今度の終末、あたしとキャンプしませんか?

鳥辺野九

今度の終末、あたしとキャンプしませんか?


 世界は意外と音に満ちている。


 おろしたての靴の硬いソールがアスファルトを打つ音。バックパックのファスナーが揺れる微かな金属音。深く息を吸い込むと胸に響く空気が流れる音。こんなに大きかったかと響く自分の声。声の出し方を忘れないよう独り呟く度に驚かされる。


 しかし、ひとたび動くのを止めれば、瞬く間に周囲から音は消え去ってしまう。ぴんと糸を張ったような緊張した無音が訪れる。まったく、世界という奴はかくも寡黙なものか。


 思えば、かなり長い間、人と口を利いていない。


 最近話した相手と言えば、新しい靴を探しに入ったアウトドアショップのマネキンくらいだ。カビが発生することもなく、春物のアウターを着こなすきれいな立ち姿に思わず惚れそうになった。近況とか少し喋り込んで、ふと我に返り、思わず笑い出してしまった。無機質なマネキン相手に自分は何をしているんだ、と。


 誰でもいい。話したい。心の底から湧いてくる生きた言葉を交わしたい。あなたはこの無音の世界をどうやって生き延びてきたんだ?


 今日もまた、誰もいなくなった街をさまよい歩く。誰か生き残っていないか。人の姿を求めて。


 本当に人類は絶滅してしまったのか。


   §


 電気の消えたコンビニはとにかく薄暗い。窓側の雑誌コーナーなら陽が差し込んでいるからまだマシで、商品棚に遮られる店舗奥側は暗くて様子が窺えない。


 正面入り口へ向けてカブを停めてヘッドライトで店内を照らす。うん、大丈夫。商品はきれいに陳列されている。このコンビニは荒らされていない。それと、当たり前のように人の気配もない。


 バス通りに面した店舗で視界も広く開けている。ソーラーパネル式の街路灯ユニットが立っている駐車場には誰も乗っていない車が一台放置されているが、それ以外はなかなか好条件な物件だ。今夜はここで眠るとしよう。


 早速、駐車場のなるべく真っ平らな場所を探して、砂埃をかぶってくすんだ軽自動車に並べてテントを張る。


 自分で言うのも何だけど、いい加減テント設営にも慣れてほしいものだ。何度やってもメインポールがバランスよく刺さってくれない。安物の簡易テントが悪いのか、それともペグが打てる土の上にテントを張るのがいいのか。


 あれこれぎこちなく頑張って、小さな軽自動車の隣にさらに小さなドームテントが立ち上がった。


 さて、テントの次はごはんだ。今日は昼からだいぶ走ってきたので、お腹もいい具合に減っている。


 重い観音開きの入口ドアを押し開けて、なるべく外の空気を入れないようにわずかに広がった隙間に身体をねじ込んで入店。


「こんにちはー」


 わかってはいるが、習慣と言う奴はなかなか変えられないものだ。あたしは誰もいない店内にいつものように元気に挨拶をして、息を止めて返事を待った。


「非常事態ですのでー、すいませんがー、商品を貸してくださーい」


 あたしの声が無人の店内に虚しく響く。そして、やっぱり無音。返事はない。


「ありがとーございまーす」


 返事がないのは了承の証し。では、遠慮なく使わせてもらおう。


 まずは火種となる新聞紙。入り口すぐ側に置かれている新聞スタンドから適当に一部引き抜く。もう六ヶ月も前から変わっていない一面記事をさらっと流し見ながら缶詰コーナーへ。


 もはや慣れた手付きでサバの水煮缶とカットトマトの缶詰を選ぶ。どこのコンビニも陳列パターンは似たようなものだ。もう目をつぶっていてもサバ缶を抜き取れるようになってしまった。


 そして乾燥そうめんを一袋、ペットボトルのお水、それとデザートにカカオ成分の濃いチョコレートも借りよう。どれも賞味期限なんて気にしなくていい商品ばかりだ。


 オリーブオイルと固形コンソメはまだ残っていたから借りなくてもいいし、お買い物はこんなもんでいいか。


 さて、一応形ばかりは、とレジに向かう。


 ふと、スイーツの冷蔵ショーケースが目に入った。コンビニで最も華のある売り場であるはずのそこには、無残にも原形をとどめていないスイーツたちが鎮座していた。


 真っ黒く変色したモノ。ぱっさぱさに乾いてしまったモノ。ミドリ色のふさふさしたのが生えたモノ。どろりとマーブル模様に溶け流れたモノ。電気のついていない冷蔵ショーケースはカオスなスイーツ群に占拠されていた。


 そしてその混沌の中に、あたしは一際異彩を放つ奴を見つけた。ぷるんとツヤのあるタマゴ色したプリンだ。まったく劣化した様子も見せず、ちょんと触れればたゆんと揺れるほど美味しそう。しかし、その見た目に騙されちゃいけない。賞味期限はもう六ヶ月も前に切れているのだ。この艶やかさが逆に怖い。何が入っているんだ、このプリン。




 手入れをする人間がいなくなったせいで道路脇の街路樹は荒れ放題だ。人類や動物は絶滅したって言うのに、植物たちは順調に生きているみたいだ。こんなに大きく成長するのかとびっくりするほど伸びきった雑草。わっさーと全方位に盛り上がった植え込み。道路は名前も知らない色濃い緑色に侵略されていた。


 街路樹は道路側にも大きく枝を茂らせていた。そして風に煽られて折れ落ちた小枝が道路に散乱していて、これがちょうどいい焚き木になる。


 二食分くらいをクッカーで煮炊きするのに十分足りる量の小枝を道路で拾い集める。それはあたしにとって意外と大事な作業だ。いや、むしろ儀式と言うべきか。


 足元に落ちている折れ枝を拾っては歩き、歩いては拾う。適度な太さの小枝を選別して、どう組み重ねて火をつけるか想像しながら拾う。そうすると地味に楽しくなってくる。これから料理するぞって気持ちがむくむくと湧き上がってくるのだ。いわばルーティンって奴だ。そうやってわずかでも楽しみを見つけていかないと、人類が絶滅した街でのソロキャンプだなんて、とても正気を保ってなんていられるか。


 さあ、食材も焚き木も現地調達できた。人類絶滅キャンプクッキング開始だ。


 コンビニ駐車場に戻り、ソーラー発電街路灯の明かりの縁に陣取る。ライトの真下だとせっかくのウッドストーブの火が光にかき消されて楽しめないし、陽が落ちて光源から遠く暗過ぎても、ちょっと怖い。真っ暗いのはダメだ。


 まずは火だ。円筒形のウッドストーブの底、受け皿に新聞紙をちぎって軽く握って重ねていく。火種用の新聞紙は大きめのこより状にしてやって、ライター用オイルをちょっとだけかけてやる。そこへ叔父さんから勝手に借りてるジッポライターで着火。黄色がかったオレンジ色の炎がぱっと咲いた。


 火種がついた新聞紙をウッドストーブに投入。お次はそこへ乾いた落ち枝を細かく折ってくべてやる。ちろちろとか細く揺れる火を潰してしまわないように、ちゃんと空気の流れ道ができるように小枝を重ねていく。


 それは火と言う生き物に餌を与えるような作業だ。食べやすい餌をあげれば美味しそうにたくさん食べてくれて、その分だけ大きく燃え上がる。キャンプ好きだった叔父さんは教えてくれた。焚き火とは火を育てるんだって。


 火がもう少し大きく育つまで、コンビニ駐車場で食事セットの準備だ。カブに積んでいたキャンプ道具一式、こじんまりと展開せよ。


 折りたたみアウトドアチェアを広げて、ウッドストーブの明かりで道路と街路樹がよく見渡せるように設置。チェアに体重を預けた姿勢でも手が届く位置にアルミ製のローテーブルを開く。スタッキングしたクッカーをセット。よし、これでコンビニ駐車場にあたしの陣地が完成した。


 暗くなりつつある誰もいない街角で、人類生き残り最後の一人として作る食事。思えばこれは毎日最後の晩餐だ。気分を盛り上げなくちゃやってられないって。


 この六ヶ月間のぼっちキャンプ生活でわかった事がある。寂しいって気付いてしまったら負けだ。ひとりぼっちだと悟ってしまうと、背中にどっしりと人類最後の女子高生としての重圧がのしかかって死にたくなる。


 あたしは寂しくなんかない。キャンプ料理の画像を撮るのに忙しい毎日なんだ。ネットが消えちゃってるからインスタにアップできないけどさ。


 ペットの焚き火だっているし、寂しいなんて感じてる暇もない。十分に育ったウッドストーブの火に新しい餌をあげる。オレンジ色に燃える火はまるで舌を出して喜ぶかのようにゆらゆらと踊った。


 その陽気な火に五徳をかぶせ、小さなクッカーを乗せる。ゆらり揺らめく火がちょうどクッカーの底を舐め回すようで、二次燃焼も申し分なく、調理にちょうどいい具合に育ってくれた。


 まずはクッカーにオリーブオイルを引く。一ヶ月くらい前にセレブが通いそうな高級スーパーマーケットからお借りしたエクストラバージンなんちゃらオイルだ。なかなか減らないからちょっと贅沢にたっぷり使っちゃおう。


 ふつふつとあったまってきたオリーブオイルに香り付けの乾燥スライスにんにくを投入。このにんにくは三週間前に見つけた生協から借りてきたものだ。それにしてもオリーブオイルで炒めたにんにくの匂いをかぐと、どうしてこんなにもお腹が空いてくるのだろうか。これはまさに匂いの暴力だ。食欲をがんがん攻撃してくれる。


 フォークでちょいちょいとにんにくをつついてオイルにたっぷり香りを付けたら、さっきコンビニから借りたばかりのサバの水煮缶の出番だ。サバを塊のまま投入してやる。


 フォークの背でサバの塊をほぐし炒めて、でもあんまり崩しちゃうと口に入れてもぐもぐと噛む楽しみがなくなってしまう。ちゃんとサバの身の形が残るくらいにフォークでつっついてやる。


 サバの水煮を炒めている間に、缶詰に残ったサバの味がする水分に固形コンソメを入れてフォークでつついて砕く。このコンソメはどこで借りたものだったかな。忘れたわ。コンソメサバ味になったら缶詰の水分を全部クッカーへ注ぎ入れる。そこへこれまた借りたばかりのカットトマト缶だ。全部入れちゃおう。


 ウッドストーブの小さな五徳の上にちょこんと乗るソロキャンプ用のクッカー。アルミニウムの小さなお鍋の七分目くらいまでサバとトマトのソースで満たされる。そこへペットボトルのお水を少々、そしてメインとなる乾燥そうめんの登場だ。


 いろいろな缶詰料理を試してきたけど、サバ缶にはパスタよりもそうめんが抜群に合う。この人類絶滅キャンプでのあたしの一番の発見だ。


 サバトマトコンソメソースがくつくつと煮立ってきたら、乾燥そうめん二束の出番。タオルを搾るようにそうめん束を真っ二つに捻り折ってクッカーに波打つサバトマトの海へ垂直に挿し込む。それも豪勢に二束分だ。あとは蓋をして二分間我慢する。いい匂いに惑わされて、どんなに蓋を開けたくなっても我慢。


 ウッドストーブの踊る炎を見つめることおよそ二分。


 さあ、サバトマトそうめんの完成だ。クッカーから直でいただきましょう。


「いただきまーす」




 夜は暗い。


 人類がいなくなって、あたしはそれを思い知った。人類絶滅後、夜は変わった。暗い。いや、すごく黒い。


 暗闇の密度がとても濃いのだ。カブのヘッドライトやウッドストーブの火、LEDランタンやスマホの画面の明かりがなかったら、鼻の頭に人差し指を持ってきてもまったく見えないくらい真っ黒な闇に包み込まれる。


 夜空があるはずの頭上を見上げても、まんまるに輝く月もなく、きらきら瞬く星も消えた。まるでのっぺりとした真っ黒い布を頭からかぶせられたみたいに何も見えない。


 夜になると、何かどす黒い巨大な生き物がのそのそと這い出して、街をすっぽりと覆い尽くしてしまう。そんな妄想に駆られる。そいつは、そいつらはあたしのことを狙って夜な夜な歩き回っているんだ。


 しかもその黒い夜は部屋の中、建物の中、地下でも同じだった。太陽の光が差し込まない建物の奥や地下鉄の駅構内、地下街、何もかもが真っ黒く塗り潰されていた。LEDランタンを持っていないとトイレすら真っ暗で怖くて入れない。


 あたしは確信している。その何かが、人類を絶滅させたんだ。人類最後の女子高生であるあたしを狙って、闇の中に息を潜めて隠れているんだ。人類がいなくなって、夜が変わったって言ったけど、それは違う。夜が変わって、人類はいなくなったんだ。今はそう思う。


 だから、あたしは夜眠る時も明かりを絶やさない。暗くなる建物の奥や密閉された部屋の中では眠らずに、野外に火を焚いて、充電式LEDランタンの弱々しい光に守られて眠る事にしている。


 今夜もまた、ウッドストーブにたっぷりと小枝をくべてやって、ドームテントの入り口にLEDランタンをぶら下げて、寝袋に包まれて眠る。テントの周りだけ暗闇は切り払われて、あたしは無事に明日の朝を迎えるんだ。ウッドストーブの焚き木が燃え尽きたり、LEDランタンのバッテリーが切れたりして、あたしが闇に包まれたら、その時はその時だ。眠っている間に人類完全絶滅するのもいいだろう。




 やがて朝がやってきて、太陽の光がテント越しにあたしの顔をぺしぺしと叩いて、ようやくあたしは目を覚ます。


 目を覚ましてまず感じる事は、まだ生きているって安心感だ。人類は完全に絶滅しちゃいないぞ。あたしがまだ生き残っている。黒い夜め、ざまあみろ。


 それも、今日までだろうけど。


 小さなドームテントから這い出て、すでに明るい青い空の下、あたしは自分が選んだ死に場所を見上げた。このひとりぼっちの静かな世界にもう耐えられそうにない。死んでやる。黒い夜に飲み込まれて消えるんじゃなくて、あたし自身の手で人類の歴史にピリオドを打ってやる。


 大きく傾いた東京スカイツリーを見上げながらあたしは思った。


 まん丸く突き抜けた青空に突き刺さるようにそびえ立つスカイツリー。テレビでしか見たことがなかったけど、完璧な造形美で仁王立ちするその立ち姿は、人類最後の女子高生の死に場所にふさわしい。


 でも今は、残念ながら先っちょが折れてちょっと欠けている。全体的に斜めに傾いて、以前の力強い立ち姿はもうそこには見られない。近い未来に力尽き、朽ち果てて倒れてしまいそうだ。


 いよいよ今日、あたしがスカイツリーから飛び降りて、ついに人類は絶滅するんだ。でもどうして、スカイツリーは傾いたんだろうか。斜めに傾いた階段登るのきつそうだわ。




 東京スカイツリー。世界最高峰の電波塔。その高さは634メートル。人が登れるぎりぎりの高さは第二展望台で、ビル160階分に相当するらしい。あたしの地元で一番高いビルは30階くらいだったか。その五倍以上の160階だなんて、下から見上げてもタワーの全景が視界に収まりきらないレベルだ。


 そのバカでかいタワーの芯となる部分、心柱内部に非常階段が設置されている。人類絶滅後、電気はすでに止まっているので当然エレベーターは動いていない。階段で登るしかないだろう。以前、ネットで読んだ事がある。確か2,500段あるとか。一段登るのに三秒かけたとしてもおよそ二時間で踏破できる非常階段だ。軽い軽い。行ける行ける。


 螺旋状に据え付けられた天望回廊からの眺めは、それはもう絶景中の絶景であり、人類最後の一人であるあたしの最初で最後の晴れ舞台となるはずだ。




 と、思ってたのはどれくらい前の事か。もう時間の感覚も薄れてとっくに消えてしまったわ。密閉された心柱内部はやはり黒い夜と同じくらい真っ暗で、恐怖心を煽る濃密な闇がみっちりと詰まっていた。


 あたしはそいつらを手のひらサイズのLEDランタン一つで切り払い、ぶち破り、突き進む。一歩一歩斜めに傾いた階段を登って行く。


 それにしても、斜めった階段の登りにくいことと言ったら。心柱内部の非常階段に対して左右にバランスが崩れた傾きだからまだ良かったものの、これが前後に傾いていたらとても登れたものじゃない。


 まずは心柱の壁に身体を預けるようにして壁側に沈む斜めの踏み板を踏みしめてよたよたと登る。踊り場まで登り着くと、そこはやや傾斜のある上り坂になっている。これが地味にきつい。えいやっと勢いをつけて踏み込んで、今度は反対側の壁の手摺りにしがみつく。手摺りにぶら下がるような格好で斜めの踏み板を踏ん張って登り、お次の踊り場は少々の下り坂だ。足場を踏み間違えないよう慎重に降りる。一歩踏み外せば、下の踊り場まで転げ落ちてしまいそうだ。向こうの壁にタッチして身体を預けて、ようやく1サイクル。やたら圧が強い暗闇の中、このサイクルが延々と続くのだ。やってらんないわ。


 踊り場を登り、三半規管を酷使して斜め階段を攻略して、また踊り場を駆け下りる。何度この動作を繰り返しただろう。頭上を見上げればばさりと覆い被さるような濃い暗闇。足下を見下ろせばどろりと粘っこく湧き上がるような真っ黒い塊。


 LEDランタンの明かりが届く範囲があたしの生きている世界だ。何度も何度も同じ世界を繰り返し生きて、いったいいつになったら終わるのやら、また同じ踊り場がやってきて、あたしは汗だくになりながら登って行く。


 思えば、毎日の生活と同じかもしれない。同じことの繰り返し。あたしはただただ同じ毎日を生きてきた。意味もわからずただ惰性で高校に通い、毎日同じように友達とバカな事をおしゃべりして。みんな同じ毎日を繰り返して生きてきたんだろう。


 でも、ある日突然それが終わる。みんないなくなってしまった。黒い夜に飲み込まれて消えてしまった。たった一人、あたしを残して。それにどんな意味があるんだろうか。


 疲れて、嫌になって、眠くなって、考えるのをやめた頃。あたしの狭い世界にようやく変化が訪れた。非常階段の終わり、天望回廊への扉が闇の中から現れた。


 息も絶え絶え、あたしは震える手で非常扉を開け放ち、身体いっぱいに陽の光を浴びた。暖かかった。生きているんだか死んでいるんだかわからないままだったが、やっと生き返った気持ちだ。


 大空から地面に突き刺さるように斜めに傾いた巨大電波塔、東京スカイツリー。その心柱に螺旋状にへばりついた世界を見渡せる天望回廊。傾いて下り坂になった展望台にちょこんとあたし。あたしって、なんてちっぽけな人間なんだろうか。


 暗闇から抜け出したあたしの目の前に、嘘みたいな大パノラマが広がった。世界って、こんなに広くて大きなものだったんだ。視界いっぱいに、右も左も、上も下も、大地は人が住んでいたであろう街に埋め尽くされていた。


 味気ない灰色の、でもそれはきらきらと太陽の光に輝いて。密集した建物は手を伸ばせば摘み取れそうなほど小さくて、とても丁寧に削り出したきれいな鉱石のように見えた。隙間なく散りばめられた四角い鉱石群の合間を、ところどころに太い道路と川が流れている。その曲線的な緑色と水色とがかえって鉱石の小ささと直角な形と、理路整然と並んだ幾何学的な都市模様を際立たせた。


 これ全部、人が造ったものか。


 ふらつくあたしの脚がついに耐えきれず、下り坂となった展望台をぱたぱたと転がるように走り出してしまった。


 落っこちる。


 止まらない脚に思わず息を飲んだが、びたん、ガラスに打ち付けられるすんでのところで柵にぶつかって踏みとどまれた。そして、そのぎりぎりの姿勢で、斜めに傾いた展望台に見切れた青空と富士山が見えた。


 はるか遠く、青空にぽっかりと浮かんでいるような、頂上ががっつりとえぐれた富士山を見てあたしは思った。富士山ってあんなにえぐれたシルエットだったっけ。何があったんだろう。


 磨かれた鉱石標本のような人が造った街並みと、美しかった自然の造形が崩れた富士山と、ぼんやりと見比べていたら、ふとガラスに映り込んだあたし自身と目が合った。


 人類最後の一人であるあたしは泣き出しそうな顔で笑っていた。


 顔の半分が白カビのような色に覆われて、両目も元の焦げ茶色の瞳ではなく薄く灰色に濁った色をしている。長かった髪の毛も黒色と艶のない白カビ色と斑らに乱れ、富士山を見つめて微笑んでいるあたし。人の造った街は変わっていないというのに、人類絶滅後のあたしと富士山は変わってしまった。


 そして、形が変わった富士山を見つけて、あたしの気持ちにもかすかな変化が訪れたようだ。


 もっと、この誰もいない動かない街を、人間が絶滅した静かな世界を見てみたい。それに富士山のえぐれた頂上がどうなっているのか、人類最後の一人であるあたしが確かめに行かなければ。


 あたしはスカイツリーから飛び降りるのをやめた。


 あたしは生きる。これからもずっと、死ぬまで生きてやる。


   §


 名も知らない彼女のキャンプ日記はそこで終わっていた。


 人類が絶滅したと思われる東京にて、私は彼女が書き残したキャンプ日記を偶然に発見した。それらの内容から彼女の足跡をたどり、こうして東京スカイツリーの天辺までやって来たのだ。


 人類最後の女子高生である彼女は、このキャンプ日記の続きを、次はどこに書き残したのだろうか。やはり、私も富士山まで全容を確かめに行くべきなのか。


 人類はカビによって駆逐されてしまった。


 人類を絶滅へ追いやったカビは文明発展の象徴とも呼べる東京スカイツリーさえも腐食させていた。


 傾いたスカイツリーのみでなく、コンビニやガソリンスタンド、彼女が立ち寄ったと思われる街の此処そこらに人の形をした朽ち果てたカビの痕跡があった。不思議なことに、そのカビたちには動いた形跡があった。まるで彼女の後を追い、付き従うように。おかげで私もカビの痕跡を追って彼女を探して、キャンプ日記を読むことができたのだ。


 彼女はたった一人で、この終わりを迎えた世界でキャンプしてきた。何を見て、何を感じて、何を思って、どこから走ってきて、どこへ走り去ろうというのか。


 彼女の灰色の瞳には、このカビに朽ちた世界はどのように映っていたのだろうか。


 彼女と話したい。心の底から湧いてくる生きた言葉を交わしたい。あなたはこの無音の世界をどうやって生き延びてきたんだ?


 彼女に伝えたい。まだ人類は絶滅していないよ。私が生き残っている。他にもきっとどこかに、まだ生きている人間がいるはずだ。


 それとも、私こそが本当に人類最後の一人なのだろうか。


 彼女と会わなければ。

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