第拾漆幕 黄泉竈食
平坂 澪は呪われている。
いや……呪われているというのは語弊があるかもしれない。別に何かこう、呪術をかけられたりしている訳では無い。ただ、そう、ちょっとした特異体質なのだ。ありとあらゆるこの世ならざるものをおびき寄せるその体質は、澪に制御できるものでは無い。その体質の改善を希望し、胡散臭さでいっぱいの占い屋アシヤへと澪は足を踏み入れたのだった。
というのは前置きだ。
その占い屋は常に閑古鳥が鳴いており、ついでに澪の体質の秘密も結局ストレートに暴けそうにはなかった。実に残念な話だ。最も、今は以前ほどこの体質の解明を望んでいる訳では無いけれど。
「……」
ところで。
なんの料理も置かれていない自分の目の前を見る。それから窓の向こう、相変わらず無愛想に開いてあるだけのシャッターの占い屋アシヤを見る。
自分はなぜ、こんなところにいるのだろうか。
よく考えてみたが全然思い出せない。きっかけさえ思い出せない。もしかして珍しくアシヤがファミレスで奢ってくれる……とか?
ない、とは言いきれない。多分。アシヤならきっと『おとなのすごいざいりょく』とかを使って澪に一晩の夢を見せてくれるはずだ。そうに違いない。だってあのアシヤだぞ?
「……ていうか注文した後なのかな、これ。それも思い出せないんだけど。注文する前ならいいなあ」
注文する前なら今立ち上がってもおかしくない。ていうか記憶が無くなるくらい待たされてるなら今から離席してもおかしくなくね? よし、その方向性で行こう。なにか聞かれたらキレるために覚悟も決める。あんまり怒るのが得意でない澪にとってはそういうのはひと仕事だ。とにかく、世間的にちょっとあれに見られてもいいから今すぐここから出よう。
だってこんなの、何かがおかしいじゃないか。しかもあからさまに。
「お待たせしました」
そんな思惑を見抜いたかのようにウェイトレスさんが現れた。立ち上がりかけた腰がなんとなく行き場をなくして元の椅子に戻ったのを理解した。
「こちらサーロインステーキです。ドリンクバーはあちらとなっております。どうぞごゆっくりお過ごしください」
鉄板に乗っていたのはぶ厚い、贅沢な肉の塊だった。それは肉汁を弾けさせながら、あの心地よい音をたてながら、そこに鎮座していた。口から溢れかけた唾液を慌てて飲み込む。さながら万雷の拍手とともに現れたヒーローのようだった。
もう良くないか?
なんか分からないがこのお肉食べても良くないか?
だってこんなに美味しそうなんだよ。
「それを食べることはあまりオススメはしないでござる」
不意に響いた声がナイフとフォークを取ろうとさ迷っていた手の動きをとめた。
「待たせたでござるな」
当たり前の顔をして向かい側に座ったのは黒髪の女性だった。頭に被ったカサを外し、お坊さんが持ってるような錫杖を席の奥に半ば無理やり押し込んだ。巫女のような髪型と服装をした女性は澪の視線に柔らかな笑みを浮かべる。
「初めましてでござる、平坂殿」
「……なんで私の名前、知ってるの?」
「なんで、か……それは難しい質問でござるな。拙者は確かに平坂殿と初対面でござる。だが……お主のことは恐らく、主以上に知っているでござるよ」
黒曜石の瞳が細められた。胡散臭い。アシヤといい勝負だ。
「とりあえずここではこれ以上話すことはできぬ。故に店を変えよう。平坂殿、手を」
差し出された手を握るか迷う。だがややあって、仕方なく、彼女の手を取った。悪い人という感じはなかった。胡散臭さはあるが騙そうと言うような気配は感じられない。
「うん。良い目だ。では、しばし目を瞑っていてほしい」
彼女は五枚の札を懐から出すと、それらはひとりでに空中で円になるように配置された。彼女が五芒星を描くと同時に回転し始める。
「急急如律令」
竜巻が砂漠の砂を巻き上げるように、吹き荒れ始めた風がファミレスの形を保っていた景色を滅茶苦茶にかき混ぜていく。こちらに手を伸ばしたウェイトレスの指が、この風の繭に触れることさえ叶わなかった。
「ふう、良かったでござる。澪殿がご無事であれば拙者も文句を言われずに済むというもの」
「……ここ、は」
公演だった。絶品のステーキだと思っていた泥団子が手の中で崩れて地面に落ちる。
「ここは近所の公園。さっきのは異なる世界、異なる次元、或いは地獄のようなものでござる……ああ、そうそう、そうでござったな。拙者はまだお主の疑問に答えていなかった」
巫女は手を伸ばす。空間が切り替わった今、ハッキリとわかった。この人は確実にアシヤと同類だ。
「拙者の名は」
「土御門殿」
低く唸るような声と共に現れたアシヤが巫女の差し出す手をぺしりと叩いた。巫女はしばらく己の手を見てから唇を尖らせる。
「アシヤ殿。この仕打ちはなんでござるか。失礼だとは思わんのか?」
「さあ、お嬢さん、帰りましょう。この胡散臭い不審者の話を聞くよしなどありません」
「つれない! ひどい! というか拙者が澪殿をお救いしたのに!」
アシヤの動きが止まった。自分も大概だと言うのに胡乱なものを見るような目を彼女に向けながら静かに澪の後ろまで下がる。
「言っておきますけど自己紹介だけですからね。それも、お嬢さんを助けてくださったということに免じて、特別に、ですよ」
「おお、かたじけない。さすがは播磨の道満法師の末裔」
土御門、というのはひとつの称号のようなものだ。
かつて歴史の狭間に潰えたお家のひとつ。その末裔であり、久しく途絶えていた術使いの子ども。
「お初お目にかかります。拙者の名はレイメイ――アベノ レイメイと申しまする。以後、お見知り置きを。平坂の申し子殿」
安倍晴明の子孫にしてアシヤの一族の仇敵であるレイメイはニコリと人好きのする笑みを浮かべたのだった。
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