野良犬たちの戦争(2/2)

***



 数分後。


 ガシャア!

 大きな音とともに、薬品庫の鉄のドアが大きく歪んだ。


 オーガスキンがもう一度拳を叩き付けると、ドアは破られた。


 灰蔵が庫内奥に座り込んでいる。オーガスキンはそれを見て楽しげに眼を細めた。


「鬼ごっこに、的当てに、今度はかくれんぼかァ」


「バケモンめ! 食らえ!」


 灰蔵はホースを手に取り、逆の手で蛇口をひねった。ホースの口から激しく水が噴き出し、オーガスキンにかかる。


 オーガスキンは微動だにせずに水を全身で受けた。追い詰められて灰蔵がトチ狂ったと思ったのだろう。


「ハハハ! 水遊びも追加か? ハハハハハ!」


 そのとき、棚の影に隠れていたチリが薬品容器の中身をオーガスキンにぶちまけた。白い粉末である。


 オーガスキンは人間離れした鋭敏な感覚を持っている。もちろん灰蔵の他にチリがいることはわかっていたし、その気になれば薬品をかわすこともできた。


 だがオーガスキンはそうしなかった。彼の皮膚は銃弾でも受け付けない。それを見せつけ、どんな攻撃も無意味だと人間たちに見せつけ絶望させて楽しみたかった。


 そしてその思い上がりこそ、チリの思う壺だった。


 粉末を浴びたとたん、オーガスキンはその場に倒れて転げ回った。苦痛の悲鳴を上げる。


「ギャアアアアアアアアアアアア!?」


 オーガスキンの全身がジュウジュウと音を立てながら白煙を上げている。


 チリがぶちまけたものは苛性ソーダである。強アルカリの苛性ソーダは水と反応し物質を溶かすのだ。石鹸の材料でもある。


「うおおお!」


 皮膚という装甲が溶かされている今なら! チリは拳銃をオーガスキンに向けて立て続けに引き金を引いた!

 バン! バン! バン! バン! バン! バン!


 その瞬間、すさまじい勢いでオーガスキンの右手が動いた。


 呆気に取られたチリの目の前で、オーガスキンは握り込んだ右手を開いた。掴み取られた銃弾がカチン、カチンと音を立てて床に転がった。


「ハァァーッ……!」


 オーガスキンは怒りに満ちた目をチリに向けた。その全身の皮膚は一時的に薬品に焼かれ溶け落ちていたが、みるみるうちに再生し、再び元通りになって行く。驚異的な再生力であった。


 オーガスキンは首に手を当てて関節をゴキリと鳴らし、笑った。


「ハッハッハ。楽しかったぜ!」


「……!」


 チリは引き金を引いた。撃鉄がカチンと空の薬室を叩く。


 万事休す。


 オーガスキンはぐいとチリの胸倉を掴んだ。チリのつま先が床を離れて吊り上げられる。


 チリの眼には恐怖はあったが、覚悟もあった。追い回された挙句に食い殺されるネズミではなく、戦士として死ねるというある種の満足感があった。


「なあ、灰蔵。俺さ、いつもイジメられててさ。殴られて家に帰ったとき、いつも泣いてた。いつも何にもできないまま負けてばっかりでさ……」


 チリはオーガスキンの眼を見ながら灰蔵に言った。


「でもさ、今わかった。負けは負けでも、やるだけやって負けるんならスッキリするんだな」


 灰蔵はニヤリとした。


「おめえは大したヤツだよ、チリ」


 オーガスキンはペロリと舌なめずりをし、少し考える素振りを見せた。


「お前、こっちにつかねえか? 殺すのが惜しくなったぜ」


 その申し出に一瞬迷ったが、チリは吐き捨てるように答えた。


「お断りだ!」


「そうかい。残念だ! じゃあな!」


 オーガスキンがチリの頭に逆の手を被せた。そしてチリの頭を握り潰そうとした、そのとき!


 ドゴォオオ!

 突然、薬品庫の壁が突き破られ、大穴が開いた。その場の全員の目がそちらに行く。


 オーガスキンはチリを放り出した。


「な……何だ?」


 もうもうと舞い上がる埃の中から現れ、倒れた薬品棚を踏み越えて来たのは、異形の人影であった。それは黒い背広に赤いネクタイの男だったが、チリを仰天させたのはその頭部だ。真っ赤な鶏冠トサカを持つニワトリのものなのだ。


(怪物!? オーガスキンの仲間!?)


 チリは一瞬そう思ったが、しかしそのその男がオーガスキンに向けた眼は、すさまじい怒りと殺意をたたえていた。


 ニワトリ頭の男は言った。


「血羽家のブロイラーマンだ」


「お前……!?」


 オーガスキンはブロイラーマンに向き直って名乗り返した。


「朽犬家のオーガスキン!」


 チリたち人間が知る由もないが、彼らは血族けつぞくと呼ばれる存在である。妖怪、魔女、獣人などとして伝承や民話に名を残している怪物の末裔だ。科学が万能の神となった今の世になってなお、血族は人に成りすまし、人類社会の影に息を潜めているのだ。


 血族は名乗られたら名乗り返す。これは彼らがお互いの家名をかけて戦っていた大昔の名残である。


 オーガスキンはブロイラーマンに人差し指を突きつけた。


「お前の噂は聞いてるぜ。血族を殺して回ってるサイコ野郎だそうだな! 何しに来た」


「お前みたいな害獣の殺処分が俺の仕事だからだ」


「遊び相手に困らねえ日だなあ! アハハ! 嬉しいぜ!」


 オーガスキンはブロイラーマンに飛びかかった!


「グオオオーッ!」


 横薙ぎに振られた腕の一撃をブロイラーマンは身を伏せてかわした。同時にオーガスキンの腕を掴み、相手を背負い投げの要領で床に投げ落とした!

 ドゴォ!


 ブロイラーマンは拳を振り上げた。すさまじい力がその拳一点に集中する。


「オオオオラアアアアアアアアア!!」


 仰向けに倒れたオーガスキンの左胸に拳を落とす!

 ドゴォ!


 どんな攻撃も効くわけがない……明らかにそう高を括っていたオーガスキンは、目を見開いた。


「グワーッ! アバッ、アバッ、アバーッ!!」


 オーガスキンは胸を抱えて悶えた。鋼の皮膚をもってしても防げない、すさまじい衝撃に貫かれたのだ。


 ブロイラーマンは再び拳を振り上げた。


「オオオオオオ……」


「あああああ! やめろ! やめろ!」


 ブロイラーマンが命乞いに取り合うことはない。拳を振り下ろす!


「ッラアアアアアアアアアアアア!」


 ドゴォオオオオオオ!

 ブロイラーマンの拳がオーガスキンの左胸を貫通し、床まで達した。


 心臓を潰されたオーガスキンは体をくの字に折り、大量の血を吐いた。


「ゴボッ……! ゴボボッ……」


 そしてそのまま動かなくなった。


 ブロイラーマンはズルリと腕を引き抜いた。


 パチッ。

 小さなバネの音にブロイラーマンは振り返った。


 チリがナイフを取り出し、構えた音であった。チリは破れかぶれになって叫んだ。


「タダじゃ殺されねえぞ!」


 ブロイラーマンがチリに向けた眼には、不思議な感情が込められていた。それは自分と同じ、腹を決めた者への敬意だったのだろうか。


 ブロイラーマンは何も言わず、自分が開いた穴から出て行った。


 チリはナイフを構えたまま身動きすることが出来なかった。しばらくするとナイフを下ろし、灰蔵を引きずって車へと戻った。


 乗用車のほうが消えている。戌亥が乗って逃げたに違いない。


 チリはワゴンに乗り込み、工場を出た。



***



 馬路町通り。


 チリは灰蔵を闇医者に届けたあと、KILL‐DEATHの溜まり場になっているショッピングモールの廃墟へ向かった。


 廃墟の中ではドラム缶に火が灯され、戌亥が若いギャングたちに何かを怒鳴り散らしていた。ギャングたちはおびえてすっかり縮こまっている。戌亥はオーガスキンから逃げ帰った恥辱を晴らそうとしているのだろう。要するに八つ当たりだ。


 チリは戌亥に声をかけた。


「戌亥」


「ア?!」


 戌亥は振り返り、らんらんとした目でチリを睨んだ。


「何だテメエ、生きてたのか。っつうか今よ、お前俺を呼び捨てにしたように聞こえたがなァ」


 チリは相手によく聞こえるよう、はっきりと言った。


「戌亥、失せろ」


「ア?」


 チリは構わず戌亥に詰め寄った。


「戌亥、テメエは弱い相手にしかイキれねえ負け犬だ。反撃してくる相手には何にも出来ねえビビリのクズめ」


 とたんに戌亥の眼が狂気を帯びた。


「しゃあテメエコラア! おお?!」


 戌亥は喚き声を上げて拳銃を抜き、チリの額に押し当てた。


 だがチリはひるまなかった。むしろ怒りを込めて相手を睨み返した。


「テメエの本性はもうバレてんだよ」


 睨み合いが続くうちに、やがて戌亥の眼の中に戸惑いが生まれた。チリは戌亥をまったく恐れていなかった。チリは狂犬の皮を被った戌亥の負け犬の本性を見ていた。


 チリはその瞬間、思い切り戌亥を殴った。生まれて初めて人を殴ったが、まったく容赦のないパンチだった。


「オラアア!」


 ドゴォ!


「グア?! テ、テメエ……」


 戌亥は必死にやり返した。だが明らかにチリに気圧されていた。


 このクズ野郎は仲間を見捨て、友人を撃った。怒り狂ったチリは執拗に戌亥を殴り続け、とうとう床に殴り倒した。

 ドゴォ!


 他のメンバーは誰もが呆気に取られていた。あのいつもオドオドとしていて、年下のメンバーにすらナメられていたチリが、戌亥に真正面から立ち向かっているのだ。


 戌亥はとっさに銃を拾い上げようとしたが、チリが渾身の力を込めて戌亥の脇腹を蹴り上げた。


「ゲエッ!」


 戌亥は胃液を吐き出し、腹を抱えて転げ回った。


 チリは銃を拾い上げ、戌亥の右膝を躊躇なく撃った。灰蔵が撃たれたのと同じ足を。

 パァン!


「ああああ!」


 続いて銃口を戌亥の眉間に向ける。戌亥は恐怖に顔を歪め、両手で顔を守った。


「ゴボッ……やめろ!」


「そりゃ俺に命令してんのか? ア!?」


 チリが歯を剥き出して怒鳴ると、戌亥は恐怖の虜となった。ヒッと悲鳴を上げ、周囲のメンバーに喚き散らした。


「お前ら! 何してんだ、そいつを殺せ!」


 回りのメンバーは誰も動こうとしない。ビビりきった今の戌亥の姿を見て、誰もが手品の種を明かされたように白けたような顔をしていた。


 彼らは戌亥をゴミでも見るかのような目で見下ろして言った。


「お前、百人が相手でも退かねえ自信があるって言ってたよな?」


「ケンカ最強とか言ってたのによ。ダッセえ」


 チリは戌亥を一瞥すると、メンバーに冷酷に命じた。


「そいつを他所のギャングの縄張りに捨てて来い。俺たちが始末するまでもねえ」


 異論を唱えたり、逆らったりする者はいなかった。誰もがかつてチリが戌亥を見るような目で見ていた。


 彼らはみな悟っていた。KILL‐DEATH馬路支部の新たなリーダーが誰なのかを。



(野良犬たちの戦争 終)

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