電脳研・最後の日

真雁越冬

電脳研・最後の日

「コマンドプロンプトって……なにげにエロくないですか?」

 四月も末、放課後の部室で一年女子の倉坂がにししと笑った。ギャルっぽいが、ところどころ馴染みきっていない感じで、そこはかとなく初々しい。いわゆる高校デビューというやつだろう。

「ん……俺に聞いたのか?」

「そりゃだって、先輩と倉坂しかいないですし」

 がらんとした室内には、パソコンの前でカタカタとキーを叩く二年の部長・佐橋と、隣の椅子でだらける新入部員の倉坂だけ。というか、全部で部員はふたりだけ。だからこの四月末日をもって歴史ある久々井高校・電脳研は人員不足のため廃部になる。

「碌な活動もできなくて、倉坂にはすまなく思う」

「いえいえ、片付けもそれなりに楽しめましたよ」

「社交辞令は要らないから」

「研究発表の資料とか、いくつか大笑いでした」

 やりとりしながらも佐橋は画面を目で追って手を動かす。備品の最後のこの一台から電脳研がらみのデータを消し終えたら、その片付けも終わる。

「じつをいうとな……」

「廃部は去年から決まったようなモノ、だったみたいですね」

「聞いてたのか」

「はい、センセから」

 昨年、実態に合わせて部の名を変えようという議論が興った。創設の理念にこだわって改称に反対したのは佐橋ひとり。とはいえ、正論は正論だったから、けっきょく他の全員が退部してeスポーツ同好会を新設する形で決着した。

「温故知新、コンピュータの成り立ちをたずねて人類の未来を思う……なーんて、フツーに考えて設立申請を通すためだけのキレイゴトですけれどもね」

「でも、俺はな……そういうコトがしたくて入部したんだよ」

「去年の文化祭、ゲーセンみたいな出し物の隅でちっちゃくな展示して、説明員の腕章して二日間ずっと立ちつくして……」

「お客さんなら……来てくれたぞ」

 真面目そうな中学生の女の子がひとりだけ、本当に熱心に見てくれた。あとは……そう、休憩中とかに何人かは来てくれた、と思いたい。

「アシモフはともかく、ハインリヒ・ハウザーなんてどこ探しても売ってないですし」倉坂はブレザーのポケットからイビツな粘土細工をつまみだして佐橋の視界の隅でフリフリしてみせた。「お土産のゆるキャラENIACえにあつくんフィギュアて……箱に眼ふたつ描いただけスよね」

「やめてくれ。俺もさすがにソレはどうかしていたと反省して……ん? どうして倉坂が持っているんだ?」

 倉坂の手が止まったのとほぼ同時に、佐橋の思考は真相らしきところにたどりついていた。

「ああ、ゴミ出し頼んだ中に混ざってたのか」

「……ホント、ぼくねんじんですよね」

「頭が固い自覚はある。世に迎合する努力はしているつもりだ」

 倉坂はゆっくり首を横にふった。

「無理なコトはやめた方が良いと思います」

「あれ……もしかしたら俺、何か酷いコトをいわれてるのか?」

「いえいえ、先輩の不器用・愚直・クソ真面目・馬鹿正直は倉坂的にはむしろ美徳です。だから、ぜったい治しちゃあ駄目です」

 とはいえ、新入生向けの部活動紹介で、真空管や半導体の研究からはじめてコンピュータを知ろう、とかいう年間計画を熱弁して、入部希望者が集まるわけがない。結果、入部したのは何を思ったか知れない倉坂ひとりで、だから電脳研はこうして無くなるわけで……。

「ああ、えーと……それで、倉坂は来月から部活どうするんだ?」

「先輩は、やっぱり帰宅部ですか?」

「俺のしたいコトは、校内では理解されないらしいからな」

「あははは……ホント頑固ですね」

 そうこうするうち、佐橋の手が止まった。

「パソコンの掃除……終わっちゃいましたか」

「ああ、完了だ」

 倉坂はちょっとだけ伏せていた顔をあげてまた、にししと笑ってみせた。

「ところで、コマンドプロンプトって……やっぱりエロいと思うんですよ」

「一発芸じゃなかったのか、それ」

「コレを電脳研最後の活動にします」

「勝手に決めるな」

「碌な活動もなかったですし」

「その点は……すまん」

「最後にちょっとドキドキするくらい、良くないですか?」

「コマンドプロンプトが……そんなわけないだろう?」

「証明できなかったら、先輩のお願いを何でもひとつ聞いてあげます」

「何でもは駄目だろう」

「堅物ですね……聞き届けるかどうかに検討する、くらいなら良いですか?」

「ああ、それくらいならまあ」

「ドキドキしたら、先輩がお願い聞くんですよ」

に検討しよう」

 佐橋はコマンドプロンプトのウィンドウを開いた。

「それで、どうやって証明するんだ?」

「倉坂がコマンド書きますから、先輩はEnterを押してください」

 横から手を伸ばしてキーを叩いた。真っ黒なウィンドウに白い文字が並んだ。


 echo LOVE > KURASAKA

 (LOVE一行をKURASAKAくらさかに出力せよ)


 EnterすればLOVE一行を中に書かれてファイルKURASAKAくらさかがカレントディレクトリにできる。

「先輩、どうぞ」

 佐橋はわずかにためらったのちEnterキーを押した。

「これで良いのか?」

 倉坂は、まだまだですよ……と同じコマンドを、ただし > をひとつ増やして書いて、手のひらでどうぞと促した。


 echo LOVE >> KURASAKA

 (LOVE一行をKURASAKAくらさかに追加出力せよ)


 佐橋はEnterした。KURASAKAくらさかの中のLOVEは二行になった。すかさず倉坂はF3キーを押して今のコマンドを複製して、佐橋を促した。


 echo LOVE >> KURASAKA


 佐橋はまたEnterした。倉坂はまたF3キーを押した。これを繰り返した。またEnterキー、またF3キー……ふたりは交互にキーを押した。カタ、カタと一組の音が鳴るたびLOVEがKURASAKAくらさかに足されていく。


    *


 倉坂がF3を押す手を止めて、呼んでいた。

「先輩……佐橋先輩」

 佐橋は我にかえった。

「え……と、倉坂?」

 あれ。俺は何回Enterしたのだろう。というか……いったい何分が経ったのか。気づけば部室に射しこむ夕陽が壁もパソコンも紅く染めていた。

 倉坂が別のコマンドを書いて促した。


 type KURASAKA

 (KURASAKAくらさかの中身を画面に出力せよ)


 佐橋がEnterするとKURASAKAくらさかの中の大量の白いLOVEが真っ黒なウィンドウに溢れ出て、何行も何行も重なってスクロールして、ようやく止まった。

「どうでしたか……ね?」

 いわれて佐橋は約束したのを思い出した。きわめて遺憾ながら不本意ながら、ここはやはり正直に肯くしかないだろう。

「ちょっとでもドキドキしたんなら……」夕陽の射す部室で、倉坂は真っ赤な顔でコマンドを書いて促した。「急ぎません。に検討してほしいです」


 rename KURASAKA SAHASHI

 (KURASAKAくらさかの名をSAHASHIさはしに変えよ)


    了

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