第12話 地球か人か


「意識のエネルギーを得るために他の生物を殺すということですか?」

 静けさを打ち破って質問したのは晶紀だった。

 許せないという表情をした晶紀の顔を見て、北条先生はくすっと笑った。

「大山は何をそんなに怒ってるんだ。我々は生きるために普段から動物を殺して、その肉を食べてるじゃないか」

「それとこれとは……」

「違わない。安っぽい感情で問題を見誤るな」

 北条先生の顔は一転険しくなった。

 晶紀は反論できずに、顔を真っ赤に染めた。


「君たちは安っぽい感情論でもっと大事なことを見過ごしてないか?」

 そう問いかけた北条先生の顔には、怒りと悲しみが同時に表れていた。

 教室が再び静まり返った。

 真野がハッとしたような表情で、おずおずと口を開いた。

「他の生物とは人間も含んでますか?」

 一転して教室内がざわつき始めた。

「酷い、それじゃあ食人と一緒じゃない」

 歩美が啼きそうな顔で、真野の非道な考えを非難する。

「そうだ、そんなことが許されるわけはない」

 耕太は怒りのあまり大声で叫んだ。


「皆さん、何か勘違いをしている。ファントムを駆使して意識空間に住む人間、いや新人類にとって、ファントムが使えない人間など、他の動物と同じ存在なのです。しかも感情表現が多彩なだけに刺激は強い」

「酷い……」

 誰ともなく、弱々しい声が漏れた。

 気の弱い女生徒は泣き出す者もいた。


「これが差別の行き着く先です。あなた達を亜種と差別する彼らには、既に人間狩りの素地ができあがりつつあるのです」

「マウンテンゴリラ」

 慧一の口から意図しない言葉が漏れた。慧一自身が自分の言葉にハッとしてる。

 北条先生は、慧一の方を向いて、黙ってるように首を振った。


「先生、新人類が効率の良いエネルギー確保を行うために、人間を狩ることは分かりました。しかし、疑問が残ります。人間は他の動物よりも抵抗する力を持っている。下手すれば反撃されるリスクもある。彼らが人間を狩る理由はそれだけですか?」

 真野は感情を押し殺して冷静に頭を働かしている。

 北条は、少しばかり驚いたような表情で、真野を見る。


「真野君、上出来です。理由は二つあります。一つは今のあなたたちでは理解できないから一つだけ教えます。あなた達の感覚で行くと害虫駆除ですよ」

「害虫駆除……」

 思いも寄らぬ言葉だった。人間は害虫なのか……みんな腹の底から怒ったようで、北条先生を睨みつけた・

「そんなに熱くなっては、理解できなくなりますよ。人は地球という全生物の宿木に巣くう害虫なんですよ。そして人の害虫化は民主主義によって始まった」


 民主主義によって人が害虫と化した。この思いもよらない発想に不意を突かれて、みんなは北条先生の話を改めて聞く体制に入った。

「古代からあった暴力による優越、それを知恵と指導力で封じる、こうした攻防の繰り返しが闘争のための能力と、知力・胆力による指導力を並行的に飛躍させたのです。優れた個人が持つ品格や能力は確実に上がっていきました。ところが、イエスが導いた考え方、人は神の下に皆平等、そして力よりも愛が尊いという考え方が世界の主流となった。その象徴が民主主義です」

 なぜ、強い者が弱い者を大事にすることが悪いのか、慧一には理解できなかった。人が人と闘うモチベーションがあるとすれば、自分達が愛する祖国を守ること、言い換えればそこに住む愛する家族を守ることだろう。その象徴が民主主義のはずだ。


「愛する者を守ることは悪なんですか?」

 慧一の率直な質問に上杉は首を振った。

「イエスの思想である愛を中心にした行動は、能力ある者の行動を全体最適へと導いていく。それ自体は悪くない」

「ではなぜ、先生は民主主義を否定するんですか?」

 慧一はこの辺で上杉の真意を確かめたくなった。

「民主主義がルールになってしまったからです。イエスの教えは他人を愛す、ただそれだけだった。能力ある者が弱きものを助ける。彼自身もその大きな力を他人を救うために使い続けた。大事なのはそこにはルールなど存在しなかったいうことです」

 上杉の抽象的な物言いが、真野の心を揺さぶった。


 真野が何かに憑りつかれたように話し始めた。

「他人のために優れた者がその力を使い続ける。民主主義の下で、多くの政治や企業のリーダーたちのモチベーションと成る考え方ですね。だが例外もいる。政治家の中にはただひたすら自己の利益の追求のために、行動し続ける者がいる。しかも小さな役所の役人から国を動かすような政治家に至る迄、そういう奴は必ず存在する。そしてそういう奴は、時々誤った判断で民に大きな損害を与える。しかし彼らは民主主義の名の元に作られた、ルールを利用することに長けている」

「あなたも思い当るところがあるみたいですね。元々民主主義は世襲のような、能力無き者をリーダーにするものではない。能力や徳の高い者をリーダーにするための考え方でした。だがそれがルールとして作り込まれ過ぎると、欲望の大きな人間が、そのルールを利用することを考え始める」


 慧一は理由は分からないがこの考え方に反論したくなった。

「機会の平等を人にもたらすことは悪いことですか?」

「機会の平等? いや君だってそうは思ってないでしょう。結局この民主主義というルールに基づいて賢く立ち回った者だけが、満足感を感じる世界になってしまったんです。そこには最初の目的であった愛はない」

「それでも、誰であっても暴力で一方的に踏みにじられてはならない」

 慧一は引かなかった。

 だが、上杉はむしろ慧一の発言を誘うかのように話を続ける。


「よく考えてください、このルールに勝てない者が自殺をしたり、社会的排除を受けることはしょうがないことですか。暴力よりはましですか」

 上杉は問いかけるように真っすぐに慧一を見つめた。

「それでも暴力で一方的に命を奪うよりはいいと信じます」

 慧一は論点をすり替えられないように答えた。

「分かりました。ではもう少し話を続けさせてください。慧一の考えに賛同しましょう。能力ある者が常に指導者として上に立つことは、例え自己の欲望に基づき、本来の平等を欠いたとしても、全体の利益を大きく損なうことはなかった。清濁併せ飲む。暴力で多くの血を流しながら、指導者を決めていた頃よりも、進歩したと考えます」


 上杉が譲歩したことが意外であった。実はもっと大きな不具合があるのではないか。慧一はこの時少しだけ不安の雲が心に差し掛けた。

「しかし、二〇世紀以降、民主主義の意味合いが変わって来ました。能力のない本来愛を施してもらう多くの民衆が、大局を見ることなく、個々に自分の権利をルールに基づいて主張し始めた」

 一瞬だけ上杉の顔に翳りが現れた気がした。同時に、この真夏の暑さに冷房能力が追い付いてない教室の中で、上杉の周囲から重い冷気が噴き出しているように感じた。


「ある時は貧しさに対する不満を指導者にぶつけ、またある時は自分に心地良い発言をするだけの指導者を支持するようになった。指導者には制約が生まれ、より良く導くよりも、万弁なく不満を出さないことが行動原理となった」

 上杉の周りから漂う冷気は教室全体を覆い始めた。

 真夏と言うのに寒ささえ感じる。


「その結果、人は人の力を集中させる大きな能力を失ってしまった。重機もない古代のエジプトに、ピラミッドのような大型建築ができたのはなぜだと思いますか? 二十世紀の中頃は人は宇宙に出ていくことが当然だと思っていた。みんな二一世紀には、宇宙に住む時代がやってくると思っていました。しかし民主主義の経済は、そんな大きなプロジェクトを許さない。指導者が均一化して並立して立ってしまうのです。彼らはその他の人間を騙しながらもその意思に背くことはできない。そして自分の支持者の最大公約数的な利益を守ることが目的となった」

「それでも古代のように、全体のために個人の権利を踏みにじることはよくない」

 慧一はやっとの思いでそれだけ反論した。


「そう、二つの事象が生じなければそれでも良かった」

「二つの事象?」

「分かりませんか? 一つは環境破壊だ。温暖化一つを取っても今の人類に打ち手はない。なぜなら民主主義の名の下に全体よりも個人の権利を優先してしまう。米国や中国などその最たる例ではないですか」

 確かにこのままでは地球は壊れてしまうだろう。そしてそれは最終的に人類に降りかかってくる。


「そして、増えすぎる人口です。最後に残っていた人類の天敵たる病魔も、やがて医療の飛躍的な進歩によって天敵とならなくなるでしょう。その内人間は心臓さえも再生して入れ替えることができる」

「死ななくなると、どうしてまずいんですか?」

「自然界のバランスが崩れます。このまま人が増えすぎたら、地球のキャパシティでは賄いきれなくなります」

 やりきれなかった。生物である以上、生きるための欲求が悪だと言われても、解決しようがない。

「それを解決する道は人である限りない。人を超えた存在になって、増えすぎた人を狩りながら支配していくしかないんです」

「あっ」

 真野が大声で叫んだ。慧一も思わず下を向く。

 上杉の論理は慧一を含む他を圧倒した。人を超える存在が、人を害虫と見なすことで地球が救われる。


「結局新人類と分かり合うことはできないということですね」

 真野の声が虚しく響く。

「戦いではありません。狩からどう逃げるか、それだけですよ」

 最後の北条の言葉には、誰も反論しなかった。

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超人 ――人類は進化して異次元世界に身を落とす―― Youichiro @oldlinus

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