咲かない春
ソラノリル
咲かない春
朝からちらついていた粉雪は、終業のチャイムが鳴る頃には牡丹雪になっていた。
「積もるかなぁ」
隣を歩く幼馴染――みゆが、さした傘をくるくると回しながら空を見上げる。私はちらりとみゆに倣って空を見て、それからみゆの横顔を見て、そして足もとの歩道に視線を落とした。空から降る白の欠片が、濡れて闇色を濃くしたアスファルトに触れて、吸いこまれるように消えていく。まるでブラックホールみたい。
この街で雪が降るのは珍しく、積もるのはさらに稀だ。
「もっと降らないかな」
みゆの言葉に期待の色を感じて、私は少し諌めるように言った。
「積もったら、大変だよ」
電車、遅れたら困るじゃん。そう言った私に、みゆは傘を回す手を止めて、
「おとなみたいなこと言うんだから」
白く柔らかい頬を、ぷくっと可愛く膨らませてみせた。
みゆは可愛い。飴色の長いふわふわの髪も、肌理の細かい白い肌も、華奢な手足も、小柄なところも……小さい頃はなおのこと、お人形みたいって、何度も思った。人当たりも良くて、クラスでも人気者のみゆが、今でも変わらず私と一緒にいてくれるのが不思議なくらいだ。
みゆと私は保育園の頃から友達で、家も近所だったから、小学校も中学校も同じだった。頭の良さはみゆのほうが上だったから、みゆと同じ高校へ行くために、私は随分と頑張らなければならなかったけれど……努力の甲斐あって、今もこうして、みゆの隣を歩くことができている。
「あっ、そうだ、
みゆが私に振り向いて、傘の柄を腕に挟み込むと、ぱちんと顔の前で両手を合わせた。
「今日、泊めてもらえないかな」
お願い、とみゆが形の良い眉尻を下げる。
みゆは時々、私の家に泊まりに来る。みゆの家は母子家庭なのだけれど、時々みゆのお母さんが、お家に彼氏さんを連れてくるらしい。大抵、数か月で相手は変わるそうだけれど、みゆいわく、その彼氏さんたちに挨拶するのも、顔を合わせるのも厭らしい。
「いいよ」
私はあっさりと承諾した。私の家もまた、親が仕事で忙しく、出張ばかりで、ほとんど帰ってこない。
「いつも、ごめんね」
「ううん。頼ってくれて嬉しい」
本心だった。でも、それ以上に、みゆが泊まりに来てくれる、そのことが私は、とても嬉しかった。
「ありがと、花奈」
ふわりと綻ぶみゆの笑顔は、可憐という言葉がとてもよく似合っていて、私は傘の柄を握った両手に、無意識にぎゅっと力を込めた。
一緒にお茶をしながら宿題をして、夕食を作って、交代でお風呂に入って、寝る準備をした。私のベッドの横に、ふたりでお客さま用の布団を敷くのも、手慣れたものだ。
「ねぇ、花奈」
ころん、と私のほうに寝転んだみゆが、私を見上げて尋ねてきた。
「そっち、行ってもいい?」
みゆの声が、私の心臓を、りんと揺らす。
「えっ、いい、けど……」
加速する胸を抑えながら、私はベッドの右半分に移動する。
「今日、寒いもんね」
つとめて軽い口調で言った私に、みゆは静かに答えた。
「うん……今の季節は、すごく苦手なんだ」
「どうして?」
寒くて暗いから? と尋ねた私に、それもあるけど、とみゆは瞳をめぐらせて、
「春を待つ季節だから」
「冷たいものは寂しいし、あたたかいものは、こわいもの」
そう言って、ぽすんと私の隣に、頭から毛布に潜っていった。
「みゆ?」
私の傍ら、みゆのかたちに膨らんだ毛布に目を落として、私はみゆに話しかけた。
毛布の海から、こころなしか桃色に染まったみゆの顔が、そっと半分だけ覗いて、上体を起こしたままの私を見上げる。
「……花奈の傍は、寂しくないし、こわくないんだ」
「花奈は……私とおんなじ温度だから」
ふふっと笑って、みゆは再び毛布の海に潜っていった。私もくすりと笑って、みゆを追いかけて毛布の波をくぐる。
ふたりの体温にぬくもった毛布の中で、私とみゆは、こつん、と額をくっつけた。
みゆの中には、寂しさという氷がある。それを、永久凍土のように、ずっと抱えたままでいるのだ。冷たい冷たいと凍えながら、それでも融かしてしまうことを、みゆは望まない。それは、みゆの優しさなのかもしれなかったし、こどもの部分なのかもしれなかった。みゆは赦しつづけている。みゆのお母さんのことを、嫌悪することなく。そして、私のもとへ、来てくれるのだ。それは多分……私もまた、みゆと同じ氷を持っているから。
きっと、みゆのお母さんも、氷を抱えた人なのだろう。その氷を融かしたくて、春を待ちつづけているのかもしれない。
私はみゆの氷を融かさない。ただ一緒に抱えつづける。みゆもまた、私に、そうしてくれる。
ふたりなら、冷たいままでも良かった。同じ冷たさが愛しかった。
ふたりで一輪の蕾のように丸くなって眠る。
私たちの春は咲かない。
咲かない春 ソラノリル @frosty_wing
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