side/W

「これでようやく、この世界でスローライフができるぞ!」


 彼の言葉に私も思わず喜んだ。


 本当に長い戦いだった……

 生きては戻れないかもしれないと思った最終決戦前夜。

 誓いを新たにして挑んだ戦いに、今、ようやく、勝利した。


 私は彼に駆け寄る。


 彼は難しい顔をして、虚空に向けて話しかけている。


「……この声は俺を転生させた神様!? ……いや、神様、それはもういいんです。俺はこの世界で生きていきます。……そこをなしでお願いします。友達も恋人もみんなこの世界にいるんです。この世界が俺の故郷なんです……帰りませんよ」


 たぶん、彼を転生させたという神様と話しているのだろう。


 たしか最初のころ、『魔王を倒したらもとの世界に帰れる』と言っていた。


 でも、今の彼にはもとの世界に帰る気はないみたいだ。


 安心していたら、空をふさぐ暗雲の切れ間から、彼に向けて七色の光が放たれた。


 この瞬間、私にも神の声がはっきりと聞こえた。


「強制送還ビーム!」


 なにそれ!?


「あっ、神、てめぇ!」


 彼は叫び声を残して、消えた。


 唐突に、この世から、消失してしまったのだ。



 魔王を倒した祝賀会がおこなわれて、私と仲間たちは人類を救済した立役者として、人々の話題の中心にいた。


 でも、本当の主役であるはずの彼はいない。


 七日七晩続いた祝賀会のうちにひょっこり戻ってくるということもなくって、消えたままだった。


 お祭り騒ぎは一年ぐらいは続いたけれど、魔王という脅威がいなくなって、世界も、仲間たちも、それぞれの日常に戻っていった。


 私は魔術の知識をかわれて研究塔で働くことになる。

 与えられた宿舎に引っ越して、しばらくは英雄補正でやっていけた。


 でも二年が経ち、三年が経つと私への扱いは『世界を救った人』から『世界を救ったことのある人』になって、五年も経ったころにはもう、『昔、なんかすごいことをした人』だった。


 はっきりと『過去の人』と言われたことは、もちろん、ない。

 でも、扱いからそういう変化を感じる。


 仲間たちもそういう感覚があるらしい。

 たまに集まって飲み明かすこともあると、必ずあげられる話題の一つが、『世間からの扱いの変化』だった。


 そしてもう一つ、必ず話題になるのは、あの時、急に消えた彼のことだった。


「たぶん、もう、戻らないって」


 慰めるような口調でそう言われる。


 集まるたびに毎回言われる。世界を救った翌年にはもう言われていたと思う。


 でも、私は戻ると思っていた。


 健気だとか、貞淑だとか、言われる。

 でも、実際はぜんぜんそういう話じゃない。


 私は彼に賭けているだけだ。


 彼が世界を救うと決意したとき、彼に賭けたように、彼が戻ろうと努力し、いつか戻ってくるのだと、賭けているだけなのだった。


 人生を、賭けているだけ、なのだった。


 最初に『魔王討伐』なんていうことを彼が言い出したときに、『頭のおかしなやつめ』とみんなが笑うのが許せなくって、私は彼に賭けた。


 だからこれは、たぶん、意地だ。


 周囲にやめておけと言われれば言われるほど、私の心は反発心で燃え上がるようになっているのだと思う。


 五年が経ち、十年が経つ。


 彼は戻らない。


 結婚の話はいろいろと持ち込まれ、そのすべてを断って、ここ数年は、持ち込まれなくなった。


 彼は戻らない。


 意地になって『彼は戻る』と私が言い続けたからだろう、もう周囲のみんなもそのことには触れなくなった。

 もう、意地では待ちきれないほどの年月が経っている。


 だからきっと、私が彼を待つのは、意地だけが理由ではないのだろう。


 彼は、戻らない。


 歳を重ねるうちに、彼の帰還を信じ続けるのは、意地や賭けじゃなくって、生きることの一部になってしまった。


 呼吸をする。鼓動を重ねる。彼を待つ。

 水を飲む。食事をとる。彼を待つ。


 異世界に行く方法は模索してみたけれど、私は彼がどんな世界から来たのかさえわからない。

 世界を巡る魔法を開発して、いろんな世界を探し回るより、ここで待っていたほうが遭遇率が高いのだと考えた。


 だから、彼を待つ。


 五十年が経ち、六十年が経った。


 鏡に映る私の姿はすっかりあのころと変わってしまった。


 待つことに慣れた私は、待ちながら朽ちていくのを、なんとなく受け入れ始めていた。


 それが私の人生。

 待ちぼうけで終わりながらも、信念を貫き、彼の帰還を信じて……

 そうして終わる、報われなかった日々。


 ……違う。


 それは、自分に酔っているだけだ。

 その終幕では、『彼を待つ自分』が大好きな私で、終わるだけだ。


 ようやくわかった。

 私は本当に、本当に、彼に帰ってきてほしかったんだ。


 周囲の軽薄な意見に反発して彼を信じた。

 現実を見ろと訳知り顔で語るみんなに反抗して彼を待ち続けた。


 始まりは反発であり、人が真剣に目指すものを馬鹿にする連中への怒りだった。


 でも、信じ続けるうちに、周囲への反発で始まった彼への信頼は、とっくに、外せない私の軸になっていたんだ。


 だったら、結実するまで彼を待たなければいけない。


 彼を待つ。人間の寿命を超えてでも。世界に穴を開けてでも。


 そう決意したとき、不可思議な感覚があった。


 アイテムストレージに今まであった『底』のようなものが、急になくなった、そういう感覚だ。


 私は不思議な衝動に突き動かされて、アイテムストレージの中を探った。


 すると、覚えのない手紙を発見する。


 それは。


 彼の字で、こう、書かれていた。


『絶対に帰る』


 数十年ぶりに、活力がみなぎった。


 老いた体では、もう待てない。


 私はまず、この肉体をどうにかするための方法を求めた。


 長命種の秘術、不老不死の薬……さまざまな方法があったはずだけれど、私にできそうなのは『転生』だった。


 記憶を保持したまま生まれ変わり続ける方法だ。


 私はこの肉体の死期に間に合うように大慌てで術式を構築して、どうにか準備を整えた。


 転生して記憶を取り戻すたび、最終決戦の舞台となった場所へ向かった。


 瘴気と闇の炎で不毛の荒野と化したその場所で私たちは別れたのだから、再会するならここだろうという予感があった。


 転生を繰り返す。


 生まれ変わるたび決戦場跡地で彼を待つ。


 最初のころ、この不毛の荒野だった場所に居をかまえる私は『荒野の魔女』と呼ばれた。


 けれど、何回か転生をしていくうちに、荒野は草原になり、私の存在も都市伝説の中に消えていった。


 世間から忘れ去られていく。


『待っている自分』に酔うことをやめた私は、何度も何度も『本当に帰ってくるのか』と自問自答しなければならなかった。


 待っているだけではもう、満足できない。


 はっきりした結果を求め始めたころから、私は『彼が永遠に帰ってこないんじゃないか』という恐怖と戦い続けねばならなかった。


 転生を繰り返す。

 見た目はあのころのままのはずだ。魂のかたちが容姿に出る。

 でも、私はもう、鏡に映る私が、あのころの私なのか、自信がなくなってしまっている。


 気づけばもう、六百年ほどの歳月が経っていた。


 あきらめることも、自己陶酔も禁じたその時間は本当に長くて、私は夜中に一人きりで叫んだり、泣き喚いたりするのをこらえきれなかった。


 彼からの手紙を見て気持ちを落ち着ける。

 一瞬だけ彼と共用に戻ったアイテムストレージは、また、私一人用に戻ってしまっている。


 取り出した手紙はもう、くすんで、よごれて、ほとんど朽ちた、紙片のかけらでしかなかった。


 私の気持ちはへこんだりハイになったりせわしなく動き続けていて、自分の心に振り回されて、疲れてしまう。


 それは、鬱々とした気持ちのときだった。


 予感か、気配か、なにかを感じて、私は決戦場跡地にかまえた庵から出る。


 その瞬間、私は、時間が巻き戻ったかのような感覚に陥った。


 だってそこには、出会ったばかりのころの姿の彼がいて。


「嘘だろ……」


 彼は信じられないものを見たようにつぶやいたあと、笑い出したいのを必死にこらえてるみたいな顔で、私に近づいてきた。


 私も彼に近づいていく。


 そうして私たちは、かたく抱き合った。


 お互いが幻ではなくって、本物だと、確認した。


 ……こうして私は、賭けに勝った。


『魔王を倒して世界を救う』という言葉をたわごとだと笑った人たちがいた。


 彼はもう戻らないと、私をなぐさめるように言った人たちがいた。


 魔王は倒したし、彼は帰ってきた。


 もう、勝利を誇るべき相手もいないこの世界で、私の人生は、ようやく報われた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「これでようやく、この世界でスローライフができるぞ!」 神「よくやりましたね。勇者よ。それでは約束通りもとの世界に帰しましょう。強制送還ビーム!」 稲荷竜 @Ryu_Inari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ