Epilogue 旅の続き

第1話

 落ちていってしまいそうな程に透き通った蒼い空と、青々と茂った木々たち。さえずる小鳥たちは自由気ままに空を飛び回り、地面に落ちた木の実をつついている。町と町を繋ぐ街道の宿の傍とは言っても、大きな街の近くでなければこんなものだ。

 とは言え人の往来は時折あって、荷馬車の音がガラガラと音を立てて過ぎ去っていくのを、俺は地面に寝転びながら聞いていた。

「ふわぁ……。あー、ねみぃ」

 こんなのどかな景色だ、眠気が襲ってくるのも無理はない。日差しも心地よく、春の陽気が巡ってきたのを、俺は溢れ出るあくびで感じる。いっそこのまま眠ってしまいたい。許されるならそうしたいくらいだ。

 だけど、世の中はそう甘くはない。俺は草を踏みながら近づいてくる足音に目を開けて、そしてそんな俺の目の前には、

「お待たせ、イドリス。お買い物終わったよ」

 気持ちのいい太陽の日差しを遮って現れた、ウリアの姿があるのだから。

「ああ、どうだった?」

「干し肉、いっぱいおまけしてもらっちゃった」

「はは、やっぱり買い物はお前に任せるに限るな。俺が居ると露骨におまけが減るんだよ。本当、素直だよな男ってやつは」

 笑いながら俺は立ち上がる。俺の顔を覗き込むように立っていたウリアは、革の紐がついた綿の服に、毛糸の上着を羽織って木で編んだ籠を持っていた。あれから最初に立ち寄った街で、例の如く俺がウリアに買った服だ。心無しか上着が以前に買ったものに似ている気がするのは、きっと気のせいではないのだろう。

 それを嬉しいと思う自分の気持ちは、もうごまかしようがない。だからせめて、俺は服についた草を払いながら緩みそうな頬を引き締めてから、ニコニコとしているウリアに向き直る。

 すると彼女は自慢気に、そして楽しそうに微笑みながら籠の中身を俺に見てきた。

「お、確かに結構おまけしてくれたみたいだな。あの銅貨でこんだけ買えりゃ上々だ」

「でしょ? 私もちゃんと一人でお買い物くらいは出来るようになってきたんだから」

 褒めて褒めてとばかりに、なにやら期待した目を上目遣いに向けてくるウリア。彼女がこういう評定をする時の意図は決まっている。だからこそ俺は、わざと彼女の夜闇のような髪を、クシャクシャにするように力強く撫でた。

「きゃっ、ちょっとイドリス!?」

「これくらいで自慢げになるなって意味だよ。そもそも、最初はろくに買い物も出来なかっただろうが」

「そっ、それはそうだけど。でもそこから考えれば、ちゃんと進歩してる証拠でしょ?」

「物は言いようだな、本当。まあでも助かった、そんだけあれば次の街へは十分だ」

 そう言って、俺は最後に少しだけ乱れた彼女の髪を整えるように丁寧に髪を撫で付けていく。彼女の髪は今も黒いまま、漆黒の夜闇のような色だ。それと対称的に俺の髪は相変わらず白銀のままで、翼は大きな外套の下で折りたたんでいる状態だった。

 まあこの見た目の変化のおかげで、共和国でされている指名手配に引っかからないのだから、悪いことだけではないのだが。翼を隠さないといけないのは、正直に言って窮屈極まりない。

「もー、素直じゃないんだからイドリスは。でも……。ありがと」

 そう言ってウリアは頬を膨らませて、だけどそれをすぐにしぼませて幸せそうに微笑んだ。相変わらず俺なんかの手で頭を撫でられて何が嬉しいのかは分からないが、嬉しそうにされて嫌な気は、まあしない。

「どういたしまして。でも素直じゃないは余計だ、バカ。……それより、そろそろ行かねぇとな。荷馬車取ってくるから、お前はここで……」

「ううん、一緒に行く」

 待ってろと言おうとした俺の声を遮って、ウリアはまるでそうするのが当たり前みたいに俺の隣を歩き始める。それに俺は皮肉を言おうとして、結局は諦めてただ小さく苦笑した。

「ペネムたち、元気かしら」

「まああんだけのことがあったんだ、今頃は大忙しだろうなぁ」

 かつてウリアだった天使長が失脚したと思ったら、今度はそれを仕組んだスリエルもまた立て続けの失脚だ。まあそのおかげで過激派の勢いも弱まり、結局は中立派の実力者を中心に議会をまとめていくことになったらしいが。

 なんにしろ、天界の事情なんて俺には関係のないことだ。

「やっぱりそうよね……。ペネムたちなら大丈夫だと思うけど、でもやっぱり少し心配だわ。……ほとんど勝手に出てきちゃったし」

 あの戦いがあってからもう一ヶ月近くが経った。一部区画がほとんど壊滅状態に陥った天界は大騒ぎで、俺とウリアはしばらくはペネムの元で療養したのだが。一週間もして体の調子も取り戻して、それから俺が今の体にも慣れた頃に勝手に出てきたのだ。

 地上に降りてくる時は、やむを得ず俺がウリアを抱き上げて飛んできた。あの時はお互いに顔が真っ赤で、それなのにウリアはやたらと嬉しそうにはにかんでいて、ある意味で団長との戦いよりも辛かったのはしばらく忘れられそうにない。

「手紙は置いてきたから大丈夫だろ。それに、あいつなら探そうと思えば俺のことはすぐ見つけられるだろうし、来ないってことは大丈夫ってことだ」

「そう、かな……。うん、まあでも今の私が居ても何も出来ないんだし、考えても仕方ないわよね」

 何も出来ない、ことはないのだろうが、今のウリアが政治的に難しい立ち位置に居るのは確かだろう。元天使長で、だけど今はただの人間。陰謀で失脚させられたとは言え、もう人間になってしまった以上は天界の議会もあっさり復権させるわけにもいかない。

 そういう意味では、勝手に出てきたのは向こうとしては都合がよかったのかもしれない。ペネムはそんなことは考えないだろうから、今頃はさぞ気を揉んでいることだろうが。

「まあ、あんまり気にすんな。それに何も出来ないのは俺も一緒だしな」

 俺の立場は、正直に言って自分でもよく分からない。先々代の天使長の忘れ形見。そう言えば聞こえはいいが、言ってしまえば既に過去になった権力者の子供だ。俺にその意志がなくっても、政治的に利用しようとする連中は居るだろうし、それを面白く思わない連中だって居るに決まっている。

「ってか、俺の場合は居るだけ迷惑まである」

「そっ、そんなことはない……こともないかもだけど。でも私にとってはイドリスが居てくれなきゃ困るもの」

「どんなフォローだよ、ったく。まあでも、ありがとな」

「うんっ、どういたしまして」

 隣を歩く彼女は、今もまだ漆黒の髪で翼も失ったままだ。彼女を元に戻すヒントすら、今はまだない。かつて俺の母親が歩んだ軌跡を追いかけているだけの、ほとんどアテのない旅だ。だけどそれでも、俺達はこうして隣り合って歩んでいくことが出来る。

「……ね、イドリス。次の街には何があるのかな」

「さぁな。まあでも、世間知らずのお前が退屈しない程度のものはあると思うぜ?」

 だからまだ、しばらくこの旅は続くのだろう。俺とウリアの二人だけの、半端な天使と元天使の人間のふたり旅は。きっとまだ、始まったばかりなのだから。

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俺は天使と旅をする。 ダニエル @shortland-islands

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