頬いくつつねるとお正月

RAY

頬いくつつねるとお正月


 カーテンの隙間から射し込む、陽の光が薄暗い部屋の中に一筋の線を引く。

 その線上にある、炬燵こたつの上の携帯電話をぼんやりと眺めていた。

 心なしか朝方よりも光が明るくなったような気がする。


 二〇二一年元旦 午前十一時四十五分


 新年の挨拶を交わしながら家族で朝ごはんを食べたのが午前八時。その後、自分の部屋に上がって、鳴らない携帯とひたすらニラメッコをしている。


「何してるんだか」


 ため息といっしょにそんな言葉が漏れる。

 それは、私自身に対する戒めの言葉。同時にあいつへの問い掛け。


 日付が変わってすぐ、あいつにあけおめメールを送った。

 三時まで待ったけれど返信はなかった。七時に目が覚めたときも状況は変わっていなかった。


 そんなこんなで、かれこれ半日、私はあいつの返信メールを待ち続けている。

 ちなみに、寝ていた時間は四時間あるけれど、待ち時間から睡眠時間を除いてはいない。意識が無くなっても思いはしっかり持ち続けているのだからその必要はない。


 朝ごはんの後、両親と弟は県内に住む祖父母のところへ年始の挨拶へ出掛けた。

 毎年の恒例行事で、昨年までは私もいっしょに行っていたけれど、今年は「体調が悪いので留守番をしたい」と告げた。

 嘘をついたことに少なからず良心の呵責かしゃくを感じている。でも、祖父母の家へ行ってもメールが気になって携帯を見てばかりいるのは容易に想像がつく。それならいっしょに行かないのが得策だと思った。


 ただ、結果は同じだった。


 炬燵こたつに入ったまま、大の字に寝そべって天井を見上げた。

 当たり前だけれど、年が変わっても私の部屋の白い天井には何の変化もない。

 新年を迎えたって変わらないものの方が圧倒的に多い。人の気持ちもそのひとつ。「新しい年には新たな気持ちで」なんて言っても、夜中の十二時を境に気持ちがガラリと変わるわけがない。

 私のあいつへの気持ちもそう。たぶん、あいつの私への気持ちだって同じ。


 深いため息がひとつ漏れた。

 胸のあたりに得体の知れないモヤモヤが広がっていく。正月だというのに気持ちは思い切り沈んでいる。きっと、希望とは無縁の存在の私には正月など来ていないのだろう。


 胸に手を当てて目を閉じると、目尻にじわっと涙がにじんだ。


★★


 静寂を打ち破るように、部屋の中に聞き知ったメロディが流れる。

 発信源は炬燵こたつの上の携帯。音の正体はあいつからのメールの着信音。

 うつらうつらしていた私は、カッと目を見開くと、しかばねのような身体を起こして視線を携帯に向けた。


「痛い」


 条件反射のように右の頬をつねったのは、夢ではないことを確かめるため。

 夢なんかじゃない。私のあけおめメールに対する返信が届いたのだ。


「遅い」


 次の瞬間、口を衝いたのは、不満を詰め込んだような、短い言葉。

 ただ、そんな言葉とは裏腹に口元は緩んでいる。


 二度三度深呼吸をして呼吸いきを整えると、メールの開封ボタンに人差し指を伸ばす。

 着信音が止んで静寂を取り戻した部屋に胸の鼓動が鳴り響く。


 あいつが返信メールを送りやすいように、メールに細工をして突っ込みどころを作った。二〇二一年と二〇二二年を間違える人はまずいない。わざとらしいと思いながら、あえておバカキャラを演じた。

 それが功を奏したのかどうかはわからない。でも、こうしてメールが来たのだから、おバカキャラに徹したことに意味はあった。


『あけましておめでとう! 今年もよろしく! 二〇二一年元旦』


 あいつのメールは至ってシンプル。私の突っ込みどころは完全スルー。

 触れてもらえなかったことで、恥ずかしさがこみ上げてきた。ただ、それを差し引いてもうれしいことに変わりはない。


「痛い」


 再び右の頬をつねっていた。

 気抜けしたような笑みが浮かぶ。

 胸のあたりに温かい何かが感じられる。いつの間にか、得体の知れないモヤモヤが心地良いポカポカに取って代わられた。

 単純と言えば単純だけれど、それが今の私の正直な気持ちなのだろう。


 間髪を容れず、携帯の呼び出し音が鳴る。

 画面に表示されているのは、あいつの名前。

 口から心臓が飛び出しそうになった。


「痛い」


 右頬に痛みが走る。やはり夢ではない。


「あけおめ。今年もよろしくな。メールの返信遅れちゃってゴメン。日付が変わる前に爆睡してさっき起きた。ついでに携帯の充電も切れてた」


 開口一番、あいつの口から飛び出したのは、あまりにも間抜けな話。

 心の中で吹き出した私だったけれど、どこかホッとした気持ちになった。


「あけましておめでとう。こちらこそよろしくね。でも、あけおめメールの遅刻はともかく、携帯の充電忘れなんてありえないっしょ? 今年は受験生だよ。小さなミスが命取りになるんだから気を付けなよ。ただでさえおっちょこちょいなんだから」


 私の口から飛び出したのは、気持ちとは裏腹な手厳しい言葉。それは今回に限ったことではなく、いつものこと。

 こういうときは、笑いながら優しい言葉をかけるのがベターなのはわかっている。ただ、頭ではわかっていてもできないのが私の悪いところ。


 実際、私とあいつは、同じクラスのただの生徒AとB。それ以上でも以下でもない。部活も違うし住んでいるところも離れている。学校から出れば接点はなく、あけおめメールを送ったのももらったのも今回が初めて。

 もう少し言えば、気持ちのベクトルも私の一方通行。あいつが謝る必要なんか全くない。あいつが私にメールを出す必然性なんかないのだから。


「それはそうと、ってなんだよ? 思わず笑っちゃったよ。お前の和ませ力、半端じゃないよな。何がスゴイって、わざとらしくなくて自然なところ。ホント、お前らしいよ」


 あいつのうれしそうな声を聞いて言葉を失った。私の「二〇二二年作戦」はとりあえず成功の部類。でも、こんな展開になるなんて思いも寄らなかった。

 あいつは、私の言葉で和んでくれた。それに、私らしさを感じてくれた。こんなにうれしいことはない。


「それから、外は良い天気だぞ。カーテン閉めて引きこもりはないだろ? ちょっと見てみろよ」


「そ、そうなの? わかった。見てみる」


 心の動揺が収まらない私に、あいつが声を掛ける。

 そう言えば、もう昼なのに、カーテンも閉じたままで外の様子も全然わからなかった。

 照れ笑いを浮かべながら、私はあいつの言葉に促されるようにカーテンを開けて窓を左右に開けた。


 次の瞬間、冷たい空気が私の身体を包み込む。ただ、全然不快ではなかった。とても爽やかな気分だった。

 白い息が立ち昇っていく先には青空が広がっている。遠くに目をやると、連なる山々とそのふもとに広がる町並みがはっきりと見える。さらに、白い雲の切れ間からいくつもの光が町に伸びている。まさに年の初めに相応しい、幻想的な眺めだった。


「無茶苦茶キレイだろ? 確か天使の梯子はしごって言うんだよな、これ?」


「うん。すごくキレイ」


 あいつの言葉にうんうんと相槌を打つ私だったけれど、不意に、ある疑問が湧き上がる――どうしてあいつは私がカーテンを閉めていると思ったのだろう? それに、私が見ている景色がわかるのだろう?


 違和感を覚えながら、視線をゆっくりと家の前の道路に落とした。


「お前に一つ頼みがあるんだけど」


 そこには、自転車に跨って、笑顔で手を振るあいつの姿があった。


「――これから学校のそばの〇〇神社に初詣に行かないか? 昼過ぎだから密にもならないと思うし、受験に向けて、俺のおっちょこちょいが治るようにお前にも祈願して欲しいんだ」


 口をポカンと開けて呆気に取られる私。

 ただ、思考は正常だったようで、右の頬に伸びた手を慌てて引っ込めた。あいつの前で頬をつねるわけにはいかないと思ったから。


 冷たい空気にさらされているのに顔が火照ほてっている。パジャマにカーディガンなのに全身が燃えるように熱い。


「あっ!」


 思わず大きな声が出た。

 自分の容姿があいつに丸見えであることに気付いたから。


「ちょ、ちょっと待ってて! 準備するから! 十分……いえ、五分待ってて!」


「わかった。待ってる。急がなくていいからな」


 あいつから身を隠すようにその場にしゃがみこむと、改めて、右の頬をつねってみた。やっぱり痛かった。ただ、それはとても心地良い痛みだった。

 そのとき、私は実感した――私にもやっとお正月が来たことを。


「あっ、お正月だけじゃないよ」


 鏡台の前で髪をブラッシングしていた手を止めると、私の口から独り言のような言葉が漏れる。


「盆と正月がいっしょに来たんだよ」


 鏡の中の私が満面の笑みを浮かべる。

 右の頬が赤くなっているのは、きっと、最後につねったとき、右手にいつも以上に力が入っていたせいだろう。



 おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

頬いくつつねるとお正月 RAY @MIDNIGHT_RAY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説