24
孤児院へ戻ると、システィナが帰ってきていた。
「
「す、すみません……」
蛇に睨まれるとはこういうことなのだろうか。
ドスの利いたシスティナの声に、反論の余地も無いまま反射的に謝ってしまった。さらりと関係ない悪口を混ぜられたのは気のせいだと思いたい。
「ったく、迂闊な行動されて組織と一揉めしたらあたしが君のためにやった行為、全部パァになるじゃないの。ちょっとは考えなさいよ? 何のためにこんな人目につかない場所に押し込んだと思ってんのよ」
おっしゃるとおりです、と深く反省をした素振りで頭を下げた。
反論の余地はないが、何かしらあったところできっと何も言えなかっただろう。
それだけの凄みと異様な圧力をシスティナは持っていた。
彼女の切れ長の瞳に睨まれると途端に何も言えなくなるのだ。
迫力のある美人を怒らせるとめちゃくちゃ怖いんだな、などと、震える気持ちを落ち着かせるようにどうでもいいことを考えた。
「まぁいいわ。はい、これ返すわね」
差し出されたカードを受け取る。先刻、システィナに預けた身分証だ。
見た限りは預ける前と何も変わらない。角にラスティアードの刻印が押されている以外はほぼ無地の、ただの白いカードだ。
「これに何したんです?」
「カードに記録されてる魔術式をちょっといじって、中の渡航情報を書き換えたのよ。君は今、規制がかかる前に船でフレイリアを立ち、数日前にラストスに入ったことになってるわ」
「なるほど」
ということは、晴れて密入国の状態から脱したということか。
いや、脱したというか、罪の上塗りというか。
「……やっぱり違法ですよね」
「黙ってりゃ分かんないんだから大人しくしてなさいよぉ?」
その堂々とした、悪びれる素振りなど欠片も微塵もない言動に、いっそ気持ち良いくらいの清々しさを感じた。
倫理観が麻痺しているのは自分だけではない――そもそもこの人のせいなのでは――という謎の安堵感を覚えつつ、紅はカードを元あった鞄の中にしまった。
その刹那、コンコン、と。部屋の戸を叩く音が鳴った。
「紅? いま大丈夫?」
「あ。ちょっと待って」
応えて扉を開けると、特徴的なくせっ毛がひょっこりと顔をだした。
「やっぱり、直接来てよかったわ。おばあちゃんの安心する顔が見れたから」
「そっか。ならよかった」
「あなたのおかげよ。ありがとう!」
互いに『悪人』になったことなどすっかり忘れたかのように、
その二人の親しげな様子を見て、システィナが問う。
「あら、可愛い女の子。お知り合い?」
「あ、えっと……」
紅が言葉を詰まらせると、システィナは「話は聞いてるわ」と続けた。
「お婆さんの娘さんがフレイリアに行ったんですって? で、それを追っていった女の子を、今度は紅君が追っかけていったって」
「そうです。彼女、おれの幼馴染みで」
へえ、と呟いてシスティナが目を丸くした。
「凄い偶然ね。それとも紅君、ここに彼女がいるって知ってたの?」
「いえ、全然。本当にただの偶然で」
「ふぅん、良いわね、そういうの。運命感じちゃう」
システィナがからかうように笑った。
「まあその話は置いておいて。結局、娘さんの安否は不明なのよね?」
「……そう、なの」
今度は寿弥が答えた。
「渡航記録から、エリーゼさんが乗った船がフレイリアに着いた直後にあの黒い柱が現れたというのは分かったのよ。でも、それ以外は何も」
せめて無事かどうかさえ分かれば――と、寿弥が肩を落とす。
直後、ということは、おそらくエンテージで足止めを食らってしまっている可能性が高い。王都にさえ行っていなければ無事だろう。気がかりなのは、王都の城下にいるというその娘さんの夫の方だ。
「現状、あっち側から本大陸に帰ってくるのはしばらく難しいでしょうねぇ。帝都に行けばもしかしたら通信くらいは出来るかもしれないけど」
「……通信?」
「そう。魔力器具の一つで、遠く離れていても短い間なら会話が出来るの。でも通じるのは組織の施設だから、外部からいきなり連絡して、渡航者の安否が聞き出せるかは分からないけどね」
「でも、可能性はあるのね!?」
寿弥がシスティナに詰め寄った。ええ、と。首を縦に振って、システィナが続ける。「あたし達、明日帝都に向かうの。よかったら、貴女も一緒に来る? 通信はラスティアードの施設内でしか出来ないから、女の子一人が行っても門前払いされちゃう可能性があるしね」
「……!」
システィナの誘いに、寿弥の顔色がパァと明るくなった。その横で、紅が驚く。
「本当に付いていっていいの? 私、トスカテージの近くしか一人で外に出たことないの。もしかしたら邪魔になるかも」
「ここから帝都は、まあちょっと距離はあるけど。丸一日歩くわけじゃないし、それで貴女が平気なら大丈夫よ。紅君もいいでしょ? 道中守ってあげなさいな」
「それは、はい、勿論……」
「じゃあ、決まり」
そのシスティナの言葉に、寿弥は「ありがとう」と心の底から嬉しそうに言った。
少女の笑顔に、紅もつられて笑った。やはり、とても懐かしい心地だった。
その日の夜、寿弥はトスカテージへと戻った。このまま帝都へ発ってしまうと両親に心配をかけるから、という当然の理由だった。
「ねえ、紅も一緒に来ない?」
その寿弥の誘いに、紅は即答できなかった。しかし「いいわね、行ってらっしゃいよ」というシスティナの後押しがあり、流されるように紅も共に寿弥の家へと向かうことになった。
昼間に一度訪れたときはこっそりと忍び込んだ家に、今度は正面から堂々と入る。
そこには懐かしい人物が二人。その男女は、紅の顔を見て酷く驚いた顔をした。
元気にしていたか、と。壮年の男性が駆け寄って紅の身体を思い切り抱きしめた。暑苦しさと、照れくささで反応に困っていたら、今度は女性の方が紅の顔を見つめながら涙を浮かべていることに気付く。
――いや、確かに彼らとも長い間顔を合わせていなかったが、ちょっと大袈裟すぎやしないか。
戸惑うも、その裏表のない反応は素直に嬉しかった。
その男女は、寿弥の両親だった。そして、紅にとっては七つの歳まで実の親子のように接し、家族同然に育ててくれた恩人だ。
夜が更ける前。宿の経営が落ち着いた時間に、久しぶりに――およそ十年振りに、四人は一緒の食卓を囲んだ。
懐かしい手料理の味と、かつてと変わらない団欒に、少しだけ泣きそうになった。
「ねえ、寿弥」
静まりかえった夜の闇の中で、高揚の余韻に浸りながら何となく眠れないままシーツに
もう寝ただろうかと思いつつ、隣の
「……昼間、会ったとき。よくおれのこと分かったよね」
今日の出来事を、脳裏で反芻する。
「何言ってるの。先に声をかけてきたのはあなたよ」
可笑しそうに、寿弥が笑った。
そうだけど、と。ぽつりと呟く。
正直なところ、孤児院で事前に寿弥の名を聞いていなかったら、偶然会ったところで分からなかっただろう。
紅の記憶の中にいる彼女は、まだ幼くて、髪も今ほど長くなくて、変わっていないのは愛嬌のある笑顔と薄紅色の癖毛くらいだ。
もしかしたら幼馴染みかもしれない――その前持った予感があったからこそ、紅は、成長した彼女の姿に昔の面影を感じ取ることが出来た。
ただ、寿弥は、紅の顔を見るなりその名を呼んだ。
――分かるわ。
その声を聞いた時。紅は息が止まるのではないかと思うほど、驚いた。
「だって、分かるに決まってるじゃない。あなた変わらないもの」
そうかな、と思う。そうかもしれない。
「君は……背が伸びたよね」
「それはあなたもよ」
かつて彼女の方が高かった背丈は、お互いの知らない十年の間に、いつの間にか抜かしてしまっていた。
「でも、見た目なんて関係ないと思うのよ」
寿弥が断言する。
「どんなに変わってたって……たとえ、あなたが毛むくじゃらの大男になってたとしても、私、絶対分かるもの」
「それはさすがに無理でしょ」
笑う紅に、いいえ、と寿弥ははっきりと言った。
「分かるわ。だって、私たち姉弟だもの」
また、息が止まる。
寿弥を見遣ると、いつの間にか彼女もこちらを見ていた。
「弟の顔が分からないなんて、ありえないでしょ」
「……そうだね」
ふふ、と笑う寿弥の声が、酷く心地よかった。
その日は久しぶりに、よく眠ることが出来た。
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