夜モスガラ君想フ

@KBunBun

夜モスガラ君想フ

「夜もすがら もの思う頃は明けらやで ねやのひまさへ つれなかりけり」

深夜に君へのメールを書いているとき、決まってこの句を思い出す。俳句好きの君が僕に語ってくれた一番好きな句、そして今では僕にとっても一番好きな句だ。ふと、窓の方に視線を移すと気持ち悪いにやにやした顔と目が合う。いかんいかん、なんて顔をしているんだ僕は、こんな顔してたら通報されてしまう。我に返って今日の分のメールを手早く書き終え、送信ボタンに手をかけたところで停止する。

「今日こそ何か返信はあるかな……」

半年前、彼女は何の前触れもなく僕の前から消え去った。メールを送っても返信なし、彼女のアパートに行ってみるともぬけの殻、正直訳が分からず混乱した。結局僕の手元に残った彼女の手掛かりはメールだけ、これ自体も決して有力なものとは言えないが、今僕に出来るのはこの届いているかどうかも分からないメールを送ることしかできない。

返信が来ないたびに振られただけじゃないのか?彼女はもう僕のことなんて忘れているんじゃないのか?そんな不安が僕の心を支配する。それでもメールを送り続けるのは僕が彼女とのつながりを断ちたくない、彼女を忘れることができないからだろう。

「うわ、もう一時じゃないか!」

壁掛け時計を見てぎょっとする。明日も仕事なのに随分と考えこんでしまった! そろそろ寝ないと……。急いでメールを見直したところで本日二回目の停止。

「なんかこの文章、簡素すぎやしないか?」

パソコンの画面に映されたメールには、彼女の安否を心配するメッセージが数行書いてあるだけ。半年もずっと送り続けていれば簡単になってしまうのも無理はないが流石にこれはないんじゃないか? 仮にも、いまだに想い続けている人に対して数行じゃ、冷めたんだって思われてしまうかも……。

「でもなあ、今更まだ好きですっていうの恥ずかしいし……」

「うーん、おーん」

二十五歳独身男性の乙女な葛藤はその後三十分も繰り広げられたところで終わりを迎えた。結局、手紙の最後に例の「夜もすがら」の句を書くことで決着した。好きだという直接的な言葉を使わなくても、この句で彼女には伝わるはずだ。

「よし、これで送信っと」

マウスをクリックし、彼女が読んでくれますようにとささやかに願う。


ふうと立ち上がって窓の外を見ると、まだ真っ暗闇で夜は当分明けそうになかった……。


お姉ちゃんの遺品を整理しているとき、あるものが私の目に留まった。

「これってお姉ちゃんのパソコンだよね?」

部屋いっぱいに置かれている荷物をかき分けて、目的物を拾い上げる。白く平べったい表面の端に小さく、「秋」と書かれたシールが貼ってある。「秋」とは私の双子の姉の名前だ。

「やっぱり、お姉ちゃんのだ。なんでこんなところにあるのかな?」

確か、このパソコンは姉の病室にあったはず……。なんでそれが無造作に床に転がっているんだろう?

「ああ、それなら看護師さんが病院の備品だと思って回収してしまったのを、三日前ぐらいに家に届けてくださったのよ」

本を段ボールに収納しながら、母が答えてくれた。

「そうだったんだ、そういえば私が出るときにはもうなかったかも……」

「そうだったのね、まあ、誰も気づかなくても無理はないわよ、それどころではなかったのだし……」

母の言葉におもわず黙ってしまった。全くもう、なんで人が必死に考えないようにしてるのに、思い出させるようなこと言うのよ……。いやな沈黙が部屋に漂う。姉がなくなってからというものいつもこんな調子だ。ふとしたことで現実を思い出し、黙りこくってしまう。

「そ、そういえば、あたし丁度パソコンもう一台欲しかったんだよねー、これ貰ってもいいかな?」

沈黙に耐え切れず、思わず言ってしまった。パソコン別に要らないのに……。

「あら、二台も必要なんて珍しいわね、まあ、私とお父さんはどうせ使い方わからないだろうし持って行っちゃっていいわよ」

ちらっとお父さんの様子をうかがったが、こっちには目もくれず整理を続けている。聞こえてるのかわからないが、まあ、お父さんもパソコンなんて欲しがらないか。

「ありがと、じゃあもらっていくね」


 実家での遺品整理を終えて、マンションについたときには日はもうすっかり落ちてしまっていた。

「あー疲れたー」

靴を適当に脱いで、ソファーに倒れこむ。一週間ぶりの自宅に心底ほっとした。思えばこの一週間、お葬式やなんやらで、ろくに休んでなかったなー。そんなことを思いながら、部屋の中を見渡す。畳みかけの洗濯物、飲みかけのペットボトル、部屋を出る前と何も変わってないはずなのに、なんだかどれも暗く感じる。

「そんなわけないよね……」

かぶりを振って、ペットボトルに手を伸ばしたところでメールの通知音が鳴った。

「ん、メール?」

視線を向けた先にあったのは、今日私が持っていたカバンだけ。

「おかしいな?スマホは机の上だし……」

訝しみつつ、カバンの中を見て、あるものに目が留まった。

「もしかして、お姉ちゃんのパソコン?」

そんなわけないよね、お姉ちゃんの知り合いは全員、お葬式に来てたし、今更メールを送るはずがないよね……。でも、通知音は聞こえたしどういうことだろう?

「うーん……ダメだ、よく分かんないや」

取り敢えず、パソコンを開いてみよう! そうすれば何かわかるはず……。ソファーに腰掛けなおして、パソコンの電源を入れる。

「パスワードは0819っと」

生前、姉にパスワードを聞いておいてよかった。それにしても誕生日そのままって不用心すぎるでしょ。まあ、私も誕生日反対にしているだけだから、人のこと言えないけど……。


 通知音の正体はやっぱりこのパソコンだった。それ自体には大して驚かなかったけど、びっくりしたのはそのメール内容だ。毎日毎日、春斗という人から同じような時間に一通ずつメールが送られてきていた。それも、ここ半年間、一度も滞ることなく……。初め受信ボックスを開いたときは、

「うわっ気持ち悪っ、ストーカーじゃん」

とボロカスに貶してしまった。ごめんなさい春斗さん。メールを遡っていくうちに二つのことがわかった。一つは春斗さんがお姉ちゃんの恋人だということ。もう一つは、お姉ちゃんは春斗さんに何も告げずに突然、目の前からいなくなったということだ。

「これって伝えた方がいいよね……」

今も変わらずメールを送っているってことは、この春斗さんはお姉ちゃんが亡くなったってことを知らないのだ。

「はあー、なんてメールすればいいのよ……」

思わずため息が漏れてしまう。メールの内容から察するに、春斗さんは今でもお姉ちゃんのことを想い続けている。そんな人に

「姉はもう亡くなりました」

なんて言いにくすぎる。そもそも、信じてすらもらえないんじゃないか?

「勘弁してよ、もう……」

姉に文句をぶつけながら、春斗さんのメールをぼんやり眺めていると、ふと、メールの一部が目に留まった。


「夜もすがら もの思う頃は明けらやで ねやのひまさへ つれなかりけり」

今日のメールの最後にポツンとつけられていた、その一文。

「あれ?この句ってもしかして」

俳句には全然詳しくない私だが、この句は知っている。生前、姉がよく言ってたことを思い出す。

「私、この句大好きなの、もし、結婚するならこの句みたいに一途に想い続けてくれる人がいいわ」

嬉しそうに、はにかむ姿は今でも鮮明に覚えている。


「悩んでいてもしょうがないよね……」

メールじゃ信じてもらえそうにないなら、直接会って伝えよう。それに、ここまで姉を想っている春斗さんとはどんな人なのか会ってみたい。キーボードを叩いて春斗さんへのメールを打つ。


「突然の連絡になってしまってすみません。伝えたいことがあるのでお時間いただけないでしょうか?」

取り敢えず、これで大丈夫だろう。メールをざっと読み返し、おかしなところがないのを確かめ、送信をクリックした。


ふと窓の外を見ると、暗闇はもう明るくなってきている。もうじき夜が明ける……。

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