トラブルロック ~ 早い密室、遅い殺人

小石原淳

早い密室、遅い殺人

 宍戸類斗ししどるいとは、二つ年下の堀田健二ほったけんじに酒を注いでやった。学生時代からの知り合いで、特別につるんでいた訳ではないのに、社会人になってからも何となく付き合いが続いてきた。今では、同じ調査会社の先輩と後輩だ。

「念を押すが、本当に頼まれてくれるんだな?」

 居酒屋の個室におり、会話を第三者に聞かれるはずはないのだが、つい、周囲に視線を走らせてしまう。宍戸はそんな自分に苦笑を覚えつつ、返事を待った。

「もちろんすよ。他ならぬ宍戸さんからの頼みなんすから」

 口調は軽い堀口だが、実は口の堅さには定評のある。加えて、十八歳を迎えるまでは、不良めいたことも多々経験していた。だからこそ、宍戸はアリバイ工作の協力者に彼を選んだ。

「宍戸さんが何をするかなんて、聞きゃあしません。俺が何をすればいいかだけ指示してくれれば、その通りにするっすよ」

 堀口から見れば、宍戸に恩を感じているはずだった。入社間もない堀田は要領のよさが災いしたのか、調査の詰めが甘いことがたまにあり、二度、再調査になった案件があった。三度目はやばいぞという折も折、堀田は対象者に尾行を気付かれるという大失態を犯した。そのとき、堀田とコンビで動いていた宍戸は機転を利かせ、“組を抜けようとした若い男とそれを追ってきた暴力団員”のやり取りを演じることで、対象者が抱いた疑念を晴らしてみせた。

「ああ。後日、改めて会ったときに言う。覚えるのは得意だったな? メモを残したくないんだよ」

「任しといてください。勉強ならいざ知らず、ちょい悪なことなら短時間でばっちり覚える自信あるっす」

「――酒にも強いようだな」

「へ? まあまあですかね。飲んでも、意識ははっきりしてる方っすね。地面が揺れてら~って感じることは、たまーにありますけど」

 宍戸はテストを兼ねて、堀田に酒をどんどん勧めていたのだが、どうやら合格だ。万が一にも、酔った勢いで秘密をぶちまけるようなことがあってはならない。

 宍戸は満足の笑みが広がるのを自覚した。顔をひと撫でしてそれをかき消すと、またもう一杯、堀田のグラスに酒をなみなみと注いでやった。

「俺の癖で悪いのは、酒癖よりも、女癖の方。分かっちゃいるけど、やめられないって奴。しかも、調査でいくらでも他人の例を目の当たりにしているのにね。辞められないからこそ、悪癖ってもんです」

 堀田が現在も二股を掛けていることを、自嘲半分自慢半分で語るのを、宍戸は聞き流しつつも適当に相槌を打った。


 山崎弓花やまざきゆみかは中学校の教師である。担当は英語。表向きは、真面目で仕事熱心な先生として通っている。だが、裏では既婚男性と関係を持つこと度々で、跡を濁さぬ形で縁を切ってきた。そんな彼女が珍しくもはまったのが、こともあろうに担当する男子生徒の父親。それまでよりも長期に渡って関係を持ったせいか、男の妻に怪しまれるようになった。

 その妻が興信所に調査依頼をし、担当した宍戸は見事、期待に応えた。だが、当時まだ一年ほどのキャリアしかなかった宍戸は、小さなミスをした。山崎に顔を見られてしまったのだ。

 もちろん、調査に際して違法なことはしておらず、調査自体も成功裏に終わったのだから、顔を見られようが名を知られようが、どうってことはない。ただ、山崎弓花は粘着質で、しかも変わり者だった。十ヶ月が過ぎた頃、彼女は宍戸に直接会いに来ると、責任を取ってくれと言ってきた。男と別れる羽目になったのだから、代わりに付き合えという無茶な理屈だった。

 普通なら断固拒否するところだが、幸か不幸か、山崎の外見は宍戸の好みにほぼ重なっていた。性格が合わなければ別れればいい、これで面倒を避けられるのであれば、その程度の気持ちで付き合い始めた。

 半年ほどは何事もなく過ぎた。予想していたよりも山崎はずっと“普通”で、付き合いは特別によいレベルということはないにしても、極当たり前の男女関係を築いていった。結婚の意思は互いにないと表明しており、問題にならない。

時期は分からないがいずれ別れる、一時的な関係で終わると思った――宍戸の方は。

 もう少しで一年を迎えようかという頃、突如、山崎が隠していた狙いを表面化させた。宍戸に、“小遣い稼ぎ”を持ち掛けてきた。彼女は、宍戸の自宅のパソコンに密かにキーロガーを仕掛け、作成した仕事上の書類の内容を把握していた。そこから依頼者や調査対象者を知り、金を脅し取れそうな相手を見繕っていた。

 宍戸は、規範意識が人より強い訳ではないが、今の仕事に満足していた。だから信用を裏切れないと、断った。すると山崎は、「もし依頼者の情報をネットでばらまいたとしたら……あなたと会社の信用はがた落ちね」云々と、度を超した仄めかしをしてきた。

 この段階で、上司にでも報告していればまた違った展開になったかもしれない。だが、宍戸は一人で片付けようと思った。情報を山崎にばらまかれなくとも、一度でも脅迫行為に手を染めれば、脅迫を受けた相手は宍戸を疑うだろう。信用失墜に変わりはない。

 山崎を制御するために幾ばくかの金を渡しつつ、対策を考えた。無論、穏やかな方法を模索していたのだが、途中で事情が変わった。宍戸に、本命の恋人ができたのだ。将来、山崎弓花の存在が障害になるのは確実。そう思い込んだ宍戸は、山崎の完全な排除を決めた。

 殺害場所は、彼女の自宅。お誂え向きに、両親を亡くして独り暮らしをしている。加えて、近所の住宅はほぼ空き家で、目撃される危険性は低い。かつては新興住宅地として売り出されたが、開発が中途半端に終わったせいだろう。

 二人が付き合ってることを知る者は、多くはない。興信所の上司が、何となく状況を把握している程度だろう。山崎の方も、付き合い始めたきっかけがきっかけだけに、おおっぴらには触れ回っていない。宍戸にとって都合がいい。

 だが、宍戸は念には念を入れる質だ。山崎弓花を自殺に見せ掛けて殺した上、現場を密室にし、さらに自分自身のアリバイを確保する計画を立てた。この内、アリバイに関しては、堀田に一人芝居を演じてもらうことで成立させる。山崎が死んだ頃、宍戸は堀田のアパートで彼と二人、飲み明かしていたという寸法だ。

 密室についても、宍戸には腹案があった。そもそも、トリックのオリジナリティに意を砕く必要はない。密室状態の現場で人ひとりが自殺らしく死んでいれば、普通は、他殺かもなどと疑いを抱くものではないのだから、トリックに先例があったとしても問題はない。重要なのは、自殺であると信じ込ませることだ。

 密室イコール自殺と捉えてくれれば楽だが、そんな捜査員ばかりではあるまい。となると、大事なのは遺書の存在だろう。尤もらしい文章を山崎本人に自筆させる方法がないか、宍戸は多少考えた。

 答はじきに見付かった。英語の教師の山崎に、遺書の文面を訳してもらえばよい。元の文章は、有名でない英米文学から引っ張って来るつもりだったが、万が一を考慮し、自力で作ることにした。英語が不得手な彼にとって、この作業には時間を随分割いた。同様に苦心したのが、訳してもらう理由付けだった。散々考えた挙げ句、「ある調査の過程で入手した書類の中に英文があり、至急意味を知る必要があるから」と頼んだところ、疑いもせずに引き受けてくれた。拍子抜けするほど、あっさりと。

 ともかく、お膳立ては整った。あとは実行あるのみ。

 野球帽を目深に被った宍戸は、計画遂行に必要な物を詰め込んだバッグ片手に、山崎弓花の家の前に立った。金曜の夜九時のことだった。


 人を殺すという行為は、ある意味簡単であったが、別の見方をすれば大変難儀したとも言えた。自殺に偽装することを考え、扼殺するつもりで隙を見て襲い掛かった。程なくして動かなくなった相手から身体を離し、次の準備に移ろうとしたところ、彼女が息を吹き返した。焦りと驚きを飲み込んで、再び躍りかかる。だが、扼殺は望めそうにない姿勢になった。手にしていたビニールロープで、絞殺するのも難しい。今さら中止する訳にも行かず、宍戸は仕方なしに、準備していた刃物を片手で器用に取り出した。そして刺殺した。胸に刃物を突き立てられた山崎は仰向けに、大の字に倒れた。

 もちろん、一連の動作は短い時間に無我夢中で行われており、刃物による殺害を遂げた段階で、宍戸は「こんなつもりじゃなかったのに」と後悔を覚えた。

 しかし、やってしまったものは取り返せない。計画に早くもひびが入ったことから立ち直ると、宍戸は次の行動に移った。

 真っ先に、自分自身の身体を見下ろした。血の付着が気になったのだ。が、死体に凶器が刺さったままのせいか、返り血は浴びていないようだった。細かい血痕は付いたかもしれないが、黒系統の服を着込んできた宍戸にとって、目立つものではない。

 次に、死体の背後に回り、床に足を投げ出して座るポーズを取らせてみた。自殺に見せ掛けられないか、念のため、検討してみる。時間は掛けられないが、計画の修正を試みた。

「……無理だ」

 宍戸は結論を呟いた。刃物の出所を怪しまれるだろう。台所にある包丁の類ならまだしも、宍戸が持ち込んだ刃物は、柄の付いた大ぶりのナイフ。普通、女性が所有する代物ではない。それに、宍戸が常用していたナイフなので、彼の汗などが検出される恐れもある。そうなると当然、現場から持ち去らねばならない。

 宍戸は死体の背後に身を隠すようにしながら、ナイフの柄を両手で持った。返り血に注意しつつ、抜き取る。

 案の定、両手は血を浴びた。ラテックスの手袋を二枚重ねではめているのだが、その手袋越しにぬるりとした感触が伝わる。宍戸は凶器を一度床に置き、手袋の交換をした。今度は軍手だ。山崎を首つり自殺に見せ掛けるには、ロープを引っ張ることになるだろうからと、用意していた。

 その後、刃物を流し台でざっと洗い、手近にあったタオルで拭った。そして仕舞おうとした宍戸だったが、気が変わった。どんなハプニングが起きるかしれたものじゃない。たった今、学んだばかりだ。大ぶりのナイフをいつでも使えるよう、手にしたまま、後始末を続ける。

 指紋を残す心配は無用なので、落とし物にだけ気を付けた。帽子の下にはビニールキャップをぴっちりと被っているので、毛髪も抜け落ちることはあるまい。服のボタンやバッグのファスナー等、細かい点をチェックしたが、いずれも無事だ。宍戸類斗につながる遺留品は、この部屋にはない。そう確信が持てたところで、立ち去ることにする。

 が、その前に、決めねばならないことが、宍戸にはあった。

 現場を密室にするか否か。

 最初に描いた計画とは、随分違ってしまった。それでも密室を作るべきか。自殺に見せ掛けるのは不可能なのだから、遺書を置くことはしない。密室もやめるのがよいだろうか。その方が早くここから立ち去れる。それとも、もしも自分に嫌疑が向けられた場合を考慮し、砦として密室の謎を構築しておくのがよいか。

 宍戸はバッグを見つめた。中には密室作りのための道具がある。

 ――用意したからには作りたい。宍戸は誘惑に従うことにした。

 バッグのファスナーを開け、スマートヘリを取り出す。いわゆるドローンと呼ばれているやつの一機種で、勤務先からレンタルした代物だ。これをドアの外から操作して、チェーンを掛ける。既存の推理小説にラジコンカーを使った密室トリックがあったが、その姑息な応用である。

 事前に現場のドア及び周辺を採寸し、受け金にチェーンのポッチを掛ける練習を繰り返した。操作をプログラムとして記憶させ、同じ動きを再現することもできる。が、そのような機能を用いずとも、環境変化のほとんどない室内なら、大地震が発生するとか強力な電磁波で妨害されるとか、よほどのハプニングがない限り、ポッチを掛けることができるまでに練習を積んだ。この機種なら搭載カメラを外すことで薄さ三センチ以下になり、チェーンの掛かったドアの隙間から外へ、手で引っ張り出せることも実験済み。

 宍戸は自信を持って密室作りに取り掛かり、五分ほどで成功した。

 スマートヘリとコントローラーをバッグに入れ、彼は床に置いていた刃物を手に取った。もうこれも必要あるまい。あとは立ち去るだけだ。そう考え、刃物をタオルにくるもうとしたそのとき――。

「宍戸さーん、やっぱりここだったんすか。よかったぁ、見付かって」

 背後からした声、聞き覚えのある軽い口調に、宍戸はびくりとした。思わず、そのままの姿勢で振り返った。頭に思い浮かべた通りの人物、堀田健二がそこにはいた。お洒落な男が、何故かジャージの上下という学生時代に戻ったかのような出で立ちで、ぷらぷら歩いてくる。

「アリバイ頼むくらいだから、別の女と会うのかと思ってたけど、本命と会ってたとはちょっと意外でしたよ。おかげで手間取っちゃいました」

 宍戸はのんきな調子の堀田を見つめ、相手の真意を測ろうとした。少なくとも、宍戸の計画を知っていて、ここに足を運んだという訳ではないらしい。

「ど、どうしたんだ。おまえ、アリバイ作りは?」

 何故ここに堀田が現れたのか、その理由には皆目見当が付かないが、宍戸は自分が今すべき自然な反応をしてみせた。

「それなんすけど、ちょっとしたハプニングがあって。いや、まあ、ちょっとどころか、かなり厄介なのが本音っす」

 そこまで言ったところで、堀田の顔色が変わるのが分かった。へらへらと笑い気味だったのが、突然引き締まる。堀田の視線が暫時固定されたことから、宍戸の握るナイフに、そしてその刃がまだ少し赤く染まっている点にも気が付いたに違いない。

「しし宍戸さん、それ、どうしたんすか」

 どもって尋ねてくる堀田に、まだ恐怖はさほど湧いてないように見えた。好奇心の方が大きいらしい。調査員なんて仕事を好んでやるくらいだから、いずれこういった流血の現場に遭遇する事態を、漠然と想定していたのかもしれない。

「ああ、これか」

 宍戸は斜め下を向き、刃物に一瞥をくれた。同時に、堀田との距離を目測する。そして再び面を上げる動作に合わせ、刃物を突き出した。

 堀田の首元にうまく刺さった。当人は何が起きたか分からないという風に、目をきょろきょろさせ、己の首から生える刃物の柄に触れていいものか、迷っているようだ。

「アリバイ工作を放り出した上に、こんなところにやって来るとはな!」

 そう叫んだかどうか、宍戸自身、覚えていない。ただ、勢いを付けて堀田にタックルをかまし、腹にのし掛かっていた。とどめを刺すつもりだが、刃物を抜くと返り血をひどく浴びるだろう。他に適当な凶器は、全てバッグの中だ。バッグは今いる位置から五メートルばかり後ろ、山崎の自宅前だ。取りに行って、ジッパーを開け、出して戻る余裕なんてない。

 しょうがない。宍戸は手近の地面に大きな石を見付けた。と言っても、文旦ぐらいのサイズだが、尖った箇所がある。そこを下向きにして、堀田の顔を目がけ、振り下ろす。

 一度目、二度目と呻き声が聞こえたようだが、三度目には静かになった。

 宍戸は堀田の絶命を確認すると、急いで自分の身体を見下ろした。明かりが充分でないため、どの程度の返り血があったのか、はっきりしない。急いでここを離れ、着替えるのが賢明。そんな判断を下した。

 一方で、二つに増えた死体を、何かに活かせないかとも考えていた。たとえば、堀田が山崎を殺しに来たが、刃物を巡ってもみ合いになり、ともに命を落とした、とか。もしそのように偽装するのであれば、密室を作る者がいなくなってしまう。

(待て待て。たとえばこういうのはどうだ。――刺されながらも堀田を家の外で撃退した山崎が、虫の息で自宅に逃げ込み、チェーンロックを掛けたもののの、そのまま死んでしまった――。いや、だめか。この場合、チェーンに血が付着していなければならない)

 それでも一応、宍戸は山崎の自宅玄関先に戻った。ドアを開けて隙間から覗いてみる。チェーンのどこにも血痕はない。山崎の死体から血を採ってくることも不可能だ。あとは……。

(タオル! さっきナイフをくるんだタオルは、血を吸ってる!)

 閃きが天啓にも思えた。唯一にして最高の解決策。そう信じた。

 けれども、一瞬で興奮は去り、冷静になれた。

 チェーンに血を付着させただけでは、万全でない。外で二人が刺し合ったのなら、山崎弓花が倒れている場所まで滴下血痕がない事実には、いかに説明を付ける?

(畜生っ。密室にしたおかげで、家の中はもう細工できない)

 思わず歯軋りした。スマートヘリを使って、チェーンを外す練習までは、さすがにやっていない。ぶっつけ本番でチャレンジしても、恐らく失敗する。

(まったく、現れるんだったら、密室を完成させる前に来いよ!)

 内心、そんな悪態まで吐く宍戸。

 このあとも、山崎と堀田が互いに刺殺したと警察に信じ込ませるため、他に何か工作できないかを考えた宍戸だったが、妙案は浮かばなかった。五分間が過ぎ、最早、この殺害現場に留まることはならないと判断した。次なる問題は、どこへ向かうか、だ。

(着替えの件もあるし、自分の家に直行したいところだが、堀田の奴にアリバイ工作を頼んでいたからな。どこまでアリバイ成立したのか分からんが、俺の音声を記録したメモリを回収する必要がある)

 そこまで検討して、ふと思った。堀田はどうやってここまで来たんだろう。自分は電車で最寄り駅まで来て、あとは徒歩だった。堀田は、移動時間から考えて、タクシーか? まさか、近くに待たせてあるんじゃなかろうな。

 不安に襲われたが、どうしようもない。確かめようとするのは、想像が当たっていたとき、藪蛇だろう。

 宍戸は、死体となった堀田の衣服を探り、キーホルダーを見付けた。それをバッグの奥にしっかり仕舞うと、やっと現場を離れる。山崎弓花宅を起点に三百メートルほど歩き、そこから大きな通りに出てタクシーを拾った。


 堀田の住む――今となっては住んでいた――アパートまで、二百メートル程度の場所でタクシーを降りた。宍戸は夜道を急ぎつつ、この犯行をきれいに締め括るべく、最終的な検討を重ねていた。

 車中で思い付いたのだが、自分と堀田の立場を入れ替えるのは無理だろうか。つまり、宍戸は堀田に頼まれ、アパートでアリバイ作りに精を出し、その間、堀田が山崎を殺しに行っていたという構図に書き換えるのだ。無論、堀田の犯行計画を、宍戸は知らされていなかったと主張するつもりだ。堀田と山崎とのつながりを示すのが難しいが、堀田が宍戸類斗と名乗っていたことにすれば何とかなるのでは。

 宍戸は希望の光を見出した気になっていた。ハプニング続きの殺人スケジュールに、不安が膨らんでいたのはさっきまで。今では乗り越えられそうだと自信を回復しつつある。

(俺は八時前からここにずっといた。よし、そうなんだ)

 アパートを前にして、宍戸は自分の頬をぺちぺちと叩き、改めて気合いを入れた。ここからは信じ込む力が必要だ。

 宍戸は足音を忍ばせ、二階への階段を上がった。堀田がどんな振る舞いをしたのか、言い付けた通りにやったかどうか不明なので、とりあえず静かにしておくのがよいだろう。

 部屋に来て、ドアノブを回す。予想していたことだが、施錠されていた。堀田の懐から取っておいた鍵を持ち出し、さっさと開ける。

 最初に視界に飛び込んできたのは、見慣れぬ靴。女物で、赤茶色のローヒール。きちんと並べられてはおらず、やや乱れている。

 宍戸は続いて視線を奥へやった。さほど広くはない部屋、いっぺんに見渡せる。

「え?」

 女が仰向けに倒れていた。横を向いている顔から判断するに、かなり若い。二十歳過ぎといった頃合いか。

 恐ろしいのは、その形相だった。白目を剥いており、絶命しているのは間違いない。黒髪に埋もれた頭頂部が、赤黒く濡れている。何らかの理由で頭部を強打した結果、死に至ったようだ。

(彼女は一体……堀田の知り合いだとは思うが、どうして死んで――)

 そこまで考えたとき、遅まきながら察した。

 山崎弓花の家を密室に仕立て、そろそろ退去しようとしたときに現れた堀田は、確かこんなことを言っていた。「――ちょっとしたハプニングがあって。いや、まあ、ちょっとどころか、かなり厄介なのが――」と。

 女を殺してしまった、それこそが堀田の言うハプニング。

 宍戸のためのアリバイ工作は、当初、順調にいっていたはずだ。ところが、付き合いのある女が急に訪ねてきて、何が原因なのか知らぬが、もみ合いになり、乱闘に発展。結果は、やはり男の方が腕力で上回ったのだろう、堀田は女を死なせてしまった。アリバイ工作どころではなくなった彼は、非常事態に対処するために、宍戸を頼って居場所を突き止めた。そんな経緯が、ありありと想像できた。

(俺はどうすればいい?)

 次々と襲い来るトラブルに、宍戸は頭がショートを起こしそうな錯覚に囚われた。

(仮に、山崎弓花と堀田殺しの罪を逃れられたとしても、ここでの殺人はどうなるんだ? 堀田のアリバイ工作のせいで、俺もここにいたと思われているのか? アパートの他の住人らは、どこまで分かってる? そもそも、この殺人は、まだ誰にも知られていないのか?)

 左手で頭をかきむしった宍戸。どうにもならないのは分かっていた。不確定事項が多すぎる。

(いくら頑張っても、捜査の手はいずれ俺に辿り着く。間違いない。アリバイなし。死んだ三人の内、二人と知り合い。俺が第一容疑者と見なされるのは、ほぼ確実。それを逃れるには……)

 広くはない部屋をぐるっと見回した。宍戸の目にとまったのは、玄関のドア。そこには、お馴染みになったチェーンが。

 宍戸の口元に微笑が表れる。やがて彼は極小さな声で呟いた。


 ここも密室にしよう。


――終

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