§5 参集

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 本大陸とはいえ、港町だけを見ればフレイリアとそう違いはないと思った。

 なんなら、トスカテージよりエンテージの方が煩雑で賑わいがあるのではとすら感じる。トスカテージの街は一部の区画しか見ていないのでそれだけで判断するのは短慮であったが、しかし第一印象としてはその程度。

 つまり、話に聞いていたよりも大したことはない、というのが、本大陸に対していだいたくれないの感想だった。

 ただ、その考えは帝都を間近にして一転した。

 最初に潜った門では、番兵に身分証を確認された。違法に手を加えられたものを提示するのはやはり後ろめたくて、緊張を顔に出さないようにするのが大変だった。

 門を潜った後は一本道が続き、しばらく歩くとようやく街の外壁が見えてくる。

 一見城かとも紛う巨大な外壁はフレイリアでは見たことがなくて、ただただその規模に圧倒された。

 そこでもフレイリアでよく見かける甲冑を着た兵が常駐しており、システィナが先導して言葉を交わす。間もなく入場の許可が下り、ようやく紅達はラストス国帝都に入ることが出来たのだった。


「……厳重なんですね」

「フレイリアでのことがあるからよ。普段はもっと緩いわ」


 外壁の内側に足を踏み入れると、眼前には活気の感じられる街並みが広がった。

 ひと目でとんでもない広さがあるのが分かる。

 そしてその時は、視界に映るこの広大な空間が帝都の全容ではなく、ただの平民層の居住地区に過ぎなかったことを知らなかった。


「……なんか、奥にまた壁みたいなものが見えるんですけど」


 街の中に、更に街? ――と不思議な構図に首を傾げる。


「やだぁ、これだから田舎者は」


 システィナが笑って言った。


「あれはこの居住区と行政機関が集まる中央区を繋いでるただの関門よ。中央区の先に富裕層が集まる高級邸宅街があって、更にその先に帝国城があるわ。まあ、確かにあのド田舎のフレイリアにはこの規模の街は無いもんねぇ」

「広すぎて何が何だか……」


 紅にとってはシスティナが田舎と笑うフレイリアの王都でさえ立派な都会なのだが、更にその規模を上回るものを目前にして流石に価値観が変わってしまいそうだった。


「そういえば、寿弥じゅやはエスタールからラストスに来たんだよね」


 自分に近しい感性――もとい、心の拠り所を求めて寿弥に話を振る。


「ええ。だから私も初めて来たときは同じようなことを思ったし、吃驚したわ。フレイリアのことは知らないけど、エスタールにはお城どころか平屋しかないもの」

「あそこはフレイリア以上に田舎だからなぁ」


 田舎を馬鹿にしているわけではない。どちらかと言えばのどかな環境の方が落ち着くし好きである。しかし、目新しい都会の光景は眠っていた好奇心を刺激する。

 都会に染まってしまう人の気持ちが分かった気がした。


「はいはい、田舎話はそこまでにして。さっさと用を済ますわよ」


 システィナが仕切るように手を叩く。小気味良い音が鳴り響いた。


「じゃあ紅君と寿弥ちゃん、ちょっとこの辺で待っててくれる?」

「ま、またですか」


 孤児院でも同じような展開になったのを思い出す。


「だってこれからラスティアードの上層部と話をつけに行くんだもの。君たちがいたところで、って話なわけで」

「上層部……? というかシスティナさん、帝都まで来て一体何をするつもりなんですか?」

「何って、決まってんでしょ。あの黒い魔力障壁について調査許可をとるのよ」

「調査、許可?」


 システィナの意図が読めない紅に、システィナは続けて説明した。


「だって君達、フレイリアで大分面倒な移動してたらしいじゃない。それって軍の規制があるからでしょ。なら、大元の許可をとっちゃえばいいのよ。そしたら周りの目なんか気にしないで自由にあの障壁を調べられるようになるってこと」

「……!」


 なるほど、と。しかし、本当にそんな事が出来るのかと疑問に思う。


「随分と簡単に言ってくれるな」


 後ろで話を聞いていたアスカが口を挟む。


「ラスティアードのトップは国の皇帝だぞ。縁故でもない限り、そこまで話が通るはずがないだろう」

「別にトップまで話を持って行くつもりはないわ。おそらく、あの障壁の管轄は魔道院。魔道院はラスティアードの中でも独立した機関だし、皇帝と掛け合うよりはよっぽど楽なはずよ。……問題は、魔道院の連中が軒並み揃って頭の固い偏屈な学者だってことだけど」


 システィナが小さく息を吐いた。気怠げに「お役所って融通利かないのよねぇ」と、ぽつりと呟く。

 よっぽど楽――とは言うが、それでもやはり、簡単な話ではないようだった。


「ま。一発で話が通るとは思ってないからちょっと手こずるかもしんないけど、そこんとこはあたしに任せて? じゃないと協力を申し出た意味がないからねぇ」

「協力……」


 ここでようやく、システィナの言った『協力』の意味を理解した。彼女が自分たちを自由に動けるようにする。その代わりに、彼女の意図するように動かなければならない役目が後々、きっと待っているのだ。

 ラスティアードという機関のことを、紅はよく知らない。ただ、自国であるラストス、及び従属国をひと纏めにしている果てしなく巨大な組織だということは一般常識として理解している。

 そんな規模の組織に対して特に臆する様子もなく掛け合うというシスティナが、紅には異質に見えた。


 ――ほんとこの人、何者なんだろう。


 法に触れる行為をなんの躊躇ためらいもなくこなしてしまう、そういう人間だということは身を持って知っている。その意味では決して善人と呼べるわけではない。が、彼女の行動そのものには悪意が感じられない。

 海底隧道すいどうの時も思ったが、やはり悪い人ではないのだろう。

 一挙手一投足の全てが自信に満ちている。そんな彼女の言動は見る者を引きつける力を持っていた。

 派手な容姿もそう思わせる要因だろう。

 派手というと誤解を招くが、決して華美な装飾を身に纏っているわけではない。むしろ、衣服を含め身につけているものは極めてシンプルだ。

 その質素さと女性として完璧と言える均整のとれた身体、そして陽光に映えるプラチナブロンドの対比が彼女の美貌を一層引き立てている。


「庭師君、あんたはあたしに付いてきて。女一人で行くと舐められかねないもの」

「……お前を舐めてかかるような輩なんて、俺がいたところでどうにもならんだろ」

「その時はその時よ。いざとなったら武力行使するから宜しく」

「俺を鉄砲玉にすんじゃねぇよ……」


 悪意が無いのは間違いないのだが、しかし、もう少し発言が常識的だったらもっと素直に従えるのになぁと、紅は残念に思った。






 *






 システィナの言葉通りに、街の中央区へ向かった大人二人をこの場で見送った。

 そう長くは待たせないとシスティナは言い残したが、あまり期待せずに気長に待つことにする。

 街灯の下に並ぶ長椅子に腰をかけて、改めて街の様子を眺めた。規制がかかっていないので当たり前だが、行き交う人の波が絶えることがない。

 本来ならばフレイリアの王都もこうなのだと、静寂に満ちた町並みを思い出して胸が痛んだ。


「フレイリアよりも暑い気がする」


 よく晴れた空から降り注ぐ日差しは、じりじりと肌を焼くように暑かった。

 暑いというか、空気が籠もっているというか。

 同じ暑さでも、フレイリアでは体感したことのない身体の中に熱が籠もるような慣れない感覚を覚えた。


「今はそういう季節なのよ」


 言いながら、寿弥が紅の隣に腰掛けた。


「エスタールに似てる気がしない? じめじめしてて、汗が滲んでくる感じ。雨でもないのによくカビが生えたりするの」

「……言われてみれば、確かにそうかも」

「もう覚えてないんでしょ」


 いたずらっぽく寿弥が笑う。

 そんなことはない、と言いたいところだったが、図星な部分もあった。

 咄嗟に否定が出来ずに紅は口を噤む。


「ほら、やっぱり」


 でも、と寿弥が続ける。


「私も似たようなものだわ。もう、ラストスに来て十年経つんだもの」

「……本当に、おれがフレイリアに行った後すぐに出たんだ」

「うん。……でも私達一家だけじゃないわ。もう、あの島にはほとんど人が残ってないのよ。鳴海なるみを覚えてる? 彼だって今はこの帝都にいるのよ」

「え?」


 思いがけず懐かしい名前を聞いて、紅は驚いて目を丸くした。


「鳴海がここに?」

「ええ。私も最近はあまり会ってないけど。いるはずよ。組織を辞めてなければ」

「組織って……まさか彼、ラスティアードで働いてるの?」

「そう。何してるのかはさっぱり分からないけれど、凄いわよね」


 鳴海とは紅がエスタールで暮らしていた頃によく一緒に遊んだ、もう一人の幼馴染みのことだった。歳は紅と同じだが、紅と違い大層勤勉で本をよく好んで読んでいた文学少年だった。

 そんな彼が帯剣して甲冑を身に纏っている姿などまるで想像できないから、もしかしたらティアと同じような学者になっているのかもしれない。


「そうだったのか……」

「……いつかね、そのうち、フレイリアに渡ってあなたに会いに行こうかって。そんな話をしてたのよ。そしたら先にあなたがこっちに来ちゃった」


 そう言う寿弥の顔は、どことなく残念そうだった。

 突然行って驚かせたかったのに――そう呟く。


「じゃあ、もしかしたら鳴海にも会えるのかな」

「どうかしら。いつも忙しそうなの、彼」

「ラスティアードかぁ……大変そうだもんな」


 実際の所はよく分からないが、なんとなく、そう簡単には会えなさそうな気がした。


「でも会ったらきっと、鳴海も喜ぶわ。彼、あなたのこと凄く心配していたのよ。フレイリアでちゃんとやっていけてるのかって」

「……そんな心配することある? 別におれ、一人でフレイリアに行ったわけじゃないのに」

「だからでしょう。あなたを連れて行ったのがあの、ガルゼおばさまだったから」

「ああ……」


 長らくフレイリアに住んでいる叔母とは、寿弥達は密接な接点はなかったはずだった。が、たった少し会ったことがあるだけで印象に残ってしまうほど、あの他人に有無を言わせない傍若無人さは強烈のようだった。

 そりゃそうだなと思って、苦笑いが漏れる。


「叔母さんとは特に問題ないよ。村の人達も、余所者のおれに凄く親切にしてくれるし。でも――」


 久しぶりに幼馴染みと気が置けない会話を交わして、実感したことがある。


「村にも、お世話になってた港町にも、おれと歳の近い人がいなかったんだ。それはちょっと寂しかったかも」


 村の子どもと遊ぶのは勿論楽しかった。が、寿弥や鳴海と一緒に過ごした時間とは、やはり違うのだ。


 ああ、だからだろうか――。


 つい最近まで、一人の少女と短い間であったが、旅をしていたことを思い返す。

 久しぶりに同じ歳ほどの人と知り合えたから、それが嬉しかったんだろうか――と。

 あの時、彼女と一緒に居た時に、確かに存在した高揚感の答えを見たような気がした。別れの時に感じた、寂しさの意味も。


「……そう。でもよかったわ、あなたが元気そうで」

「うん」


 気付かない程に、しかしゆっくりと下降していく日の光を眺めながら、過ぎ去ってしまった時間の長さを感じた。

 十年の月日はあっという間のようで、やはり長かったと思った。

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