第拾捌幕 輪廻転怪〈上〉
湯呑みから白い湯気が登っていく。澪はレイメイとアシヤの前にお茶を出すと己もソファに腰かけた。
「ふむ、良い加減でござる」
「いや、何しれっと着いてきてるんですか」
「なにか問題でも? 拙者はただお礼を言うために着いてきただけでござるよ」
「なら帰ってくださいませんか。それが一番のお礼になります故」
「そんな訳ないでござろう!」
レイメイとアシヤはぎゃあぎゃあと言い合いを始めた。ほっ、と熱いお茶を食道に流し込んだ澪は穏やかな気持ちで微笑む。
「二人は仲良しなんだね」
「そんな訳ないでしょう」
……最終的に折れたのはアシヤだったようだ。彼は溜息をつきながら伸ばしていた背筋を丸くしてだらしなく背もたれに体を預ける。
「それで、何をしに来たのですか」
「うむ。言った通り礼をな。山間の村の荒御魂、あれを鎮めたのはアシヤ殿であろう。お主のやり口はすぐに分かる」
レイメイの言葉に心臓が凍てついた。浮かべた笑みをそれに合わせてなお強く補強する。山間の村の荒御魂――あの人身御供の集合体のことだとすぐにわかった。
「……それはそうでしょう。あれほどに悪辣な手口、アシヤの家以外の誰がなすというのですか」
「そうでござるな」
「しかし、あれはどういうことだったのですか? 土御門殿ともあろうお方があの程度の神に手こずったと?」
「ん……? ああ、それは違うでござるよ」
占うまでもなくレイメイは真相を見透かしてアシヤの言葉を否定して見せた。
そもそも、だ。
そもそもレイメイはあの村のあれこれなんてこれっぽっちも知らない。確かに村の近くを通り一泊した。だがその時になんだか嫌な予感がして翌日には旅立ったのだ。
「ところがある日ユキ殿から連絡があってな。何でも拙者の名を騙って術師を誘き寄せている団体があると。更に聞いてみれば拙者が書いたメモを持っているとか」
とはいえそんなメモを書いた覚えはない。
だが一方でさほどそれに不可思議を覚えた訳でもなかった。怪異、妖怪、幽霊、なんて言うのは人間のものを模倣する習性がある。
「ま、だが慌てて戻ったところ結界があって中に入れず……仕方なく数ヶ月そこで野宿していたのでござるよ」
「それで音信不通に!?」
「うむ。そしてある日隣の山から山菜を採って戻ったら結界が解かれていたのでござる」
「なるほど……つまりあれはレイメイ殿の書き置きではなかった、という事ですね」
「うむ」
レイメイはその先を語らなかったので澪は思わず少しだけ安心してしまった。あの村を崩壊させたのも、見捨てたのも、澪だ。だがもし可能なのであれば──彼が言う通り罪悪感を抱かないために──その結末は知らないことにしておきたかった。
レイメイは湯のみの中の小さな水面をしばらく眺めてから一気に煽った。大した量の入っていなかったそれは簡単に飲み干せる。
「……アシヤ殿と澪殿には悪いことをしたでござる」
「やめてくださいよ、あなたらしくもない。それに今さら謝られたことで起きたことは何ひとつとして覆せないのですよ」
「……分かっている。だが本来であれば拙者が片すべきことを様々やらせてしまった。上手くは、いかぬものよな」
扇子が開く音が事務所に響いた。
「……だが戻ることはできぬ。拙者は、今の在り方ややり方を正しいと認めることはできぬのだ。選ばれたほんの数人が暗闇の中で戦い続けることで平穏を保てるなど、拙者は認めぬ」
「レイメイ、そこまで衰えましたか」
「はは……これが衰えであればいかに良いか」
影の落ちた笑みを浮かべ顔を覆う。
「……まあ、この話はしても意味がなかろう。それよりもだ、もし良ければ拙者と並ぶ術師たるアシヤ殿と澪殿の手を借りたいのだが、良いであろうか」
皮肉にも術師が激減した結果肩を並べることになった、かつての仇、或いは祖の弟子であった人間の末裔にレイメイは呼びかける。対するアシヤは小さく自嘲した。
*****
「新しい駅ビルの除霊……?」
寂れた田舎の駅のホーム、切符を買うためにワタワタしてるレイメイをよそに首を傾げた。
「ええ。なんでも良くない噂がたっているとか。お嬢さん、怪異や怪談というのはどこから発生すると思いますか」
ううむ。難しい質問だ。強いて言うのならば何も無い暗闇……と答えたい気持ちはあるが、恐らくそれは違うだろう。では何が答えだろうか。人の心の闇? ありふれた日常? 恐怖?
「いいえ、違います」
そのどれも違うのだとアシヤは言う。
「確かに呪詛は人の心の闇、ありふれた日常から現れます。奴らは恐怖を糧に生存します。しかし──しかして、残念ながらそういったものはただの温床に過ぎないのです」
あくまでも蔓延るための土台。
あくまでも繁栄するための代物。
あくまでもぬくぬくと育つためのぬるま湯。
「お嬢さん。ゆめ、お忘れなさるな。怪異、怪奇、怪談を生み出すのはいつだって人間の好奇心と空想なのですよ」
ぞわりと身の毛がよだった。
「だから拙者らが呼ばれたのでござるよ」
「……えーっと、つまりどういうこと?」
「小生らのような専門家がぐるりとビルを見回り『そんなものはいなかった』……と保証するだけでそういった噂は効力を無くすものなのですよ」
そんなものだろうか。
まあ、アシヤが言うならそうなのだろう。だからこそアシヤはくすりと悪い顔を浮かべた。
「しかし、だとすれば土御門殿も良い趣味をお持ちのようで。そのような場にお嬢さんを連れていけばどうなるか簡単に分かるでしょうに」
「おい、どういう意味だよ」
「はあ、アシヤ殿は本当にかんくぐるのがお上手でござるなあ。まさか拙者がユキ殿に一矢報いようとしているなんてそんな」
「お前もかよ!」
なんて酷い扱いだ……訴えてやる……!
だいたい爆弾扱いするなら連れていくなよ、とも少しだけ思う。そんなふうにぷくぷくとほっぺたを膨らませて無言の抗議をしたがスルーされただけだった。ひどい。
「それに拙者らが見回って出た、となる方が問題でござる」
「ああ、確かにそうですね……術師は人気商売の一面がありますから」
どんな商売もそうと言われればそうだが。
とは言えども古くからの常連さん等に囲まれて小さなケーキを切り分けて生き延びているのが今の業界の現状である以上、生半可な仕事はできない。
「つまりお嬢さんを疑似餌にして釣りをするということですね」
「わざわざ説明しなくていいしとうとう餌になってるじゃん……!」
電車が駅に入ってくる中、レイメイは酷く楽観的に笑って見せる。それは心底から現状を楽しんでいるような笑みで……何故か不意に心の奥底が冷たくなったように感じた。
「そう怒ることでもないでござるよ。与えられた困難、与えられた不自由、その中で楽しんでこその人生でござる。蛇が出るか鬼が出るか、それさえも楽しんでみるのがイキというものでござるよ」
酷く他人事で無責任なアドバイスを前に澪はため息をついたのだった。なぜそうしたのか、正直なところよく分からなかったが溜息をつきたい気分だったのだけは真実だ。
ヨモツ少女の怪奇譚 ぱんのみみ @saitou-hight777
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