、今気が付いた。いつもしている結婚指輪は妻が自分で買ったものだ。自分が冷血漢のような気がしてきた。いや、それにはちゃんと理由がある。


 妻、紗英の親友は趣味のアクセサリー作りが高じてそれをネット販売している。その親友が紗英に似合ったデザインを考え、作ったアクセサリーを時折プレゼントしてくれる。多分同じ位、紗英が買ってあげてもいるのだろうけど。それでも単価は安く、せいぜい五千円から八千円位。その親友がごくたまに作る、良い石を使った高級品でも三万円程度だ。でも身につける人に合わせ、作られた物は似合うものだ。それに紗英が身に付けると、安いものでも不思議と洗練されて見えるから不思議だ。


 なんてのろけてる場合ではない。僕は彼女に訊いた。

「真剣にくよ。これを契約した? 別に織田さんの意思で買う事に文句言うつもりはない。だけど、このグロリアス何たらってのがやってる事は犯罪行為に当たるかもしれないんだ。元同級生をそんな目に合わせたくない」


「まだ契約はしてない。印鑑持って来てなかったから」 


「そう……。でも買うつもりなんだよね」


 僕が目をそらさずに問うと、彼女はその真剣さに身動きできないかのごとく、コクンとうなずいた。


「やっぱ買う約束ができてるんだ。それは一体いつ?」


 織田さんは躊躇ためらっていた。僕はもう一度、今度は強い口調でいた。

「いつ!?」


「今度の木曜日の午後よ。私の仕事が午前までなの」


「お金の準備をして来いって?」


「ううん。その日に漁港の商店街にある信用金庫に、預金を解約しに行くの。危ないから高原さんが車で送ってくれるって」


 それはもう尚の事、危ないだろと思いながら、僕はその時もうすでに高原という男との直接対決を決意していた。

「オレ、その日七吉製菓に行くから。高原ってやつと話がしたいんだ」


 ************************************************************************


 帰り際、織田さんは車で来ているから自分が途中まで送って行くと言った。


 彼女の運転技術に若干の不安を感じていたが、予想に反して彼女は割に運転が上手かった。軽自動車だからっていうのもあるかもしれないが、器用にスイスイと脇道の近道を走って、僕の伝えた家の近くまで、あっという間に着いた。


 別れ際、僕は一つの事だけを彼女に約束させた。

「いいか? あいつと一緒の車に乗るのは絶対ダメだ。あいつの車に乗るのもダメだけど、織田さんの車にも乗せるな」


 人は閉鎖された空間にいると、誰かの言葉を信じやすくなるものだ。それにあの高原というやつの別な一面を今さっきの休憩の間に実は見た気がする。 


 研修会場を出て、飲み物を飲みに行く前、二階部分の側面に作られてある通路で少し新鮮な外の空気を吸っていた時の事だった。隣の建物が駐車場になっているのだが、ポルシェの運転手席の後ろの席にお偉いさんらしき人物がいて、あいつは運転席にいるのが見えた。駐車場で車の場所を変えながら、ついでに話をしているといった所か。その際の姿は、優男からちょっとヤクザ者、ペコペコしているヤクザ者へと変身して見えた。


 それは織田さんには言わず、ただ「木曜日にはオレ行くまで職場にいなよ。誰かを利用するのが平気なヤツ、割といるんだから」とだけ言い、昼休憩の始まる時刻を聞いた。彼女は小声で「利用?」と小さく繰り返していた。

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