第34話【エピローグ】

【エピローグ】


 穏やかな音の流れが、僕の鼓膜を震わせている。クラシック音楽、というやつか。

 閉じられた瞼の向こうから、穏やかな白い光が差してくる。

 どうやら僕は、あの世で目覚めたらしい。


 さて、一つ問題だ。

 サイボーグに『死後の世界』という概念は存在するのだろうか? 確かに、脳みそは生体部品だが、飽くまでクローンに過ぎない。それなのに死後の世界を夢想するなど、何様のつもりだと言われてしまうだろう。


 だが、誰に?


「神様、かな」


 そう呟いた直後、ガタン、と何かが倒れる音がした。何事かと思い、ぱっと目を開ける。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、


「ア、 アル……!」


 驚きに目を見開いた、最愛の人の姿だった。


「レーナ……」


 やっぱり、僕も死んだのか。

 そう思った直後に語られた事実は、摩訶不思議なものだった。


「し、心配したんだよ、アル! 軌道エレベーターで海上プラットフォームに落着して、事態を把握した救急隊が駆けつけて、あなたと、その……完全に機能を停止したトニーを回収したの。それから三日間、意識を取り戻さなかったから、本当にこのまま死んじゃうんじゃないかと……」

「ちょ、ま、待ってくれ、レーナ」


 僕は首を上げて、レーナに顔を近づけた。


「僕は死んだんじゃないのか?」

「何言ってるの、アル! あなたは生きてる! 生きてるじゃない! ほ、ほら!」


 レーナはさっと手を伸ばし、僕の右の拳――まだ金属部品が露出しているが――を握りしめた。

 確かに、感覚がある。僅かな、ピリピリという痛みを伴っている。痛みを感じるところからして、どうやらここは夢の世界ではないらしい。


 と、いうことは、天国である可能性もまた低くなる。根拠はないが、そんな気がした。


「本当に……僕は、生きてるのか」


 僕はゆっくりと上半身を起こし、ゆっくりと身体の感覚を確かめた。

 膝から下は感覚がない。腕の感覚も、ピリピリ感を除けば曖昧だ。

 その時、はっとした。


「レ、レーナ!」

「どうしたの、アル?」

「君は撃たれたんだ! トニーが狙いを外すとは思えない。君は殺されてしまって……!」

「ああ、それね」


 レーナはふっと、寂し気に顔を顰めた。


「射撃管制システムに異常が発生……。覚えてる? トニーが負傷した時の、彼の言葉」


 どうやらそれに救われたらしい、とレーナは呟く。


「私の心臓を撃ち抜く前に、肩甲骨にあたる金属板に弾丸が弾かれたらしいの。だから私は、命拾いしたのよ」

「そう、なのか」


 涙を手の甲で拭いながら、レーナはこくこくと頷いた。


「ところで、僕たちはどうやって助かった? 身分はどうなった? いや、ここはどこだ?」

「いっぺんに訊かないで」


 レーナは深呼吸をしながら、淡々と語り出した。


「まず、私はさっき言った通りね。軌道エレベーターの緊急降下に伴って、警備員さんたちが駆けつけてくれたの。幸い、ミヤマ博士の思惑は知らされていなかったから、すぐに救命措置を施されて、助かった」


 僕は『そうか』と呟いて、ぽすんと横たわった。


「あなたが助かったのは、トニーのお陰。彼の内蔵組織がクッションになったようなの。あとは、エレベーターが落着直前にジェット噴射をした、っていうこともあるわね。緊急落着時の衝撃軽減のために、取り付けられていたみたい」


 僕は天井を見上げたまま、ふうっ、とため息をついた。そういう偶然や必然が折り重なって、今の僕たちがあるわけか。


「で、身分は?」


 レーナは目を合わせ、ゆっくりと頷いた。


「トニーの記録端末内のデータと、惑星面基地やスペースプレーン、それに軌道基地が調査されて、私たちのことが公にされたの。私たちのような、違法労働をさせられるために造られた人造人間がいる、ってね。もちろん、ミヤマ博士が存命だったら証拠は残されなかっただろうけど。でも、世論は大荒れよ。今じゃ、外宇宙開発委員会の高官たちは、半分以上が左遷されてる」

「なるほど。それで、ここは――」


 僕はレーナの背後、大きな窓に目を遣った。清涼感溢れる光が、燦々と差し込んできている。

 僕がそっと手を翳すと、レーナがベッドわきのリモコンを操作した。窓の周囲の壁面がスライドし、視界いっぱいに白と水色からなる光景が映し出される。


「南極よ」

「南極?」

「ええ。私たちに提供された、地球での居住空間。それが旧世紀に建設された南極基地を手直ししたものなの」

「レーナ、私『たち』ってどういう意味だ?」

「ああ、言い忘れていたわね」


 レーナは首から提げた面会許可証を掲げてみせた。


「レーナ・カーチス……。ってまさか君、フレディさんの?」

「そう。フレディ・カーチス警備主任の奥様が、養子として引き取ってくださったの。三歳になる娘さんとも、上手くやってるわ」

「それは……」


 すると、レーナは小首を傾げた。


「どうしたの、アル? 浮かない顔をして」

「だって考えても見ろよ。フレディさんは、僕たちを救うために亡くなったんだ。それなのに、遺族が君を家族として迎え入れるなんて」

「そうね、普通だったら考えにくいかも。でもね、アル。奥様はフレディさんのご遺志を理解してくださったの。子供たちを守る立場の人間でいたい、っていうお考えを」


 僕は自分の意志とは無関係に、目尻が熱くなるのを感じた。

 あんな辺境の星にさえ、僕たちの身を心から案じてくれる人がいたのだ。

 僕が必死に涙を止めようとするのを、レーナは黙って見守っていてくれた。


「それで、私はカーチスさん一家と南極に引っ越してきたの」

「で、でも……。どうして南極なんだ? 地球にはまだ何十億もの人々が住んでる。何故南極を居住地に選んだんだ?」

「そ、それは……」


 ここで、初めてレーナが言い淀んだ。すっと目線が逸らされるのを、僕ははっきりと見た。


「この星はね、アル。あなたが思い描いていた、水と緑の惑星ではないのよ」


 自分の眉根に皺が寄るのが分かった。


「どういう意味なんだ、レーナ?」

「この星のほとんどの陸地と海洋は、動植物の生育には向かなくなってしまったの。人間も含めてね」

「そ、そりゃあ――」


 再び『どういう意味なんだ』と言いかけて、僕は思い出した。

 軌道エレベーター落着直後、投げ出された僕の視界に映った光景。

 大量の排気ガス、止めどない工業廃液。自然物など、どこにもなかった。博士のラボ直通の、あの自然空間の方がよっぽど自然に近かった、ということか。

 最早、何が人工物で何が自然物なのか、さっぱり分からない。

 ただ一つ確かなのは――。


「僕たちは人間紛いの人工物、ってことか」

「えっ?」


 レーナは微笑みながら、しかし慌てるのを隠せずに僕の顔を覗き込んだ。


「何言ってるのよ、とつぜ――」

「僕たちは、生きていていいんだろうか」


 憧れだった地球の現状を知り、また、僕たちのようなサイボーグ、アンドロイドの製造計画は中止に追い込まれるだろう。

 となれば、僕たちに一体何の生存価値がある?


 僕が虚ろに視線を彷徨わせていたその時。とんでもない事態が発生した。

 

「アル」


 短く呼びかけられ、レーナの方へ顔を向ける。さっと僕の両頬が、彼女の柔らかい両の掌に挟まれる。そして唇に、レーナのそれがそっと重ねられた。


 どんな感覚だったかなど、知りようもない。だが、その感覚は、僕に『許し』を与えてくれているように感じられた。

 僕はこの星で、生きていてもいいのだと。


 すると、一度落ち着いたはずの涙腺の堰が再び崩落した。

 地球は僕の憧れを、見事に裏切ってみせた。だが、僕には、愛し愛される存在がいる。その時間を共有できるということこそが、『生きている』ことなのではないだろうか。


 僕が号泣し、そして泣き止むまで、レーナは僕の背中を擦ってくれていた。

 それ以上の愛情表現。そんなもの、僕には思いつかなかった。

 もし永遠に思いつかなかったとしても、僕はレーナを愛している。それだけは変わらない。

 彼女の、コバルトブルーに輝く瞳と共に。


 THE END

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瞳の中のコバルトブルー 岩井喬 @i1g37310

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