永遠の魂2

 広大な森があった。その名はヴェロッタムール。

 ヴェロッタムールにはフェニックスが住むと言われる。そのフェニックスは、朱色の美しい姿で、キスをされると、不死になるという言い伝えがある。

 しかし、いまだその姿を見た者はいない。


          *


 レナードはある町の入り口に辿り着いた。セレナの死から数週間後のことだ。

あの日、まだ見ぬ地へとヴェロッタムールを飛び立ち、当てもなく彷徨い続けた。そして癒えない心の傷を郷愁へとすり替え、この町へやってきたのだ。

久しぶりの町をのんびり歩き始める。レナードの故郷と同じく大きい町ではないが、温かい雰囲気の居心地のいい所だ。

「ねぇねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんってもしかしてフェニックス?」

「……え?」

 突然現れた少女がレナードを覗き込み、首を傾げる。レナードは目を見開いて歩みを止めた。不死鳥のことをフェニックスと呼ぶ地域もあるらしい。

いつまでも返事をしないレナードを、少女はまん丸の瞳で見つめ続けた。脂汗がレナードの頬を伝う。視線は前に向けたままだ。

「なーんて。そんなことあるわけないよね」

 まるで全てを見透かしたかのような視線がようやく外される。少女は背中で手を組み、俯きながら地面を軽く蹴っている。体の硬直がとけたレナードは、口を尖らせる少女に笑みを向けた。

「どうし……」

「あー! セーラだ!」

 街の中心街の方から少女――セーラと同い年くらいの少年三人が駆けてくる。声が聞こえた瞬間からセーラは警戒の目で少年らを睨んでいる。

「弱虫のセーラ!」

「やーい、弱虫、弱虫!」

「弱虫、毛虫、挟んで捨てろー!」

「弱虫じゃないもん!」

 セーラを取り囲んで三人は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。暴力を振るうつもりはないようだ。セーラはそんな三人を必死に睨みつける。

「じゃあ追いかけみろよ!」

「ここまできてごらーん!」

「セーラちゃーん!」

 すると少年らは走り出して中心街の方へ戻る。セーラを手招きしている。セーラはそこまで行かず、唇を噛みしめてただ立っていた。目にはうっすら涙の膜がはり、手はワンピースの裾を強く掴んでいる。

「ほら! 追いかけてこない!」

「やっぱり弱虫だ!」

「弱虫セーラ!」

 三人は弱虫と三人で声を合わせながら走り去っていった。先程までの騒がしさが嘘のように、長閑な雰囲気が戻ってくる。

「セーラちゃ……」

 セーラは唇を震わせると、早歩きでヴェロッタムールに向かう。レナードはその後ろ姿を黙って見つめる。そして一定の距離を開けてセーラを追い始めた。



セーラは町からそこまで離れていない場所で歩みを止めた。肩を上下させて息を整えている。レナードはセーラに追いつくと、肩に手を添えて切り株に促した。

 大人しく従ったセーラだが、その顔は俯いたままだ。レナードは柔らかな表情でセーラを見る。

「セーラちゃんはどうしてわたしをフェニックスだと思ったの?」

「絵本があるの……フェニックスっていう……」

「面白そうだね。どんな内容?」

「面白そう?」

「うん。すごく気になる」

 セーラはレナードを見上げる。レナードはそんなセーラに小さく頷く。するとセーラは見る見るうちに笑顔になっていき、目を輝かせた。

「あのね! フェニックスはね!」

 花が咲いたような明るい笑顔で、頬を紅潮させ、セーラが話し始める。

 セーラによると絵本はフェニックスと人間の女性の物語らしい。人間の女性に恋したフェニックスは人間の姿に変化して女性と距離を近づけていく。しかし両想いになってもやはり命の長さが問題になってくる。そこでフェニックスは女性にキスをする。すると女性はフェニックスと同じ永遠の命を手に入れ、二人はいつまでも幸せに暮らした。

 ただセーラは永遠の命を手に入れた描写を、女性が強くなったのだと思っているらしい。

 不死鳥伝説に関する文献を読み漁ったため、地方によって伝わり方が違うのは既に知っている。どうやらここは不死鳥のキスが伝わった地方らしい。

今でこそわかるが、不死鳥伝説はあながち間違いではないようだ。魂を受け継ぐ魔法や、血に関する事実が紆余曲折して後世まで語り継がれたものだった。

「いいお話だね」

「うん。大好きなの!」

 嬉しそうに笑う姿はどことなくセレナに似ていた。セレナも自分の好きなものを褒められた時は、こうやって無邪気に笑ったものだ。

「そのフェニックスにわたしが似ている?」

「お兄ちゃん、そっくりだよ!」

 レナードは苦笑して、前髪を指先で掴む。普段は忘れてしまうが、今の髪色は朱色。前のようにこげ茶色ではない。町を歩いていたら目を引くだろう。

 セーラはぱたぱたと足を揺らして、ご機嫌な笑顔をレナードに向けていた。この様子ならそろそろ本題を切り出してもいい頃合いだろう。

「セーラちゃんはどうしてフェニックスを探しているの?」

「うーんとね……」

 セーラは再び顔を曇らせる。口を開いては閉じてを繰り返すのに合わせて、膝の上の掌を握ったり閉じていた。程なくして意を決したように前を向いた。

「私、心臓が弱いの。ママとかお医者さんが走っちゃダメーって。だから、さっきみたいに……」

「……そっか」

「でもフェニックスに会えたら、強くなれるような気がするの」

「そうなんだね」

 やはりレナードとセーラは同じ部類の人間だったのだ。レナードも幼いころ、自身の体のせいで同い年の子どもからいろいろ言われた。そこから逃れようと本の世界に没頭し、不死鳥伝説と出会った。セーラも同じかもしれない。

 しかしセーラの言動や様子を見ると、そこまで酷いものではないようだ。おそらく精神面も大きく影響している。

 いっそのこと、この子に命を与えてしまおうか。そうすればセレナのもとへ行ける。

そんな馬鹿げた考えをすぐに打ち消す。これほどセレナに失礼な行動はあるまい。それに永遠の命を与えては、セーラの人生を大きく変えてしまうことになる。

それに永遠の命などなくとも、少女を助けることはできるだろう。

「セーラちゃん、ちょっとここで待っていてくれる?」

「うん、わかった」

 きょとんとしたセーラにレナードは優しげに微笑む。そしてヴェロッタムールの奥へ向かい始めると、強い意志のこもった瞳を前方へ向けた。

 今からやろうとしていることは、どちらかといえば許されざること。セレナがヴェロッタムールに隠れて暮らしていたのは、こういうことを防ぐ面もあったのだろう。

 だがレナードとセーラは、関わりを断つには似通い過ぎていた。レナードはまだ冷酷にはなりきれなかった。

 進み続けていると、大樹の根元に目的の花が生えていた。それを見てレナードは寂しげに笑う。

「……滋養強壮によく、花弁は生で食べられます」

 そう言ってセレナはこの花を紹介してくれた。あの時はセレナもレナードも表情が硬く、打ち解けていなかった。とても遠い記憶のように感じる。

 レナードはその花の前にしゃがむと表面を軽く撫でる。そして口内でごめんと呟くと、その花を一本摘み取った。



 レナードの足音が聞こえると、セーラはパッと顔を上げる。レナードは待ちわびた表情の少女に笑みを向けた。

「おまたせ」

「それ綺麗なお花だね!」

「ああ、これ。リュシアンっていうんだよ」

 セーラはレナードの手にある青い花を指さす。女の子だからか、花を見ると顔を綻ばせた。レナードは楽しそうなセーラの前にしゃがむ。

「セーラちゃん、今から見ること、秘密にできるかな?」

「できるよ!」

 セーラは不思議そうな顔をしつつ、笑顔で頷いた。秘密の共有という事実に、瞳を輝かせている。レナードはセーラのその表情をしばらく見つめてから、立ち上がった。切り株から数歩分離れ、瞳を閉じる。

 レナードの体から朱色の光が放たれ始める。軽く浮いたレナードはリュシアンを手から離すが、光の移ったリュシアンはその場に浮く。さらに強くなった光の中で、レナードの姿は変化していった。

 セーラはレナードの様子を、息を詰めて眺めている。不死鳥へと変化したレナードは、セーラの見開かれた瞳を一瞥した。長い睫毛が縁取る瞳に見つめられた瞬間、セーラの喉から声にならない声が漏れた。

 レナードは朱色の光を纏うリュシアンに近づき、そっとキスをする。他の女性に捧げてしまった唇を、少女に与えることはできない。しかし少女に勇気を与えることなら、できる。

 レナードが再び目を閉じると、人間の姿に戻り始める。完全に人間の姿になると、リュシアンを手に取る。レナードの体から光はもう出ていないが、リュシアンはまだ淡く光っている。

「セーラちゃん」

 呆けたセーラにレナードが声をかけるとセーラは溜めていた息を一気に吐き出した。

「お兄ちゃん……フェニックス……なの……?」

「そう。セーラちゃんに会いに来た」

 そう言うとセーラは満面の笑みを浮かべる。

「すごい! すごいね、お兄ちゃん!」

「ありがとう。それから、これ」

「くれるの?」

「花びらを食べることができるから、お家に帰ったら食べてみて」

 レナードの差し出したリュシアンを受け取ったセーラはより顔を輝かせる。初めて見る青い花を、掌で動かして眺めている。

「これを食べたら強くなれる?」

「うん、きっと」

「ありがとう! お兄ちゃん!」

「どういたしまして」

 禁忌を犯したのだろうが、セーラの笑顔を見ているとそんなことは気にならない。リュシアンを食べれば彼女は自信をつけるだろう。きっといじめにもめげない子になるはず。

「さ、早く持って帰らないと」

「うん! またね、お兄ちゃん!」

「……ばいばい。セーラちゃん」

 リュシアンの光は徐々に消えていっている。それを確認してから、笑顔で大きく手を振るセーラにレナードは手を振り返す。彼女の背中を見つめながら、もう片方の手を握り込む。

「あ、ねえ、お兄ちゃん」

「ん? どうしたの?」

 途中で足を止めたセーラが振り返る。レナードは慌てて笑顔を見せた。

「お名前。お兄ちゃん、お名前なんて言うの?」

 相変わらず可愛い笑顔を浮かべるセーラ。レナードは唇を噛んで視線を落とした。

「お兄ちゃん?」

「……お兄ちゃん」

「え?」

「セーラちゃんにとって、わたしはお兄ちゃん。それじゃダメかな」

 最初、不思議そうにしていたセーラが、顔を歪めた。幼心にもわかってしまうのだろうか。もう二度と会えないということが。

 おそらくセーラは秘密を話さないだろう。しかし万が一ということもある。それに本来、不死鳥というのは人間に関わることはない。だからもうこの町に訪れるつもりはなかった。

 セーラはリュシアンを握りしめて俯いている。しかし次に顔を上げた時、その表情は笑顔だった。

「うん! じゃあね、お兄ちゃん!」

「……ばいばい。セーラちゃん」

 大きく手を振るセーラは、今度こそヴェロッタムールを去って行く。その足取りは力強い。レナードは、小さくなっていく大きな背中を眺め続けた。

 そして完全に見送ると不死鳥に変化して空へ飛び立っていった。

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不死鳥伝説物語 燦々東里 @iriacvc64

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