凍えるほどにあなたをください

紫 李鳥

凍えるほどにあなたをください

 


 会社からの帰りだった。ふと、街路灯を見上げると雪がちらついていた。コートの襟を立てて足早に駅に向かっていると、屋台の赤ちょうちんが目に留まった。


 ……明日は休みだ。たまにはいいか。


 冷たい屋台椅子に腰を下ろすと、まず、かんを注文した。次におでん鍋を覗くと、大好物の大根、がんもどき、つみれを追加した。


 大根を食べている時だった。突然、おでんを作ってくれたことがある、別れた女の顔が浮かんだ。


 もう五年も前の話だ。一つ年上の彼女は、尽くすタイプで、結婚したらいい奥さんになるだろうなと思っていた。だから、彼女に不満があったわけではなかった。ただ、少し物足りなかった。


 刺激が欲しかった俺は、悪女風の女に目移りしてしまった。だが、そんな恋はすぐに終わった。それから何度か恋愛をしたが、どんな女とも長続きしなかった。もうすぐ三十になると言うのにまだ独り身だった。


 ……どうしてるかな。


 彼女のアパートには何度か遊びに行って、食事をごちそうになった。それと、ペアのマグカップでコーヒーを飲んだのを覚えている。


 別れ話を告げた時、彼女は何も言わず、年上の女の配慮を見せていた。


「……ごめん」


 俺は一言ひとことそう言って部屋を出ていった。


 ……引っ越してるよな。たぶん。



 気が付くと、丸ノ内線に乗っていた。中野坂上で下りると、記憶を辿たどった。


 ……確か、花屋を曲がったとこにあったはずだ。



 少し歩くと、見覚えのある光景が目に映った。そして当時のことが甦った。




「誕生日、おめでとう」


 ピンクのバラの花束をプレゼントした。


「ありがとう。……きれい」


 彼女はそう言って、微笑ほほえんだ。




 そこには、五年前と同じ表札があった。そしてカーテンの隙間からは明かりが漏れていた。俺は思いきってブザーを押した。


「はーい」


 ドアスコープを覗いたのだろうか、短い沈黙の後に、鍵を開ける音がした。そこに現れたのは、当時と同じように優しく微笑む彼女だった。


「突然来てごめん」


「……ううん」


 涙目になっていた。


「元気だったのか」


「ええ。寒いでしょ? 入って。食事してたの」


 彼女はそう言って目頭を押さえると、うまそうな匂いがする部屋に入れた。



 当時と変わらない、模様替えしていない部屋。食器棚には、俺が使っていたマグカップが伏せてあった。そして、卓上コンロに載った土鍋には、俺の好きなおでん種があった。






 俺の凍えた心をぬくめてくれたのは、終わったはずの恋だった。

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凍えるほどにあなたをください 紫 李鳥 @shiritori

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