駐車場の人食い自動車(2/2)

2/2

「うわああああ?!」


 哲作は逃げ出した。

 向こうはオモチャのくせに妙に速い。大会ならレギュレーション違反レベルだ。


 たちまち追いつかれ、自動車模型はピラニアめいて哲作に群がった。

 哲作は全身のあちこちを噛み付かれ、鋭い苦痛に悲鳴を上げた。


「ああああ! ああああ!」


 哲作はよろけながらめくらめっぽう走り回り、非常階段から足を滑らせて転げ落ちた。


 地階の非常階段出入り口から出たところに粗大ゴミが放置されている。

 哲作は無我夢中でその中からバケツを掴み、中に溜まっていた雨水を頭から被った。


 模型自動車の内部に水が入り、電池がパチパチとスパークした。

 哲作の全身にしがみついていた模型自動車は動きを停め、やがて窒息死したかのようにばらばらと地面に落ちた。


 しぶとく生き残っていた数台を手で引き剥がして床に投げつけ、血まみれの哲作は車道に向かって走った。


 すぐにヘッドライトが哲作を射抜いた。

 先ほどの軽自動車二台を先導に、食事を終えた他の車たちがアクセルを入れてこちらに走ってくる。彼らの餓えは少しも満たされていないようだ。


 ブオン! ブオン!

 パーッ! パーッ! パーッ!


 団地の入り口からは模型自動車の群れが迫っている。


 哲作は団地の向かいにある廃車置場に逃げ込んだ。

 うずたかく積み上げられた廃車があちこちにそびえ、古タイヤの山が黒煙を上げて燃えていた。


 追って来るクラクションとエンジン音にせっつかれながら、廃車の迷路をネズミのように走り回った。

 自分がどこへ向かっているのかもわからない。

 そしてとうとう、三方を廃車に囲まれた行き止まりに追い詰められた。


「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……!?」


 絶望的な面持ちで振り返った。口を開いた人食い自動車、模型自動車が哲作に迫った。

 ヘッドライトの冷たい光が敵兵を発見したサーチライトのようにいっせいに哲作に向けられる。


 一巻の終わりであることを哲作は悟った。


 自分はこんなわけのわからない死に方をするのか。この世のものでないあの怪物ども食いちぎられて、排気口からクソになってひり出されるのか。

 この人生は一体なんだったんだ……?


律子りつこ……」


 哲作は思わず亡き妻の名を呼び、結婚指輪を撫でた。


 パーッ! パーッ! パーッ!

 人食い自動車たちが咆哮し、いっせいに飛びかかってきた……そのとき!


 ブォォン!

 力強いエンジン音と共に、群れの中から真っ先に一台の乗用車が飛び出してきた。


 黄色いミニバンだ。ミニバンは口でさっと哲作の首根っこを咥えると、フレームを軋ませながら急角度のUターンを決め、人食い自動車の隙間へと飛び込んだ。


 鋭角なカーブで車のあいだをすいすいとすり抜け、ミニバンはたちまち包囲を突破した。


 泡を食った他の人食い自動車たちはUターンし、ミニバンの後を追った。


 驚いていたのは哲作も同じだ。口をぱくぱくさせる哲作に対し、ミニバンはいったん停止し、運転席のドアを開いた。

 乗れと言っているのだ。


 哲作が無我夢中で乗り込むと自動的にドアが閉じ、ミニバンはロケットスタートした。


 ミニバンは廃車置場を飛び出し、道路に出た。


「お前……」


 哲作は車内を見回した。

 計器類は動かず、カーラジオは取り去られている。だがこのシートの心地良さは。見覚えのあるコーヒーの染みは。


「お前は……!」


 震える手でサンバイザーを開いた。

 そこには自分と妻の写った写真が挟まっていた。遠出したとき、観光地の寺で撮ったものだ。若いころの二人がこのミニバンのフロントに腰かけ、笑っている。


 このミニバンは数十年前、新婚時代に哲作が妻と金を出し合って買った車だった。

 新婚旅行、観光、ハイキング。二人一緒に出かけるときはいつもこの車だった。


 哲作は車体に宿る謎めいた力を感じた。


「助けに来てくれたのか……」


 ガシャア!

 突然、車体に衝撃が走った。追って来た人食い自動車が追突してきたのだ。


 ミニバンがバランスを崩してスピードを落とすと、すかさず別の車がリアバンパーに噛み付いてきた。

 もう一台、別の車が運転席のドアにかじりついた。


 急ブレーキをかけて踏みとどまろうとする二台を引きずったまま、ミニバンは走り続けた。


「頑張ってくれ! 頼む!」


 哲作は叫び、勝手に動くハンドルを握った。


(((生きて、テッちゃん)))


 病床に伏した妻、律子の最後の言葉が哲作の脳裏をよぎった。


(((生きて。人生でステキなものをいっぱい見つけて。いつかこっちに来るとき、あなたの思い出をいっぱいお土産に持って来てね……)))


「このままじゃ何にもあいつに持って行けねえじゃねえか……!」


 二台もの車に食らいつかれ、ミニバンはどんどん速度を落としている。

 だがそれでもあらん限りの力を振り絞り、エンジンを唸らせてミニバンは走り続けた。


「クソッ、クソッ……クソオオオオ!」


 哲作はミニバンを励ますようにアクセルを踏み込んだが、もはやどうにもならなかった。


 人食い自動車の群れが追いついた。


「オラアアアアアアアア!」


 そのとき突然、乱暴なシャウトが夜闇を切り裂いた。


 夜の闇から飛び出してきた人影が、ミニバンにかじりついていた車にドロップキックを放った!

 ドガシャアアア!


 の運転席ドアがちぎれ、かじっていた車はもろとも後ろに吹っ飛んだ。


「……?!」


 哲作は目を見開いた。


 そこに立っていたのは――車を一蹴りで吹っ飛ばしたのは、一人の男だった。

 黒い背広に赤いネクタイという姿の男なのだが、異様なのはその頭部であった。真っ赤な鶏冠トサカを持つニワトリの頭なのだ。


 ニワトリ男はすかさずその場から跳ね上がり、ミニバンにしがみついているもう一台の車に向かった。着地際に下段パンチ!


 グシャアアア!

 その一撃で車のフロントは踏み潰したティッシュの箱めいて潰れ、勢い良く血液めいたオイルを噴き出した。


 ニワトリ男は自分の首に手を当て、ゴキリと関節を鳴らして車の群れに向かい合った。そして地響きめいた大声で名乗りを上げた。


血羽ちばね家のブロイラーマンだァ! 血族けつぞくがいるなら名乗り出ろォオ!」


 ミニバンのフロントガラスがビリビリと震動するほどの声量で、哲作は思わず耳を塞いだ。


「ハ! 隠れてるつもりか。なら全部ブッ潰す!」


 一人つぶやいたブロイラーマンに、車の群れがクラクションを吠えていっせいに襲いかかった!


 すさまじい戦いが始まった。


 哲作は呆然とその様子を見ていた。ブロイラーマンが車の怪物たちを叩き潰し、引き千切って一方的に殺戮する姿を。

 それはこの世の光景とは思えない戦いであった。


「うおおおお!」


 メキメキメキ!

 ブロイラーマンは古い外車のエンジンフードを強引に開けた。

 バンパーに足をかけ、エンジンルームから鉄塊の心臓めいたエンジンを引きずり出す。オイルの血飛沫が噴き出した。


 パァァァ――――――ッ!

 車は悲鳴めいたクラクションの音を上げた。


 ブロイラーマンはエンジンをアスファルトに投げ捨てた。

 そのとたん、エンジンの排気筒からどす黒い排ガスめいたものが噴出した。

 ガスはどろどろと形を変え、怨念の籠もった人間の顔となった。


 その顔は苦しげに声を上げた。


「グググ……! 憑鬼ひょうき家のクリスティーン!」


 哲作は知る由もないが、彼らは血族と呼ばれる存在である。妖怪、魔女、獣人などとして伝承や民話に名を残している怪物の末裔だ。


 科学が万能の神となった今の世になってなお、血族は人に成りすまし、人類社会の影に息を潜めているのだ。


 ブロイラーマンは怒りを込めてクリスティーンに言った。


「事故車だとかのいわくつきの車に宿り、残留思念を利用して操作していたっていうのはテメエか。罪のない人々を殺した報いを受けろ」


「グオオオ……! 人間の生き血……絶望の思念! 餓える……乾く……もっと血が、絶望が欲しい……」


「ハ! もう正気じゃねえか。じゃあな。オラアア!」


 ブロイラーマンはエンジンを拳で叩き潰した。

 グシャア!


「ギャアアアアアア――――ッ!」


 かりそめの体を失った怨霊血族クリスティーンは魂を凍りつかせるような絶叫を上げて散り散りになり、消滅した。


 ブロイラーマンはふうと息をつき、手についたオイルを振り払った。

 そして哲作に振り返った。


「今夜のことは忘れろ。みんな悪い夢だ」


 そう言い残し、ブロイラーマンは闇に消えた。


 取り残された哲作は運転席を出ると、地面にへたり込み、呆気に取られたままそれを見送った。


 哲作はミニバンを見た。

 彼が売り払ったあと、どんな経緯を経てこの廃車置場にたどり着いたか、哲作には知る由もなかった。

 今は何の変哲もないただの廃車となっている。


 残留思念……あのニワトリ男が言っていた言葉を哲作は思い出した。


 哲作はミニバンの車体にそっと触れた。

 染み込んだ思い出が伝わってくるようだった。

 そしてその思い出の中には、いつだって律子が一緒にいた。


 哲作は意を決して立ち上がった。

 ドアの取れた運転席に身を寄せると、片手でハンドルを掴んだ。そして逆の手も使い、渾身の力でミニバンを押した。


 ミニバンはのろのろと前進した。


「まだ動くよなあ」


 哲作は汗を垂らしてつぶやいた。


「エンジンを直して、タイヤを変えりゃあまだまだイケるって……なあ?」


 途中、立ち止まって息を吐いた。


 人食い自動車たちに追い回されていたときの自分を思い出した。

 実際あのとき、自分は生きることに必死だったではないか? あんな力が自分に残っていたなんて思ってもみなかった。


 今からでも何とかなるんじゃないか……哲作はそう思った。


「……よし」


 哲作は額を拭い、再び力を込めてミニバンを押した。


「律子にたくさん土産を持って行ってやろうぜ。いつか、その日が来るまでさあ。俺とお前で、積めるだけ積んでってやろうじゃねえか……」


 哲作とミニバンの歩みは遅々としたものだ。その行く先はまったくの暗闇である。


 だが彼らは確実に前へと進み始めていた。



(駐車場の人食い自動車 終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編集 小膳 @kutoukozen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ