あっ、チートが欲しいな、今。

脳幹 まこと

分かった。無力な女の子に懐いてほしいんだな。


 あーあ、分かってしまった。

 分かりたくないこと、脳みそが頑張って隠していたのに、アルコールの力で緩くなってしまったがために、出てきてしまった。


 要するにチートが欲しいんだよな。現実なんてどうでもよくなるような、努力とか状況とか、すべてを吹き飛ばすような、すべてチャラにしてしまうかのような、そんな力が欲しいんだな。

 仕事とか、納期とか、人生計画とか、趣味とか、時間の無駄とか、有意義とか、そういうものから、一切合切逃げ出したくなったんだな。比較闘争から逃げ出したくなったんだな。優秀とか劣等とか、そういうものからも。


 なあ、どんなチートが欲しい。俺だったら、目を合わせただけで人の心を操ることが出来て、その人の特技や経験まで完璧に覚えることが出来るとかがいいな。そうすれば、無限に強くなれるのだろうな。そしたら、もう誰かに憧れる・・・必要もなくなるのだろうな。

 どんな特技が欲しいんだ。料理とか、スポーツとか、資金運用とか、高い社交性とか、幅広い専門知識とか、好奇心とか、外国語を喋れるようになるとか、何かをバズらせるとか。

 

 なるほど、そりゃあ、いいな。でも、チートなんだぜ。そんな誰かがしてそうなやつなんて止めにしようか。非常識なこと、しよう。そうだ、侍らせよう。女の子、女の子を侍らせよう。それも一人だけじゃない。何人も。それも、従順で素朴でそのくせ、見所があるやつ。普段だったら、劣等感で歯噛みしてそうなやつがいいな。

 そいつらに俺は手製の料理をもてなす。誰かから奪った経験で作った料理。誰かから奪った技術で作った資金をもとに、俺はぜいたくな一戸建てを買うんだ。現金一括で。

 懐いてくる女の子。彼女らの意志なのか、俺の意志なのかは分からない。でも、いいじゃねえか。一人残らずかわいいんだから……


 それから、俺に対する反対意見、否定的な意見をすべて捻じ曲げよう。俺を祭り上げるだけの声にするんだ。そういうことが可能なんだから、せっかくなんだから。でも、表舞台にいるのは、らしくない。俺の存在は秘匿されている。影の権力者ってやつだ。能ある鷹になるんだ。俺は醜いアヒルの子ではないんだ。


 どうした。酒の進みが悪いぞ。もっと飲め。脳細胞どもをスパークさせよう。

 いつしか、俺とかわいい女の子たちは世界各地を歩いていく。外に出かけるとき、彼女らは無力で、首輪がついている。あどけない彼女らと色々なところを歩いていく。

 どんなところを歩きたい。パスポートを取らなくてはな。大丈夫だ。どこぞのやつから奪った無敵バリアのおかげで、どこを歩いても病気ひとつしないし、怪我ひとつしない。

「北極に行きたい」なんて、女の子の一人が言うものだから、少し寒いだろうと、装備を固めることにする。オーロラとか、氷河とか、吹雪とか、色んなものが見られるだろうなあ……

 数週間ほど滞在して、そういうものを見尽くしてみて、言い出しっぺの彼女に聞いてみるんだ。「いま、幸せか?」ってな。そうすると、そいつははにかんでこたえるんだ。

「しあわせだよ。おとーさんは?」



 俺はその言葉に、どうしても答えてやることが出来なかった。





 二本目のビールを開ける。もう適量を超えているのは分かっていて、「ああ、たぶん吐くな」と直感がささやいていた。


 とびきり弱いやつがいい。とびきり制御しやすいやつがいい。誰にでもあっけらかんとしたやつがいい。そんな奴が俺にだけ・・・・飛びつくのがいい。書いていて矛盾だらけだ。でも、矛盾を矛盾でなくすのがチートなのだ。

 俺は自分の人生がパッとしないことを振り返っていた。この三が日、何が出来たというのか。仕事。仕事が明日に控えている。だから休んでいたのだ。休んでいた。友達と一緒にゲームをやっていた。首が重くなった。肩が痛くなった。楽しさよりも先に無味乾燥とした静かさが湧いて出てきた。

 書類を書かなくてはならなかった。時間が分からなくなって、適当に動画を見たり、適当に寝たりもした。書類は書けずじまいだった。


 ああ、理由もなく書類を書くよりも先に、女の子を侍らせたい。そうすれば、女の子を養う為に、書類を書くことが出来る。

 俺は酒をあおる。

 ピンポンとチャイム音が鳴る。俺がドアを開けると、長髪の女の子がひとり、全身ビショビショにぬれていた。ちなみに夜空には星が輝いていた。

 早速、風呂に入らせようと考えたのだが、掃除をさぼっていたので、水垢だらけだ。どうしよう。しょうがないから、一時間くらい時を進めることにした。そうすると、上下ともにジャージに身を包んだ女の子が佇んでいた。


 ゲーム機があったので、適当に遊ばせてやることにした。ここには「家出」で来たらしい。もう話すことも、やることもなくなった。

 それではあんまりなので、友達とやっていたゲームで対戦することにした。これでいいところを見せつけてやれば、少しはいい気分になるだろうと思ったからだった。

 十数分くらいで飽きてきた。彼女はずいぶん熱が入ってきて、勝ったり負けたりを繰り返していたが、頭も痛いし、吐き気もするわで、それどころではない。


 ある試合が終わって、「空虚だね」と彼女はぽつりとつぶやいた。


 うるせえよ、肉人形が。





 ぐるぐるぐるぐる。

 感覚が更に混迷を極め始めた。

 俺はドットの塊になっていることに気付いた。


 ドットになっても、酒は旨い。ただ、ドットは少し剥がれやすい。ボロボロと剥がれていくのだ。

 例えば酒を飲むと、体が火照ってくるのだが、下手に掻きむしったりすると、肌色のドットが数百も、カズノコの粒粒みたいに爪にへばりつくから、気を付けなければならない。

 ドットの世界では書類なんて書けない。だから、かわいい女の子を侍らせよう。


 何にも考えなくていい。何にも考えたくない。何にも考えるな。

 デフォルメされた二頭身から三頭身の女の子たち。ああ、これくらいなら、何をしてもいい。罪悪感から解放される。これがいい。

 カートゥーンみたいだ。あの、チェーンソーとかでぶった切っても、プラナリアみたいに二つに分裂する、みたいな。そういう荒唐無稽さがたまらない。


 ミラーボールを出現させて、全員で踊りだすのだ。全員がダンス未経験の為、馬鹿みたいな――盆踊り、ラジオ体操みたいになっている。まあ、いいんだよ。一生、踊り続けていられるなら。

 そこにやってくるのは、損得分岐点、設計書、スキルセット、契約書、人間関係、進捗、時短本、友達の愚痴、年金問題……

 みんなが一緒くたになっておしくらまんじゅうである。

 

 高熱、吐き気、異様なまでの発汗。

 おせちを食べていた、カズノコの粒粒が手にへばりつく。

 かわいい女の子がもたれかかってくる。触ったこともない、見たこともない、何もしたことがない。目が異常なまでに巨大になっている、盛ってやがる虚像の女の子たち。


 溺れる。現実、焦燥感。すべてを受け入れることが出来たのならば、チートなんていらないのだ。チートが欲しいのは、とどのつまり、満たされていないからだ。

 どうする。どうする。自分の人生の遅延を巻き取るためには、ええっと、まずはこんがらがった糸をほどかなくては。

 何が原因で自分がこうなってしまったのかを考えなくては。


 ドットが溶けていく。自分とドットを結び付けていた糊付けが弱くなっていく。ばらばらになっていく。周りもすべて。女の子は既に原型をとどめていない。

 糸をほどこうとしたが、そうするための腕がほどけてしまった。もうどうすることも出来ないな。そうなると、取るべき手は一つしかない。

「マスター、ビールを一杯くれ」





「自由になりたい」と人はよく言うが、自由が何かよく分かっていないので、俺は自室で全裸になって、最後の自由を謳歌する。

 一時間から二時間程度の微睡み、一時間から二時間程度の寝惚け。これの繰り返しが一日中続いていた。

 三が日の終わり、明日は仕事だというのに。これでは、俺はダメ人間になってしまう。


 暖房をガンガンにきかせ、うだるような暑さと光熱費。熱々の風呂を沸かそう。熱気に溺れて、何もかも吹き飛ばしてしまえ。


 待ち時間、俺はかわいい女の子のイラストを漁る。酒を飲みながら。

「かわいい」というのには、共通点があるのだろう。子供っぽい、幼さを残しているということが、第一に上がってくる。

 かわいい。それは未熟さ、無垢さ、清純さ、それを呼び起こさせる。どれも持ち合わせていない、いや、昔はそれを自覚せずして持っていたからこそ、大人はそれを今更になって求めるのだろうか。

 成人男性が多かれ少なかれ保有している庇護欲が、屈折した感情を持ってそれを見つめている。正しく機能しなければ、ロリコンになってしまう、危うげな機能が。


 かわいい女の子のイラスト。しかし、極限まで拡大し続ければ、それは単なるドットの塊でしかない。単なる色にだったら、暴力を振るってもいいのだろうか。例えば、酒を浴びる程飲ませるとか。

 痙攣。口から絶えず出てくる涎。開ききった瞳孔。そんな寸胴体系の女の子の胸に耳を当ててみたい。心臓はどんな拍動をしているのだろうか。小刻みに、不規則に、自分の心配している不整脈の兆候を起こしているだろうか。


 誰かの不幸を望むのは、その人を嫌悪しているからではない。勿論、好んでいるからでもない。飽いているからだ。飽いているから、面白いことでも起こらないかなあって。


 頭がギシギシと痛む。締め付けられる。脳が肥大化しているのか。それとも、頭蓋骨が縮んでいるのか。心拍に合わせて、痛みも波打っている。せっかくだから踊ってやりたい。

 ミラーボールはどこにある。

 




 気付くと、キーボードに顔を突っ伏していた。

 お風呂が沸いたので、既に顔は茹でだこみたいになっているが、入ることにした。口元には吐しゃ物のカズノコがへばりついている。

 服を脱ぐ。酒が欲しくなった。酒はお守りだ。お守りがないと、流石に怖くてたまらない。何が怖いのか。明日は仕事じゃないか。仕事を怖がらない人がどこにいる。


 さあ、入ろうじゃないか。かわいい女の子と一緒に。かわいい女の子の顔がへばりついた、PCのウィンドウを持ってユニットバスに入る。

 一人暮らしの部屋だからって、どうにもこの風呂場は狭すぎる。そうは思わないか?

 シャンプーとリンスをウィンドウにぶっかける。こすってやる。端子の部分も容赦なく、全身を、くまなく洗ってやる。身体が固く、その上、ビ・ビ・ビと音がする。

「うるせえ!! この肉人形が!!」

 蹴り飛ばしてやったのだが、当たった先が角だったみたいで、思い切りすりむいてしまった。足の甲が思い切り割けて、血がダラダラと出始める。

 ダラシねえ、肉体だ。畜生。

 そのまま、すっかり溜まりきった風呂釜にウィンドウをたたきつける。かわいい女の子は消えてしまった。


 残されたのは現実だけだった。


 叫んだ。近所迷惑かどうかは別として叫んだ。

 しかし、大した声にはならなかった。もう、どうでもよかった。

 俺はそのままザブンと入った。途端に熱いものが逆流してきた。込み上げる。昨日の夕ご飯は何だったかな。忘れてしまった。100から7を引いてみるか。100、93、85、73、60……

 脳みその機能低下をきちんと確認した。これは正常な俺ではない。異常な俺がしでかしたことは、仕方のないことだ。それは俺の責任ではない。「はいど博士とじきる氏」というやつだ。最終的にはいどはおかしくなってしまうのだが。

 三が日の終わりが迫る。チートが欲しい。

 

 しかし、残されたのは現実だけだった。


 途端、哲学的な気持ちになる。

 金子みすゞ先生は「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」だなんて言っていたけれども、

 まさか、こんなにも「私」が多様性を帯びてくるとは思っていなかったのではないのだろうか。

 酒を飲む。お気に入りの酒だった。

 意識を失うにはもってこいの酒だった。

 

 あらゆる理想と現実を諳んじて、俺は目を閉じてみることにした。

 理想的な女の子が理想的な男の子と歩いていた。

 お似合いだ。

 それで十分――





 凄いチートが欲しい。俺だけに。

 凄い幸運が訪れてほしい。俺だけに。

 他の奴らは極力、不運であってほしい。慰めてやるから。

 俺が主役で。みんな引き立て役。

 女の子を侍らせたい。厄介ごとを吹き飛ばしたい。


 それがダメなら、黙って酒をあおろう。

 中毒と廃人のロシアンルーレットの先に、希望のある妄想が待っているさ。

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