第26話「エピローグ」
「ちょっと颯斗! 早く準備しなさいよ!」
ロビーに甲高い声が響き、視線が集中する。声の方角には、目立つ金髪と派手なゴスロリ衣装を着た少女が腕を組んで仁王立ちしていた。大きなスカートを履いて取るポーズじゃない。
「颯斗がもたもたしてたせいで、残りの夏休みもあと数日しかないのよ! ほら走る!」
「わかったから、待てって」
「遅い! このウスノロ! 飛行機の時間もう来ちゃうじゃない!」
俺は恋華に手を取られ、エレベーターホールへと向かっていた。
どうしてこうなったのかと言うと、せっかく付き合えたのに夏休みに遊べないのは嫌だと恋華が駄々をこねたため、急遽海に旅行に行くということが決まったのだ。
「てかなんで雑誌買って来ないのよ! 今日は『リゾホテともお』の発売日でしょうが!」
エレベーターを待つ間、恋華は叫びながら地団駄を踏む。ちなみに『リゾホテともお』とは、最近新しく出たホテル雑誌の名前だ。中には主人公ともおのホテル生活を描く漫画も掲載されている。恋華は最近、その雑誌にハマっているのだ。そして今から向かうリゾートホテルは、その漫画の舞台である。
「あーあ、爆死すればいいのに」
フロントの前に立つ莉奈が、ボソッと不吉なことを口にする。声のトーンに覇気がないため、セリフにガチの殺意を感じる。
「忙しそうだな天然ジゴロ」
その声に振り向くと、気怠げにあくびをしながら、総支配人がロビーのソファに寝そべっている。
いつからそこにいたんだよ。ていうかあんたがそれやっちゃダメだろ、せめて見えない控え室とかにしろよ。
「まあ、今は仕事を忘れて遊んで来い。貴様の仕事は如月様を幸せにしてやることだろう。安心しろ、穴埋めはあのバカにやらせる」
総支配人はフロントを指差す。中を覗き込むと、副支配人が青い顔で体育座りをしていた。そして何やら仕切りにブツブツと呟いている。
「あはは、さっきからずっとこうなんだよー、颯斗くんと恋華ちゃんくっついたのがショックみたい。ほらー、この人ってば婚活失敗しまくってるでしょー」
フロントに立つ本堂先輩が笑いながら答えた。なるほど、そういえば夜勤の時にそんな話を聞いた気がする。
「そうそう颯斗くん、愛人の席は莉奈ちゃんじゃなくて、私のために空けといてね」
「なッ! そんな席ありませんよっ!」
「えー、一人で満足できちゃうのー?」
男女問わず歳下なら誰でも食いものにするあんたと一緒にするな。俺は至って健全でノーマルなんだよ。
「ちょっと颯斗! そんなの放っておいて早く行くわよ!どうせ村上が全部やってくれるんだから」
人のことは言えないが、本当にこのホテルの人間は副支配人の扱いが悪い。一応、ここじゃ二番目に偉いはずなのにな。
「ほら、エレベーター来たわよ」
恋華はその小さな左手を俺の方に差し出した。総支配人や莉奈が注目する中で、少し気恥ずかしかったが、俺はゆっくりと右手を伸ばした。
小さくて柔らかい、俺の手は特別大きいわけではなかったが、容易く覆うことができる。
恋華はにこりと白い歯を見せると、タンッと床を蹴って走り出した。俺は自然と恋華に引っ張られる。
「急ぎなさい颯斗! じゃなきゃ私が疲れちゃうでしょ!」
「わかったから、ちょっと待てって!」
暖かい手の感触の中に、硬く冷たい別の何かがあった。指の腹がそれに触れると、あのブライダル事業で宣伝映像を撮った日を思い出す。だがそれ以上に、そのチタン製の輪っかによって恋華と繋がっているように感じられ、幸せな気分になった。
グラントホテルの花嫁 江戸川努芽 @hasibahirohito
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