第24話「ブライダルコーディネーター」

 俺はブライダルの仕事を知るために、総支配人の元へと向かった。

 総支配人は事務所ではなく、自宅であるスイートにいた。

 俺が部屋のドアをノックすると、総支配人はすました顔で出迎えた。


「ふっ、予想より早かったな」


「総支配人に、個人的な話があって来ました」


 総支配人は俺の目を真っ直ぐ見つめる。


「いいだろう、入れ」


 どうやら、何かを察してくれたらしい。


「コーヒーか? それとも紅茶か?」


 部屋に入ると、総支配人がどちらを飲みたいか聞いてきた。俺は特に希望もなかったため、悩まずコーヒーと答えた。


 テーブルの上には書類が無造作に置かれていた。どうやら、ついさっきまで目を通していたらしい。


「それで、貴様の求めていた答えは見つかったか?」


「総支配人、お願いがあります。俺に、ブライダルコーディネーターとしての仕事を教えてください!」


 俺にコーヒーを振る舞い、総支配人は大仰にソファへと腰を下ろした。


「ほぉ、ブライダルか。なんだ、如月様から……思い出話でも聞かされたのか?」


 全てお見通しかよ。相変わらず食えない人だな。


「まあ、そんなところです」


「なるほど。それで、彼女のためにブライダルのノウハウを知りたいと」


「はい、簡単じゃないことはわかってます。でも俺、あいつがホテルを好きになったきっかけであるブライダルについて知りたいんです。お願いします!」


「そうか。嬉しいよ、私は。貴様がやっと自分から、やりたいと言ってくれて。私の目は間違っていなかったな。貴様がホテルと出会うことは、まさに運命だったようだ」


 総支配人は嬉々として言った。その表情は、普段の至極真面目な顔とは打って変わって、非常に穏やかな笑みだった。


「颯斗。私はな、貴様と初めて会った時、貴様と私を重ね合わせてしまったんだよ」


「え、どういうことですか?」


 総支配人は虚空を見つめながら、淡々と語り出した。


「あの日、公園にいた貴様を見て、昔の私を思い出した。団地の二階に住んでいた私は、クラスにいるタワーマンション育ちの連中に、酷いいじめを受けていたんだ。当時は、高層階が魅力のタワーマンションというだけでカーストが強くてな、私はまさに底辺だった。いわゆる、タワマンヒエラルキーというやつでな。上層と下層では、大きな階級差があった。それは、さらに底辺の団地にまで侵攻していたんだよ。貴様は、その頃の私に似ていた」


 たしかにあの頃の俺は、タワーマンションの二階という不遇な立地に悩まされていた。幼き日の総支配人のように。


「そんな私を変えてくれたのが、ホテルだったんだよ」


「ホテルが?」


「ああ、あれは私が中学に上がった時のことだ。家族で旅行に出かけてな。それまでは高級ホテルなど一度も利用したことはなかったのだが、両親がどうせ泊まるなら贅沢をしようと、有名な高級ホテルに泊まったんだ。そして思い知らされた、ここは一流の人間が集まる場所で、私のような団地の二階に住んでいる庶民が来ていいところではないとな。きらびやかで、人を寄せ付けないその高貴な雰囲気に圧倒された。タワーマンションや団地など、比べることすらおこがましいほどだったよ」


「もしかして、総支配人がホテル経営を志したのは、それが理由ですか?」


「ふふ、正確には違うな。ホテルではなく、そこで働くスタッフだよ、私の心を掴んだのは」


 総支配人は柔らかい笑みを浮かべながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「何があっても決してうろたえず、颯爽と仕事をこなしていく。それはまさにプロ。どんなクレーム対応にも顔色一つ変えず、解決しても安堵の表情すら浮かべない。お客様を笑顔にすること、それがホテルマンの仕事だ。なんて素敵な職業だろうと思った。ホテルには上も下も存在しない。例え部屋のグレードが高くても、そこに優劣はない。ビップから庶民まで応対は同じだ。タワーマンションや団地なんてものにコンプレックスを感じていた自分が馬鹿らしかったよ」


 ああ、そうか、そうだったんだ。総支配人がどうして俺をホテルに連れてきたのか、今やっとわかった。


 自分と重ね合わせていたから、俺もホテルに来れば変われると思ったんだ。昔の、自分のように。


「颯斗、私はこのホテルを世界一にすると言ったな。だが、それにはこのホテルならではの大きな売りが必要だ。そこで貴様に聞く、このホテルのオリジナリティとはなんだと思う?」


「え? そ、それは……えーっと、すみません……わかりません」


「うーん、まあいいか。私はな、ホテルとはホテルマンの力が最も重要だと考えている。だからこそ、私はホテルを愛する者たちを集めた。まさにこのホテルにいる連中は、私の用意した最強の精鋭というわけだ」


「せ、精鋭……ですか」


 その中に、俺なんかも含まれているのか。総支配人はホテルマンに魅了され、世界一のホテルを夢見た。そして、そのために必要な人材を集めた。それが、今このホテルで働いているホテルマンたちということなのか。


「さて、話が脱線してしまったな。ブライダルコーディネーターを目指したいということだったか。いいだろう、だがそう簡単ではないのでな、詳しくは明日話そう」


「あ、ありがとうございます! 総支配人!」


 俺の願いは届いた。思わず笑みをこぼし、深々と頭を下げた。


「礼はまだ早い。大事なのはここからだ」


「はい! 俺、頑張ります!」


「夢……叶うといいな」


 俺は嬉々として部屋を出ていった。


 グランドホテル・ヘブンのブライダルコーナーはスイートルームの下にある。最上階のフロントからは少しは離れているが、たどり着くのに時間はかからない。


 翌日、俺は業務用エレベーターでブライダルコーナーへと向かっていた。


 ブライダルコーナーは、宴会場の手前にあり、ホテルマンがお客様と相談するためのテーブルが並べられている。プライバシーを考慮し、それぞれのテーブルには囲いが設置されている。そのため、ホテルマンがお客様と密談する際にも使われている。

 総支配人はテーブルに書類を並べて待っていた。


「来たか。ほら、貴様がやりたいと言っていたブライダルの資料だ。目を通しておけ」


「あ、ありがとうございます」


「それじゃあ、ブライダルの仕事について話して行こうか」


 俺が席に着くと、まず、宴会部ブライダル課の主な仕事について教えてくれた。

 そして、幸せな結婚式だからこそ起きてしまう大きな問題、ストーカー問題についても。

 ブライダル課では、この手のことは珍しくないらしい。むしろ頻繁に起こっているようだ。


 結婚式とは、幸せになると同時に、誰かを不幸にもしてしまうからだ。当然、選ばれなかった異性がその結婚式に不満を持つことはある。それが不満や嫉妬程度ならいいが、憎しみや殺意に変化することもあるからだ。そして、その矛先は式に向く。そのためブライダル課では、式や披露宴に関する全ての問い合わせに対して、一切答えないという決まりになっているのだ。宿泊部にも、同じようにお客様の部屋番号を他のお客様に話してはいけないというルールがある。ホテルはストーカーと特に縁があるらしい。


「悪いな。せっかく貴様が興味を持ってくれたというのに」


「い、いえ、むしろ最初に知っておけて良かったです。それで実際、そういう被害はあったりしたんですか?」


「そうだな。しつこく式のスケジュールを訊いてくる者もいれば、当日になって弔電が届いたりなんてことはよく報告されている」


 相当黒い世界らしい、見かけは華やかできらびやかだが、裏では逆に事件が絶えない職場のようだ。


「仕事についてはこんなところか。だが、貴様には今まで通りベルボーイとして働いてもらう。ブライダルの仕事にはまだ早いからな」


「え! ど、どういうことですか?」


「単純に、貴様がまだ高校生だからだ。忘れたか? あくまで貴様はバイトだ。ブライダルコーディネーターとは、大学や専門学校を出て、正式な採用試験を受ける必要がある。まあ、私の独断で押し通すことも可能だが、そういうわけにもいかないのでな」


「要は、俺にはまだ専門的な知識が足りていないということですか?」


「その通り。アルバイトでブライダルの仕事を手伝うことは可能だが、ブライダルコーディネーターとしての道に進んでいくのであれば、資格や手順がいる。昨日は急で話せなかったからな、今日はそのことについても詳しく教えておく必要がある」


 そう言って、総支配人はテーブルの上に書類を並べた。それは全て、このグランドホテル・ヘブンで認められているアルバイトの仕事内容だった。


 俺は宴会部ブライダル課のアルバイト欄に目を通す。

 ブライダルの場合、披露宴会場のテーブルのセッティングやウェルカムドリンクの用意などの準備作業がメインとなる。

 当然、それは俺の望むブライダルの仕事ではない。


「わかったか? 今の貴様にはブライダルの仕事はできない。あくまでできるのは勉強、それだけだ。だが焦ることはない。これから少しずつ勉強していけばいい。そうすれば、将来は私がこのホテルでブライダルコーディネーターとして貴様を雇用してやる」


「じゃあ、まだまだ先になるのか、俺がブライダルの仕事に携われるのは」


「そういうことだ。だから貴様には、特別な事業を行ってもらう」


「特別な……事業?」


「ああ、同時に貴様らの夢も叶えてやるぞ」


 そんなことができるのか?

 俺は怪訝な顔で総支配人を一瞥した。


「不安そうな顔をするな。私を誰だと思っている。貴様には、ブライダルの宣伝映像の制作をやってもらう」


「宣伝映像?」


 俺は首をひねった。


「特集記事を作り、それをグランドホテル・ヘブンのホームページ上に公開する。スタッフにそれぞれの配役を決め、実際の結婚式のような映像を撮影する。ただし、新郎と新婦に関しては不要だ」


「もしかして、実際に結婚式を控えているお客様にお願いするんですか?」

「は? バカか貴様は。それでは如月様の夢を叶えることと何一つ繋がらないだろう」


 たしかに、じゃあ配役が決定しているってのはどういうことなんだ?


「新婦は如月様で、新郎は貴様だ。察しの悪い奴だな」


「ちょッ! いいんですかそんなの! 未成年の俺ら二人でなんて。しかも片方はただのお客様じゃないですか!」


「ふっ、バレなければ何の問題もない」


 それはつまり、バレたら何かしら問題になるってことじゃないか。


「つべこべ言うな。貴様ら二人が心変わりしないという保証もないだろうに。そして、これは本当の結婚式ではない。故に、貴様がブライダルコーディネーターとして、この結婚式の予算や演出を担当するんだ。どうだ? これなら資格も学歴も一切関係ないだろう」


 総支配人の権限フルに使ったゴリ押しプレイじゃないか。でも、本当に頼りになる。


「まあ、それでもあくまでこれは宣伝映像。予算や演出に限界はあるが、トウシロウの貴様には十分だろう」


 まあ、最初からガチ本番という展開よりかはいいか。


「それじゃあ早速、始めるか」

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