第25話「グランドホテルの花嫁」

 八月下旬。九月まで残り数日を残すのみとなっていた。夏休みに合わせた家族旅行などの波も終わり、仕事が落ち着き始めた頃だった。


 俺たちは宴会部の前にある結婚式場で、ある作業に取り掛かっていた。

 床にはレッドカーペットが敷かれ、その傍らには豪華で巨大なウェディングケーキが飾られている。式場では多数のスタッフが準備のために忙しなく動いていた。


 総支配人がカメラの位置や配置などを確認しながら指示を出す。

 そう、今日は俺が総支配人から任されたブライダル事業の宣伝映像の撮影日だ。


「颯斗くーん、ほら笑って! 今日は記念すべき初ブライダルだよ!」


 突如轟くシャッター音、そしてフラッシュ。


「初じゃないでしょ。これあくまで宣伝映像用であって、本当の結婚式じゃありませんからね。ていうか俺ばっかり撮ってないで、装飾とかにカメラ向けてくださいよ」


「えー、でも颯斗くんのタキシード撮れるチャンスとか今後来るかわかんないんだしー、いいじゃーん」


 どうして本堂先輩がカメラを回しているのかというと、ホームページに載せる映像や写真は自分で撮りたいと、自ら挙手したためである。総支配人も気まぐれでそれを了承してしまった。どうやら趣味でカメラや撮影の知識があるらしい。


 確認した写真や映像自体はたしかによくできていたが、何故か女性スタッフのチラリズムや顔のアップなどばかり撮っている。これ絶対個人的な欲求だ。あとで押収しよう。


「は、颯斗くん! これ……ほ、本当に私がやるのかい?」


 視界が大きな巨体で覆われる。


「ちょッ! 距離が近いですコンシェルジュ!」


「あああ、すまない。緊張してしまってね。なんせ私が宣伝映像で仮の神父役を任されることになるなんて思わなかったもので」


 コンシェルジュは慣れない神父の衣装に身を包み、汗を垂らしてそわそわしている。緊張して落ち着かないらしい。


「コンシェルジュすごい似合ってますよー。もうむしろ神父になった方がいいんじゃないですかー?」


「本堂くん! 冗談はやめてくれよ」


 いや、嘘ではなく本当によく似合っている。体が大きいせいか妙に貫禄もあり、普段のスーツと違い肩がガッチリしてないため、撫で肩と相性が良い。髪型も綺麗な七三分けで、まさに神父と言った感じだ。


「コンシェルジュはここで待機しててください。本番になったら扉から新郎新婦が入場してくるので、そしたら猫背だけはなしでお願いします」


 コンシェルジュは不安そうに顔を歪めたが、これ以上の適任は他にいない。むしろ心配なのは俺の方だ。


「おい颯斗くん! これはいったいどういうことだっ!」


 どこからか聞きたくない声が俺の名を告げる。関わりたくないので無視する。


「って! こっちを向けっ! 私に対してなんだその態度は!」


 俺の前方に立ち、無理に視界へと入り込む副支配人、いや歩く公害。何の用なんだよ全く。俺は薄目で睨みつけた。


「このブライダル、私の役目がどこにもないじゃないか! 他のスタッフはケーキや料理作ったり装飾したりしてるのに! 何故私だけフリーなんだよ! いじめか? いじめなのか?」


 頷きたい。だがここはぐっと我慢する。とりあえず今だけやり過ごそう。


「安心してください副支配人。とりあえず役余ったんで、入り口に置いてあるフラワーシャワーの方お願いします。最後に新郎新婦が出て行く際の大切な仕事です!」


「何だよちゃんとあるじゃないか。よし任せろ! 最高のフラワーシャワーを披露してやろうじゃないか!」


 副支配人は機嫌を取り戻し、足取り軽やかに入り口へと向かった。


 よし、邪魔者一人排除完了。元々フラワーシャワーも撮るつもりではいたが、時間の関係で必要なくなった。あの公害を混ぜたりしたら何やらかすかわかったもんじゃないからな。さすがにホテルの信用を落とすような真似はしないだろうけど、念には念を入れて配役なしだ。


「颯斗! 準備できたわよ!」


 背後から甲高い声が聞こえ、振り返る。そこにはウェディングドレスに身を包んだ恋華が、恥ずかしくも嬉しそうに頬を染めながら立っていた。


 俺はその姿に見惚れてしまう。やばい、平常心が乱れる。思わず口元が緩んだ。


「着替え、終わったみたいだな。準備できたならそろそろ始めよう」


「ちょっと! その前に聞かせなさいよ。この格好、どうかな?」


「よく似合ってるよ。悪い、それ以外になんて言ってやればいいかわかんねーや。語彙力失うレベルでやばい」


「ふふ、私の美貌に目を奪われたようね。まあ、愚問だったかしら。この私に似合わない衣装なんてそもそもないんだし」


 相変わらず凄い自信だな。


「コラそこ! イチャイチャしてんじゃないわよ! これはあくまで仕事でしょ!」


 式場のセッティングにあたっていた莉奈が、俺と恋華の間に割って入ってきた。


「あら、負け犬の遠吠えかしら。弱い犬ほどよく吠えるのは本当だったのね」


「やめろ恋華。油に火を注ぐな」


「颯斗死ね! 爆発しろ! つうか爆死しろ!」


 めちゃくちゃな罵倒の嵐だな。まあ、目の前で男女がイチャついてりゃ、イライラするのも無理はないか。


「おい新入り、何を喚いている」


 入れ替わり立ち替わり、呆れたように深いため息をつきながら総支配人がこちらに歩み寄る。


「ほら貴様ら、各々配置につけ。もう時間だ」


「わかりました」


 俺と恋華は入り口で待機し、総支配人の合図を待つ。

 その間に、本堂先輩もビデオカメラにチェンジする。


 総支配人は拡声器で合図を出しながら、右手を高く上げた。


「全員準備はいいな。それでは、スタート!」


 そして、その手を振り下ろした。

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