駐車場の人食い自動車(1/2)

 乙女川おとめがわ哲作てっさくの人生は今夜で終わりのようだ。


 音もなく霧雨が降る夜のことだった。


 黒いワゴン車が道路を走っている。

 半世紀前からシャッターが降りたままの商店街や、出入り口と窓に板が張り付けられた廃墟ビルなどが建ち並ぶさびれた街だった。


 ワゴン車に乗せられた哲作の両側には、背広姿の男たちが乗っている。いずれも暴力を生業とする者の殺伐としたオーラを漂わせていた。


「借りた金はなあ、返すのが筋だろう」


 哲作の右隣にいる闇金屋の社長は、哲作を拉致したときと同じ言葉を繰り返した。


「筋を通さないからこうなったんだぜ、乙女川さんよ」


 哲作は震えたまま何も答えない。よれたジャージを着た四十路の男で、酒の臭いをぷんぷんさせていた。


 ワゴン車は大通りを反れ、廃墟団地の裏手にあるだだっ広い駐車場に出た。

 アスファルトが割れて草が生え、廃車やスクラップが放置されている。


「ここ、大丈夫だろうな」


「ええ。夜は人ぜんぜん来ないんで」


「さっさと済ませましょうや」


 闇金屋たちは短く話し合い、哲作をワゴン車から引きずり降ろした。

 そして駐車場の片隅に停められた乗用車へと連れて行った。


 闇金屋社長が哲作にミネラルウォーターのペットボトルを渡した。

 封が切られてキャップが緩んでいる。睡眠薬が大量に入っているのだ。


 闇金屋部下がワゴン車から蛇腹式のダクトとダクトテープを持ってきた。

 それを乗用車の排気口に繋げ、もう一端を後部座席の窓に入れた。隙間をダクトテープでぴっちりと閉じる。


 闇金屋社長は乗用車の運転席ドアを開け、哲作を手招きした。


 哲作は一同を見回した。

 闇金屋たちはベルトに挟んだ拳銃をさりげなく見せ付けており、有無を言わさぬ態度であった。


 哲作が大人しく運転席に乗ると、闇金屋社長が金歯を向いて笑った。


「大抵はこういうときジタバタするもんだが……アンタ、本当にキモが座ってるよな。マジの男だぜ。生命保険で借金を返して、キレイな身で天国に行ってくれや」


 哲作はペットボトルを見つめた。あとはこれを飲むだけだ。


 残りの仕事は闇金屋たちがやる。


 このあと彼らがイグニッションキーを入れてエンジンをかけ、ドアを閉じる。排気が車内に逆流し、哲作は眠ったまま死ぬ。


 哲作の生命保険の名義人になっている闇金屋は、その金で酒を飲んで女を抱く。そしてこの世界は何も変わらず、今まで通りに続く。


 哲作にとってはもはや何もかもどうでもいいことだった。先に死んだ妻とあの世でもう一度会いたいという思いだけがあった。


(待たせちまったな。今、行くよ……)


 哲作が人生最後のため息をつき、意を決してペットボトルの中身を飲もうとしたそのときだった。


 ギュギギギ!

 突然、タイヤがアスファルトを切り付ける音がした。

 駐車場に停まっていた大型車が急発進し、哲作たち四人の前を通り過ぎて行った。

 車は急ターンし、駐車場出入り口を塞ぐように停車した。


「ア?!」


 闇金屋社長はさっと拳銃を抜いて身構えた。商売敵の待ち伏せか!?

 部下たちも同じように銃を抜く。


 そのとき、周囲に停まっていた車がいっせいに息を吹き返したかのようにパッ、パッとヘッドライトをつけた。

 まばゆい光に哲作たちは目を細め、騒然となった。


「な……何だ!?」


 ブオン! ブオン!

 パーッ! パーッ! パーッ!


 エンジンを空回りさせる音やクラクションの音が何重にも響き渡る!


 駐車場に放置されていた八台の車が動き出し、狼が獲物を取り囲むかのようにじりじりとこちらへ迫ってきた。


 闇金屋社長が車に向かって地響きめいた怒号を上げる!


「テメエらァ! こっちのバックにどこの組がついてんのかわかってんだろうなあ!?」


 だが車たちはいっさい躊躇せず、包囲の輪を狭めてくる。

 ドライバーは誰も降りて来ず、声を上げず、顔も出そうとしない。


 呆然と成り行きを見守っていた哲作は、そのときはっと気付いた。


(何だありゃ? 車が勝手に動いてる……!)


 自分たちを取り囲んでいる車はすべて無人なのだ!

 フロントガラス越しに見える運転席には誰も乗っていない!


 さらに眼を疑うようなことが起きた。

 彼らを取り囲んだ車のフロントがメキメキと音を立てて割れ、上下に広がった。そして鉄の牙がずらりと並ぶ、ワニめいた口を開いた。

 真っ赤な口の中から舌が伸び、涎を撒き散らす。


 その場の全員が呆気に取られた。


「……え?!」


 鉄の獣と化した車たちはいっせいに闇金屋に飛びかかった。

 そしてインパラを食らうライオンのごとく食らいついた。


「「「ギャアアアアアアア!!」」」


「ああ……うん?」


 哲作は目の前で何が起きているか理解できず、気の抜けた声を上げた。

 何もかもテレビでも見ているように現実感がない。


 哲作の目の前で、三台の車が闇金社長の手足に噛み付いている。


「あああ! ああ! ああああああああ!!」


 ブチブチブチ!

 キャンバス布を引き裂くような音を立てて、闇金社長の体はバラバラに引き裂かれた。


 フロントを血で染め上げた車たちは、噛み千切った肉をうまそうに貪り食った。他の闇金屋部下たちも同じく貪り食われていた。


 おこぼれにありつけなかった二台の車が哲作に気付いた。乗用車とピンクの軽自動車だ。

 二台はターンし、哲作に向かってきた。


 哲作はとっさに車の運転席ドアを閉じようとしたが、軽自動車が先にドアにかじりついた。 

 メキメキという音を立ててドアが潰れ、そしてちぎり取られた。


「うわああああ――――ッ!」


 哲作は助手席に移り、そちらのドアを開けて車外に転げ出た。


 それまで漠然と抱いていた死への願望は煙のように吹っ飛んでいた。

 睡眠薬と排ガスという生ぬるい方法でなく、怪物に生きたまま食われるというリアルな死を目の当たりにした恐怖が、哲作の生存本能を呼び覚ましたのだ。


 ブオン! ブオン!

 パーッ! パーッ! パーッ!


 猛り狂うかのように激しくヘッドライトを点滅させ、二台の人食い自動車は追って来た。


 駐車場は一方を工場の壁、二方向を廃墟工業団地の壁面に囲まれている。

 通りに面した方向の出入り口は人食い車に塞がれている。


 哲作は団地の壁を見やった。

 二つの棟のあいだにわずかな隙間があり、その入り口はフェンスによって塞がれている。

 哲作は長年の不養生でガタガタの体を引きずり、必死に団地の隙間のフェンスに向かって必死に走った。


 フェンスはボロボロで枠から取れかけている。

 哲作はその隙間に身を潜り込ませてくぐった。


 ガシャア!

 振り返ると、先ほどの車二台がフェンスを突き破って路地に入ってきた。

 車体に対して路地の幅が少し足りないが、若干車体を斜めにすることで強引にねじ込んでいる。


 大きな口を開き、涎でぬめった牙を見せ付けている。

 車たちは餓えていた。猛烈に人肉に餓えていた。


「これは……夢だろ?! 俺は悪夢の中にいるんだよな!」


 哲作は誰かに同意を求めるかのように叫んだ。

 ふらつきながら必死の思いで路地を抜けると、工業団地の中庭に出た。


 この団地は工場が閉鎖されて以来、ずっと放置されているようだ。どの窓も真っ暗だった。


 パーッ! パーッ! パーッ!


 二台の車がクラクションを鳴らし、車体を壁に擦りながらこちらに向かってくる。


「ヒイイ!」


 哲作は悲鳴を上げながら一番近い団地の入り口に飛び込んだ。


 階段を駆け上がる途中、振り返った。

 二台の人食い車は押し合いへし合いしてどうにか団地内に潜り込もうとしているが、車体に対してあまりにも狭すぎた。


 哲作は闇雲に廊下を走り回り、やがてその場にひざまずいた。


「ハァーッ、ハァーッ……」


 目の前の光景がぐるぐる回っている。それは久々に全力疾走したからだけではあるまい。

 懐に手をやったが、スマートフォンは闇金屋に取り上げられてしまっていた。


 このあたりの工業地帯は夜になるとまったくの無人になる。誰かが偶然通りかかるということもないだろう。


 廊下にうずくまった哲作は、ただひとつ手放すことの出来なかった財産、結婚指輪を指で撫でた。


 なぜこうなったのか哲作は考えた。


 妻がこのまちに蔓延する公害病、霧雨病で死んだあと、哲作は酒びたりの生活になった。


 会社は酔ったまま出勤してクビになった。酒を買う金を作るため、あるものは全部売った。

 新婚時代、共働きの妻と金を出し合って買った大切な愛車まで手放した。


 酒を飲んでいるうちに日々が過ぎて行った。

 表通りの金融屋から融資を断られると、闇金から金を借りるようになった。

 借金はどんどん膨らんでいった。


 そしてあの闇金屋たちが取り立てにやってきた。

 闇金屋は哲作に返済能力がないとわかると、保険金の受取人を自分たちに変更してから、彼に自殺を強要した。


 哲作はすべて流されるまま受け入れた。もうどうでもよかった。


 貧困家庭に生まれ、辛酸を舐めて育った哲作は、妻と出会って初めてこの世界を許すことが出来た。

 自分をさんざんに踏みにじり、ありとあらゆる辛苦を与えてきたこの世界に「ま、チャラにしてやるよ」と言ってもいい気になれた。


 そして世界は哲作に唯一与えた祝福――愛妻を奪い、今こうして人を食らう車の群れのど真ん中に放り出した。


「ジョークかよ。ハハハ……」


 哲作は笑い、そして泣いた。

 無性に込み上げた怒りのおもむくままに拳でコンクリートの床を何度も殴り、世界に向かって叫んだ。


「笑えたか、おい! まだ笑わせて欲しいのかよ、ええ?!」


 シュイイイイン……

 小さな音がし、哲作ははっとして顔を上げた。


 その音の発生源は、廊下の角を曲がって現れた。

 それは掌に乗る程度の大きさの自動車模型だった。プラモデルのように自作するタイプで、哲作も小学生のころに持っていた。

 搭載した小型モーターの音を静かに立てている。


 哲作は呆気に取られた。


(子どもが遊んでいるのか? こんな時間に? 廃墟で……?


 哲作が見ている前で、自動車模型のフロントがパキパキと音を立てて広がった。

 ギザギザの小さな歯が生えた口が開き、真っ赤な舌が伸びた。


 哲作は弾かれたように立ち上がった。


「マジかよ……」


 シュイイイイイン!

 大量のモーター音! 角から自動車模型が何十台も飛び出し、いっせいに哲作に押し寄せてきた!

 いずれも獰猛な肉食獣めいた口を開いている!

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