第3話 ビヨンドと僕
「まぁ、こんな感じです」
じいさんに話し終えて手元を見ると、かち割りがすべて溶けきっていた。そしてなぜだか、僕の心の中にあったゴツゴツとした石くれが、すっかりと消えていた。ヤジを飛ばさずにじっと話を聞いてくれたじいさんに、ありのままの感情をすべて吐き出せたからだろうか。
だが、じいさんのほうはというと、難しい顔をしてなにかを考え込んでいた。
「あの……どうかしましたか?」
「おかしいんじゃよ」
「え? なにがですか?」
「凛道君がじゃ」
ファーストベースの横で守りにつく凛道を見ながら、少しばかり考える。今の話の中に、どこかおかしなところはあっただろうか。もし凛道になにかあったのだとすれば、試合を直接した僕が真っ先に気づいているはずである。
「気づかんか」
数秒の沈黙の後、僕は首を縦に振る。
「なら言おう。わしが疑問に思ったこと。それは、なぜ凛道君に四打席目が回ってきたのか、ということじゃ」
「え…………?」
「だっておかしいじゃろ。君は確か、凛道君の三安打しか打たれていないと言っておったな。ならば、走者は九回までに三人しか出ていないことになる。じゃあなぜ、凛道君に四打席目が回ってきたのじゃ? 併殺がなかったと考えても、九回のツーアウトランナーなしで回ってくるバッターは、どうしたって三番打者じゃろう?」
頭を高速で回転させる。例えば完全試合の場合、九回の最後のバッターは九番ということになる。二十七個のアウトを打者の数の九で割ると、ぴったり三になるからだ。
では、僕たちの場合はどうだっただろう。走者は三人しか出していないから、ツーアウトランナーなしで回ってくるバッターは三番になり……。
「本当だ。本来ならば、四番の凛道に打順は回ってこない」
「そうじゃろう? やっと気づきおったか」
どうしてこんな単純なことに、今まで気づかなかったのだろうか。
「はははははっ」
乾いた笑いが、喉の奥から自然と出てきた。
真実なんて、今となってはわからない。けれども、もしかしたら僕が、この僕が、甲子園にいけていたかもしれないのだ。
そう考えると、僕はまだまだ未練がある。野球に対して、未練たらたらである。こんなところでやめてしまっては、僕は一生後悔するであろう。凛道に借りを返さなくてはいけないし、体だってまだまだ動く。もはや、やめる理由が見当たらなかった。
「ありがとうございます。僕、もうちょっとだけ野球を続けてみます」
「がーっはっはっはっはっはっはっは。その意気じゃ、その意気」
このじいさんに出会えて、こうやって話ができて、本当によかった。気持ちだけでもいいから、なにかお礼はできないだろうか。
「おじいさん。僕、なにか飲み物でも買ってきますよ。なにがいいですか?」
「おっ、気が利くのう。それじゃ、生ビールを頼む」
「僕、未成年なんですけど」
結局僕は、オレンジジュースを二本買うことになった。席を立って売店に向かっていると、ファールボールがスタンドへ入ったことを知らせる警報音が、不意に鳴り響いた。ボールの行方を探すと、大きく広がった青空が視界に飛びこんできた。
桃果がそこにいるのかもしれない。ふとそんなことを思い、久しぶりに心から笑みがこぼれた。
「あーあ。間に合わなかったか」
その声は、観客席から球場内に入るトンネルのような通路から聞こえた。
そこにいたのは、年齢不詳の怪しい女性だった。比喩でもなんでもなく、その女性は堂々と僕の前に立ちはだかった。左右によけて通ろうとしても、その女性は僕の前に立ちはだかるのである。
「あの…………」
困惑して声をかけるも、後が続かない。いったいこの人は、なにがしたいのだろうか。
「
なぜ、僕のことを知っているのだ。
「あなたは……」
誰、と言おうとした時、その女性はいきなり両腕を翼のようにバサッと広げ、勢いよく天を仰いでみせた。
「私の名前は
すると今度は顔を正面に戻し、両腕をクロスさせて裏ピースを作っている。
本当になにがしたいのだ、この人。甲子園の魔物とは言っていたけれど、はっきり言って、ただの痛い人である。
「おやおや。私は今日、君を野球大好き人間にしようと思って来たのだけれど、どうやらその必要はないみたいだね。君はもう、生粋の野球大好き人間だよ」
「はぁ……」
「そういえば君、さっきまでヘンテコな老人と一緒にいたよねぇ。実は私、そいつを追っているんだよ」
「追っている?」
「そう。私はね、甲子園に勝手にタイムリープしてくるやつらを取り締まったりもしているんだ。あの老人は、頭を強く打つことをトリガーにしてタイムリープしている。やっかいなじいさんだよ、ほんとに。甲子園の物語を勝手に作り出すのは、まったくもってやめてほしいね」
「えっと…………」
話がまったく飲み込めないぞ。ここまでの話からわかることは、この人は中二病をこじらせた痛い人だっていうくらいである。どうして僕の名前を知っているのかは気になるけど、それ以外の発言はすべて、SFとかファンタジーの世界じゃないか。
しかもビヨンドって……。まさかだけど、あのビヨンドマックスが由来じゃないだろうな。あのぷにぷにした金属バットは、高校野球では使用禁止だぞ。
「はーっはっはっはっはっはっはっは。君にはもう用はない。私は引き続き、あの老人を追わなければ。じゃ、バイビー」
高笑いしながら忍者走りで去っていくビヨンドさんは、正直言ってかっこ悪かった。
オレンジジュースを買って席に戻ると、じいさんの姿がどこにも見当たらない。どこに行ったのかは知らないが、どうせこれからも野球三昧の日々を送るのであろう。
そして――。
桃果、見ていてくれ。僕はお前の分まで、精一杯この世界を生きてみせるから。
病院での桃果の笑顔を思い出し、ちょっと照れくさくなる僕だった。
白球の奇跡 @dottsu
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