元カレは討伐対象!?

くさなぎきりん

第1話 プロローグ

 ──事の起こりは全部アイツのせいだ。もう何もかもアイツのせいだ。




 小中高一貫の国立肘裡ひじり学園。

 親に「音の響きが素敵だから!」というだけの理由で選ばれた私の学び舎。

 

 正直、親に向かってアレだけど、正気じゃないと断じざるを得ない。

 六・三・三で十二年よ? もっとちゃんと選んでよ!

 

 それに、音の響きはまあいいんだけど字面が微妙に美しくない。

 肘裡の名の由来は、創設者である初代学園長がとある中国拳法の使い手で、中でも肘を用いた技が得意だった事からその技名をもじって名付けた(学園案内パンフレットより)……とからしく。

 

 いや待って。そこで得意技名とか持ってきちゃう初代学園長のネーミングセンスに誰も異を唱えなかったの? そこは素直に「ひじり」で良いでしょ!



 そんな学園の高等部三年三組が、私こと白樺檜しらかばひのきの在籍してるクラス。

 学園の方針で高等部に上がってからのクラス替えはなくて、苦楽を共に過ごしてきたみんなとの学園生活もあと半年ばかり。


 この一年を大切に過ごそうと心に誓ったあの春の日は既に遠く、今は残りの半年が光陰のごとく過ぎ去らないかと日々願うばかりだ。


 そう、最終学年となった半年前の春。

 私はひとつの目標を立てた。それは「花のJKのうちに一度くらいは彼氏作ってイチャコラする」という、ごくありふれたセブンティーンの願望だ。そして夏休みのある日、それは叶った。

 お相手は同じクラスの爬山青紫はやまあおしくん。勉強は人並だけど、運動神経の良さは学年男子の中でも上位五指に入る、キレッキレの万能スポーツマン。それに笑顔が爽やかで、フレンドリーな性格で男女問わず人気があって、清潔感もあって、近くにいるといい香りがする。でも聞いたところではフレグランスの類は使ってなくて、どうやら幼少期から彼のご両親がこだわっている食事に秘密があるらしい。


 まあそんなことはどーでもいい。今となってはもうどーでもいい。

 私は昨日、爬山くんにフラレたのだから。




「元気出しなよ檜、初恋なんてそんなもんだって」


 朝っぱらから机に突っ伏して負のオーラを放出してた私に声をかけたのは、十年来の親友である神楽坂馬歩かぐらざかまほだ。

『まほおおお〜っ』

 隣のクラスから励ましに来てくれた親友に抱きつくと、嫌な顔もせずに「よしよし」と優しく頭を撫でてくれる。


 まほは温和で優しいけど、ちょっと勿体無い子。メガネ外したほうが絶対可愛いのに外さないし、ほとんど化粧もしないし、図書局員だし、十七歳のポテンシャルを引き出す余地がかなり残ってるのに敢えて出さないタイプの子だ。


『ん。ちょっと元気になった』

「そう? よかった」


 言葉通り少しだけ癒やされた私は、窓際にある爬山くんの席のほうに視線を向けないように一日を過ごした。幸いにも廊下側にある私の席からは視界に入れずに過ごせるので助かった。


 ──放課後。


 まほに「本でも読んで気分を切り替えるっていう案はどう?」と、図書室へ誘われた。読書は嫌いじゃないけど、そういえば最近あまり読んでなかった。


 窓際の席に座り、なんとなく手にとった翻訳本をパラパラとめくる。洋書って最初のページに「○○○○だれかさんに捧げる」ってよくあるけど、これって和書でいうところのあとがきによく書かれてる謝辞と同じなんだよね。

 とか考えたりして最初はあまり集中していなかったが、物語の内容は斬新で面白く、読み終えた頃にはすっかり夕暮れ時になっていた。


 私は本を閉じ、座ったまま背中を伸ばしながら、オレンジに染まる外の風景を何気なく眺めていた。ちょうど部活動を終えた生徒たちが、長い影を落としながら家路へと向かう後ろ姿を散見できる。

 爬山くんもそろそろ部活終わったかな。彼は中国拳法部だ。本来はとっくに引退している時期だけど、中国拳法というのは一年や二年じゃ表面的なことしか理解できないそうだ。表面的なこと以外に何が得られるのよ? って以前つっこんで聞いてみたら、何やら聞き覚えのない単語とか宇宙と一体になるとか、ちょっと想定の範疇はんちゅうを超えた回答が返ってきちゃって唖然あぜんとしたのを覚えている。


 ……って、だから爬山くんとはもう切れてるんだってば。もう彼のことを考えててもしょーがないんだから頭を切り替えていかなきゃ。

 とか考えているのに、視線は下校する生徒たちの中から誰かを探している。自分自身のことなのに、こうもままならないものなのか。


 ふと、ひとりの生徒の後ろ姿に視線がロックオンする。学校指定ではない、部活用の白ジャージ。自作なのか「八極」とプリントされた無駄に大きなスポーツバッグ。彼だ。

 そして……ピタリと彼の隣を歩く女子。

 遠いし後ろ姿だから誰か分からないけど、肩下まである漆黒のストレートヘア。制服の着こなしは私に似てるから同学年? ていうか誰? フリーになった途端にアタックとか随分と……えっ?


 そのとき、私は見てはいけないものを見てしまった。


 校門から出てすぐのところで、二人が、手をつないだ。


 しかも、彼の方から。




「……おーい檜ー、戻っておいでー?」


『……はっ?』


 まほの呼びかけで我に返る。どのくらいフリーズしてたんだろうか、気づいたらもう夕日が沈む直前だった。


『ちょっとフリーズしてたわ』

「うん、知ってるよ」

 付き合いの長いまほにとって、この程度の私の醜態など見慣れたものだった。


 一方、私は様々なことが頭の中を巡り、カオスになっている。

 ……これはつまり、他に女ができたから私は用済みになったってコトなの?

 嘘でしょ……ありえない。

 でも。

 さっきのあれは……あれは、そうでなきゃ説明がつかない。


 そういうことなのか、そういうことなのか爬山青紫……!


「えっとー、もしもし檜さん? なんだか殺意のオーラがほとばしってるように見えるんだけど」

『ええ、そうでしょうね……。今の私なら小さな虫くらいはなんの感情もなく捻り潰せる気がするわ』

「あら恐ろしい。で、何があったの?」


 私はさっき窓の外で繰り広げられた信じられない裏切り行為をまほに語った。とは言っても二人並んで校門を出て、手をつないで帰っていっただけだが。


「でもさ、爬山くんとは別れたんでしょ? 物申したい気持ちは分かるけど、もう関係ないだろって言われればそれまでじゃないの?」

『そうだけど、私と付き合ってたのに別の女を好きになってる時間があったってことでしょ?』


 爬山くんは別れる理由を「私への気持ちが冷めてしまって、このまま付き合うのは私に申し訳ないから」と説明してたけど、冷めた原因は別の女に熱が上がったからってことだよね? ふざけてる! 乙女のピュアな気持ちを何だと思ってるの?


 私がひとりエキサイトしているのを、まほは傍で見ながら「処置なし」と言わんばかりの表情でため息をついている。


「檜、あんな女たらしのことは一秒でも早く綺麗さっぱり忘れてしまうのが、健康にもいいと思うわ。あとついでに、少なからずとばっちりを受けるウチのためにも」

『ええそうね。私も同感よ。でも今はムリ。こういうのを何ていうんだっけ……愛しさ余って憎さ百倍?』

「それ言うなら可愛さ余って、でしょ」

『ホントはそうだけどいいの! この恨み、晴らさずにおくべきか……八極拳だか北極圏だか知らないけど、ぎゃふんと言わせてやるんだから!』

「ぎゃふんって発する人がいたら見てみたいわ。でもどうやって?」

『それはこれから考えるけど……ん?』

 私はふと、図書局員の仕事をしているまほが抱える本に目が行った。返却された本を棚に戻す作業の途中だったのだろうか。

 その本のタイトルは「かんたんな黒魔術 〜いろいろな魔法陣と使い方〜」。一体どこの誰よ、こんなあやしさ限界突破した本を学校の図書室の蔵書に加えたのは。


 ……あれ? でもこの手は悪くないかも。胡散臭いことは間違いないけど、いくら拳法の達人でも黒魔術にはさすがに対処できないだろうし、効果があろうが無かろうが、とりあえず復讐してやったという自分への言い訳は立つ。正面切って言いたいこと言ってやる方法もあるんだろうけど、自分が口下手なのは知っている。どうせ言いたいことなどほとんど言えないのだ。攻撃も口撃も選択できないなら、この方法は悪くない。


『……まほ、その本借りてもいい?』



 ──その日の夜。


 帰宅してお風呂とごはんと宿題を済ませたわたしは、鞄から黒い表紙の本を取り出した。

 自分で借りといてなんだけど、こんなあやしい本、学校の誰が読むのよ……。そう思って中身を見る前に背表紙から開き、未だアナログ管理されていることを示す貸出カードの履歴を確認してみる。


「○月○日、呪呪呪子」

「△月△日、ダークソサエティ」


 …………。


 ま、まあ本名なんてこんなところに残さないよね。黒魔術の本だもん。私も偽名書いとこうっと。

 私は貸出カードの空欄に、今日の日付と『夜襲復讐よしゅうふくしゅう』と記入した。

 なんて学生らしいネーミングかしら。知性がうかがえるよね。


 改めて表紙から開き、目次を眺める。


「Ⅰ ケース別 生活に役立つ! 黒魔術の活用法」


 ……何かが、何かが間違ってる気がする。

 黒魔術の本なら、もっと呪術めいた雰囲気を大切にしてほしかった。これじゃ以前ちょっと気になって読んだ「ひもの結び方百選」の見出しと雰囲気が同じだ。この本の筆者は生活アドバイザーか何かだろうか?

 心の中でツッコミを入れつつも目次を追っていく。


「Ⅳ 憎いアイツに素早く効く! 呪いの黒魔術」


 ……まるで殺虫剤のアオリだった。

 最初から内容に信ぴょう性とか確実な効果とか期待してなかったけど、ここまでいくと想定外だ。まあでもジャンル的には、このセクションから選択するのがおそらく妥当だろう。どんな呪いが起こせるのか、気を取り直して更に目次を追っていく。


「・ターゲットが異性とデートできなくなる魔法陣」


 お、これは面白いかも。なかなか読者のピンポイントなニーズに答えてくれるじゃない。私はこの本の評価をわずかに上方修正した。ほんのわずかだけど。

 該当のページを開くと、用意する魔法陣のイラストと、儀式に必要な小道具やセッティング方法なんかがリスト化されている。

 二重のサークルに六芒星を配置した、割とザ・魔法陣って感じの魔法陣だ。これを直径三十三センチの円の大きさで、対象への恨みを込めながら手書きで書き写さなければならないらしい。割と大きい。

 私はこんなこともあろうかと、とってあったカレンダーの裏紙を使うことにした。


 ──十分後。


 入魂の魔法陣が描き上がった。あとは何が必要かな。

 蝋燭ろうそくが六本必要らしい。うちには仏壇ないし、いきなり困ったな……あっ! 誕生日ケーキに刺した蝋燭ならあるわ。ちょっとだけカラフルだけど、まあギリセーフだよね?


 あとは、儀式の前に部屋をお香で清める……だからウチに仏具は無いってば。お香お香……そういえばジャスミンの香りのアロマ的なやつが確か棚の奥に……あった、これで良し。んーいい香り。


 それから、供物その一。鶏の肉が良い、って……これからスーパーまで買いに行くのもめんどいなー、冷蔵庫にないかな。


 ──二分後。


 黄金色の食べ物を小皿に乗せた私は、悠々と部屋へ帰還した。

 忘れてたわ、夕食がフライドチキンだったことを。明日のお弁当に入れる分が少し減っちゃったけど、これは間違いなく鶏よね!


 そして供物その二。赤い食べ物。鮮血の代用として納めるらしい。これには台所の三角コーナーから救出してきた赤パプリカの切れ端を用意した。超赤い。完璧。


 あとはー、儀式を行うタイミングもあるんだ。満月の夜に儀式を……?

 えっちょっと待って、それ最初に書いてよ!

 カーテンを開いて夜空を見上げると、割と丸い感じの月が視界に入った。んー? もしかすると満月っぽいかも?

 確認のため今日の月齢をネットで調べてみる。おおっ、偶然にも満月じゃん!

 なんだか無駄にテンションが上がってきた。ぶっつけ本番なのに、条件も準備も整ってしまった。ふっふっふ……どうやら今宵の闇は私の味方のようね。


 暗くした部屋を蝋燭と月光だけが照らす中、禍々しい魔法陣に向かって私は呪いの言葉を唱える。


「罪深き者 爬山青紫のけがれし魂に しゅもって罰を与えよ」


 本によると、繰り返し魔法陣に祈り続け、いずれかの蝋燭の炎が揺らめいたら呪いが発動するらしい。ただし炎が揺らぐ事ないまま蝋燭が全て溶けてしまったら、呪いは届かなかった事になるそうだ。

 私は一心に祈った。あの軟派スケコマシに罰を……罰を……罰を………っ!


 フッ、と。

 六本の蝋燭のうちの一本の炎がかき消える。


『あれっ?』

 つい呟く。揺らめくどころか消えちゃいましたが?

 えーと、これは成功? 失敗?


 本の記述を確認してみたが、蝋燭の炎が消えた場合の判定については書かれていなかった。

 ……まーいっか。多分成功よね、きっと私の念が強すぎて、一般人なら揺らめく程度だけど、かき消すほどのパワーになっちゃったに違いないわ。ヤバいね!


 想定されてない結果に私は何故か満足して、アロマのいい香りが残る部屋でそのまま布団に潜り込んだ。魔法陣の片付けはまだだったけど、残りの蝋燭の火は消したし、あとは明日の朝でいいや……。




 ──次の日。


 起床時間を十分近くも遅れてしまい、大慌てで準備して家を出る。通学路を小走りで移動しながら、昨日の儀式の後片付けを忘れていた事を一瞬思い出した。しかし、時間的にそれどころではなかったのでやむ無しという結論になった。


 時間ギリで教室に到着し、間もなく朝のホームルームが始まる。

 担任がクラスを見渡し「爬山はどうしたー? また鶏行歩けいこうほで通学して遅れてるんじゃないだろうな?」と皆に問う。一部から失笑が起こる。私は「呪われたのでお休みでーす」と心の中で返答したが、実際は誰も答えを返さなかったので、担任は別の連絡事項について話し始める。


 ──同日、昼休み。


「爬山、行方不明だとよ」


 その話を小耳に挟んだのは、教室でまほとランチしてる時だった。しかし、そう話すクラスの男子たちに不安や心配の色は感じられない。これが爬山くんでなければ騒ぎになっていても不思議ではないけど、彼には過去に二度の前科があるためクラス内でも「またか」程度の扱いになる。


「最初は横浜の中華街だっけ」

「そう、んで次は台湾」

「今回はどこ行ったんだろうな」

滄州そうしゅうじゃね」

鉄獅子てつじしを見上げながら今頃くしゃみしてるな」

「ありえるから怖ええ」

「ヤツならありえるな」

「この界隈探すよか可能性あるだろ」


 などと男子たちが談笑している。滄州ってどこよ。

 本当にいつもの修行の旅なら別にいいけど、昨日の呪いの影響とかじゃないよね?

 呪いをかけた本人が心配するのもおかしいかもしれないけど、学校休まなきゃならないような深刻な呪いをもし与えちゃってたなら、さすがに心配で夜しか眠れないかもしれない。


 午後から、それとなく爬山くんと親しい男子とかから情報を集めてみた。どうやら昨日の夕食後から朝までの間にいつの間にかいなくなったらしい。スマホは持ち歩いてるみたいだけど家に財布が残ってるらしく、靴もあるそうだ。家の中は家族がくまなく探してどこにも隠れていないのは確認済みで、窓も全て施錠されていたそうだ。合鍵があれば玄関から素足で出ていった線もあるけど、そもそも高校三年このとしにもなってそんな意味不明な行動に出るとは思えない。


 うーん。昨日の儀式とは関係ないと思いたいところだけど、彼の状況を最も適切な言葉で表すとしたら「神隠し」だ。そんなオカルティックな事になってると、昨晩オカルティックな対象にした私が無罪とは言い切れないような気がする。

 だけど、あの魔法陣はそんな危険なシロモノじゃなかったはず……。


 ──同日、放課後。


 まほに「先に帰るね」とメッセージを送って、私は足早に帰宅した。

 一刻も早く確かめたいことがある。

 部屋に入ると、机の上には魔法陣と半ば溶けた蝋燭と乾燥した供物たち。その横に黒い装丁のあやしげな本。昨夜のままだ。

 私はその本を手に取り、昨日参照したページを開く。


「ターゲットが異性とデートできなくなる魔法陣」……間違いない。

 どこにも対象が消滅するとか蒸発するとか不穏なワードはない。大丈夫、私は原因じゃない。

 そう自分に言い聞かせたが、やっぱり爬山くんが突然姿を消したタイミングの符合が気になる。

 そうだ、儀式をもう一度ちゃんと確認してみよう。それが完璧なら原因は私じゃないって納得できる。


 魔法陣の外周円の直径を測る。……うん、本の通り三十三センチ。模様も、ここがこうなってこっちにこう曲がって、こことここにルーン文字っぽいのが……。


 あ。六芒星の三角の中に書き入れる文字みたいなの、場所間違ってる。

 ちゃんと確認したと思ったんだけどなー。先週のテストでも似たようなミスをやったのを思い出す。こういう所だぞ私。……でもたったこれだけで対象が消滅するなんてコトないよね?


 更に魔法陣の模様を検証したが、他にミスは見当たらなかった。

 あとは条件とか? フライドチキンは調理済みだからダメだったとか? パプリカは赤いし問題ないでしょ? 満月の夜だってちゃんと月齢まで確認したし……。


 そこで私はふたつ目のミスに気づいてしまう。

 本には、こう書かれていた。


「満月の夜に儀式を行わないでください。」




 ……え? 嘘でしょ?

 もう一度その一文を読み直す。「満月の夜に儀式を。」




 そうだ。私は昨夜、「満月の夜に儀式を」まで読んで、それを最初に書いてよ!って思って最後まで文章を読まずに月を確認したんだ。


 いやな汗が出てきた。

 本の目次から読み返す。どこかにうっかり満月の夜に実行してしまった場合のリカバリー方法については書かれていないだろうか。


 当然書かれてなかった。


 まさか、ちょっとした魔法陣の描き間違いと満月の合わせ技くらいで人ひとりが蒸発するものなの……?

 そんなわけないよね? 何光年も離れた星まで宇宙船を飛ばせるこのご時世に。

 魔法陣ひとつでそんなコトできちゃったら、今ごろ完全犯罪のバーゲンセールになってるって!


 ……どうしよう。私が、爬山くんを消しちゃってたら……。


 儀式の済んだ魔法陣を呆然と見つめながら、やらかしてしまった事についての考察が頭の中を駆け回る。


 これって犯罪扱いになるのかな。

 警察とかに捕まっちゃうのかな。

 この魔方陣を片付けたら完全犯罪になっちゃうのかな。

 爬山くんはいつか戻ってこれるのかな。

 この方法をしかるべき場所に売ったら高値つくんじゃないかな。


 『……なんで、こんな事しちゃったんだろう……。爬山くん……』


 爬山くんの安否を考えると、視界が滲んできた。

 不明瞭になった視界に映る魔法陣から光が立ち上り始めたのは、その時だった。


 あれ? ……赤い光?


 涙を袖で拭って注目すると、魔法陣の外周円から赤い光が湧き出すように屹立きつりつし、その光の中をきらきら輝く粒子が垂直にゆっくり上っていき空気に溶けていく。


 きれい……じゃなくて! 何これどういう状況?


 そう思っていても、その様子から目を離せない。声を上げようとすら思い至らず、私はただただその光を身じろぎもせずに凝視し続けていた。

 

 しばらく見ていると、光に包まれた魔法陣の中央から……何かが生えてきた。


「それ」は、得体の知れない生物の頭部だとすぐに分かった。

「それ」は、まるで自動で床が上昇する舞台装置に乗っているかのように、魔法陣から徐々に出現した。


 毒々しい赤紫色の体毛。

 部分的に露出した青白い肌。

 とても友好的とは思えない面構え。

 背中から生えたコウモリのような翼。

 長く伸びた尻尾。


 身体のパーツや配置はデフォルメされた人型に近いが、身長は魔法陣の二倍くらい。部屋の隅に鎮座しているぬいぐるみのようなサイズだ。


 やがて魔法陣から全身が出現した「それ」は、自らの羽ばたきによって宙に浮いている。

 そして、閉じていた目をゆっくりと開いた。


 私と目が合う。


「……其方そなたが、この陣を発動したのか?」


 えっ、喋った? しかも日本語?


 私が返答しなかったせいで、見つめ合ったまま数秒の沈黙が過ぎた。

「それ」は再度私に同じ問いを投げかける。


「この陣を発動したのは其方かと聞いているんだ。われの言葉は通じているだろう?」


『あ、あぁはい。私が描きましたけど……あなたは何者?』


「悪いがそんな事より確認が先だ。この陣が何なのか、其方は理解した上で発動させたのだな?」


『えっと、本当は理解してたんだけど、ちょっと間違っちゃったみたいで……』

 私は目の前の奇妙な生き物のことよりも、それと会話してる自分がおかしくなってしまったんじゃなかろうかと思いながら、誤魔化さずに説明した。


『この本には、ターゲットが異性とデートできなくなる魔法陣って紹介されてるんだけど……』

 そう言いながら私は、両手で本の表紙を見えるように掲げる。

「だけど、それで?」

 謎生物が会話の先を促す。

『私、うっかり間違って、こことここの記述を入れ替えて描いちゃって。あと、満月の日に儀式するなって書いてあったんだけど、勘違いして満月の夜に……』


「つまり其方は、うっかり間違った結果、この魔方陣を作動させてしまったと言いたいのか?」


『まあ、そうです……』


 私の返事を聞くと、目の前の謎生物は自分の額に手をやり大仰にため息をついた。想像上のモンスターみたいな外見をしてるのに、そのリアクションは妙に人間ぽくてちょっと可笑おかしかった。

 私は弛緩した自分の表情が相手にバレないように、持っていた本で口元を隠した。しかしバレたのか謎生物に睨まれ、私は怯んだ。


「……其方のそのうっかりのせいで、我が世界に危機が迫っているのだが?」


『なっ、どうして……?』

 あの魔法陣は爬山くんを消すだけじゃなく、見知らぬ世界のよく分からない種族を滅亡に追いやろうとしているようだ。なんでそうなっちゃうの?


 謎生物は自分の真下にある魔法陣を指差す。

「その本の通りなら効果は知らぬが、書き換えられたコイツはターゲットに異世界へのゲートを開く魔法陣だ」


 ……何そのジョークみたいな展開。


「ターゲットが異性とデートできなくなる魔法陣」を描き間違って、

「ターゲットに異世界へのゲートを開く魔法陣」になったと?

 いや語感は似てるけど! ちょっとした差分なのに危険度は段違いだよ!


「この世界はマナが薄いな。ゲートを開くほどのマナを捻出するには、月の力が飽和している時間帯でなければ不可能だろう」

 自分の両手に空気中の何かを集めるような仕草をしながら、謎の生物は条件を補足した。


 ……つまり私のうっかり勘違いでトドメを刺したって言いたいのね。

 描き間違った事で、本来は発動するはずのない効果の魔法陣が発動し、爬山くんは自室に突然現れたゲートとやらにまんまと乗りこんで行方不明になったんだ。

 つまり……じっちゃんの名にかけて、犯人は私だ。ああああ……。


 でも、腑に落ちないことがまだある。


『もし差し支えなければ、あなたの世界に危機が迫っている理由を教えてくれますか?』


「其方がゲートを使って送り込んだ者が、人族で言うところの「流転るてんの勇者」となったからだ。数いる自称勇者どもとは違い、異世界から渡ってきた者だけがなり得るという流転の勇者は我らにとって極めて危険な存在。今日より28日前、我は不可解な次元の歪みを観測し、その15日後に流転の勇者が誕生した。我は次元の歪みが勇者の誕生に関係していると仮説を立て、消えつつあった次元の歪みの痕跡を辿たどり、今ここに至った」


 ……爬山くん、異世界で勇者になっちゃってた。わお。

 でも時系列の辻褄つじつまが合わない。


『私が儀式を行ったのは昨日の夜なんですけど。厳密にはまだ一日も経過していないのですが?』


「我らの住む世界よりも、こちらの世界のほうがゆっくり時が流れているのだろう。異世界ではよくある現象だ」


 よくあるとは知らなかったけど、そういうものなのね。異世界って奥が深い。

 納得して頷いていると、謎生物は更に言葉を続けた。


「其方はそれで納得したかもしれんが、我らにとっては死活問題だ。そして原因が偶然による過失であっても、其方の引き起こした罪は消えない。犯行を自白した以上、其方は我が軍勢に加担し伝承の勇者を打倒することで償うべきであると判じる」


 ……え? 私が?


「話した感じでは其方に悪意や敵意はなさそうだが……これは我に与えられた使命である。拒否権はない」


 そう言うと、謎生物は背中の羽をひと羽ばたき。フワリと私の視線の高さまで上昇したかと思うと、小さな指先で私の額を軽く突いた。

 途端に私は全身が麻痺したかのように動けなくなり、その直後に意識が暗転した。


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