理解のある彼くん vs おもしれー女 ニュートン無様敗北編

和田島イサキ

Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica 2

 そんなわたしにも無事付き合って二年の彼ができました。

 例えば漠然と死にたいと思う程度のことは二十余年も生きてたらそれなりにあるし、とかく人生とはままならないもの、嫌なことやつらい経験なんかいくらでもある。誰にでも、つまりわたしにもあなたにも、そこらの見知らぬおじさんにだって、その人にしかわからない苦しみってものがあるのだ。そういうあれやこれやを自分の人生として引き受ける、それがきっと大人になるってことで、だからわたしは自分の人生に納得しているとは言わないまでも、安易に「わたしばっかり」みたいな駄々はこねないようにしている。つい思ってしまっても半分までだ。こういうのは甘いものと一緒で、量を半分に抑えるだけでも全然違う。だいたい現代人は甘いものを摂り過ぎなのだ。自分を甘やかすのもいいけど慢性化はやばい。一度クセになると自力じゃ治せないのが被害者気取りの怖いところで、こうなると自分の身近な人々、中でも特別気をかけてくれる人たちに迷惑がかかる。どのみち他者に迷惑をかけずには生きていけないのが人間ならば、せめて自覚できる範囲くらいは己を律するよう努めるのがプライドってものだ。野の獣ではなく人として生きること、それは取りも直さず恥を知ることなのだと、わたしは高校三年の冬にそのように定めた。もとより自分で自分に課した約束でしかないから、同意も共感も求めないけれど。

 ——そのうえで。

 それでも、やっぱり、どうにも思うままにならないのが人生ってもので、つまり日によってそこそこだったりイマイチだったりする、そんなわたしにも無事交際歴二年の優しい彼ができた。いまできた。できたときには〝こう〟だった。わたしの面倒な性格や苦手なあれこれ、そのすべてを理解し優しく受けれたうえで、日々フォローやケアを欠かさない優秀な恋人。いや役割としては恋人っていうよりパパかママだよねこれってという気もしなくはないけど、とまれそんなものが初手﹅﹅から﹅﹅付き﹅﹅合って﹅﹅﹅二年の﹅﹅﹅状態で﹅﹅﹅日曜の昼過ぎ、狭いワンルームの真ん中にいきなり湧いた。文字通り、何もない虚空に、まるで空から降って湧いたかのように。噂には聞いていたけど初めてのこと、わあこういうのって本当に無からポップアップするんだすごーい、なんて、わたしはいったい何におもねっているのだろう。

「すみません。突然のことで気が動転して」

 謝るわたしに、でも俺はりんごちゃんのそういうところが好きだよ、と——この「りんご」というのは一般名詞ではなく固有の名称、具体的にはわたし個人のことを指す単語だ——気安く人のことをちゃん付けで呼ぶばかりか手で頭をぽんぽん、なるほど付き合って二年の男ってこんな感じかと、大変勉強にはなったのだけれどでも本当に誰だ。

「え、なに? 今日はそういう感じ? もちろん貴女あなた凱瑠カイルですよ、りんごお嬢様」

 おどけた調子でかしずいてみせる、そんな自分の恋人相手にまさか「は? なんだその名前」とも言えない。りんごの分際で何言ってんのって話で、だからそこはもう言わないものとして——。

 オッケーカイル、わたしのめいを待つ忠実なるしもべ

「教えて。お前を消す方法を」

「スマートスピーカーか何かかな俺は?」

 あながち間違いでもないと思う。いわゆる『理解のある彼』くん、ことに概念的存在としてのそれは、とどのつまり便利で都合の良いケア要員だ。わきまえろ。他人の人生の添え物風情が一丁前に人間ヅラすんな。なんて、それはさすがに言い過ぎとしても。

 ——わからない。この場合、こいつをどうするのが正解なのか?

 学校では習わなかった。まず教科書に載っているものではないし、なにより学校生活の間に学ぶ機会を持てなかったのが痛い。わたしにしてみれば初めての関係性、理解のある彼くんとのお付き合いのしかた。逆説いままでの彼は全員理解がなくて、例えば日々お金の無心にパンチキックの嵐と、そんなピリッとした過去でもあればまだ格好もついたのだけれど。

 人生とはやはりままならないもの、わたしの初めては『理解』ではなくその後。

 彼。

 今日までの人生、ずっと友人らのお喋りの中にのみ存在していた生き物。本来わたしの人生には永劫縁のなかったはずのそれを、この身で体験できたのはまあ僥倖だった。よかった。もう思い残すことはないからそろそろ潮時だねと、出会って三分で切り出す話がそれかとは自分でも思う。重々思うもののしかし今は状況が状況、わたしからすれば「理解あるくせして空気は読めないのなお前」って話だ。

「ねえカイル、いくら恋人同士でもお互いのプライベート領域は大事にしたいっていうか、いやもう頼むからいますぐ消えてくれお前」

 物理的に、この部屋から、できれば今から三分以内に。いや本当に三分も猶予があるのか、もういつ戻ってきてもおかしくない。いま隣の狭いユニットバスにひとり、まだシャワーを浴びている最中の彼女﹅﹅。理解はなさそうだし別に都合の良いケア要員ってわけでもないけど、でも直接この手で捕まえてきた天然物の女体だ。いわゆる恋人——と言えるかどうかは若干曖昧なのだけれど、でもそれに近い関係というかこれからそうなるというか、その最後の一線を今から肉のレベルで踏み越えんとする、その最後の準備としてのシャワーなのだと、そうはっきり言明の形で合意を得たわけではないにせよそう思う。というか、それ以外にない。あんな熱のこもった「お願いシャワー浴びさせて」、初めて聞いた——ってわけでもないけどでも「あっ、これ以上やったらマジで泣くわこの子」と、心でなく体で確信できたのは初めてのこと。

 近くの美術大学に通う女の子。名前は、さなちゃん。いまが年の瀬の十二月だから、あと二、三ヶ月くらいで田舎から出てきて一年になる。でもそのわりには全然垢抜けないままだなと、そう思える時点で結構な掘り出し物だった。モタッとした重たい黒髪ボブに、形だけは流行り目のっきな黒縁メガネ。身長はわたしほどじゃないけどまあそこそこで、なにより胸がとんでもなくでかい。でっかいくせに態度と声がっちゃい。何言ってんのか全然聞き取れないのに、どうしてか謝っているらしいことだけははっきりとわかる。よくいるタイプだ。クラスにひとり、少なくとも高校くらいまでは。大学あたりで急にキャラクターが変わるというか、要は初めて知った男の色に染められるパターンが大抵だと思うのだけれど、でもそれがこうして素体バニラのまま——それも別に顔がよくないわけでもないのに!——なんとひと冬越えそうになっている。これをさて「掘り出し物」という語のほかに、一体どう形容しろと言うのだろう?

 拾ったのは大体ひと月ほど前、近所のコンビニで適当にナンパした。

 翻ってそれはつまり、ただここ﹅﹅まで持ってくるだけのことに一ヶ月もかけたということ。なんとも慎重というか回りくどいというか、きっと誰よりわたし自身が驚いている。わたしって、女の子をこんな大事に扱えたんだ、と。普通なら二時間で済んでさっぱり忘れてるはずのことをわざわざひと月もかけて、そのうえこのに及んでまだシャワーだとか、いやいや子供の使いじゃないんですから早よ股開けやオラと、そう力ずくで行くのが当然の場面。それを「うち給湯器のリモコンないけど使い方わかる?」なんていそいそバスタオルまで出して、あれっ何この甲斐甲斐しさもしかしてわたし知っちゃった? いわゆる〝本物の恋〟ってやつを——なんて。

 そう悶々と、ひとりベッドの上でぐねぐね悶え転がっていたところに、突然「お腹痛い? 背中なでなで要る?」と湧いて出たのが例のアレ、わたしの理解ある彼くんことカイル氏だ。

「あのさァ! お前ホンッッッさァ! 死んでくんねぇかなァマジで!」

 そう怒鳴りつけたってきっと問題のない場面、なんなら窓から投げ捨てたってよかった。許された。だって状況が状況という以前に、そも無から生じたものに人権はないから。煮ようが焼こうが所有者の自由、ただ曲がりなりにも人の形をして人の言葉を喋るものである以上、法とはまた別の力学で何か人権ようのものが発生してしまうのは仕様がない。またより単純かつ物理的な問題として、投げ捨てたところでどうせ位置エネルギーが足りないというのもある。ここは二階だ。どこにでもある軽量鉄骨ワンルームアパート。事実上の学生向け物件にずっと居座り続けているのは自分でもどうかと思うけれど、でも間取りが気に入っている。ワンルームのくせに洗面台付きの脱衣場があるのは珍しい。掘り出し物だ。わたしは昔から掘り出し物に弱い。より正確にはもともと掘り出し物としてのプレミアを備えていたものを、この手でそうでなくしてしまうことに無上のよろこびを感じる。

「りんごちゃんのその歪んだ情念、ちゃんと社会と折り合いつけてるの偉いなあって思うよ」

 発散させるのはまだギリギリプライベートに留めてるわけだし——と、しつこく人の頭をグリグリ撫で回す彼。いやその発散をまさにいま妨害しておるのが貴様なわけだが? と、その純粋な想いを一体どう伝えたらいいのか。拳か。やはり古式ゆかしい伝統の手法に勝るものはないのか。実を言うと腕力にはそこそこ自信があって、事実これまでわたしの押さえつけを跳ね除けることのできた女はいなくて、とはいえ相手が男となるとさすがに厳しいのだけれど、でもそれはあくまで「向こうがこちらと同様腕力で対抗してきた」場合だ。それはない。絶対にない。だってこいつは所詮〝理解のある彼くん〟、自我や自尊心を備えた一個の人間ならまだしも、中身のない空っぽの脇役モブ風情にそんな自主性はない。現にこいつの言う「プライベートで発散」とはまさにそういう意味で、つまり俺にぶつける分にはいくらでも付き合ってあげるよと、都度ふたりで話し合って上手な生き方を見つけていこうよと、なんか人のそれを勝手に「望んだわけでもないのに背負う羽目になった業」みたいな枠に押し込んでくれる、その上から目線の〝理解〟はなるほどいかにもだなって思う。

 それじゃまるでいつかは修正されるべき歪み、あるいは解放されなきゃいけない呪縛のような。人の本質、エゴの真ん中にある欲望の源泉を、そう気安くジャッジしないで欲しい。これがわたしでわたしがこれ、なによりそう珍しい欲求でもないだろう? 人は誰しも自分にないものを求め、そしてそれを滅茶苦茶に破壊することで安心を得る。それはある種の確認作業であり、また相手を自分と同質化する行為でもあるのだ。

 少女の純潔。わたしのうちにはもとより存在しなかったそれを——いや原理的にはなかったはずはないのだけれど、でもその実在を一度も知覚できないままどこかに失くしちゃったっぽいプレミアを、でも力ずくで押さえつけて無理矢理に汚す。そこまでは茶番だ。向こうが言外のうちに要求してきた筋書きであり、こちらからすれば無償のサービスのひとつ。わたしの捕まえてくるような女の子はみんな、行為にわかりやすい物語ナラティブ建前エクスキューズを求める。わたしもごっこ遊びは嫌いじゃないし、なによりただの口約束のわりにはリターンが大きい。事前と事後で自分が何を失ったのか、当の彼女たち自身にはまるで理解できていない様子がもう、本当に最高っていうかアレだ、

るよね。ギューンって、こう、子宮に」

「だからね? それが業じゃなかったら一体なにが業なのって、俺なんかはいっつもそう思ってるんだけどね?」

 いつか女に刺されるタイプの人生って時点で十分〝生きづらい〟人だと思うよ——なんて。そう言われたら「そりゃそうだね」って話になるし、そして「みんなそうだね」って結論にしかならない。おかしなことを言う男だ、まさかこの世に女に刺されないタイプの人生があるとでも? やっぱり〝彼〟という生き物はいまいち性に合わない、どうもわたしは根本的に男嫌いなのかもしれない。いま気づいた。だって男というのは総じて馬鹿で、例えばうんことちんちんの話だけで無限に盛り上がれる時点で馬鹿以外の何って話で、そしてわたしがそれ以上に馬鹿なのはまた別の問題だ。馬鹿が馬鹿を毛嫌いするのは当然のこと、同族嫌悪かそれとも同一階層内でのパイの取り合いか、なんであれ機序や動機なんかどうだっていい。いま肝要なのはその馬鹿そのもの、というかそれが三人寄ってしまったところだ。

 狭いワンルームに馬鹿三体。存在自体が虚無の口だけ馬鹿と、自分の〝女〟の価値もわからぬまま無残に花を散らさんとする性欲馬鹿、そしてただ単純に馬鹿の三人だ。揃い踏みだ。たぶん前世は鎌倉武士とかだと思う。類は友を呼ぶというのはどうやら本当のようで、つまりこの事態はすべて始祖の馬鹿たるわたしの招いたこと、だから彼に「あ〜あ、お前が消え去ってくれたら全部解決するのにな〜」と自決を強要はしても、でも事態の尻拭いをしてもらおうとは思わない。そういう甘えた生き方は、そりゃ好きか嫌いかで言えば大好物なのだけれど、でもその代償として必然的に﹅﹅﹅﹅値引き﹅﹅﹅されて﹅﹅﹅しまう﹅﹅﹅何か﹅﹅、今日までコツコツ積み重ねてきたそれがわたしには惜しい。

 例えばいつか、遠い未来かそれともそう遠くない将来か、これまで食い散らかしてきた女が牛刀片手に夜道に現れるのだとして。でもそれがあくまでわたしの招いた災禍であるなら、最後に血溜まりの中で無様に悶え死ぬのはわたしであるのが筋だ。彼じゃない。例えば咄嗟に身代わりになって「俺はもともといなかったはずの存在だから」的な、そりゃ合理的だしなるほど収まりはいいかしれないけれど、でも気に入らない。腑に落ちない。だって買った恨みの深さこそがわたしの雑に食い散らかした愛の大きさ、それをいまさら命惜しさにドブに投げ捨てるみたいな、そんなもったいない真似がどうしてできるっていうのか?

 もしわたしに何か抱えた業とでも呼ぶべきものがあるとするなら、きっと〝これ〟がそうなのだと思う。平たく言うなら貧乏性、この手で得たものはなんであれ捨てることができない。ことに感情面での物事となると本当に際限がなくて、だっていくらでも格納できてしまう。無限に積める。どれだけ呑み込んでも全然足りないくらい。抱いても抱いても枯れることのない愛欲の泉は、むしろ湧き水というより噴き上がるマグマのようで、おかげで夜通し身を焼かれる羽目になる女の子たちは気の毒だけれど、でも実のところ言うほど罪悪感はない。大変だなーと他人ひとごと程度に思うくらいで、だってなんだかんだ気持ちいいんだからいいじゃんって話で、つまりこういうところが〝単純に馬鹿〟なのだと思う。

 いま気づいた。なるほど馬鹿呼ばわりもむべなるかな、あいつ﹅﹅﹅もなかなかうまいことを言う——。

「……思い出してくれた? きみにそれを教えたのが誰だったか」

 彼くんカイルの声。そういえば非常によく似ているというか、たぶん完全に同じ声だ。まあ仕方ない、ちょうどいいサンプルがそれしかないのだから。

 それは過去に交際した中で唯一の男性、いや一週間も保たなかったのを交際経験に含めていいものか微妙だけれど、でも建前上は一応〝彼〟だったはずの相手だ。小中高とずっと一緒で、まあ幼なじみといえばギリギリそう言えなくもないけど、でも実際にはそんなに仲が良かったわけでもない程度の男友達。あの男と付き合ってみて初めて知った、わたしがどれだけ、そして一体どのように馬鹿か。お前は怪物だと、一語一句そのままではないにせよそういう意味の言葉をわたしに投げて、でもいま思えばそれこそ〝理解〟だった。優しさの表れであり正しい受容そのもの、だってそいつとたもとを分かって以降、まるでその答え合わせのような十年を過ごしてきたのだから。

 ——この傷だらけの〝初めて〟を、でもいい思い出にできるくらいの本当の恋をするから。

 と、その約束を果たそうというのがそもそもの発端。

 もとより叶うはずのなかったふたり一緒の未来と、近づきすぎてしまったが故に二度と元に戻らなくなった特別なよすが。それを今更やり直すことは叶わなくとも、せめてかたきを討つくらいのことはできるんじゃないか——と、まさかそんな動機をずっと引きずってきたわけじゃない。むしろ、忘れていた。いつの間にやらすっかり「そういやそんなこともあったっけ」の枠に入って、でもそれは本当にただ記憶からすっぽり抜け落ちていただけ、とても〝いい思い出〟にできたとは言い難い。にっくき青春のかたきは未だ野放しのまま、むしろ年々増長してるんじゃないかってくらいだ。

 人類に恋は早すぎた。その呻きに、しっかり「人類のうちの少なくとも一例がね」と正確な指摘。さすがは理解のある優しい彼くん、いつも十全に正しく矛盾もない。横目に改めて見つめ直せば、やっぱり何度見てもいまいち締まりのない顔。不細工な、とはさすがに言わないし言えないけれど、でも言えてせいぜい「清潔感はある」というのが限度だ。こう見えてわたしは面食いで、だから〝彼〟である以上は顔だけは良くなければいけないはずのところ、なんかどこにでも転がっていそうな薄味ヒョロメガネとしか言いようのない相貌をしている。あり得ん話だけれど同時に「まあそんなものか」とも思う。存在感が希薄で、特に強さや男らしさのような魅力は一切感じられない、まさしく〝脇役モブ〟としか言いようのない人物造形。とはいえ彼をそのように生まれつかせたのはこのわたしなのだと、そう思うとなかなかひどい話だ。

 わたしみたいな怪物の世話がつとまるような男は、逆説的に相当に優秀かつ有能でなければならない。でないと理屈に合わないはずなのだけれど、でもそれだと魅力の面で主役を食って﹅﹅﹅しまう。主人公の健気な成人男性と、その足を引っ張るお荷物という構図。それは困る。だって自分語りの主人公はあくまで自分自身だ。特に〝生きづらさ〟を抱えた弱者の立場から世間の多数派を啓蒙してやろうという内容の場合、話者当人の悲劇性がこの彼くん一発で全部帳消しになるのがまずい。わかりやすく言うなら「こんな優良物件をとっ捕まえてるんだから十分〝持てる者〟の側だよね」と——実際にはまさにそれを自慢しているのだとしても、しかし——そう解釈されてはいろいろ不都合極まりないから、その対策として〝彼くん〟の人間そのものを薄めることになる。きっちり薄めきったうえで「これくらいは普通でしょ?」と、すなわち〝普通の男〟くらいは全員にもれなく配給される健康で文化的な最低限度の生活の一部であるので、なんらプラスの査定になるものではありません、と——なおそこに異を唱えるようなものはそもそも人間のステージが違うので最初から相手にする必要がない——そういうていで思う存分悲劇のヒロインぶってみせる、それが一般的な〝理解のある彼くん〟の用法だ。

 故にそれは誰かの人生の添え物、ただ都合がいいだけの空っぽの存在。初めからそういうものとしてこの世に産み落とされた、わたし専用の理解のある彼くんこと、カイルくん。

「可哀想。あなたには何もないのね。この世に生まれてきた意味も、それを祝福してくれるはずだった家族さえも」

 結局なにひとつ得ることのないまま、窓から投げ捨てられて惨めに死ぬのね——その言葉に、それを為さんとするわたしの腕に、でも「大丈夫、思ったこと全部話してみよっか?」と、たぶん犬養毅もこんな感じだったのだと思う。問答無用、貴様それで一端いっぱしの男のつもりか。わたしは今から湿度高めの女子会おなごだまりの予定で、そして時は来たれり、いま浴室のシャワーの音が止んだ。時間がない。なくなった。この瞬間「シャワーの間に玄関から追い出す」という選択肢が消えて、つまり余裕の多寡はそのまま自由の大きさなのだと、そんな当たり前の摂理をわたしは今更学ぶ。学校では教えてくれなかった。彼らの教育はいつもこうだ。生き方を選ぶには相応の余力が必要で、だからいくら「あなたには自由に生きる権利がある」などと言われても——そうとすら言えない社会ではまずい、という最終防衛ラインとしての有用性は別として——しかし個々の境遇次第でその〝自由〟の内容は大きく異なる、という、その現実については誰も教えてくれない。

 井の中のかわずは大海を知らない。知らないものは理解のしようがないから、自分の見える範囲を基準に「まあこんなものだろう」と仮置きするしかない。わたしたちには自由に生きる権利があって、現にわたしなんかはその権利を好き放題行使してきた方だと思うのだけれど、でもその「好き放題」が実際にはどれだけ付帯条項つきの自由だったか、その実際を知る手立てがわたしにはない。少なくともこの十年間、この井戸の底のようなワンルームで繰り返してきた、こんな淀んだ生き方を続けている限りは。何人も抱いた。いくつもの女体を壊れたスプリンクラーみたいにしてきた。もう男では満足できない体になった女も片手じゃ足りないくらいで、その事実を撃墜キルマークのように心の機首に刻んで、そしてまるで焦土のようになったベッドの上、ベランダの向こうに霞む朝ぼらけの空の、その下に生きる無辜の人々の平和な日々を、どこか遠い世界の出来事のように夢想しながら指を咥えて眠る——。

 そんな生活が本当に、わたしの望んだ〝仇討ち〟だったのか?

 顔向けできない。このままでは、あの日のわたしに、そして奴に。きっと二度と会うことのない相手とはいえ、それでも一応約束は約束。もっともわたしの方から一方的に宣言しただけの約束、同意も共感も求めはしなかったけれど——。

 井の中の蛙、大海を知らず。

 ——されど﹅﹅﹅

「オッケーカイル。教えて。人生の変え方と、それが無理ならせめて空の青さを」

 突っ込む。体ごと、彼に向かって真っ直ぐに。そのまま彼の背後に手を回すようにして、奥の引き違い窓を強引に開く。吹き込む十二月の寒気。狭いベランダと、その向こうの空。今日までただ見上げるだけだった自由のかけらが、いまはいつもよりも近くに見える。わたしには自由に生きる権利がある。なんでもやれる。自己の責任において行う限り、もとより届くはずのない青に手を伸ばすことだって。自由とは何らの制限のないこと、ならばどうして不都合がある? この世界にせめてわたしひとり、空を自由に飛んだところで。

 ——アイ、キャン、フライ。

「ちょっ何考えてんの、落ち着——止まれこの馬鹿ァァァッ!」

 理解ある彼のまごうかたなき正論は、でも〝単純に馬鹿〟を止めるにはやはり弱い。馬鹿は正しさでは止まらない。それができるのは腕力だけで、そしてその通りわたしを押し留めんとする、彼の低い姿勢と太い腕。きっと人生で初めて味わう、そこそこ本気の男の腕力。やはり勝てないというのはさっきも予想した通りで、だからこいつをここから突き落とすのは難しいけれど——。

 いける﹅﹅﹅

 それでも﹅﹅﹅﹅十分﹅﹅わたしごと﹅﹅﹅﹅﹅行く分には﹅﹅﹅﹅﹅

アイYouキャンmustフラァァァイdie!」

 よくよく考えてもみれば定番の展開、何をためらう必要がある? 間男が窓から退出するのは古典中の古典、そしてわたしたちの人生はそれ自体がひとつの物語だ。それが喜劇か悲劇かは知らない、ただ一度幕を開けたからにはもう配役の変更はナシだ。自分語りの主人公は、あくまで自分自身でなければいけない。これは祈りだ。世界よかくあれかしという痛切な祈り。我々には自由に生きる権利がある。たとい他者を踏み台にしようとお飾りにしようと、それが自己の責任において行われる限り——すなわちその邪悪さや醜さの告解としての自分語りであるなら、もはやそこに他者ですらない虚無ごときの出る幕はない。

 オッケーカイル、お前は業だ。いまだ捨て去ることの叶わないわたしの特別な業。あの頃、わたしだけが友人らのお喋りに混ざれなかった、あの疎外感含みの劣等感。彼氏自慢に参戦するための基本兵装がないから、自動的に非武装中立のお笑いキャラ枠に押し込まれた屈辱。その忌まわしき記憶が、そのための初めての挑戦と失敗が、具体的には自分の指向への過信と無理解が、見事わたしを性獣へと変えて、でもいくら撃ち落とせど公式記録には載らない撃墜キルマークとは別に、ちゃんと他人に見せびらかすための〝便利なトロフィー〟もやっぱり欲しいな——と、無頼を気取れど拭い去ることのできなかったその安い俗欲、心の奥底にヘドロのように積み重なったそこから、勝手に自生し這いずり出てきた幻覚の形をしたプレミア

 それを、今。

 置いて行こう。空から、この惑星ほしの広い大地に、重力加速度の導きのままに。

「待ってやめてりんごちゃうおおおおおおおおおおお」

 飛び出た空の中、一瞬の無重力と、そして天地が失われる感覚。自由落下。内臓がふわっと浮かぶ感じに、全身の毛穴が大きく開くのがわかって、ああそういえばわたし高いとこダメだったなあ、なんて、そんな今更すぎる感想を覚えた瞬間。

 ぐっ、と。

 いや体感的には『グモッ』みたいな感じで、実は結構痛かったのだけれど。地面に向けて加速が始まる、その出鼻を無理矢理引き止める力。足首がもげるかと思った。強く握られ、そのまま宙に逆さ吊りになる、そんな無理な姿勢のままどうにか見上げた先には——。

「……やれやれ。無茶をする」

 ——誰?

 ベランダの縁から乗り出した半身。こちらに向けて垂れ下がる長い黒髪の、その奥に見えるやたら彫りの深い美形。誰お前。いや誰っていうかもう「何」ってレベルで、だって見覚えがないという以前にまず現実味がない。外見だけで人を判断するのは良くないと思うのだけれど、でも糸切り歯は尖りすぎだし目が左右で色違いだし、なによりわたしを軽々引き上げてみせる、その全身のしなやかな筋肉がよく見えるところというか、

「なんで裸なのお前」

 フルチンもいいとこじゃないですか、と、その指摘にさえ「火急だったものでな」と涼しい顔。そのまま引き上げられて戻った部屋の中、堂々仁王立ちする全裸の成人男性と、そしてその背後でほっとなで下ろされる胸というか、今にもまろび出そうなバスタオル越しの胸。

「……よかった。間に合ってくれて」

 ——胸。もとい、さなちゃん。これからわたしが熱と汁気のカーニバルにする予定だった豊満な肉。

「ベランダから落ちそうになってるのが見えて、急いで掴ませたんですけどいや違うんですこれは誤解っていうか」

 こいつが勝手にお風呂の中に湧いてきて——と、そこまで聞いた時点でもう大体わかった。というか、完全に理解した。急に虚無から湧いてきて収拾不能な人生をシャキッと整えてくれる存在、世間一般に『デウス・エクス・マキナ』と呼ばれる都合の良い奇跡が、この世には確実に存在する。実際、した。いまベランダ下の植え込みに突き刺さっているヒョロメガネもその一例だ。あるいは強い衝撃を与えることで消滅したりしないかと期待したものの、でも一度生まれたものはそう簡単にはキャンセルできないのだと、それはこのさなちゃんの証言からも明らかだった。

「殴っても蹴っても全然ダメで、目を狙ったのにそれでもダメージがなくて、だからもう、わたし、どうしようかと」

 わっ、と手で顔を覆って泣きはらす彼女。道理でシャワーがいやに長かったわけだと、あとこいつの片目だけ色がおかしいのはその目潰しのおかげかと、そのわたしの理解にでも「いや余のこれは生まれつきだが」とロン毛。余て。薄々わかっちゃいたけどまた随分だなこいつというか、なんとも多様性の波動を感じるパートナーさんでいらっしゃいますねと、その素朴な気持ちの表明にでも「違うの! 信じて!」と彼女。ここにきて初めて見せる本気の焦り。まあわかる。要は「こんなのが趣味だと思われるのだけは死んでも嫌」という複雑な乙女心で、それは他ならぬわたし自身も味わったばかりというか、なんなら顔の造形自体はいい分こっちのがまだマシかもとさえ思う。

 交際歴にして約五世紀の吸血鬼ノスフェラトゥ。不幸な事故から別れ別れになってしまった〝姫〟の、その魂の転生先を見つけるには苦労したとかなんとか、「もういい、休め……!」としか言いようがない。というか、つらい。見ていてきつい。どこの中学生の秘密の創作ノートから飛び出してきたのか、こんなものを大真面目に見せつけられる側の身にもなれって話だ。

「ごめんね。この物件、たぶん吸血鬼禁止だから」

 悪いけど、と、さなちゃんとふたり、「せーの」で投げ落とした全裸の長髪男。薄く積もった雪の庭、並んで植え込みに刺さる男ふたり。なんか門松みたいだなと思って、そして門松ならいいかってなった。縁起物だし、無機物だし、あるいは上から見下ろすこの距離のおかげか、あんまり人間らしい感じがしない。だから頬杖ついて見下すベランダの上、何の気なしに命令が口をついて出ていた。「まぐわえ」と。お前らそこで一発スパーンとセックスでもして、せめて目でわたしたちの無聊ぶりょうを慰めてみせろ、と。余りもの同士、どうせ為すべきことも行くあてもなく、またその存在を祝うものすらないのなら。お互い身を寄せ合って生きてゆくのも悪くはなかろうと、その完璧な提案にでも「鬼かな?」と返って、そしてこのどこまでも続く広い大空の下、わたしはいま初めて心から笑えた気がした。

 あの日と同じ空。いつも息の詰まるような思いで見上げていたそれが、でも今はどうしてかこんなにも近い。

 簡単なことだった。わたしは上、お前は下——わずか二階程度の高さであっても、見上げるものからすればそこは空の中だ。わたしは笑う。隣で「寒い」と震えるバスタオル姿の巨乳を、「じゃあ温めてやる」と片手で揉みしだきながら。手の中に女体、眼下には従僕、遥か頭上の空さえ今はわたしの庭だ。すべてを手にした。狭いワンルームからベランダへ、ただ一歩出ただけのことでわたしは世界のすべてを得た。ここが〝あがり〟で世界の頂点、実に簡単なことだった。世界は、空は、それを見るものの視点次第で、たやすくその色を変えてみせる。曇っていたのは空じゃない、わたしの目の方だったっていう何の捻りもないオチだ。

 付き合って二年の理解のある彼。いま植え込みの陰で甘い嬌声をあげて悶える彼も、こうして見ると悪くない。可愛げがある。ていうか本当にそこでしちゃうんだすごーいって話で、いくら理解があるといっても限度ってものがあると思うのだけれど、でも人生って結局そんなものだ。とかくままならないのが人の人生、実際ほどなくわたしの呼んだパトカーに乗せられていって、それを見送るわたしたちはいま狭いワンルームのベッド、ままならぬ互いの人生を慰めるために、ひとつ巨大な火の玉となる。本当に燃えた。一ヶ月の〝溜め〟のおかげもあるけど、なによりこの特異な状況が効いたのだと思う。

 進歩も反省もないわたしの人生。実体がないのは結局彼もわたしも同じで、ただ重ねた肌の熱だけがわたしの実存を証明してくれる。十年の停滞と百年の孤独、でもそれは見方次第ではきっと相応に幸せな、なにより愛と平和に満ち溢れた日々だ。

 井戸の底だって悪くない。空の青さを知り、その高きに怯え、でも手を伸ばすことを恐れなくなったわたしたちには——あるいはあなたも、そしてそこらの見知らぬおじさんにだって。

 甘みだけじゃない。幕然と死にたいと思う程度のこと、例えばいつかの忌まわしき記憶なんてものは、ただ共に引かれて落ちるためのスパイスでしかないのだ。




〈理解のある彼くん vs おもしれー女 ニュートン無様敗北編 了〉

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