第2話

「え、南?」


 聴き慣れた低い声。


「えっ健人たけと!?」


 やだ、嘘っ。私は予想外すぎる遭遇に思わず名前を呼んでしまう。


「めちゃめちゃ偶然だな」


 彼はそう言って私に笑顔を向けた。そう彼こそが私の好きな人、太田健人おおたたけとなのだ。ど、ど、ど、どんな運命なのよ。私は顔が赤くなっていないか気が気でなかった。運命のいたずらにしても程があるでしょ!

 でも私は内心怒っているように見せかけて、このエンカウントをとても嬉しく思っていた。その証拠に今私はニヤケを隠すのに必死なのだ。真顔にしても口元が緩んでしまうためどうやってもだらしない顔になってしまう。


「南大丈夫か?」


 健人が挙動不審な私を心配して顔を覗き込んでくる。や、やめて。それ以上近づかないでっ。私は普段なら喜ぶ幸運を逆に遠慮するほどに追い詰められていた。


「だ、大丈夫大丈夫! それより健人はどこ行くつもりなの?」


 慌てて返事をして話題をすり替える。


「俺、学校に忘れ物しちゃってさ、今から取りに行くんだよね。南は?」


 ここでタイミング良く私の頭は思い出していた。もし彼に出会ったら告白するということを。ぬぬぬぬと最後まで悩んだが出した答えは突き進むこと。


「わ、私も忘れ物しちゃって。偶然だね」


 私はそう返事をしていた。まずは彼と一緒に行動して、告白のチャンスを伺おう。


「ええスゴ! めっちゃ偶然じゃん!! じゃあ一緒に行こうぜ」

「うん!」


 こうして私と健人は二人で昨日卒業したばかりの学校に向かうことになったのだ。卒業した後も二人で歩いている。こんな光景を誰が予想できただろうか。私は恥ずかしくてさりげなく道路側を歩く健人の顔は見れない。他愛のない会話をしながらも目線はずっと右下だ。高校生だったときはこんなに恥ずかしくなかったのに。告白しようと思っているからだろうか。そんな気恥ずかしさに悶々としているとすぐに学校に着いてしまった。


「そういえば健人の忘れ物って何?」

「え、っとね……卒業証書」

「えッ! それ忘れる!?」

「自分でもびっくりした……」


 私達は見慣れた校舎に足を踏み入れる。夕日が影を落としグラウンドからは威勢の良い部活の音が聞こえる。私達は靴下のまま校舎に侵入し、階段をあがる。


「こういうのって言わなくても良いのかな」


 昨日まで在校生だったとはいえ学校に無断で侵入するのは良いのだろうか。


「んー本当はダメ? けどまあ良いじゃん! 俺ら昨日までここの生徒だったんだし」


 そう言って健人は無邪気に笑った。校舎に入ると、廊下の掲示板や剥がれた壁紙、変な匂いがするトイレ、リノリウムの床、全てが感慨深く思えた。自分はそこまでノスタルジックな人間だとは思っていなかったけれど、案外この学校が好きだったみたいだ。校舎内は静かで時々野球部のカキーンという気持ちの良い打球音が響くのみだった。これなら教師に見つかることもなさそうだ。私は健人との小さな悪事の秘匿性に経験したことのない背徳感を覚えた。

 階段を上がりきり、使用していた教室の前まで来る。


「あ、そーいえば南は何忘れたの?」


 健人がドアを開けながら聞いてくる。


「あー私も卒業証書……かな」


 私は緊張しつつそう答えていた。ここに卒業証書はない。だから嘘がバレるのも、その後も……時間の問題だ。


「ぷっ。自分で『それ忘れる!?』とか言っときながら」


 吹き出した健人は大笑いした。なんだよ、人が勇気振り絞ってるっていうのにっ。内心で怒りながらも私は健人の笑顔を目に焼きつけた。

 私達は教室に入り黒板を見て驚いた。そこにはまだ昨日の落書きが残されていたからだ。カラフルなチョークで「祝卒業!!」と書かれた大きい文字の横に小さな数々のメッセージやよくわからないキャラクターなんかが踊っている。そこには高校3年間過ごした皆の想いが乗っているようだった。


「すっげー。でもこういうの好きだったもんなあの先生」


 健人が思い出すようにしみじみと言う。私達の先生はちょっと熱血で卒業式でも人一倍泣いていた。黒板を消さなかったのは誰か来ると思っていたからなんだろうか。私達は黒板に残された文字を好き好きに眺めた。そして私は発見してしまった。黒板の隅っこに描かれた一つの相合い傘を。傘の下には「久保田南」と「太田健人」の文字。


 わ、忘れてたぁぁ!!


 友達が健人が帰った後にふざけて勝手に書いたものだ。「やめてよ」と言いながらも私もすぐに消えるなら今日ぐらいは良いかなと思って、この稚拙な行動に私の想いを乗せた。そして今全てを思い出した。


 ――ま、まずい!!! 見られる前になんとしても消さなくちゃ!!!


 この後告白しようとしていることも忘れ、私は急いでこの証拠を消そうと足を伸ばした。でも急に動いたからか足がもつれて私は体勢を崩した。


「あッ」


 転ぶ。そう思った瞬間。


 私の体は大きな腕に包まれていた。


 前から肩を抱くように私を支える健人の体温が伝わってくる。驚きが声にならない。


 私と健人は不意に目があった。距離が近すぎる。


 心臓がバクバク脈打っているのがわかる。窓からの斜陽でオレンジ色に染まった教室はやけに静かで、まるで時が止まったようだった。だけどグラウンドから聞こえる掛け声や高く響く打球音が、時間は止まっていないのだと認識させた。


「……っ! ご、ごめん大丈夫だったか? 南」


「あっ、だ、大丈夫。ありがとう……」


 不意に石化が解けたように私達は動き出した。夕日のせいか二人とも顔が赤い。


「さっきはそんなに慌てて何見てたんだ?」


 健人が何かを誤魔化すように話題を逸らした。そうだ、私は黒板を消したかったんだ! 私は慌てて黒板に近寄ろうとするが、遅い。

 

「確かこの辺見てたよ……」


 彼の言葉は途中で止まった。黒板の隅っこ。彼の目は一点で止まった。


「南、もしかして俺のこと……」


 健人が私の方を振り向き私達はまた目が合う。今度は意識して。そして私は決意した。一度きゅっと唇を結ぶと彼の目を真っ直ぐ見た。その瞬間健人が口を開く。


「俺っ! ……ちょっと南に言いたいことあってさ」


 視線は窓の外を見てる。


「な、何? 言いたいことって」


 私の返事は心臓の鼓動が早すぎて少し震えていた。

 健人はチラチラと私と窓を交互に見ていたけれど、やがてぐっと私の目を真っ直ぐに見つめた。そして。



「俺さ、ずっと南のことが好きだった。俺と付き合ってください」



 自分の前に手が差し出される。

 3年間ずっと欲しかった言葉。信じられない。告白する健人の目の前に私がいる。私は思いがけない言葉に手で口を覆った。嬉しさのあまり天に昇りそうな気分だ。

 そして私は震える声で返事をした。


「私もずっと好きでした。これからもよろしくね」


 そう言って私は彼の手を握った。彼はそれを見ると大仰に息を吐いて笑ってみせた。私も心の底から笑顔になった。







「あ、じゃあなんで昨日告白してくれなかったの?」

「そ、それはちょっと緊張しちゃって……」

「……ばか」

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一番素敵な忘れ物 和泉 @awtp-jdwjkg

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