別れは平等に訪れる
ルーアンテイルの空気は、いつしか殺伐としたものとなっていることにハルは気づいた。先日、都市間交易路の整備のためにむかった工作部隊が、襲撃を受けたことを住民たちが知り、城塞街には多くの住民が押し寄せたという。情報が少ないため、工作部隊が今どこにいるかも不明。犠牲者の数もわからず、義兵団も対応に困っているらしい。そうなれば、街中がこうもピリピリとしていても不思議ではないだろう。アンジュと共に買い出しに出かけた時に、そう思ったのだ。
「工作部隊には、多くの一般人が含まれていたそうですね。」
「あぁ。家族が心配なんだろうね。気持ちはわかるけど、今は待つしかないよ。」
家族が工作部隊に関わっていれば、取り乱すのも、戦争に対する反感を買うのもうなずける。だけど、ミズハとて、好きで犠牲者を出したわけではないし、責任はあっても悪者扱いされるのは間違っていると思う。そもそもこの戦争も、元はと言えばアストレア王国が引き起こしたものだ。恨むなら恨むべきだ。といっても、そう簡単に割り切れるものじゃないのは、ハルにだってわかっている。言葉で表すなら、悲しい、としか言い様がないのだろう。
「エイダン、無事かな・・・。」
「あの坊や、か。義兵団の護衛は少数だったとはいえ、当人らは自衛くらいできるだろうさ。でも、一般人を守るために、体を張ったりするだろうから・・・。」
彼には、恩というには、あまりに軽いものかしれないけど、彼の行いによって、ハルの心が救われているのは事実だった。自分が何者であるかを考える前に、ハルは多くの人々にとって精神的な支柱になれることを教えてくれた。運命への反逆心、とでも言うのだろうか。こちら側に来てから、ずっと抗うことだけを考えてきた。生きるため、自由のため、元の世界に変えるために。そういう意思が、きっと他の人たちには輝いて見えるのだろう。
この世界で、ハルは良くも悪くも異質な存在だ。そういう事実を、正面から受け止め、そして、そのうえで自分らしく生きることを認めてくれたのがエイダンだ。ハルは彼の前で誓いを立てて、彼に証人になってもらわなければならないのだ。もちろん、それだけの理由ではないけれど、どうか無事でいてほしいと、ハルは願っていたのだった。
奇襲作戦から数日後、ハルは城塞街を訪れていた。というのも、レリックにも話した王都へ行きたいという旨を、ミズハに話しておこうという思惑があったのだ。話したところで、だめだ、と一言言われればそれまでだし、そもそも現状彼は忙し身だろうから、会ってさえくれないかもしれないが。けれど、何事も行動に移さなければ、話は進まないものだ。
案の定、城塞街の入り口で、ミズハへの謁見を申し出たのだが、返答はお昼時になっても返ってこなかった。ある程度予想していたこととはいえ、長時間城塞の壁の隅で待たされるのは、心身共にくるものがある。足が疲れてくれば、寄りかかって体を休めればいいだけなのだが、いつ返事が来るかもわからないから、昼食を取りに行くこともできない。ただ、お昼時特有の喧騒が治まりだしたころには諦めがついて、門番に帰る旨を伝えてから、ハルは街中へ向かったのだった。
朝食を取ってから何も口にしていなかったため、お昼を過ぎた現在は、非常にお腹が空いていた。戦時であるため、飲食店が立ち並ぶ主通りは、時間外の営業が制限されている。無駄な備蓄を消費しないための一時的な処置だ。今、食事処へ駆けこめばまだありつけるだろうが、ハルが向かったのはファルニール商会の本部だった。
本部の周辺では、人の動きが激しくなる。今一番ルーアンテイルの中で人の動きが目立っているのは、ファルニール商会の様な大きな商業団体が占領する地域だ。商会本部の周辺には、商会が保有する備蓄庫やキャラバンのための荷馬車を止めておく駐車場があり、今はそれらがフル稼働している状態なのだ。
商会の証であるベレー帽を被る者。少し変わった衣服を着ている商人らしき者。義兵団の制服や、軽鎧を身にまとう者。様々だ。見た感じ前線への補給物資を運ぶためのキャラバンが組まれているようだった。工作部隊のキャラバンと違って、護衛の数もけた違いに多く、荷馬車の数も、以前グレイモアへ向かった時よりも多く、それらが南門へ向かって縦列に並んでいたのだ。
ベレー帽を被っていない商人は、他の商会の者だろうか。彼らの服装は、このこちら側に来てから初めて見る装いだった。なんとなくだが、この辺りの文化とは異なる毛色をしていると感じたのだ。
(もしかして、アストレアの東の、小国連合の使いだったりするのかな。)
ルーアンテイルと同盟関係にあるという小国連合は、今もアストレアの王国軍と、東側で戦火を交わしているらしい。一応、アストレア王国は、その小国連合と、ルーアンテイルを中心とした交易都市群に挟まれている状態なのだが、二方面へ戦力を投入できているのは、さすがというべきなのだろうか?国力は落ちていると言われていても、それくらいはできるということだろう。だが、それもほんの少しの間のことだろう。
先日の奇襲作戦が成功したように、王国の戦力は削がれつつある。ルーアンテイルからしたら、この戦争は消化試合のようなもののはずだ。リベルトたちが参加している後方支援部隊や、真っ先に出陣していった義兵団の第一陣は、情報こそ入ってこないものの、今もフレーデルの街付近で、ゲリラ戦が行われている。第一陣の役目は、交易都市群側、つまり、アストレアの西側が完全な無防備ではないと思わせるための牽制だ。王国の本来の目的は、東側の小国連合の征服である。その小国連合に武器などの物資を横流しにしているルーアンテイルは、敵ではあるが主目標とするには難しいのだ。何より王都からルーアンテイルまでは、徒歩で一月はかかる道のりだ。そんな遠くまで戦線を伸ばせるほど、王国に力は無く、そんなことをすれば、瞬く間に小国連合の軍隊に国を制圧されるだろう。
小国連合は昔、まだアストレアの国王が存命だった頃から、王国に侵略を受けていた国々で、今でこそ、王国と戦争が出来る国々だ。もちろんルーアンテイルの恩恵あってこそのものだが、戦争をしなければならない理由は、連合にないはずだ。この戦争を始めたのはアストレア王国だから、あくまで自国が侵略されないための戦争ということだろう。
ハルには想像もできないことだが、国同士の恨み憎しみも、目に見えない形でこの戦争に反映されているのだろう。
(あの使いの人も、勝つために、ああして必要な物資を買い漁っているんだろうな。)
悲しいことに、この戦争は土地の利権などをかけた戦争じゃない。負けた方は、必然的に土地を追われるか、処刑されたりする。住民は他国へ亡命したり、終結する前に移住していくだろう。
ルーアンテイルは移民受け入れには厳しい。特に今は、街中に化け物が襲撃にきた事例があるため、身の証明をできない者の移民を受け入れてはいない。証明というのは、自身の所属のことだ。ハルで言えば、鷹の団という傭兵団の所属ということになる。鷹の団は内外で有名だから、その名を出すだけである程度信頼が置ける。だが、無所属となれば、どこの手のものかもしれないと疑われるの目に見えている。戦争で済む場所を追われた人たちの肩身は、とても狭いものなのだ。
そういう意味では、ハルは本当に幸運だったのだろう。まだ戦争が始まっていなかったとはいえ、こんな豊かな街で済む権利を得ることが出来たのだから。
「ハルさん?」
人の動きを、遠くから眺めていると、親友の声がすぐ隣から聞こえてきた。ソーラはいつの間にか、人の中を潜り抜けるようにして近づいてきていたようだ。
「ソーラ。」
「どうしたんですか?こんなところで。」
以前合った時よりも、少し髪が伸びていた。今年で十四になるはずだから、イメチェンでも始めたのかもしれない。そういう年頃だろうから。
「よくわかったね、私だって。」
「えぇ?だって、ハルさん目立ちますし。」
何を言っているんですか、と言わんばかりの態度で、ソーラはハルの手を掴んできた。ハルも、そういえばそうだった、と今さらながらに自分の特徴を思い出していた。
手を引かれて連れて枯れたのは、商会本部の離れにある、ファルニール家の自宅だった。以前来たときはグレンとスカーレットに件の絵本について聞きに来た時だから、随分記憶に新しい。
「仕事は大丈夫なの?」
「はい。ここ最近は、物資の荷積みが終われば、ほとんど暇しているので、自宅でのんびりしているんです。」
ソーラがまだ子供だから、そういった待遇になっているのかと思ったが、大人のメンバーたちも今は、それほど仕事に明け暮れてはいないらしい。ソーラが言ったように荷積みか、倉庫の在庫管理が主な仕事で、それ以外は開店休業状態で、商人らしい仕事はほとんどできないそうだ。こんな状況では、当然と言えば当然かもしれないが。
ファルニール家の自宅のリビングに通されると、ソーラがお茶を入れてくれて、二人で椅子に腰かけながら、静かな一時を過ごすことにした。
「うちに何か用があったんじゃないですか?」
「あー。まぁ、そうなんだけど。さすがにわがまま言うのも、あれかなって。」
「わがまま、ですか?」
ハルが商会へ来た理由は、食料の調達だ。食料と言っても、物資、と呼ぶほどのものではなく、単に昼食代わりのものを買えればと思っていたのだ。だが、商会が溜め込んでいる食料は、一般には売られていないだろう。今から飲食店に行っても、食事を提供してはもらえないだろうから、一縷の望みをかけて、ここまで来たのだ。
という話をソーラにすると、事情を理解してくれたのか、家の奥の方から、食べ物を持ってきてくれた。
「こんなのでよかったら、食べてください。」
出されたのは、乾パンの様な固いパンに、香りの強い粘り気のある液体だった。
「これ、何?」
「樹液です。グレイっていう木が作る樹液は、砂糖よりも甘みが強い甘味料として、商品になるんですよ。」
「へぇ。」
この世界にも、メープルシロップの様なものがあるんだと、感心したものの、どうにも色味がそれっぽくなかった。なにせ、その名の通り灰色がかっただったので、食べ物としては受け入れがたいものだったのだ。こちら側で、グレイが灰色を指すかはわからないが、半透明な灰色の液体を匙で乾パンに塗りたくっても、あまりおいしそうには見えなかった。
「たくさんあるので、いっぱい召し上がってください。」
「う、うん。いただきます。」
こちら側の食事は、日本とは大きくかけ離れてはいなかったため、食事で困ったことはあまりなかったのだが、ハルは初めて、食べ物に忌避感を覚えていた。
一口かじると、クッキー程のジャリジャリ感に、煎餅の様な固さが相まって、とてもパンを食べているとは思えなかった。ただ、ソーラの言う通り、グレイの甘味料はとても甘く、ハチミツやメイプルシロップとも、また違った風味が非常においしかった。
「おいしいね。意外と。」
素直に感想を述べると、なぜかソーラは申し訳なさそうに視線をそらしていた。
「もともと、うちの商会に加わっている個人商人さんが、売り物にしてたんですけど・・・。」
「けど?」
「・・・日が経って悪くなったものを、おやつ代わりに食べているだけなんです・・・。味とか大丈夫でした?」
「・・・。」
それはつまり、腐りかけのものを茶菓子として出したということだろうか?味は特に変わったところはなかったのだが、そもそも初めて食べたのだから、良し悪しなんてわからない。腐敗独特の刺激臭とかはないのだが、そんな風に言われると、胡散臭く見えてきてしょうがなかった。
「だ、大丈夫ですよ。お父さんも、カーム兄さんも、平気で食べてましたし、私も、グレンと一緒に舐めてましたから。」
「いや、まぁ、いいんだけど。」
味は問題ないし、腐りかけが一番おいしいなんて言う言もあるくらいだから、特に問題はないだろう。何より空腹を紛らわすには十分な量のパンだったから、深く考えずにパクパク食べてしまった。最後に入れてもらった粗茶を流し込んで、ようやく一息つくことが出来たのだった。
「ハルさん、最近、お仕事は?」
「・・・この間、王国軍が建設した中間拠点への、奇襲作戦に参加したよ。」
「王国軍と!?」
今更だが、戦いをしない人間からしてみれば、戦争へ向かうという行為は、恐怖そのもでしかないだろう。ハルも、今でこそ慣れてしまってるが、元の女子高生だった頃の自分であれば、今のソーラと同じような反応をしただろう。
「怪我とかは・・・。」
「大丈夫。この通りだよ。」
ハルは、手を広げてどこも怪我をしていないことを見せつけた。それでもソーラからすれば、心配せずにはいられないのだろう。補給部隊として、商会の大人たちも、街を出ることがあったはずだ。義兵団の第一軍のいる最前線まで行くことはなくとも、現状フレーデルの街から、ここルーアンテイルまでの道のりには、王国軍がどこに潜んでいるかわからない。実際、前線から遠く離れた場所にいたはずの工作部隊が襲撃を受けた。もう街の外は危険なものになってしまっている。ソーラの心配は、当然のことだろう。
「ソーラの方はどう?忙しい?」
「荷積みは大変ですけど、ほとんど言い値ですから、勘定は楽ですよ。」
「どれだけ値段を釣り上げても、買ってくれるんでしょう?戦争も馬鹿にできないよね。」
喜ぶのも不謹慎かもしれないが、商人がいなければ戦争は成り立たないし、きれいごとばかり述べても、戦争に勝てるわけもない。死の商人と罵られようと、当事者以外にその重要性を理解している輩いないのだ。
「おかげで、前の遠征で出た赤字は、ほとんど取り戻せたんですけど、戦争が終われば、逆に物が売れなくなるから、お父さんたちはそのことばかり気にしています。」
ソーラの話は、おそらく経済のインフレとかデフレとかの話だろう。学校の授業でそんな感じのことを習ったような気はするのだが、正直良くはわかっていない。物の価値で値段が変わるというのはなんとなく理解できるのだが、そこまで優秀な頭脳を持ち合わせてはいない。
「私も詳しくは聞いてないけど、この戦争は短期決戦だって聞いたよ。あんまり長引くことはないと思うけど、いろいろ不安だよね。」
ルーアンテイルも無限に物資があるわけではない。王国軍が街道などを占拠して、一般交易が行われなくなっている現状、物の行き来は命懸けだ。人口の街は、需要に供給が追い付かなくなる可能性もあるだろう。もちろんそれはアストレア王国も同じだ。むしろ、あちらは味方となる陣営がほとんどないから、先にジリ貧になるはずなのだが、その結果も近いうちにわかるのだろうか。
「ハルは、また戦いにいくんですか?」
「ううん。この街が大きな被害を受けない限りは、この街に留まるよ。一応、都市防衛部隊だからね。・・・、暇が出来たら、また会いに来るよ。」
そう言ってハルは、ソーラの頭をなでてやると、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。彼女なりに身を案じてくれているのは、こうして向き合っていれば良く伝わってくる。ただでさえ、ハルは無茶をしがちだ。友人をこれ以上不安にさせるのも良くない。街にいる間は、定期的に会いに来るべきだろう。
そうやって他愛もないやり取りをしていると、ファルニール家にヘレンが足早にやってきた。
「あ、本当にいた。ハル!」
「ヘレンさん。お邪魔してます。」
「おかえりなさい。」
「ハル、貴方にお客さんが来てるんだけど・・・。」
「えっ?」
ヘレンによると、お客さんはハルを探して、一度鷹の団の拠点に足を運び、そこで今は出かけていることを知って、街中を探していたそうだ。団員からハルが行きそうな場所を聞いて、ファルニール商会の本部までやってきた。そして、そこでハルらしき白髪の少女がいたことを知り、ヘレンに掛け合ってきた。
という、なんとも面倒な道のりを辿ってここまでやってきたそうだ。なんというか、そうまでしてハルに用事があったのかと思うと、ハル自身に対する大事な話、ミズハの使いの者かと勘繰ったのだが、商会本部の外れで待っていたのは、薄汚れた制服に身を包んだ、義兵団の男だった。そして、その人物は、見覚えのある人物でもあった。
「・・・隊長さん?」
「久しぶりだね、ハル君。こんな格好ですまないね。」
義兵団の男は、グラハムだった。グラハム・ラーナー。以前奴隷商との戦いで義兵団を率いていた隊長。エイダンの部隊の隊長だ。リベルトとは古い仲だというし、ハルも少なからず接点があるから、顔と名前はすぐに思い浮かんできた。
「すみません、いろいろと探させてしまったみたいで。」
「いや、いいんだ。急用というわけではないし、一応仕事として君の元へきているからね。」
仕事、というと、やはり今後のハルの処遇についてだろうか。まだミズハに、王都へ向かうという話もしていないから、もしかしたら、打診する機会があるかもしれない。しかし、グラハムの要件は、まったくもってハルの考えとは異なるものだったのだ。
「君に、渡さなければならないものがある。」
「えっ?」
彼の表情は真剣で、とても物悲しく、僅かに自分を哀れんでいるようなものだった。
龍の瞳 宮野徹 @inamurasann67
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