佐山巡のカフェ巡り

亜咲

第1話 佐山巡のカフェ巡り


 高校1年生、図書委員、無口、友達無し。ついたあだ名は地味子——よくある話だ。


 そんな佐山巡さやまめぐりの趣味が、カフェ巡りだなんて、きっと誰も予想しないだろう。


 金曜日の午後3時。担任教師の「それじゃあまた来週」という締めの一言を皮切りに、周りの生徒たちはぞろぞろとカバンを手に立ち上がる。皆、下校の時間が訪れるのを今か今かと待ちわびていたのだ。

 そしてそれはもちろん、巡も同じだった。


 ペダルに置いた足のつま先にぐっと力を込め、11月の木枯らしを一息吸い込む。

 ゆっくりと自転車が動き始めて、真っ白なもやが巡の眼前をやんわりと覆う。

 通っている高校から自転車で20分ほど。入り組んだ住宅街を抜けて、拓けた田んぼ道をまっすぐ進んだところに一軒の古い二階建ての木造家屋が見えてくる。赤、というよりは朱色の屋根が目印だ。巡の家、つまりは佐山家である。

 同級生のキャピキャピした女の子たちは、きっともっと素敵な、具体的に言うなら新しめの、奇麗な洋風の戸建てに住んでいたりするのだろう。玄関の引き戸をガタガタと引きながら、巡はいつもそんな妄想を膨らませる。強いては、室内にハスキー犬でも飼っていることだろう、と。


 そんな巡をまず最初に迎え入れてくれるのは、ハスキー犬に対抗して至極聡明な亜麻色の大型犬ゴールデンレトリーバー——とはならず。


「にゃあーん」


「ただいま、とらきち」


 黒猫だ。

 それもペットショップで買ってきた筋金入りの家猫、というわけではない。

 まだとらきちがひと回り程小さかった頃。記憶にある限りでは2年前、巡りが中学二年生の冬のこと。

 おそらく家族とはぐれた、あるいは見放されたのだろう。まだ小さな体ながら、とらきちはたった一匹でここ佐山家に訪れるようになり、それ以降住み着いた。

 当時中学二年生だった巡の瞳には、それはそれは愛くるしい存在として映ったことだろう。巡は暇があるたびに猫をかまい、挙句の果てには勝手にとらきちなどと名前を付けた。

 その黒い毛並みのどこに所以が存在するのか、家族から問われることもしばしあったが、それは巡自身にもわからない。フィーリングなのだと、巡は言いたい。


 玄関で心ゆくまでとらきちを撫でまわした後、巡は真っ先に二階にある自分の部屋へと足を向かわせる。

 今日は金曜日の放課後。今この瞬間から、日曜日の夜パジャマに着替えるまで、休日となる。


 とすれば、巡がやることは一つしかなない。

 カフェ巡りだ。今から。


 二階の巡の部屋は六畳一間。一人部屋として与えられるのなら申し分ない広さだ。

 勉強部屋なら、むしろ少し広いぐらい。

 先ほどから眼鏡が曇って、視界が遮られて鬱陶しい。なので最初は机の上に眼鏡を置いた。

 続いて窓際とは間反対の壁際に設置された、古いタンスの下段二つを漁る。タンスの匂いが鼻をつく。

 取り出したのは白いタートルネックのニットと、少し裾の広いデニムパンツ。安さとシンプルさが売りの有名店で、ワゴンから引っ張り出したセール品だ。

 脱いだ制服をハンガーにかけ、軽くスプレーを振っておく。ワイシャツと靴下は後で洗濯に出すので、そのままベッドの上に放って置く。

 服装はこれでいい。というか今日はこれがいい。次は髪型とメイクだ。

 机の下から三面鏡と、カールアイロンと、ドライヤーと霧吹きを取り出した。メイク用品が入ったポーチはいつでも机の上に置きっぱなしだ。

 慣れた段取りで、丁寧にかつ素早くメイクをこなしていく。毎晩動画サイトを見て勉強しているので、巡はメイクには少し自信がある。

 仕上げで暗めのリップを施して、少し引いて鏡と向かい合う。斜め右へと顔を傾けた。


 ——今日も納得のいく仕上がりで、巡は満足げに口角を上げた。


 肩に乗るセミロングの黒髪を、一度髪濡らしてからドライヤーをかける。

 カールアイロンでところどころ巻いていき、最後は前髪……少し失敗したかもしれない。

 まぁいいかと割り切って、最後は椿オイルの配合されたスタイリングワックスをまんべんなく手に伸ばして、それを毛先になじませていく。なんやかんやでなんとかなった。

 木製のジュエリーボックスをひっくり返して、お気に入りのリングやイヤリングを手にとって装着——これで完成だ。

 最後はベッドの横にかけてある茶色いチェック柄のロングコートを羽織る。

 愛用の黒いポーチの中に財布を入れて、いざ出発——の前に。


 タンスの横に立てられた姿見の前に巡は立った。今日のコーデを写真に収めなくては。


 流行りのSNSを起動して、カメラアイコンをタップ。

 顔が隠れるように、けれども髪型はちゃんと映るように、難しい塩梅を狙って、巡はシャッターを切る。

 これは後で、今日の帰りに、カフェの写真と一緒にSNSにアップしよう。


 このSNSを暇があれば起動し、覗いているということも、巡の同級生たちは知らないだろう。流行りのコーデや、流行りのスイーツ、巡は最近のトレンドを追いかけるのが大好きだ。

 けれども、それを誰かと共有するというのは些か気が引ける。巡は他人と行動することが苦手である。

 故に誰にも、自分のアカウントは教えていない。

 しかしながら、アカウントに鍵をかけるようなこともしていない。そんなことをしたら、誰にも見てもらえないからだ。それはちょっと寂しい。

 顔を映していないし、アカウント名は本名とはかけ離れているし、そもそも影の薄い巡なので周囲は気付かないだろう。というか気づけないだろう。


 ヒールがやや高めの黒い靴を選んで、玄関を出た。毛が付いてしまうと嫌なので、とらきちを撫でるのはやめておいた。


 これから日が暮れるまでの間、今日はどこのカフェで過ごそうか。


 挽きたてコーヒーの香ばしさ。やっぱりブラックはまだ早いので、いつも砂糖を三つ入れる。付け合わせのスイーツは何にしよう。夕飯前だし、軽めがいい。じゃあ、クッキーなんてどうだろう。あーそしたら、あのお店がちょうどいいかもしれない。




 なんてことを一人で考えながら、巡は今日も駅まで歩く。

 

 

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