プレゼント

頭を抱えたくなる。

一人で来るのはおそらく初めての店。

明らかに浮いている自分。

店員や他の客にちらちらと見られているような恥ずかしさ。ああ、鞄で顔を隠しながら歩けたら、どんなにいいことか。

そんな意気地のない自分が情けなくなる。

きっと誰もが、こんな店に来る自分の用件なんて分かっているはずなのに。



「あのう、すいません」

そもそも自分だけで決めようと思ったのが間違いだったのかもしれない。

ここには沢山いるじゃないか。

彼女と同性っていう店員たちが。

彼、御園拓海は、一世一代の大告白をするかのように最高に緊張しながら、店員と思われる若い女性に声をかけた。

店員用パスを首からぶら下げていなくても、品物を見る側と管理する側の違いは何となく分かる。これも別業種の販売職を務めている賜物だろうか。

「はいっ、どうされましたか?」

拓海の予想は当たったようだった。若くて溌剌とした店員の笑顔が眩しく拓海を射抜く。

拓海はその笑顔を凝視して不覚にもドキドキしてしまった。あの彼女と、被る。

プレゼントを贈る相手に訊ねているようでますます緊張してしまう。

でも、声を掛けたからには切り出さないと。



どっと疲れた。

これから会いに行く彼女へのプレゼントを手にし、店を出た拓海の感想はそれに尽きた。

拓海のリクエストは曖昧なものだっただろう。

ヒールが高くなくて、事務職勤めだから動きやすい、黒を基調としたあまり派手じゃない仕事用の靴。

これと言ってどんな靴をと決めていたわけではないので、こんなことしか言えない自分が情けなくもなった。

これから彼女と待ち合わせした場所へと向かう。

「自分の彼女になってください」と告げるために。

だからってよりにもよって靴片手に告白かよ、と自分にツッコんでしまうのだが、最近会ったときに靴が壊れそうだと言っていた彼女の言葉を思い出したのだ。

どうしても一方的になってしまう贈り物というものが好きになれない拓海が選んだのは、せめて彼女が今必要としているものを贈るということだった。

たとえこの想いが叶わなくても、せめてこの靴だけは使ってほしい。ダメなときの保険が重く、未練ったらしいようで少し後悔もしているけれど。

その時はその時だと、靴の入った袋を気合いを入れる意味も込めて強く握る。



雑然とした帰宅ラッシュなんて関係ない、ネオンに阻まれ星の光の途絶えた紺の空には、頼りない三日月が浮かんでいる。

空を仰いで見つけた光は、まるで彼女を見ているようだった。

早く、あの子に会いたいと思った。

最近会うたびにちらつくあの泣きそうな笑顔が、おぼろげな空に重なった。



待ち合わせ場所は駅前の広場。もっと洒落た場所で待ち合わせしたいとも思うが、この駅でいつも乗り合わせるので自然とこの場所で会うようになった。

いつもはアンティーク調の電灯の下で、拓海が彼女を待っていることが多かった。だが今回は彼女が先に来ていたようだ。

電灯下の花壇の淵に座り、屈んで靴の様子を確かめているのが遠くからでも分かる。

自分の選択はあながち間違っていなかったかもと、拓海はほっとしながら彼女に近づいていった。

「あっ、御園くん来たぁ」

彼女・・・榎木侑佳は、拓海が呼び掛ける前に顔を上げて、そう言った。



「ごめん榎木さん、待った?」

「ううん、さっき来たとこ。靴が本格的にやばくて、寄り道しないで早めに来たの。

―ほら、ゆったり来なくて正解だったかもね。今度こそ壊れちゃった」

侑佳の言葉を耳に入れつつ、拓海はちらりと彼女の足元に目をやった。黒いパンプスのヒールがごっそりと折れている。

そして拓海が店員に薦めてもらった靴と、侑佳の靴はよく似ていた。

「それは。ちょっとだけよかったかも」

「ちょっと御園くぅ~ん、それどういう意味かなあ?」

口を尖らせる侑佳の目の前に、拓海は靴の入った袋をそっと掲げた。

照れ臭くてまともに侑佳の顔が見られなかった。だが拓海が盗み見た侑佳は、目を見開いて今度こそ泣きそうを通り越した潤んだ目で拓海が掲げた袋を見つめていた。

拓海の頭は突然の侑佳の涙に真っ白になった。

「え、榎木さん!ごめん、余計なお節介だった?前会ったときは靴壊れそうで、最初の時世話になったのに何も返せてなかったから、それで、」

こんなに焦ったことはない。

嫌われたらもう二度と会えないかもしれないという恐怖が、全身を駆け巡る。

何がいけなかった?いやそもそも勝手に見繕って勝手に押しつける自分が悪い。

それは自分が一番避けたいことだと思っているのに、それを他人には平然とやってのけるのか?俺は!今一番大切にしたいと思ってる女性に。

会社も違う、環境も違う。ただ、電車の中で偶然関わり合った関係が、終わってしまうかもしれない。

それがこんなにも恐ろしいことだなんて思ったことはなかった。

もしも想いが叶わなかったらなんて、諦めるだなんて、そんな気持ちは一瞬で霧散してしまった。

今彼女に拒絶されてしまったら、何が残るというのだろう。

「違う。違うの御園くん」

震える侑佳の声に、険しさはない。ただ、元気もなさそうだ。

「嬉しいだけなの、あなたは何も悪くないの。

ただね、御園くんっていっつもタイミングが良すぎて、あたしそのたびに泣きたくなって」

それだけ言うと、侑佳は両手で顔を覆い、静かに泣き始めた。

侑佳の言葉にほっとして、泣きだした侑佳には何をしてあげたらいいのか分からなくて、とりあえず拓海はそっと見守ることを選んだ。

気の利いた励ましの言葉が浮かばない自分を詰りたくなる。それでもたまには、泣きたいときに泣くこともきっと大切だ。

袋は抱えたまま、拓海は鞄を脇に置いて侑佳の隣にそっと座った。

しばらく侑佳は泣き続けた。



仕事のことで悩んでいたのだろうとは、何となく察しがついていた。そうじゃなかったら彼氏と何かあったかだ。

今まで肯定されると立ち直れないような気がして彼氏の有無を尋ねられずにいたが、侑佳に彼氏がいたところで可笑しいことなど何もない。考えないようにしていたというほうが正しい。

落ち着いてきたのか、侑佳は顔を上げて目元と頬に流れた雫を拭った。

ぽつりぽつりと話し始めるのを、拓海は聞いていた。

仕事で大きなミスをしたのだという。こんなに引き摺るなんてと、自嘲気味に笑った。

「もっと早く立ち直れると思ってたの。でもめげそうなときに御園くんに会うと、いつもあたし弱くなってた。無性に泣きたくなったの。

御園くんに心配されるのは嫌で、頑張って笑うようにしてた、けど。御園くんは、きっと気付いてたよね」

侑佳は上目遣いに微笑んで拓海を見つめる。

「うん」

何も嘘をつく必要はなかった。彼女にこうやって胸を焦がし続けてきて、それはいつも加速し続けるのに、今更何の嘘をつけというのだろう。

準備していた言葉はあまりにも薄っぺらくて、ありきたりだと思えた。準備なんて、するものじゃない。

今なら言えるような気がした。本当に、本当に伝えたい言葉を。

「ずっと、ずっと見てたよ。本当に笑ってくれなくなってからただ見てるだけの自分がすごく悔しくて、何もできないのが嫌だった。

榎木さんに何かをあげたいって、そして笑ってくれたらって、いつも思ってた」

「そう、なんだ。すごく嬉しいよ、それ」

侑佳が拓海の抱えている袋を指差して微笑んだ。泣き腫らした後ではあるけれど、もう大丈夫そうだ。

「ほっとした。気に入ってもらえそうでよかったよ。はい、これ」

侑佳が笑っている顔を見られるのは、嬉しい。

拓海は改めて侑佳に袋を渡して、呟くような声で、でも確かな意志を込めて問いかける。

「ねえ、榎木さん。これからは、侑佳って呼んでもいい?」

侑佳はまた目を見開いて、今度は穏やかに微笑みながら、目を閉じて拓海の肩にそっともたれてくる。

拓海から受け取ったプレゼントを、大事そうに抱えながら。

「もちろん。それに、あたしもあなたを拓海って呼びたい。

でもいまはね、もう少しだけこうしていたい」

侑佳の言葉と、肩に乗ったささやかな重みを意識して、温かな喜びに包まれていくのを感じながら、拓海は空を見上げる。

星の見えない紺の空には、輪郭がはっきりとしてきた、凛と輝く三日月があった。

「もちろん。いいよ。名前呼んで、それに、これからも俺の傍に居て」



彼女がそこにいた。

そしてすぐ傍にもきっと、在り続ける。

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