26

 何をやっても様になる人っているんだなぁと、システィナの顔をまじまじと見た。

 前にも思ったが美人が怒ると迫力が出る。つまり、めちゃくちゃ恐い。


「もう、超面倒くさい」


 投げやりな嘆きと共にくれない寿弥じゅやの元へ帰ってきたシスティナの様子は、一目で経過が芳しくないということが分かった。

 本人が事前に手こずると言っていたから、きっと想定の範囲内ではあるのだろう。


「分かってたことだけど、正面突破はやっぱり無理ね。組織の表層にいる連中ときたら全っ然話通じなくて」


 武力行使が云々と言っていたのは冗談だったと知り、紅は安堵した。


「あれ、そういえばアスカは? システィナさんと一緒でしたよね」

「さあ。いつの間にかどっかに消えたわ」


 素っ気ない、無関心を極めたような返答が返ってきた。

 彼のことだ。はぐれたというより、きっと自発的に逃げたのだろう。


「他にやり方考えないとねぇ。とりあえず、今日はもう自由にしましょっか」

「あ、じゃあ!」


 寿弥が声を上げた。


「ねえティナ、中央の通りに行かない? 私、帝都に来るの久しぶりなの!」

「中央の通り? ああ、市場マーケットのこと。まだ日も高いし、良い時間ね」


 いいわね、とシスティナが快諾する。


「紅君も来るでしょ?」

「あ、おれは……」


 反射的に、はい、と頷いてしまいそうだった自分を思い止まらせる。

 生来、紅は知っていた。

 かつて幼き頃、叔母の用事に付き合わされたときに嫌と言うほど思い知った。

 女性の買い物に付き合うことが、うんざりするほど長丁場だと言うことを。


「……先に宿、とっておきますね」


 なので、はっきりと離脱を宣言する。


「あら、気が利くこと」


 本気でそう思っているのか、それとも紅の内心を読んでいるのか、含みを孕んだ笑みを浮かべてシスティナが言った。


「宿は街の出入り口の方、さっきあたし達が通ってきた道沿いにあるわ。迷わないと思うけど、大きい街だから気を付けてね」

「ありがとうございます。大丈夫です」


 久しぶりに一人の時間が出来るな、と心が安まる思いだった。






 こんな大きな街で、たくさん人がいて、果たして宿の空きがあるのか不安に思うもそれは杞憂であった。


「外壁近くはね、たまに魔物が入ってくっから。みんな中央の宿に行っちゃうのさ」


 と、宿の主の男が言った。


「でも最近はね、滅多にそんなことは起こらないんだよ。仕組みは分からないんだけどさ、なにやら軍の方で魔物を街に近づかせないようにしてくれてるらしい」


 以前は真夜中でも外壁に魔物が体当たりする音が響いていたが最近はめっきり静かさ、と男が豪快に笑った。


「た、体当たり……?」


 街を囲む立派で頑丈そうな外壁を思い出す。あれに音を響かせるなどよっぽどのことだ。


「お客さん、もしかしたらラストスは初めてかい? この辺は魔物が多いから外に出るときは気をつけなよ」


 港町から帝都までの道のりでは言うほどそうでもなかったが、現地民の人間が言うのだから間違いないのだろう。

 確かに、夜中でも物騒な音が響く場所であるなら、宿が空いていることも頷けた。

 それを知っていてシスティナもこの場所を指定したのかもしれない。

 ひとまず二部屋を確保して、紅は再びおもてへと出た。宿へ引き籠もるにはまだ空が明るい。


「……」


 一人で仰ぐ馴染みの無い地の空の下は、どことなく心細かった。


「中央の通りって言ったっけ」


 別に女性陣の買い物に混ざるわけではない。ただ、一人で見て回るのもいいかもしれないと思った。

 やはり大陸も変われば食文化も異なるだろう。ということは、売られている食材も、フレイリアでは見掛けない珍しいものがあるかもしれない。

 使う機会も保存する場所も無い以上、食材を買い込んでも仕方がない。見ることしか出来ないとなると完全に冷やかしになってしまうが、一度湧いた好奇心は抑えることが難しかった。


 ――まあ、いいか。


 いつかきっと、再びこの街に訪れて、その時は必ず買うと心に誓う。

 そうして、紅も寿弥とシスティナのいる市場マーケットへ向かったのだった。











 市場マーケット――そう呼ばれる場所は、フレイリアの港町エンテージにある露店街と似た空間だった。しかし、大通りの両脇にずらっと露店が並ぶその規模は、港町のものと比べて桁違いに大きい。


「あたし、あんまこういう所来ないんだけど、たまに来ると新鮮でいいわね」

「ティナ、買い物しないの?」

「自分じゃしないわねぇ。寿弥ちゃんて宿屋のなんでしょ? じゃあ、色々と物入りでしょうし、よく来るんじゃない?」

「ええ、でも、大体トスカテージの中で用が足りてしまうから帝都まではあまり来ないのよ。トスカテージからは距離もあるから傭兵を雇わないといけないし。今日だって何年ぶりかなって感じなの」


 他愛ない会話を楽しみながら、特に露店を物色するということもせず大通りを歩いていく。買い物と言うよりは、ただの散歩だった。もしかしたら寿弥は、買い物をしたかったわけではなく、ただ誰かと一緒の時間を過ごしたかっただけなのかもしれない。そして、システィナもそれが嫌ではなかった。


「ずっと不思議に思っているんだけど、なんでみんな露店なのかしら」


 周囲を見回しながら、寿弥が疑問を投げる。


「トスカテージはちゃんと建物に店が入ってるのに」

「スペースの問題じゃない? 建物の数に比べて商人の数が多すぎるもの。あとは、何か起こったときにすぐ荷を纏めて逃げられるように、かしら」


 システィナの説明に、寿弥が目を丸くした。


「逃げ……?」

「今でこそ街の外壁の、更に外に門壁が出来て大分頑丈になったけど、一昔前はよく街の中に魔物が入り込んでいたそうよ。その度に街がめちゃくちゃになるから、家屋に店舗を持つのは効率が悪かったのよ」

「……帝都って、そんなに物騒なの?」


 怯えたような顔をする寿弥に、システィナはふふと笑った。


「何処の国だって同じよ。安全なのは大体城周りだけ」

「何か、嫌ね。仕方ないんでしょうけど」


 不満げな台詞に、システィナは「同感だわ」と応えた。

 一通り歩き倒したところで、そろそろ戻ろうかと、口に出さずもお互いにそういう雰囲気を察して足を止めた。

 事件が起こったのは丁度その時で、賑やかな露店街の一角で大きな悲鳴が一斉に相次いだ。


「な、何!?」

「寿弥ちゃん、ちょっとこっち来て」


 少女の手首を掴み、素早く建物の影に身を潜める。

 悲鳴の連鎖は瞬く間に広がり、一瞬にして周囲は混乱に陥った。


「この様子、もしかしたらどこか、街の中に魔物が出たんじゃないかしら」

「えぇ!?」

「……この街の魔術式防護壁、不具合でも起こしてんじゃないの」

「か、壁? 不具合って何?」


 不安に震える寿弥の問いに、システィナが冷静に答えた。


「帝都に入る前に、最初に身分証を見せた門があるでしょ。そこの門壁、最近旧式のものから一新されたの。アンチ魔力を利用した魔術式防護壁。まだ試験的運用の段階って話だから、そりゃ不具合でも何でも起こって当然なんだけど、この欠陥は流石にマズいわね。急に街の外から異様な魔力を感じるようになった……多分、アンチ魔力のはずが逆に魔力を増幅させちゃってるんじゃないかしら」

「……ごめんなさい、ティナ。私、全然理解できない」

「街を守るはずの壁が、逆に魔物を引き寄せちゃってるのよ」


 途端、近くの建物に大きな亀裂が入る。轟音と共に崩れ落ちる瓦礫から、逃げるように二人は駆け出した。


「中央区へ急げ!」


 どこからか、そう叫ぶ声が聞こえる。人々は皆、一目散に街の行政機関が集まる中央区へと繋がる内壁を目指した。


「流石に国民は慣れたもんねぇ。最近は滅多になくなったって話で、それまでは度々起こり得ることだったって話だし」

「そんなことで感心しないで! ティナ、私達どうすればいいの?」


 一度止まり、崩れた瓦礫の隙間に身を隠す。


「とにもかくにも、門の防護壁を直さないことにはどうにもならないわね」

「あなたは直せるの?」

「無理よ。術式は魔道院の特許技術だもの。……でも困ったことに、魔道院の連中は前戦には出てこないのよね。文系だから」


 声を潜めてシスティナが説明する。が、寿弥は分からないという風に首を傾げた。


「……つまり、どういうこと?」

「まず、この魔物達をどうにかしないといけないってことよ」


 不意に、大きな影が二人の頭上を覆う。

 闇を編み込んで一塊にしたような、そんな異形の化け物が二人の背後に迫っていた。


「やば。逃げるわよ、寿弥ちゃん」

「きゃあっ!?」


 異形から飛び出した蔓が勢いよく下方へ叩き付けられ、地面が深く抉られる。


「寿弥ちゃん、大丈夫!?」

「へ、平気……」


 寸前で避けたものの、体勢を崩したまま勢いよく転んでしまった。そんな寿弥をシスティナは急いで助け起こす。

 ゆらり、と。視界の端で蔓がうごめいた。黒いもやを発するそれは見る者に生理的な嫌悪感を与えるほどに、気味が悪かった。


「最悪……」


 吐き捨てるようにシスティナが呟いた。その直後。


「――寿弥!?」


 その声と共に、たちまち異形が霧散した。黒い霧が晴れた後、そこに立っていたのは長剣を携えた赤毛の少年だった。


「システィナさんも! 大丈夫ですか!?」


 少年が慌てて二人に駆け寄る。驚きながらも、システィナは紅の持つ剣を見遣った。

 一太刀だった。魔物は内部にある《コア》と呼ばれる心臓部を的確に突かなければ無力化出来ない。異形の姿形は個体差があり、核の場所もそれぞれ違う。それを的確に狙って断つのは腕の立つ騎士でも指南の業だ。

 ――なるほど、と。寿弥の背を支えたままシスティナは目前の少年に笑って見せた。


「やだぁ、紅君。超グッドタイミング。惚れちゃうかも」

「……っ冗談はいいんで早く逃げて下さい!」

「勿論逃げるわよ。でも待って。紅君、君、本当に良いところに来てくれたのよ」

「な、なんですか……?」


 警戒しながらも、少年は素直にシスティナの話に耳を傾けた。そんなに怪しいと思うなら無視をすればいいだけなのに――可笑しさで吹き出しそうになるのを堪えて、システィナが紅に言った。


「街の中の魔物はラスティアードの番兵がどうにかするでしょう。でも、この魔物の根源はおそらく、最初に帝国に入るときに通った門。身分証を確認されたあの門に設置されてる魔物除けの魔力器具よ。それに不具合が生じて逆に魔物を引き寄せてしまっているの」

「魔物除け……?」


 どっかで聞いた単語だと紅が考え込むも、システィナが話を続ける。


「おそらく街の中より門の付近の方が酷いことになっているはず。魔力器具の調整は魔道院の仕事だけど、彼らは大体戦う力を持っていないの。だから器具の不具合を直す為にはまず魔物を一掃しなければならないんだけど、今ラスティアードの兵は街の中で手一杯みたい。もともと門は手薄だし、紅君、ちょっと門までひとっ走りして片付けてきてくれない?」

「……はあ」


 いまいち要領を得ていない様子だったが、ゆっくり説明している時間も無い。


「とにかく! 外に出て魔物を片っ端から倒していけばいいの。ちんたらしてたらどんどん街の中に入ってきちゃうでしょ!? 分かったならさっさと行く!」

「は、はい!」


 剣幕で押して、少年を急かす。


「紅! 気を付けてね!」


 慌てて駆け出した幼馴染みの背に寿弥が声をかけると、紅は手を一振りして応えた。


「ティナ、ちょっと強引過ぎない?」

「人を動かす時ってね、あまり考えさせちゃ駄目なのよ」

「もう……」


 呆れ顔の寿弥に、システィナは満足げに笑みを漏らした。


「さて、あたし達もさっさと逃げましょ。立てる?」


 ぺたりと地べたに座り込む寿弥に、システィナが手を差し伸べる。

 寿弥が目の前の手を取ったその時。視界の横で再び、建物の暗がりの中で一際黒い影がズリッと地面を引きずる音を立てて、動いた。

 二人して同時に息を呑む。


「……紅君のこと、もっと引き留めておくべきだったかしら」

「ティナ、どうしよう」

「何」

「腰抜けちゃった」

「はあっ!?」


 泣きそうに顔を歪めながら、寿弥がシスティナの身体を前方へ押しやる。


「わ、私のことはいいからっ……早く、逃げてっ」

「馬鹿言ってんじゃないわよ!」


 そうこうしている間にも、地を這う影は歩く速さで徐々に二人のとの距離を詰めていった。魔物は人の持つ魔力に引き寄せられる性質を持つ。その歩みを止める術はなく、一度呑まれればたちまち魔力もろとも身体を食われてしまうだろう。

 システィナが覆い被さるように、寿弥の身体を強く抱きしめる。


「――っ!」


 襲い来るであろう衝撃に覚悟を決めて、抱きしめる力に一層力を込めた。


「ティナ!」


 腕の中で、寿弥が悲痛に叫ぶ。


 ――しかし。覚悟した衝撃は、一向に訪れることはなかった。


「……?」


 すぐ側で、地面が揺れたような衝撃を感じた。例えるなら、何か、大きな質量が上から落ちてきたかのような。

 恐る恐る、生理的に瞑ってしまった目を開ける。

 地面に座り込む二人の上に、影が落ちていた。人の影だった。


「……大丈夫?」


 目の前には、少女がひとり。

 長い銀糸の髪を靡かせた紅眼の少女が、平然と二人に手を差し伸べていた。

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Mystia -マイスティア- 霧夜まうき @sonatinet

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