ビッチな彼女は好きですか?
春野 土筆
ビッチな彼女は好きですか?
「えっ……また、したいの?」
先輩のオニキスのような妖艶で漆黒の瞳が俺を捉える。
その顔はどこか得意げで、満足そうだ。
「…………はい」
恥じらう俺は、その瞳を見つめ返すこともできないまま懇願する。
「でも、ついこの前もしたでしょ?それも、あんなに激しく…………。まだ、足りなかったの?」
俺のそんな態度に対し彼女はわざとらしく小さく膨らんだ桜色の唇に人差し指を添えて再び訊ねてくる。
何とも型にはまったあざとい仕草ではあるが、その一挙手一投足の全てに華があって。
目の前にいる先輩はまるでテレビドラマのワンシーンのように様になっている。
「で、でも……この間って言っても、もう二週間くらい前だし…………」
それに比べ情けなくずっともじもじとしている俺は。
頬を赤く染めながら言葉をこぼしていく。
先輩はそんな俺の態度を舐めるように見て微笑んでいる。
なんとかここを乗り越えれば……。
俺は心の中で何度も「耐えろ」と反芻する。
羞恥心に襲われ、そのまま押しつぶされてしまいそうになりながらも、今のこの現状に耐えるしかない。
もう少しの辛抱だ……。
俯きながら先輩の答えを待つ。
「……仕方ないわね。また、してあげる」
辛抱が実を結び、先輩の細い腕がこちらに伸び……俺の手を握った。
俺の願いが届いたのか、先輩が俺を鑑賞することに飽きたのかは定かではないが、ひとまずこの状況から抜け出せた。
ここにたどり着くまでに、何回赤面したことか。
「はぁ…………、先輩、もうこれ止めません?」
この空気から一刻でも早く抜け出したい。
俺はいつものテンションに戻って要求する。
先輩と付き合い始めて二日目に言われて始まったこの条件―――手を繋ぐときはお願いしてね、に。
俺の情けない姿をみて笑いたいだけと思われる『これ』のせいで、先輩と手を繋ぐハードルがものすごく高くなっていた。せっかく付き合い始めたのに、これでまだ二回目である。
俺の抗議に対して俺の彼女は、もう聞き飽きたと言わんばかりにため息をついてこちらに視線を返す。
夕日に照らされ、より艶っぽい。
「巧くんは、こんなお姉さん、いや?」
息をのんで、仰けぞってしまう。
眉をハの字にして小首をかしげたことに合わせて美しい長髪がふわりと揺れる。
甘い香りがふわっ、と漂った。
「…………ッ!」
「ふふっ、また照れた。やっぱり、君も本当はやりたいんでしょ」
またしても俺の赤面を奪った先輩は心底楽しそうに目を細める。
「……まぁ、やりたくないと言ったら嘘になりますけど…………」
先輩をこれ以上調子にのせるのは良くないことはわかるが、自分の本音を正直に述べる。
実際、美しさがより際立った先輩を見ることができることは確かに嬉しい。
それは間違いない。
容姿だけで言ったら学校でも人気の高い先輩だ。
そんな先輩の妖艶な姿を独り占めできるのは幸せなのかもしれない。
一年越しの片思いの末、二年生になったその日。俺は玉砕覚悟で彼女に告白した。
清楚を地で行く容姿に抜群のスタイルの良さ。さらに、俺も所属する文芸部の部長ということも彼女への憧れを強くしている要因だった。
あの頃の俺は、この人と付き合えるなら一生願い事がかなわなくていいとさえ思っていた。こんな清楚な彼女と一緒にいられるだけで幸せだと。
本当にそれくらい好きだったんだ。
だけど……。
「……やりたくないは嘘、なんてえっちですね、君は」
これなのだ。
知った時は結構つらかったんだが、先輩は虚をついて俺の発言を別の意味にしたがる(というか、してる)ビッチ属性を持っていた。何もしゃべらなかったらモデルでも行けるんじゃないのか、というような容姿から下ネタを臆面もなく俺にぶちかましてくる。
付き合う条件に、
・先輩と付き合っていることを他人には言いふらさないこと
・別れたとしても、付き合っていた時の内容は口外しないこと
という二点が要求されていたのだが、俺はあまり考えずにその条件を飲んだ。
あの時、その理由を確認しなかったそればっかりに……。
いや、普通こんな事予想しねぇだろ。
だが、先輩の姿を見て落胆していただけの俺ではない。
「はい、はい、俺はエッチですよー」
最初は赤面ばかりしていたのだが、最近はこうして適当に流していくことも覚え始めたのだ。元々、「やりたい」と言ってきたのは先輩の方なのだが、そんな丁寧なツッコみをしていてはやってられない。
こういう人の対処にはスルーが最適なのだ。
合気道の達人のような熟練の技が光る。
「もうっ、最近の君は全然下ネタで照れてくれない……。耐性がついちゃったの?」
俺の捌きのテクニックを見て、先輩はちょっとだけ残念そうにしている。
まぁそりゃ、毎日浴びせ倒されたらさすがにね……。
残念そうにしているだけならまだしも(?)、「もっとストレートな下ネタを言う必要があるのかな……」などと、本当に勘弁してほしい独り言をつぶやいている。
慣れたら慣れたでいいじゃないですか。
慣れてきたから、さらに強力なのを……という発想はなくしましょ?
下ネタを言う相手の前でどう下ネタを言うかという事を考えていた先輩は。
「……手、おっきいですね」
それまでの話題とは一転して。
突然、繋いでいる手の事を先輩は言い始めた。
そうだ、これまでの間俺と先輩は手を繋ぎながら歩いていたのだ。
先輩の細くて、強く握ると壊れてしまいそうな手を。
ツッコみに集中しすぎていたせいで、手を繋いでいることも忘れていた。
なるほど、今度はそれで赤面させる作戦か。
清楚な作戦じゃないか。
「先輩の手は、小っちゃくてかわいいですよ?」
こちらも先輩の手の感想を述べておく。
作戦が分かれば、相当なことがない限り赤面させられることはないはず!
すると、先輩は少し躊躇ったあと俺を見上げ、頬を赤くしている。
瞳は潤み、「もうっ、我慢できないっ」という顔だ。
ま、まさか、ストレートな、ってキ、キスか……?
キス、キスなのか⁉
ドラマで、女性がこのような顔になった後にキスをするシーンを何度も見たことがある。
……これは、間違いないんじゃないか…………?
腹を決めた俺はだんだんと目を閉じつつ、先輩の顔に自分の顔を近づけた。
そして、完全に目を閉じる直前。
彼女の視線が俺を大きく離れ、下の方に向けられる。
「君の――――は大きいですか?」
ちょうど大型のトラックが二人の横を通り過ぎた。
だから何も聞こえなかった。
俺は、何も。
何も……。
「先、輩…………」
「どう、したの……?そんな、絶世の美女を見るような目をして?」
「してませんっ、軽蔑しているんです!」
思わず赤面して、ツッコんでしまう。
期待したのに、これも結局は下ネタかっ!
「やっと照れてくれたねっ」
俺の悔しがる姿を見て、先輩は右手で小さくガッツポーズをして分かりやすく喜ぶ。
今日一番のご満悦顔だ。
ほんとに、何をやってんだか……。
心底あきれながらも、先輩の無邪気な笑顔を見ているとおのずと頬が緩む。
繋いでいる手にも力が入った。
「もうっ、激しいんだから」
また、何か言ってるよ……。
もう諦めを通り越して、何も感じない。
スルーした俺の表情がおかしかったのか、「ふふっ」と笑った先輩は。
何も言わずに俺の手を強く握り返してくれた。
※
何か、ないのか。
何か……。
家に帰った俺は、すぐに自室にこもって考え事をしていた。
もちろん、宿題や自主学習をするために自室にこもっているのではない。
「下ネタを言わせない方法…………か」
先輩と付き合い始めて、そろそろ一か月。
最初の内は下ネタを言うのも少しの間だろうと高をくくっていたのだが、全くその様子はない。先輩は好きなのだが下ネタがあまり得意ではない俺にとって、彼女との空間は好きと嫌いが一緒くたになった一種のカオス空間となっていた。
何とかしてでもこの混沌を解消できれば、先輩との時間をもっと有意義に過ごせるはずだ、間違いない。
そう思って考え始めてはみたものの、パッとは何も思いつかなかった。
真っ白な天井を見上げる。
「…………う~ん」
独り言が出てくるだけで、画期的な作戦や方法らしいものが思い浮かばない。
ただ、思いつきをどんどんメモしていくことが良いという事を聞いたことがあったのでしていった。
・下ネタをやめさせる
・下ネタを消す(この世界から)
・下ネタを言う前にこちらがしゃべり続ける
なんじゃ、こりゃ。
3つしか考えつかない上に、どれもできそうにない。
下ネタを止めさせられるわけねぇだろ。
すぐに文字の上に横線を引き、これらをボツにする。
気づけば、30分が立っていた。
単純に計算して一つに10分もかけてるのか、たかがメモなのに。
自分の思考力のなさに衝撃を受ける。
再び自分の彼女から下ネタを取り除く方法に思いを巡らす。
これだけの熱量を持って何かに取り組んだことが俺にあっただろうか。
自信を持って言える。
こんなに集中して机に向かい続けたことは一度もない。
つまり、未知の領域だ。
どうなるかは分からない。
しかし、俺には先輩を「下ネタ」という呪縛から解き放ってやる必要がある。下ネタの外に広がる美しい言葉の概念へと先輩を飛び立たせるための重大な使命を背負っているのだ。
……先輩、必ず救い出します。
自分に課された使命を確認すると、自ずとメモを書くペンに力がこもる。
――しばらく経って。
机の上の紙は先ほど横線を引かれた三つの案が空白を寂しく埋めているだけだった。
「一回、ねよ……」
自分の想像力に限界を感じてペンを投げ捨てる。
敗北と共に、先輩の勝ち誇った顔が目に浮かんだ。
「くそぅ……」
両手で顔を覆い、思考を一度リセットする。
「下ネタか………………」
小さいころから俺は下ネタが苦手だ。
それが面白いと感じたことはあまりないし、聞くこっちが恥ずかしく感じていつも赤面してしまう。下ネタを言ってくる子がいつの年代もいたが、こっちはそれで笑うどころではなかった。
何でそんな恥ずかしいことをためらわずに言えるの?
そういう疑問を感じつつも、体の奥に感じる熱が毎回のように顔に現れた。
そんな俺を楽しんでからかってくる子もいたし、「この子に下ネタはやめておこう」と言って話題を避けてくれる子もいてくれた。
……まぁ、今は慣れてしまって赤面するというよりかはうんざりすることが増えたけれど。
その元凶がドヤ顔でこちらを見つめるのが目に浮かんだので、「そんなことで誇らないでください!」と想像の先輩にもツッコんでしまう。
……既に重大な後遺症を抱えてしまったようだ。
最初の内は下ネタの対処に精一杯だったのに。
帰り道で何度かかましてくる下ネタを捌くことに必死だった自分を懐かしく感じる。
まだ一か月くらいしか経っていないはずだが、だいぶ前の思い出を思い返しているような錯覚を覚えたところに、先輩の恐ろしさを痛感した。
※
次の日の放課後。
「お疲れ様です」
「はいっ、お疲れ様です」
最後の部員が教室から出ていき、先輩は笑顔で見送っている。
部長らしい……まぁ、部長なんだけど。
改めて二人でいる時とのギャップに驚きつつも。
「それじゃあ、俺たちも帰りますか」
帰る準備を終え、自分の鞄を持つ。
「……ちょっとすることがあるから、先に行って待っててくれる?」
「何かあるなら手伝いますよ?」
「ありがとう、大丈夫だから」
「そう、ですか。じゃあ先に行って待ってますね」
文芸部の仕事があるのか先輩は先に待っているように促したので、素直にそれに従っておく。
手を振って見送ってくれる先輩を残し、俺は教室を後にした。
そして校門の前まで来たところで。
「あっ、マズい…………」
文芸部の教室に弁当箱を置き忘れてきたことに気づく。
あ~~~……。
戻るのは面倒くさいが、さすがに一日置いておけない。
今取りに戻れば、まだ間に合うだろうか。
先輩がまだ用事している事を願って、俺は文芸部に踵を返した。
学校の中は文化系の部活がどこも終わっているためか、思っていたよりも静かになっていた。
廊下を歩く俺の耳には、体育系の掛け声と俺の足音だけが響く。
階段を上り、やっと文芸部の教室の近くに来た。
文芸部の部室はこの高校の旧校舎の奥にあり、部活以外で普段は誰も近づかないようなところに位置している。
そのはずなのだが。
「また、私を求めてるの?」
文芸部の教室から、先輩の声が聞こえた。
「あなたを……可愛がってあげる」
ところどころではあるが、大人っぽく妖しい先輩の声音が誰かに話しかけているのが聞こえる。
一人で何かをしているはずの先輩が、俺と付き合っているはずの先輩が誰かを誘惑している……。
ど、どういうことだ?
彼女の誘惑するような声をきいて、動揺してしまう。
先輩がこんな態度でいるのは、俺といる時だけのはずだ。だって、学校での先輩は上品で清楚で、全くビッチなことを感じさせないようにしているんだから。
他の人にはこんな姿を見せる筈がない。
あんな姿を見せるのは、先輩と付き合って――――。
そこまで考えた後に。
「ま、まさか……」
先輩の浮気を疑ってしまう。
超絶美人の先輩なのだから、男の一人や二人居てもおかしくないが……。
その考えに至り、さらに動揺が走る。
いやいやいやいや。
先輩がそんなことをする人なわけがない。
下ネタは好きだけど、そう言った道理を外れたことは嫌いな人だ。
これは、何かの間違いだ。
そうに違いな……
「だ、だから、激しいのはダメッ――」
……。
一段といやらしい声が廊下に響いた。
す、少しだけ……。
止めていた歩を進める。
先輩が、俺の彼女が浮気なんかするはずがない……。
何度も繰り返す脳裏に先輩に付き合うとき提示された二つの条件がよぎった。
そ、それでも。
俺は自分の彼女への信用と信頼を彼女に抱きながら。
そ~っと。
バレないようにこっそりと窓の外から教室をのぞく。
だ、誰と一緒に………。
「ええっと、それから…………」
だが、教室をのぞいたが男は誰もいない。
というか、先輩が一人いるだけで他の人はいないようだった。
先輩は何かメモ帳なようなものを見ながら独り言をぶつぶつと呟いている。
何を、しているんだ……?
「……仕方ないですね、今回だけですよ?」
メモ帳に目を落としながら先輩はまた妖艶な声でだれもいない空間に話しかけている。
やだっ、怖い……。
乙女のように肩をビクッとしてしまう。
上手く状況把握できない光景がそこに広がっていた。
ん、ん、ん?
一人、扉越しに混乱する。
一体、何を――――。
これの理解に努めようとするが、思考はまとまらない。
「……はぁ、これで今日も巧くんの照れた顔を……」
終わったのか、持っていたメモ帳をポケットにしまう。
少し頬を赤らめた先輩は、一つ吐息を吐いてそう言った。
ますます状況が分からない。
これは、どういう――――。
絶賛、攪乱中だ。
その間にも先輩は帰り支度を始め。
こちらに目を向けた。
もちろん教室の中をのぞいていた俺と視線が重なる。
それと同時に、先輩の瞳に緊張の色が走った。
いつもは何を言っても余裕しゃくしゃくと言った先輩が、目を見開いたままその場で固まってしまっている。
まるで幽霊でも見てしまったかのように戦慄する先輩を見て。
「ど、ども…………」
「た……巧くん…………ど、どうしてここにっ」
先輩の鞄が手を離れ、ドンッという音を立てて足元に落ちた。
なんて声をかければ分からなかった俺は、「俺は何も見てませんよ~」風にドアをそっと開け、しれっと教室に入るが。
先輩は明らかに動揺した声でもう一度、問いかけてくる。
「……なんで、どうしてっ」
「えっと…………忘れ物したんで」
顔を青くしながら焦る先輩の横を通り抜け、こちらはいたって冷静であることを装いつつ本来の目的である弁当箱を荷物かけがら取り上げる。
「これを忘れてしまって……」
苦笑いしながら先輩に向かって、弁当箱を見せる。
だが。
「……みたんだ」
先輩は俺の弁当箱など見向きもせず、今のこの状況について確認をとる。何やら黒いオーラのようなものが先輩から出ているように感じる。
なんか怖い雰囲気を纏う先輩を前に、一瞬知らないふりをして通そうとも思ったが、雰囲気とは裏腹に思いつめたような顔をした先輩を見て「……はい」と正直に話してしまう。
この後に知らないふりをして一緒に帰ることに俺自身、耐えられる自信がなかったということも大きいが、それ以上に先輩が今何をしていたのか、真相に興味があった。
五秒くらいだろうか、重苦しい時間が流れる。
先輩は躊躇いながらも真剣な表情でその小さな口を開いた。
「……実は、…………下ネタを言う練習をしてたの」
「……………………はぁ?」
一瞬の空白。
俺は、ツッコんでるのか、了解しているのか、自分でも訳の分からないイントネーションで先輩の告白に対して返事をした。
はぁ?
この人は何を言っているんだろうか。
下ネタの練習?
そんなことしなくても、摩擦係数ゼロなんじゃ?というようなスムーズな下ネタを俺と会うたび連発してるじゃないですか。リニアモーターカーも驚くくらいの。
今更何を言うのかと思えば。
急に、真面目に聞こうとしてしまったことが馬鹿らしく感じてしまう。
先輩が真面目そうにするから、こっちも真面目になって聞いてしまったじゃないか。
……まぁ、淡く色づいた顔が可愛かったですけど。
ただ、告白の内容に思わずあきれてしまったというか、拍子抜けしてしまった俺はそのまま先輩に聞こえるくらい大きなため息をつく。
ボケても赤面なんかしませんよ?
「先輩、何を言ってるんですか……」
半眼になりながら、ツッコむ。
「第一、下ネタが大好きな先輩が何で練習する必要あるんですか?……実は、清楚キャラでしたなんていう冗談はとっくの昔に通じませんよ?」
「……そう、……清楚キャラなんて私の柄じゃない…………」
俺からのツッコみに。
先輩は真面目な表情のまま、同意した。
それじゃあ、やっぱりビッチ属性じゃないですか。
そう言おうと思ったのだが――――――。
「でも……私はビッチでも………ないっ」
先輩は肩を震わせ、消え入りそうな声でそう言った。
「い、いや、あんなに下ネタばかり言っておいて…………」
これはさすがに、先輩をツッコまずにはいられない。
だが先輩は。
「――――全部、君のせいなんだよ……」
まるで、小さな子供を見ているかのように、泣き出しそうに。
いつもの大人ぶって、痴女とでもいうべき態度をとっている先輩からは想像がつかないほど純粋な瞳で俺を射抜きそして、俺のせいだとのたまった。
「お、俺のせい…………?」
予想外の言葉が飛び出し、時を止める。
下ネタの苦手な俺が先輩に対して下ネタを言うように先輩を含む女性に強要したことなど一度もない。俺が自由の身でこの教室にいることが何よりの証拠だ。
一度だって、「先輩、やらしい言葉言ってくださいよ~」なんて変態がするようなこと言った覚えはない。
「な、何、出まかせを…………」
ちょっと怒気をはらんだ声で反論する。
さすがにこれは許容できない。
そんな俺に対して先輩はお姉さんのような落ち着いた声で、こう続けた。
「…………高橋碧。この名前に聞き覚えって、ない?」
「……………………高橋碧?幼稚園の頃、一緒に遊んだ近所の子ですけど……」
急な話題変更に、今まで感じていた怒気を忘れて面食らってしまう。
いきなり言われて驚いたものの昔の記憶を掘り下げた俺は、朧気ながら覚えている彼女について引っ張り出した。
短い髪で、活発な女の子。家が近かったせいかよく遊んだのだが、いつの間にか引っ越していなくなったと記憶しているが、それがなんなのか。
怪訝そうに見る俺に、先輩は懐かしそうな瞳で話を続ける。
「あのあとね、高橋碧は名前が変わって、………時任碧になったの」
「と、時任碧……」
思わず、言葉に詰まり目の前の先輩を凝視してしまう。
なぜなら、その名前に聞き覚えがあったから。
なぜなら、俺はその人の事を一年間思い続けたのだから。
なぜなら、その人は――――俺の彼女なのだから。
「せ、先輩が、…………碧ちゃん?」
「……今まで黙っててごめんね……たっくん」
何年ぶりだろう久しぶりにその名前を口にする。
先輩からも当時のままの言い方で俺の名前が呼ばれた。
凄く懐かしい。
先輩が幼馴染というカミングアウトに驚愕しつつも、久しぶりに会った親友のようないい感じの空気が二人を包み込む。
さきほどとはうって変わって、穏やかな雰囲気が…………。
って!
「……あ、あの思いっきり感慨に浸っちゃいましたけど……何で俺が原因なんですか?」
危ない、一番肝心なところを忘れてしまうところだった。
このまますんなりエンディングには行かせないぞ。
すぐに誤魔化そうとする先輩に、易々と引っ掛かってたまるか!
俺は表情を引き締めて見つめ返す。
先輩は「引っ掛からなかったか……」と苦い顔をした。
この様子だと、昔の幼馴染ということで驚かせただけで、原因と関係なさそうだ。
全く先輩は心臓に悪い嘘をつく。
「……俺が原因だなんて、やっぱり嘘なんでしょ……」
「そ、それは、嘘じゃないっ!」
やれやれと分かりやすく両手を広げて本題に戻そうとする俺の言葉をさえぎって、先輩は必死そうに反論した。
何故か頬がさっきよりも赤くなっている。
「じゃあ、なんで俺のせいなんですか?……こういっちゃなんですけど、俺昔から下ネタが苦手なんですけど」
俺が昔から下ネタ嫌いであることで告げて、釘を刺す。
分かりましたか?と諦めの悪い先輩に引導を渡した。
すると。
「………………それだよ」
「はっ……?」
「だ、だからっ、下ネタで恥ずかしがってくれる君が理由…………」
先輩は恥ずかしそうに、本当に恥ずかしそうに俯いている。
いつも下ネタを言うときは堂々としている先輩が。
「それは、高校生になってからですよね?幼稚園の頃に下ネタなんて……」
「…………そのときだよ」
はっ?
先輩は何を言っているんだろうか。
小さいころの碧ちゃんは、下ネタを言うような子じゃなかったはずだ。
何か思い間違いをしてるんじゃないのか。
「……ちっちゃなころ、もう覚えてないけど…………何かの拍子で恥ずかしいことを言ったことがあったの。………その時、君は顔を真っ赤に染めて…………今でも鮮明に覚えてる」
そういうと先輩は俺の前まで歩み寄りながら、その時の経緯を説明していく。
「元々、君のことが好きだった……。顔もタイプだったし、…………優しい所も」
普通に好きだったのに、と彼女は続けた後。
「そんな君があんな可愛い顔するんだって、小さいながらに思ったの。そして気づいたら、またあの顔を見たい、って思ってた…………」
先輩はこれまでの思いを吐露していくかのように続ける。
「……十年以上月日が経ってこっちに戻ってきた後、何だか気まずくて君が文芸部に入ってきても声もかけてなかった。でも、君が私に告白してきたあの日、あの時の顔が鮮明に蘇ってきて……もう一回君の可愛い顔を見てみたいって思った。………純粋に恥ずかしがってくれる可愛い顔を」
「先輩……」
「……私が恥ずかしいことを言ったらどんな顔をされるか……不安だったけど……君はあの時のままのリアクションを取ってくれた。……私は保身のために付き合う条件まで付けたのに、あの後も君は私と付き合い続けてくれた―――」
花が咲いたようにパァっと、屈託のない微笑みを先輩は俺に向ける。
穢れのないその美しさに俺は思わず顔をそむけてしまった。
そんな俺を嬉しそうに見て。
「実は……私も下ネタあんまり得意じゃないんだよね。でも、君のその顔が見たくて……調子に乗って言ってたら、このキャラから引き返せなくなっちゃって…………」
衝撃の事実。
まさかあんなに言っていたのに、そんなに得意じゃないってことがあるのか。
しかし、言動を振り返ってみると、確かに分かりやすい感じのや同じのしか使っていなかったことに気づいた。
合点承知だわ。
「だから……、言う前に緊張しないよういつも練習を……」
こんな姿見られなくなかったな、っと先輩は肩をすくめて見せた。舌を出して可愛く見せているが、プルプルと恥じらいで震えてますよ?
「……バレてしまったことですし、もう下ネタは止めてくれるんですか?」
「で、でもっ、君の可愛い顔はもっと見たいしっ……」
すぐに首を縦に振らない先輩に。
「……俺は下ネタよりも…………素の先輩の方が赤面しちゃいます」
今までに感じたことがないくらい頬を熱くさせながら。
俺は今自分が感じている本音を先輩にぶつける。
彼女は一瞬意外そうな顔をしたが。
「……それじゃあ、えいっ」
「ふぁぁっっ!?」
いきなり俺に飛びついてきた。
「キャラが邪魔してできなかったんだけど、本当はこんな感じでベタベタしたかったの……ダメかなっ?」
甘えん坊な赤ちゃんのようにギューッと俺を抱きしめる。
柔らかいものが当たったせいで真っ赤になっている顔を指摘され、さらに照れてしまう。
――やっぱり先輩はビッチじゃないですかっ!
ビッチな彼女は好きですか? 春野 土筆 @tsu-ku-shi
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