野良犬たちの戦争(1/2)

「それはまだ出すな」


 散助ちりすけ、通称チリは仲間に言われ、自分が手の中で無意識のうちに拳銃をもてあそんでいることに気付いた。


 それは小型だがずっしりと重く、硬かった。薄暗い車内で鈍い銀色に光っている。


 チリは拳銃をスウェットパンツに差し、上着を被せて隠しながら仲間に言った。


「この重さに慣れなくてさ……」


「わかるぜ。最初は気になるよな」


 仲間は同情にも似た同意を示した。


 彼らを乗せたワゴン車は工業地帯を走っている。音もなく霧雨が降る夜であった。空は雨雲に包まれて星も月もなく、果てしない暗黒が広がっている。


 チリはワゴン車の真ん中の座席に座っている。車内には彼を入れて計五人のギャングメンバーが乗っていて、チリに話しかけてきたのは隣に座っている灰蔵はいぞうだ。


 チリは不安げな顔で銃を差した懐に手をやり、灰蔵に聞いた。


「なあ、こんな拳銃だけで大丈夫かな。だって向こうの警備だってみんな持ってるんだろ。マシンガンとかショットガンとかをさ……」


 そのとき、後部座席に一人で陣取って座っていた男が、どんとチリたちの座席を蹴った。


「なーにコソコソ話してんだ、お?」


 威圧の込められた声にチリは振り返り、愛想笑いして答えた。


「あ……何でもないッス」


「何でもないッスじゃねえ。おい、ビビったか? どうなんだ? あ?」


 後ろの男は体を起こした。そして後ろからチリの首に腕を回し、締め上げた。生易しい力ではなかった。


 チリは息苦しさに悶えた。すぐ隣には男の顔があり、暴力に餓えてらんらんと光るその眼があった。チリは震え上がった。


「いえ……」


 そのとき、運転手がびっくりするほど大きな声を上げた。


「ついたぜ!」


 後ろの席の男が腕を離した。


 チリが咳き込みながら前を見ると、フロントガラス越しに大きな工場が見えた。機械が稼働する音がし、灯りがついている。化学薬品の臭いが漂っていた。


 ワゴン車が裏手の目立たない路上に停まり、男五人たちはぞろぞろと車を降りた。全員汚染物質まみれの霧雨避けに防霧マスクをつけている。


 さらにワゴン車を先導していた乗用車からは、分乗していたメンバー三人が降りた。合八人、全員が十代の若者だ。


 一同は工場の裏口に回った。表向きは化学薬品の工場だが、実態はヤクザが経営する麻薬工場である。今夜、チリたちはあの工場を燃やすためにやってきた。


 チリは数ヶ月前にこのギャング、KILL‐DEATHキルデスに入ったばかりだ。


 きっかけは入ったばかりの高校に馴染めず、同級生にいじめられたことだった。毎日殴られ、金をせびられた。教師は見て見ぬふりをし、周囲も巻き込まれるのを嫌がって無視した。


 チリは耐え切れず、幼馴染の灰蔵を頼ってKILL‐DEATHに入った。ギャングメンバーならいじめられないと思ったのだ。


 麻薬のデリバリーや街頭の売人など見習いの仕事をこなし、そしてチリは今夜、正式な入団テストを兼ねたこの仕事に同行することになった。


 KILL‐DEATHの後ろ盾ケツモチあばら組というヤクザだ。肋組は自分たちと敵対している犯罪組織、血盟会の偽装麻薬工場を潰せとKILL‐DEATHに命じた。


 KILL‐DEATHの大ボスはこの仕事をチリの地元、馬路ばろ通りにある支部のメンバーに任せた。KILL‐DEATH馬路通り支部のボスはチリの首を絞めたあの男で、名を戌亥いぬいと言う。


 戌亥は何度も補導されている危険な男で、キレたら何をするかわからないと評判だった。顔付きからして狂犬めいていた。他の多くの少年たちと同じく、チリも戌亥を恐れていたが、同時に憧れも持っていた。


 戌亥は仕事前にテンションを上げるため、麻薬を鼻から吸い上げている。チリはその姿を映画のヒーローを見るようなうっとりした目で見つめた。


(俺もあんなふうに何にも恐れない男になりたいなあ)


 工場は高い壁に囲まれている。ワゴン車の屋根に上がり、双眼鏡で工場内部を調べていたギャングメンバーが不思議そうに言った。


「あれ……? おかしいぜ。見張りがいねえ」


 戌亥が唾を吐いた。


「ヘッ! どっかでサボってんだろ。都合がいいぜ! 行くぞ!」


 ビールケースを持たされた。中身は火炎瓶である。それを抱え、震えながら仲間のあとをついていく。


 仲間たちのチリを見る眼は冷ややかである。チリはいつもオドオドと他人の顔色をうかがっている。スウェットの上下にスカルキャップというギャングファッションも着慣れていない。


 そんなチリを見かねたらしい灰蔵が、彼の肩を叩いて言った。


「大丈夫だって、見張りがいねえなら銃の出番はねえし。あとは従業員を追い出して、火をつけて、そんで帰るだけだ。簡単だ」


 チリは精一杯の笑顔で親友に応じた。


 灰蔵は幼いころから一番の友達だった。灰蔵が中卒後ギャングに入ってからはしばらく疎遠だったが、友情が消えていなかったことにチリは励まされた。


 八人は工場に入った。


 大きなタンクが並び、壁をたくさんのパイプが縦横に走っている。鼻をつく薬品臭が立ち込めていた。


 戌亥がいきなり天井に向かってサブマシンガンを発砲した。

 パララララ!


「ヒイッ!?」


 防護服とマスクをつけた従業員たちが驚いて振り返る。


「一分以内に出てけ、テメエら! 一秒でも遅れたら蜂の巣だ!」


 従業員たちは顔を見合わせ、震えるばかりだ。


 とたんに戌亥が狂犬めいた雄叫びを上げ、手近な従業員を銃で殴った。

 ドゴォ!


「ああ!」


 さらに倒れた従業員に何度も蹴りを入れた。


 チリはその容赦ない暴力を目の当たりにしたショックで、思わずビールケースを床に落としてしまった。

 ガチャン!


 戌亥はさらに機械類にサブマシンガンを乱射!

 パラララララララララ!


 銃弾が跳ねて狂った鉄琴めいた音を上げた。従業員たちは爆竹を放り込まれたウサギ小屋のウサギのようにあたりを駆け回った。


「「「うわあああ! あああああ!」」」


「ハハ! ハハハハ! オラ、踊れ踊れ! 踊って逃げろ!」


 戌亥の眼は狂気に光っている。その眼がギロリとチリに向けられた。


「ボケっとしてんじゃねえぞ、チリ! 火をつけろ!」


「ヒッ! はい……」


 チリはびくっとして肩を跳ね上げた。


 幸いにも火炎瓶は割れていなかった。チリたちがビールケースから火炎瓶を取ろうとしたそのとき。


 いつの間にそこにいたのか。工場奥に若い男が一人、立っていた。チリたちと同じストリートギャング風のファッションだ。


 ポケットに両手を突っ込んだ男は歯を向いて笑った。


「よう! クソ仕事を押し付けられてクサってたところだ。歓迎するぜ」


「あんだテメェコラア! しゃあコラア!?」


 たちまち戌亥が狂ったように怒声を上げる!


 その男はそれにおびえた様子もなく、ニヤついて答えた。


「俺は鉄鬼てっき家のオーガスキン。ここの警備員として肋組に雇われてる」


「オーガスキン?」


 戌亥は嘲笑った。


「そりゃ自分で考えた名前か? アニメの影響か? ま、死んどけや!」


 パララララ!

 戌亥は躊躇なくサブマシンガンをオーガスキンに向かって発砲!


 その瞬間、オーガスキンは変貌した。人間の皮を内側から破るようにして筋肉が盛り上がって体が一.五倍ほども大きくなったのだ。そしてその皮膚はメタリックな黒金くろがね色に変わっている!


 ギン! ギン! ギン!

 オーガスキンの胴体に命中した銃弾は、甲高い音を立てて弾き返された。


「え? ……えっ」


 誰もが呆気に取られていた。


 オーガスキンは平然としている。彼は自分の破れたパーカーを見下ろし、銃弾によって開いた穴に指を突っ込んだ。


「あーあ……穴だらけだ」


 オーガスキンは狂笑した。その額には二つの角が生え、裂けた口にはずらりと牙が並んでいる!


「こんなガキどもを殺すなんてなァ。でも仕事だからなァ、しょうがねえんだよなあ! ハハハ! ハハハハ!」


「うわああああ?!」


 ギャングメンバーの一人がパニックを起こし拳銃を乱射!

 ダン! ダン! ダン!


 しかしオーガスキンはものともしない。硬い皮膚が銃弾を弾き返す!

 ギンギンギン!


 そのままオーガスキンは彼らに向かって突進した。ギャングの目の前に立つと、両手を組んでハンマーパンチを振り下ろす。

 ブン!


 それだけでギャングの体はトマトのようにグシャリと潰れた。血肉が飛び散る様子に、他のギャングたちはさらなる悲鳴を上げた。


「あああ! ああああ!」


 ギャングたちはめちゃくちゃに発砲を始めた。


 そのうちの何発かはオーガスキンに命中したが、甲高い音と共に火花を上げて弾き返された。オーガスキンの皮膚は鋼鉄のように硬く、銃弾を通さないのだ。


 オーガスキンが腕を振るった。

 ブオン! グシャア!


 ギャングの上半身が引きちぎれ、血と臓物を噴き出しながらチリの足元に転がってきた。半分になったギャングはしばらく唖然とした顔でチリを見上げていたが、すぐに死んだ。


 次々にギャングは殺されていった。チリは茫然自失としてその様子を見ていた。目の前で起きていることが到底現実とは思えなかった。


「うわああああああああ!」


 悲鳴を上げて逃げ出すギャングたちの姿を見て、オーガスキンは大笑いした。


「ハハハ! 逃げろ逃げろ! 狩りごっこだぞ!」


 ギャングたちは一目散に工場の出口を目指す。オーガスキンは恐怖を煽るかのように、ゆっくりした足取りでそれを追って来た。


 そのとき、戌亥が振り返って銃を構えた。チリはその姿に感動した。やはり戌亥は恐れを知らない男だ。怪物相手にだって退かないのだ!


 戌亥のサブマシンガンが勇ましく火を噴いた。

 パララララ!


「ああ!?」


 だが悲鳴を上げて倒れたのは灰蔵であった。足を撃たれた灰蔵は派手に転倒した。


 チリは信じられない思いで戌亥を見た。戌亥は灰蔵を一瞥したあと、一目散に逃げ出した。


 灰蔵を動けなくして囮にしたのだとチリは気付いた。


「あのクソ野郎!」


 吐き捨てたチリは急いで戻り、灰蔵に肩を貸して立たせた。


「足が! 痛えよォ!」


 泣き喚く灰蔵を引きずって工場の出口に向かう。


 先頭を走るギャングメンバーがやっと出口にたどり着こうとしたそのとき、頭上を大ジャンプで飛び越えたオーガスキンが出口前に立ちはだかった!


「バアーッ!」


 両手を振り上げたオーガスキンに、ギャングは悲鳴を上げた。


「あああああ!?」


 オーガスキンはその姿をひとしきり笑ったあと、ギャングの死体から奪った銃をこちらに向けた。


「ハハハ! よし、ハンデだ。こっちは眼をつぶって撃ってやるぞ」


「うわああああ!」


 ギャングたちは必死に来た道を戻った。


 パァン! パァン! パァン!

 背後で銃声がし、床や壁に銃弾が跳ねる。そのたびにチリはびくっと身を竦めたが、幸い一発も当たらなかった。


 薄目を開けたオーガスキンが大笑いした。


「アハハ! やっぱ当たらねえや!」


「あいつ、何でひと思いに殺さないんだ!?」


 灰蔵が上げた悲鳴のような声に、チリが叫び返す。


「遊んでやがるんだ! クソックソッ、何だよアレ! 何で、何でこんなことに……戌亥の野郎! あのクズ!」


 完全にパニック状態となったギャングたちは散り散りになって逃げ出した。オーガスキンはそちらに狙いを変え、チリたちを放置して追い始めた。


 灰蔵を引きずりながら工場内をめくらめっぽう逃げ回るうちに、チリは薬品庫を見つけた。


 鋼鉄のドアの鍵は開けっ放しになっていた。この手のずさんな管理は現場ではよく見られることだ。チリは薬品庫に転がり込むようにして入り、急いで中から鍵を閉めた。


 中は窓がなく、そこそこ広い。複数の棚があり、薬品の容器が並んでいる。一部は劇薬のようだ。


 チリは灰蔵を床に寝かせると、彼のベルトを抜き取り、足にきつく巻いて止血した。


 灰蔵は血で真っ赤に染まったバギーパンツを見ながら不安げに言った。


「死ぬのか、俺?」


「この程度で死ぬかよ」


「でも結局あの怪物に殺されるだろ! チクショー、なんなんだよあれ……聞いてねえよ……」


 チリとて暗澹たる思いであった。


(学校の教師も、同級生も、ギャングの戌亥も! みんな自分のことしか考えていないクズばっかりだ! 何でなんだ……)


 ちらりと灰蔵を見る。灰蔵だけは違った。ギャングになりたいと言ったときも快く話を聞いてくれた。他のギャングメンバーが冷ややかな目で見ていても、彼だけは励ましてくれた。


「あああ! ああ、ああ! ああああ……」


 工場のどこかで悲鳴がし、それはすぐに尻すぼみになって消えた。メンバーの誰かが殺されたのだ。その搾り出すような悲鳴は心底チリをおびえさせた。


 チリは必死に頭を振って弱気を振り払おうとした。


(いや、違う。今は……俺だ! 俺なんだ。俺が戦わなきゃ! 俺が灰蔵を助けなきゃ! たった一人の友達なんだ! でも、どうしよう……)


 チリは考えた。オーガスキンが諦めるとは思えない。かといって銃すら効かない相手にどう立ち向かえばいいのか。


 チリの眼はふと、棚に置かれたプラスチック容器に向けられた。バケツほどの大きさで、ラベルには劇薬注意と書かれている。学校の成績が良かった理系のチリは、その薬品の名前に見覚えがあった。それと廃油などを混ぜ合わせて自分で石鹸を作ったことがあった。


 チリは改めて庫内を見回した。ホースの繋がった蛇口がある。庫内に薬品がこぼれた場合に洗い流すためのものだ。


 不意に灰蔵が搾り出すように笑った。


「チリ、お前だけでも逃げろよ。別に恨んだりしねえ」


 チリは首を振った。


「いや、俺たちであの野郎を迎え撃つ!」


 灰蔵は不思議そうにチリを見た。友人がこんな表情を見せるのは初めてだったのだ。


「正気かよ?! あのバケモンにか?」


「ああ。お前の助けがいる」

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