夢見る私は二面相
雪見なつ
第1話
ピピピピピ。
鼓膜を甲高い音が激しく揺らす。重い頭をなんとか持ち上げってやっとのことさで、目覚まし時計の音を止める。
「おはよう」
枕の横に置いてある熊のぬいぐるみに挨拶をして、私はベッドから這い出る。後頭部を掻きながら、鏡の前に座った。
一重の細い瞼。痩せた頬。薄い唇。鏡を見ると陰鬱な気分になる。
鏡の前のテーブルにはたくさんの化粧品があり、手際よくそれらを選別し顔に塗っていく。
その時間一時間。
鏡には二重でぱっちりお目目で、ぷくりとした健康的な唇。ピンクに頬を染めた美女が写っている。
「今日もいい感じ♪」
我ながらいい化粧の腕前なこと。
私はルンルンと家を出た。
八時二十分発。四両目の列車。一番端っこの吊革。ここが私の定位置。
それも全部、彼を見るため。
黄金色の髪に尖った鼻。綺麗な青色の目。スーツをビシッと決めて瞳と同じ色のネクタイを結んでいる。周りよりも頭ひとつ身長が高くて足が長い。片手には文庫本を持ってそれを真剣に読んでいる表情は鷹のような鋭い眼差しをしている。
彼はまるで御伽噺の国から出てきた王子様がサラリーマンをやっているようだった。
これはまさしく一目惚れ。
彼を見ると私のハートはキューっと締め付けられて、目が釘付けた。
目が合うとニッコリと笑って一礼をして、また本に目を落とす。
あれはアイドルよ。さっきサラリーマンって言ったけど、これはアイドル。職業はアイドル。絶対そうよ。
吊革を握る手が強くなる。
そんな幸せな時間も長くは続かない。
会社に着く一つ前の駅で、彼は電車を降りてしまう。
ここで私も降りて話せるならば、彼との距離も縮んでいただろうな。でも、私にその自信はなくて、臆病なんだ。
それは私の性なのだ。私には彼に近づくことさえできない。
また、彼は私に背中を見せて去っていくんだわ。
私は大きな溜息をついて、閉まるドアを見た。
「お疲れ様です」
夜九時を周り、ようやく会社から解放された。
トボトボと駅へと向かい電車に乗る。
帰りの電車には彼はいない。それでも希望を持って、いつもの車両のいつもの場所に立つ。どれだけ席が空いていても私は吊革に捕まった。
揺れる電車。今にも瞼が閉じそうになるが、アイプチが邪魔にして半目の状態になっている。ブサイクだ。
でも、今は私を見ている人はいないから無問題。
電車の扉がプシューと音を上げて開く。
「あ。お疲れ様です」
げ、ここで上司に会うのか。目の前にはスーツを着た男がいる。
「お、お疲れ様です!」
咄嗟に頭を下げた私。
「そんなに仰々しくしないでくださいよ。いつも朝にあってるじゃないですか」
「えっ」
私は顔を上げる。
そこには、私のアイドルの彼がいる。これは夢なのか。朝と全く変わらない姿の彼がいる。疲れているんだ。これは幻想よ。あ、でも、話せるなら幻想でもいいや。
「あの、目が泳いでますよ」
「すいません。話せるのが嬉しくてつい」
ハハハと明るい笑いを浮かべる彼。
「もしかして、私の半目見てました?」
「いやいや、見てませんよ」
また、彼は笑った。
「あなた、面白い人ですね」
そこからの時間は夢心地気分だった。
ポワポワとして、家まであっという間だった。どうして幸せな時間ってこんなに短いのだろう。無限にこの列車が止まらなければいいのに。
「私はここで」
私が最寄駅で降りようとすると、
「待ってください。僕もここなんです」
彼は私の腕を引いて一緒に電車を降りた。
嘘。
彼のことは知っている。私よりも前にこの電車に乗っているからここが降りる場所じゃないはずよ。どう言うことなの。これは運命の歯車回っちゃっているんじゃないの!
頬が赤くなる。
幸せな時間はまだ続くようだ。
彼は私を家まで送ってくれた。
ポカポカ頭のまま鏡の前に座る。
頬ピンクに染めて、目の焦点が合っていない私がいる。
ルンルン気分で化粧落としを使っていく。
「うわ。ブサイク」
一重のガリガリ女が鏡の前に現れた。
「こんな私じゃ、彼との時間なんて夢のまた夢よね」
私は冷えた缶ビールを開けて、口付けた。
夢見る私は二面相 雪見なつ @yukimi_summer
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