第4話 はじめての客なのに再訪

〜! あれ、こんにちは?」


 本当に来た。

 しかも、堂々と扉から。

 そう言うと、マリシュカは快活に笑った。

「魔法で この部屋に入ってもいいんだけど、やっぱり遮蔽魔術のせいで、また何か壊すかもしれないから」

 そういう問題か? そして、ただいまって言ったな、最初。どういうことだ。


 キンガが進み出て、深々と、最敬礼の辞儀をする。

「ようこそ、お越しくださいました。偉大なる魔女さまのお弟子さま。先日は、おもてなしが間に合わず、申し訳ないことをいたしました」

 慌てたようにマリシュカが両手を自身の前で左右に振った。

「とんでもない! こちらこそ、ご挨拶もないまま去っちゃって御免なさい、キンガさん」

「まあ、このばばの名など、ご記憶にとどめてくださるなんて……ありがたや、ありがたや」

 両手を合わせて、拝み出す。


 とりあえず下がって欲しいと彼は思ったが、口には出さなかった。


「まあ、まあ、キンガさん。今度こそお茶を用意してるんでしょ。お淹れしましょうよ」

 ペーテルが催促してくれたので、助かった。


 本来、この部屋には客人と向き合う席などない。

 しかし、彼が朝食を食べ終わってから暫くして、ペーテルが3往復して運んできた。小ぶりのテーブルと椅子の、まあまあ上品といえる応接セットを。

 そこで、茶と茶菓子の前で部屋の主人あるじと客が腰掛けると、侍女と従僕は普段から使っている自分専用の椅子に腰かけた。壁に近いところに、控えるように。


「それで、偉大なる魔女殿には、叱られなかったか」


 お茶を勧めて彼女が口をつけてから、そう訊いた。

 マリシュカは、にっこりと微笑う。


「すっごく叱られましたぁ。窓に突っ込むなんて、弟子すら失格だって。修行し直すように言われて、トルグァの山頂で一晩正座してました!」


 微笑みながら語ることではない。

 そして、おやつ抜きどころではなかったのか。


「……悪かったな」

「いいえ。褒めてももらったんですよ」

「は?」

「窓を完全に治せたことと、お布団を綺麗に浄められたこと。あんなに魔法がちゃんと使えたの、初めてなんです!」


 嬉しそうに言っている。それはそうだろうと思い直した。神の力を降ろすほどの魔法だ。成功率が低いのだと言われても、納得できる。


「でも、お師匠さまの前では、失敗したんです。なんでかなー?」


 返す言葉が思いつかない。


「それで」


 無理に話を変えた。


「この本翡翠ジェディトを、お返しするには、どうしたらいい?」


 ああ、と、マリシュカは表情を変えた。こちらが問いかけるまで、すっかり忘れていたらしい。


「そのままでも構いません。もう、オルバーンさんには、替わりの石を届けましたから! っていうか、そのままにしかならないかもしれないです!」

「は?」

「それ、あなたの額から出た光に吸われて貼りつきましたよね。だから、外せるのも、あなただけなんです。あなたが、あれほど大切なものを対価にするしかなかったくらいなので、無理でしょうね、って、お師匠さまが仰ってました!」


 明朗快活に説明されても困る。


「それは……どうしようもないのか」

「はい! あ、でも、あなたが今より魔力を自由に出来れば外せるだろうって。魔術じゃダメですよ」

 その違いが、彼にはいまいち解らない。

「理屈や理論では、ダメってことです」

 それも、よく解らない。


「あのー、いいですか?」


 ペーテルが挙手して発言の許しを求めてきたのを、目遣いで承諾する。


「そしたら、偉大なる魔女さまに弟子入りしては? 殿下」

「は?」


 何を言い出すのだ。


「僕は、ここから出られないのだが」


「マリシュカさま。偉大なる魔女さまに、ちょちょっと出張、お願いできませんか」


 偉大なる、が付く相手に、ご足労を願い出るとは恐れ入る。

 しかし、その弟子は気分を害した様子はない。ただ、ちょっと考えてから困ったように眉を下げた。


「お師匠さま、王城は嫌いみたいなんです。前に国王陛下から登城の請願があったらしいんですけど、断ったって聞いてます」

「そっかー」

 軽い。

 会話が、軽い。内容にそぐわず。

「んー、でも、お師匠さま、殿下のことは気にしてました。ここの鍵を開けてもらって、殿下がトルグァにいらっしゃるのはダメなんですか?」

?」

「無理だな」

「ああ、なんか条件が変ですもんね。なんなんですか? って」

「はい?」


 マリシュカが頬を膨らませている。

 軽く怒っているようだが、その顔も愛らしい。幼い少女というのもあるが、ぷんぷんと音がしそうな怒りようで、なんとも迫力に欠けている。


 彼も軽い口調で言った。


「僕は〝名もなき王子〟だ。言葉どおりそのまま、名前がない。だから、出られない」

「え……」

「そうだったんですか殿下! 知りませんでしたよ、誰から聞いたんですかってキンガさんしかいないけど! キンガさん、本当ですか⁉︎」

「お前は知らなかったのか……」

「本当ですよ。殿下が扉をくぐろうとして、お怪我を負われることが多うございましたから、お話しいたしました」

「ふん。ひどい鍵もあったものだわ。しかも、何? 術者よりも強い魔力の者に名前を授けてもらわないとダメって、意地が悪い!」

 忌々しげに扉を見つめる。


「でも、名前がないって不便ね。私が渾名あだなつけてもいい?」

「は?」

「ヴァンって呼ぶ〜」

「いや、承諾していないぞ」

「よろしくね、ヴァン!」

「もう決定なのか。そして渾名なのか」

「いいですね。ヴァン殿下!」

「ヴァン殿下とは、良き名でございます」

「定着してるし」


 意に介することなくマリシュカは菓子を頬張った。もぐもぐと暫く口を動かす。その様子は小動物が食事をしているように見えた。

「美味しーい! お城のお菓子って、美味しい! キンガさん、ありがとう!」

「お気に召していただいて、嬉しゅうございます」


と、そこで必要な会話は終わったのだと判断したらしいペーテルが椅子ごと近づいてきて、マリシュカの隣に陣取った。

「そういえばマリシュカさまの ご年齢は、おいくつなんですか」

 思わず紅茶を噴き出しそうになるヴァン殿下。

「11です!」

「殿下とおひとつ違いですか。しっかりなさってますね。やっぱり女の子だからですかね」

「あれ? ヴァンは12歳なんですか? 14歳くらいかなって思ってました。見た目と中身でバランスとると」

 そこで会話が盛り上がっていくのを横目で見ながら、ヴァンは漏れ出そうになる ため息を飲みこんだ。全く騒がしい。

 しかし、これからそれが日常の一部になるとは、予想もしていなかった。このときは。

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尖塔の魔術師は、死を招ぶと忌まれた王子殿下 汐凪 霖 (しおなぎ ながめ) @Akiko-Albinoni

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