第20話 終章
ベッドに横たわる年老いた女性のベッド傍のサイドテーブルには毎日違った花が添えられた。
しかし看護師達は、その女性を見舞う人物を見たことがない。
看護師の一人が同室の患者に聞けば、「若い男性が来てますよ」と言う。
そして今日も新しい花が生けられた。
その背中に、女性は小さく声をかけた。
「ナナシ、手を、握って。」
振り返ったナナシは、そっと年老いた花彌の傍に寄り、そのシワだらけの手を優しく握った。
「花彌、なんで何度も幸せになる機会があったのに、ずっと一人でおったんじゃ?」
ナナシの声が切なく響く。
しかし花彌はとても嬉しそうに笑った。
「結婚して子供を産むことも、もちろん幸せの形だろうけど、私は、あなたにずっと恋をして、今こうして触りながら話ができて、とても、とても幸せなの。」
「……」
「ナナシ、私が天寿を全うすれば、あなたは輪廻の輪に戻れるのよね。」
「……ああ、」
「そうなれば、もしかしたら来世、私達は同じ時を生きることが出来るかもしれない。出来るかもしれないね。」
「……ああ、そうじゃな。」
「ふふ、よかった。」
花彌の、多幸感に満ちた瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。
ナナシは歯を食い縛り、目を固く閉じ、再び開くと穏やかに笑った。
「大丈夫じゃ、花彌。俺たちは、一蓮托生じゃ。」
それは、ナナシが吐いた最初で最後の嘘。
それでも、嘘だとわかっていたかもしれなかったが、花彌はたくさんの涙に枕を濡らしながら微笑み、静かにゆっくりと目を閉じた。
天に昇る階段を、典子や花彌によく似た少女が駆け上がる。
『ナナシも早く!早くおいで!』
しかしナナシは階段を上ることはなく、階段の下から大きく手を振った。
『ありがとう!俺はずっと、ずっとこれからもお前だけを想っとるよ。ずっと、ずっと!』
ナナシの声は、澄みきった青空にすっと溶けて消えていった。
※ ※ ※
一匹の蝶が花の蜜を吸うためにピンクのガーベラの上に止まった。
背後からカマキリが鎌を振り上げそれを狙う。
気配に気がついた蝶は飛び立ちかけ、しかし逃げる間もなく捕まった。
おもちゃのスコップ片手にそれを見ていた少女が、わぁ、と声を上げた。
「お母さん!チョウチョがカマキリに捕まった!」
「まあ、可哀想に。」
「えー、可哀想じゃないよ。だってもうすぐナナシは帰ってこれるもん。」
「…え?」
食われた蝶のもげた羽根を拾い、少女は持っていたおもちゃのスコップで土を掘ると、羽根をそっと置いて埋めた。
「お墓を作ったの?えらいね」
背後で母親に誉められながら、少女はその小さな手を合わせた。
一陣の風が吹く。
立ち上がった小さな少女は、青く澄みきった大きな空を見上げた。
~了~
消えゆくは儚き蝋燭の光 みーなつむたり @mutari
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